なんてちっぽけな紙切れ
「風間さんにとって、良い未来が視えた。まぁ、まだ確定じゃないんだけどね」
その言葉を聞いたすぐ後に、迅の言葉は的中した。防衛任務終わりに諏訪と2人で出向いた居酒屋で席に着いて注文をする為に従業員を呼ぶ。それに応じたのがなまえさんだった。
俺はなまえさんに恋をした。
「すみません。年齢確認良いですか?」
その言葉を聞いて諏訪が笑いを噴き出し、手で押さえている。生憎俺は諏訪以上にこういう場面に出くわしているし、もう慣れている。聞かれた張本人である俺は笑いもせずに学生証明書を取り出し、自分自身の年齢を証明してみせた。
「21歳!? すみません、てっきり中学生かと……。本当にごめんなさい。お詫びに量サービスしときますんで!」
驚き、謝り、笑って見せる彼女のネームプレートには可愛らしい文字で“なまえ”と書いてあった。
その時から既に笑顔が素敵な人だと思っていた。それからなまえさんが俺等のテーブルを行き来する度に目で追ってしまい、終いには諏訪から「なぁ風間。お前もしかしてあのお姉さんに惚れたのか?」と突き止められてしまう始末。その言葉に直ぐに言い返せなかった俺が悪いのもあるが、諏訪の顔がしたり顔に変わり、「そこのお姉さん! えっとなまえさん! ちょっと良いですかー」とあろうことかなまえさんを呼び寄せた。
「はい、ご注文ですか?」
「なまえさんは今、彼氏居ます?」
「えっ? 彼氏ですか? 居ないです。募集中です」
営業上の建前なのかもしれない。それでも、内心ガッツポーズしてしまったのも事実だ。そうか、なまえさんは募集中なのか。諏訪、良くやった。ただし、これ以上はもう良い。至らない事はするな。
「へぇ! じゃあコイツどう? 見た目はこうだけど、中身が滅茶苦茶格好良いんだ!」
「そうなんですか! でも、さっき私失礼なこと訊いちゃったし……。お兄さんが願い下げですよね?」
「……いや。とても……魅力的だと思います」
諏訪がまたしても手で口を押さえている。諏訪を睨む事は出来ても、なまえさんを見ることは出来ない。自分でさえも浮つくようなセリフを言ってしまった自覚があるのに、言われた側のなまえさんを言った側の俺がどんな視線で見つめれば良いのか。その言葉を吐いたのは俺自身で、その言葉の責任を取るべきなのも俺だと分かっている。それでも、迅のサイドエフェクトは当てにならないと心の中で迅を責め立てていた時。
「……お兄さんから言って貰えると本気で言って貰えてる気がして嬉しいです」
俺の気持ちをなまえさんの言葉が簡単に払拭する。
……俺はボーダーに身を置く人間だ。それはいつ死んでもおかしくはない人間とも呼べる。一般人に比べるとその確率は非常に高いし、なんならA級として活躍している俺はその中でも更に高確率の人間だ。だからこそ、そんな俺が生半可な気持ちで誰かと付き合うべきではないと思っている。それでも、俺はこの短い時間でなまえさんの事を相当好いと思っているし、もっとなまえさんの事を知りたいとも思っている。
そう、俺はなまえさんに恋をしたのだ。
「俺の名前は風間と言います。風間蒼也です。もし良ければなまえさんの事をもっと教えてくれませんか」
この言葉はちゃんと目を見て伝えた。そうしないと誠意が伝わらないと思ったから。先ほどまで良い感じに入っていた酒はとうの昔に醒めてしまっている。お酒の勢いがあればもっとぐいぐい行けたのかもしれないが、それでは失礼にあたる。醒めていて良かった。
「みょうじなまえです。風間さんより1つ年下の20歳です。これ私のラインです。良かったら連絡下さい」
なまえさんがアンケート用紙の紙にIDを書いて手渡してくれる。
「じゃ、私はこれで。……あ! 私、こういうのお客さん相手にはしないようにしてるので、今回の事は内緒でお願いしますね!」
小声で早口気味にそう言ってテーブルから離れていくなまえさん。……先ほどの迅に対する感想を撤回しようと思う。迅のサイドエフェクトはやはり侮れない。
「おいおい、まさかのパターンじゃねぇかよ! 俺にもなまえさんのID教えろ!」
「誰が教えるか」
「うっわムカつくぜ! 俺のおかげだってのに! 今日は風間の奢りだからな!」
「……あぁ。それくらいはさせて貰う」
「あー誰が人の色恋アシストして嬉しいかってんだよ、チックショウ!」
悔しがる諏訪の声が耳の横を掠めていく。その声を拾う事もせず、俺はただじっとなまえさんのネームプレートと同じ字体で書かれたアルファベットを眺め続ける。
俺みたいな人間は、生半可な気持ちで誰かと付き合うべきではないと思っている。それでも既に出会ってしまったのだ。本気で向き合いたいと思ってしまった人に。そして、なまえさんも俺と向き合おうとしてくれた。
俺たちの恋はまだ始まってはない。それでも俺には迅のサイドエフェクトが言ったあの言葉がある。まだ確定していないその未来を確定的なものにする為にも、俺はこのアンケート用紙を大事に折りたたんでポケットに仕舞いこんだ。
この紙が全ての始まりなのだから。