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死なせてくれぬ病、恋と云ふ

 タケミっちに話を通し、午前で事務所を抜けて戻った自宅。駐車場に車を停めてなまえが降りてくるのを待ちながら事務所でのやりとりをぼんやりと再生させる。「最近やけに帰りたがるな? さては女か?」というタケミっちの鈍すぎて逆に鋭い指摘になんと返せば良いか分からず微妙な顔つきになったのをタケミっち以外の人物は見逃さなかった。

 その視線まで再生されたので頭を振り、なまえとのラインを見返していると一虎くんからのラインが入り、糸がピンと張られたのが分かる。

「……うまくいかねぇもんだな」

 本来ならば反社会勢力であるヤクザと、堅気である警察官が交わることはあってはならないこと。それでも内通しているのはお互いに利害が一致しているからだ。
 俺と一虎くんは東卍から稀咲を追い出し東卍を作り直したい。警察側である橘直人は姉を殺された復讐を成し遂げたい。そこにヤクザや警察なんて立場は必要ない。……いや、必要だからこそ私的に利用しようとしている。

 それがすんなり上手く行くはずもなく。一虎くんの報告によって、警察内でも隠密に動いていた橘直人の行動が明るみになってしまったことを知り、暗い気持ちが胸中を覆う。……このままだと予定通りにはいかなくなるのだろう。そうなれば俺は――

「すみません、ペケJがじゃれついて来て……」
「……すっかり懐かれてんのな」
「えへへ……可愛くてつい甘やかしちゃうんですよ」
「メシやり過ぎてねぇだろうな?」
「だ、だだいじょうぶです」
「動揺してんぞ」

 暗い未来を思い描いた時、それを遮るようにドアが開かれ柔らかい微香と共になまえが乗り込んでくる。……髪の毛、ツヤツヤしてんなぁ。ちいせぇ時のペケJみてぇだ。
自分の死期を予測していた思考は、なまえが連れて来た匂いがどこかへと払いのけてしまう。……今回のことは遅かれ早かれいつかは訪れる出来事だったんだ。覚悟は決めている。だから今はそのことに気を揉むよりもなまえとの時間に集中しよう。じゃないと残り少ない時間が勿体ねぇ。



「お花まですみません、ありがとうございました」
「これくらいは礼儀だ」
「お母さんも喜んでくれてると思います」
「どこの馬の骨ともわからない奴って怒ってねぇと良いけどな」
「ふふ、大丈夫ですよ。私がちゃんと説明しましたから」
「……なぁ、今度は俺の墓参りに付き合ってくんねぇか?」
「勿論です。……けど、どなたの?」

 墓参りを終え、ランチとして選んだのはなまえが入ってみたいと言ったカフェ。頼んだランチプレートを嬉しそうな顔で頬張るなまえを見つめながら場地さんの墓参りに付き合って貰えないか提案すると、なまえの目線がプレートから俺へと移る。

「俺が昔、いや今でも心から尊敬してる人」
「……松野さんにとって大切な人なんですね」
「あぁ。後にも先にもあんなにカッケェ人を俺は知らねぇ」
「もしかして、“場地さん”ですか?」
「なんで……」

 場地さんについて脳内で考えることはあっても話題にしたことはなかった。なのにどうしてなまえが?そんな驚きが籠った目で見つめ返すとなまえがナイフとフォークを置いて話すことを優先させる。それを見た俺も倣うようにしてコーヒーカップを置くとなまえがゆっくりと口を開く。

「初めて会った時、あの団地を大事な場所だと言ってましたよね。その時“場地さんに感謝しないと”って言われてたのが耳に残ってて。それから松野さんと過ごすうちに松野さんがどこかに想いを馳せていることに気が付いて。多分、場地さんのことを想ってるんじゃないかなと思ってました」

 驚いた。なまえが聡いヤツだということは分かっていたが、ここまでとは。俺が髪の毛が痛んでいることに気付く間に、なまえはそんな深い所まで見つめ、見抜いていたのだ。やはり俺は隠しごとなんて上手く出来ないのだろう。

「なまえはよく見てんな」
「……あの。凄く失礼なこと言うんですが、場地さんのことを想っている時の松野さんの横顔がとても綺麗で、儚げなんです。……その姿を見てたら私、松野さんが居なくなっちゃいそうな気がして、時々不安になります」
「……そっか」

 何言ってんだよ、と笑い飛ばしてなまえの不安を払ってやることは俺には出来ない。どうしてなまえはこんなに聡いのか。俺みたいに大事な部分は馬鹿なヤツで居てくれたら良かったのに。俺のせいで不安を感じているなまえに俺はどうすれば安心を与えてやれる?

「松野さんにまで居なくなられたら……私……」
「……生きてりゃいつどこで、何があるかなんて分からねぇ」
「……そうですよね」
「でも。俺が無理矢理なまえを俺の側に置いたんだ。ぜってぇ俺から突き放すようなことはしない。勿論、なるべくなまえの側に居るようにする」
「松野さん……」
「だから、一緒に過ごす時間は楽しく行こうぜ?」
「……ありがとうございます」

 気休めかもしれない。それでも、俺はこの言葉に願いを込めて真っ直ぐとなまえの顔を見つめて告げる。そうすればなまえもしっかりと頷きを返してくれるからそれだけでも良かったと思おう。……ごめんな、側に置いちまって。でも、どうか、俺の側から離れないでくれ。



 自宅に戻り玄関を開けるとペケJがトコトコとやって来て、俺たち2人を見上げ小さく声を上げる。俺には「なまえをどこに連れて行っていたんだ」と責めるような声を、なまえには「早く遊べ」と甘えるような声を。……オイオイ、お前の飼い主は俺だぞ? 愛猫の態度にムッとしつつ、買い物袋からペケが好きなおやつを取り出し、チラつかせるとそれを凝視しながら俺の後を歩き出す愛しい黒猫。現金だなオイ。

「ふふ。なんだかんだ言っても飼い主が1番だよね?」
「いや明らかおやつに釣られてんだろ」
「そうですか?」
「……つーかペケにこのおやつの味覚えさせたのはなまえか?」
「えっ、いや……違う人じゃないですか?」
「……知ってっか? ペケは人の手から餌食うヤツじゃねぇんだ」
「え、初めから食べてくれましたよ?」
「初めから?……へぇ。随分手慣れてんだなぁ?」
「うっ」

 ジト目で見つめると詰まった表情を浮かべるなまえに自然と笑みが零れる。……やっぱりなまえと居る時は楽しい時間を過ごしたい。それが、残り少ない俺の人生、最後の願い。

「……すみません、少し電話に出てきます」

 購入品を片していたなまえから固い声が聞こえ、ペケJにおやつを与えながら視線を移すとなまえは血相を変えて自室へと逃げ込むように向かっていった。……おかしい。なまえが誰かと連絡を取ることなんて今までなかったし、ましてや電話がかかってくるなんてこの1週間で1度もなかった。しかもなまえのあの慌て様。良からぬことだと察し、俺の神経も尖っていく。

「にゃ」
「……心配してくれてんのか?」

 鋭い目つきになったのに気が付いたペケが短く鳴き声をあげ、落ち着けと告げてくる。
東卍の情報網を使えばなまえの身辺なんて簡単に調べられる。……が、なまえのことはなまえの口から知りたい。なまえが許してくれるのなら、なまえの悩みを訊いて、力になりたい。それが俺が渡せる愛情だと思うから。

「電話、誰から?」
「……父親です」
「そっか。……もしなまえが良かったらなんて言われたか教えてくんねぇか」
「でも……、」
「なまえの力になりたいんだ」
「……松野さんに甘えてばかりで……良いんでしょうか……」
「その言葉に対する俺の答えはもう知ってると思うけど?」
「……松野さんが居てくれて、本当に良かった……」

 戻って来たなまえと数回言葉を交わすとなまえの顔がふにゃりと歪む。……そうやって俺に弱さを見せてくれ。そうされると俺が堪らなく嬉しいんだ。



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