振り向けばいつかの宵

「みょうじの一時帰省を祝って! カンパーイ!」

 嶋田の音頭によって全員がビールを傾け美味しそうにのど越しを味わう。大体、臨時の手伝いってだけでここまで盛大に祝う必要があるのか甚だ疑問だ。……まぁ中身は普段から飲んだくれる仲間内の集まりに違いはないのだが。

「有給消化って、いつまで居れるんだ?」
「6月頭くらい」
「へぇ。んじゃ約1か月ってとこか」
「そんなとこ。ゴールデンウィーク何しよっかな〜」

 何しようか、じゃねぇ。坂ノ下の店番すんだろうが。呑気にビール流し込んでいるみょうじをジト目で窘めると、ぱちっと合った瞳の向こうでみょうじがおどけてみせる。ジョッキを傾け終わったかと思えば、そこに付いた口紅を拭いながら肩をすくめ「はぁ〜い」なんて気の抜けた返事をするみょうじ。

「ちゃんと看板娘やりますって」
「ハッ。看板娘っつー歳でもねぇだろ」
「あっ、酷い! そういうの、セクハラだからね!」
「セクハ……バカかお前は!」
「あー! そういうのも、アウトだから」
「ッ!」

 こっちが批難する側だったハズなのに、いつのまにかやり込められる立場になって言葉を詰まらせる。コイツには昔から口喧嘩で勝てた試しがない。そうしていつも最後にみょうじは勝ち誇ったように笑う。あぁ、やっぱり笑い方はあの時のまんまだ。

「にしても烏養、やっぱりバレーは好きなままなんだね」
「まぁな」
「そんな頭してるのに?」
「頭は関係ねぇだろ」
「でも意外。烏養ってプレーするのが好きなんだとばかり思ってた」
「……それは違わねぇけど」

 意外なのはみょうじの方だ。まさか俺のバレーに対する姿勢を見抜いていたなんて。高校時代スタメンになったのなんて、ただの1回だけなのに。

「今度見学行ってもいい?」
「来ても別にすることねぇぞ」
「いいじゃん。久々に烏野高校行ってみたい。バレー見るの好きだし」
「……あっそ」

 “バレーを”見ることが好きなのか、それとも――言いかけた言葉はビールの泡と共に飲み干した。



「おかえり。烏養コーチ」
「おう、ただいま。店番、さんきゅーな」

 歓迎会という名の同窓会から数日。スピード採用されたみょうじには主に夕方の店番をお願いしている。だからバレー部の指導を終えて坂ノ下に戻るとこうしてみょうじが出迎えてくれることが常になりつつある。
 みょうじ相手に“ただいま”を言う日がくるとはあの頃の俺は想像もつかなかったな。1人でむず痒さを感じながらもみょうじに店番のお礼を言って場所を代わる。

「烏養ってさぁ、見かけによらず真面目だよね」
「あ?」
「いや、ホラ。暇だし掃除でもしようかなぁって思ったのに、お店綺麗だし」
「暇ってオイ」
「賞味期限切れもないし、在庫管理もちゃんとしてる」

 目敏いというか、よく目につくというか……。褒められることがこっぱずかしくてそんな言葉を並べるが、照れていることなんてみょうじにはお見通しのようだ。その笑みが物語っている。だから必要以上言葉を並べることを止めて「まぁ」という言葉に留めると「うん。烏養はやっぱりおじいさんの血が流れてるんだね」と笑う。

「コーチ、向いてるんじゃない?」
「……いや、俺はやっぱりやる方が好きだ」
「うん。それも分かる。だけど、人に教えるの、結構好きでしょ?」

 どうしてみょうじはこうも俺の考えを見透かせるんだろう。ズバズバ言い当てるみょうじに目を丸くすると「ほらこれ」と掲げるのは俺が昼間に読み進めている指導に関する本たち。

「バレーボール指導読本とかコーチングの全てとか。付箋だらけじゃん」
「あっ! ちょ、見んな!」
「なんでー? エロ本じゃあるまいし」
「それでもだ! あっ、捲るな!」
「そこに置きっぱなのが悪いんじゃん。烏養の字、相変わらずだねぇ」
「返せ!」

 大人気ない攻防を繰り広げている所で店先のドアがカラカラ音を立てて開かれる。「こんばん――し、しし失礼シマシタッ」かと思えばすぐさまピシャリと激しめの音を立てて閉められたドア。
 一瞬の出来事に俺とみょうじの動きが止まり、お互いの顔を見やる。そうして自分たちの体勢を把握し、一瞬だけ見えた日向の真っ赤に染まった顔を理解する。

「おい! 誤解だ!」
「ヒィッ! 誰にも言いません! コーチが人を襲ってたなんて!」
「おまっ! んなこと大声で言うんじゃねぇ!」

 慌てて日向のあとを追い、店内へと連れ込む。本を取り返すことに夢中になってカウンターにみょうじを押し倒しかけていたなんて。まじで大人気ねぇ。しかもそれを日向に見られるなんて。

「良いか。日向が勘違いするようなこと、何もやっちゃいねぇからな。ぜってぇ言いふらすなよ?」
「う、ウス……」

 顔を覗き込み、凄んで見せると震えたように頭を揺らす日向。あとは賄賂の中華まんでも与えれば完璧だ。

「おし。んじゃもう夜も遅いし、さっさと帰って寝ろ」
「ウス!」

 中華まんが入った袋を手渡すとそれを大事そうに抱えて脱兎の如く駆けだして行った日向に溜息を1つ。またしても訪れたみょうじと2人の空間。先程は気にしなかったが、今は気まずさが漂う。確かに、傍から見れば俺はみょうじを押し倒していたのだ。みょうじにも嫌な気分をさせてしまった。

「あー……悪い、ガキ臭いことしちまった」
「ううん。それにしてもヒュウガくん、だっけ? 可愛い子だねぇ」
「ヒナタ、な」
「あぁ、日向くんか。どっちとも読める名字だもんね」

 日、向、と日向の名字を指で書くみょうじ。思っていたよりもみょうじはあっけらかんとしていてそれにも少し複雑な思いを抱える。こんくらいで気まずさ感じてるのは俺だけか。

「どうせ練習したって覚えらんねぇだろ」
「えー? でも、名前って大事でしょ?」
「ハァ? お前が言うか、ソレ」
「?」
「別に。なんでもねぇよ」

 少し八つ当たりになってしまったことを隠し、今日のお礼のビールを手渡す。するとみょうじは嬉しそうに笑う。その顔を見て、まぁいいかと思えるくらいには俺はあの頃から成長しない、ガキなんだと呆れ笑いが湧いた。




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