躾けられた大人

 午前10時。平日の午前中だというのに、ここは色んな人で溢れざわめいている。ひとりひとりの顔を無意識に確認しては、違うと思うのは何度目だろうか。
 みょうじが乗ると聞いている便は今着いたくらいだというのに。聞いていた時間よりずいぶんと早く到着してしまい、ずっと手持無沙汰だ。煙草も幾度となく吸ってしまったし、今はブラックコーヒーで寂しさを紛らわせている所である。

 みょうじがこっちにいたひと月。あの日々がずいぶん昔だと思える程には沢山の日時が過ぎて行った。俺が東京に行くこともあったし、アイツらもあの敗戦から前を向いて今度は春高を目指している。みょうじが着いたら色々と話したいことがあるなぁ。……まぁ、大体バレーのことになっちまうんだけど。

 考えれば考える程待ちきれなくなって、時計の針を睨むだけでは抑えられない衝動が到着口へと足を向かわせる。気持ちを確かめ合ってから3ヶ月。電話やラインで言葉を交わしはしたが、それは我慢に過ぎない。今日、ようやくその我慢から解放されるのだ。――早く、早くみょうじに会いたい。



「けーしん!」
「……おう」

 髪が伸びたみょうじを瞳に映した時、抱きしめて確かにみょうじがここに居るのだということを実感したくなった。それなのに、口を吐いて出た言葉はこんな愛想のない言葉。もっと素直に出来ないモンかね、と己自身の不器用さを毒づきたくなったがみょうじはそんなのおかまいなしの様子。

「久々だね! 会えて嬉しい」
「お、う」

 俺が言わない分、コイツは素直にこういうことを伝えてくれる。羨ましくもあるし、申し訳なくもなる。そして、やっぱり嬉しい。だから、“口下手”や“不器用”という言葉に逃げるだけじゃなく、きちんと言葉にはしねぇと。

「……お、れ……も」

 そんな気持ちと、やっぱり恥ずかしいという気持ちとが競り合って、結局口に出来たのはカタコトの単語で。こっちのが余計に恥ずかしいわと思っていても、みょうじはきちんとそれらを拾い上げて繋げて理解し、微笑んでくれる。……それだけで俺にはもうコイツしかいねぇんじゃねぇかと思っちまうくらいには、コイツに惚れているのだろう。

「帰り、どっかメシ食いに寄るか」
「うん。そうだね。てか、ありがとね? 空港まで迎えに来てくれて」
「こんだけの大荷物だったら車いンだろ」
「あっ、ありがとう。……実を言うとね、繋心は多分どこだったとしても迎えに来てくれるんじゃないかなって思ってた」
「? まぁ、そりゃあな」

 みょうじの手からお土産やらの荷物を奪い、歩き出すと隣でみょうじが嬉しそうな声で言葉を弾ませる。……迎えには当然行くつもりではいたけど。それだけでこんなに嬉しそうな表情になるのは安上がりすぎねぇ? とか思っているとみょうじの言葉に続きがあった。

「だからね、ちょっとでも早く会える飛行機で帰ってきちゃった」
「……あー。あー、そう」
「ちょっと! 可愛いヤツめ、括弧ハート。とか、ないの?」
「言えっかよ。ンなこっぱずかしいこと」
「繋心のけちー」

 小さな風船が両頬に出来上がっているみょうじの、その頬をつつけば今度は目に力を入れて見上げられてしまう。俺にそんな素直な言葉を求めるのはハードルが高すぎんだろうが。俺なんてお前と同じ意見だと伝えることが精いっぱいだってのに。んなこと、思ってても言えねぇ。俺はダメな大人なんだよ、悪いな。



 しばらく車内で電話などでも話した出来事や、新たに起こった身の上話などを伝え合い、地元まであと少しとなった頃。ちょうどご飯時になったこともあって、近くのラーメン屋に入ることにした。
 注文を終えラーメンが来るまでの間、お冷を口にしながら店内をキョロキョロと見渡しているみょうじをぼーっと眺める。
 
 やっぱコイツ睫毛長ぇな。肌もできもの1つありゃしねぇ。あー、コップに付いた口紅拭うのなんか色っぽい。コイツやっぱキレイだな。

 口に出せない分、心の中でおもいっきりベタ褒めしていると、それまで忙しなかったみょうじが俺の瞳を捕え、バチっと視線が絡み合った。それにハッとして唇とキュッと引き締めたが、みょうじは俺の脳内なんて露知らずの様子で「なんか、地元って感じがして落ち着くね」とへらりと笑う。

「フレンチとかじゃなくて悪ぃ」
「んーん。帰ってきたなって安心する」

 またしても素直に言葉を紡げない己に嫌悪するも、みょうじは怒りもせず言葉を重ねてくる。「私はお洒落なレストランも好きだけど、こういうアットホームなお店のがもっと好き」だと。……そんなこと、お前と一緒に居酒屋で飲んだ日から分かってる。分かってることなのに、みょうじはこうして丁寧に言語化してくれるんだよな。

「やっぱお前って良いヤツだよな」
「へっ? なに、急に」
「いいや。さ、食おう」
「……変な繋心」






「はーっ、ごちそうさまでしたっ!」

 ラーメンを奢り、店先を出た所でみょうじが飲み物を買いたいと言うのでそれを一服しながら待つ。地元まであと少し。帰ったらまた嶋田たちと飲み会が開かれるだろうし、今のうちに連絡しとくか。
 スマホの電源を入れ、片手で操作していると自販機から戻って来たみょうじの手には2つのブラックコーヒーが握られており、そのうちの1つを俺へと伸ばしている。

「ラーメン奢ってくれたお礼と、迎えに来てくれたお礼」
「ンなことしなくていいのに。でもありがとな、みょうじ」

 煙草を灰皿に押し付け、その気遣いをありがたく受け取ろうとしたが、その手は空を切った。

「?」

 差し出していた手を上へと掲げ、コーヒーを天に捧げるようなポーズをとっているみょうじの意図が分からない。視線をみょうじの顔へと移動させるとみょうじも俺を見つめていて、刹那の膠着状態が生まれる。

「名前、変えてくれないの?」
「なまえ?」
「私は、繋心って呼んでるのに。繋心はみょうじ、みょうじってさ? 私たち、付き合うんじゃないの?」
「つッ、……つきあう、よ」

 やっぱりみょうじには俺の拙い言葉だけでは物足りなさを感じさせていたようだ。確かに“好き”だとか“可愛い”とかを口にするよりかは何倍もハードルは低いが、それでももう10年近くコイツのことはみょうじと呼んできた。それを今更変えようというのも、なんだかちょっと。

「うん。じゃあなまえってちゃんと呼んで」
「そんなのいまさら、別に、」
「いいや、大事。今呼ばないと後々呼べなくなっちゃうよ? だから、ホラ! 今がチャンス!」

 今ならナント! とでも言いたげな口調で自分の名前を呼ばせようとする。そんなに大事か? なまえと呼ばれることが。
 俺にはあまり重要に思えない事柄ではあるが、ブラックコーヒーを高々とあげて俺を見据えるみょうじの目には力が籠っている。……とても重要そうだ。
 何も気持ちを伝えられない俺だが、これくらいのことなら出来るだろ? と自分に発破をかけ、ふっと息を吐く。そして、それ以上の空気を取り入れそれらを「なまえ」という言葉に変える。

「これでいいか? なまえサン」
「うん。ふふっ、……よろしい。では、これを進ぜよう」
「あぁ。ありがたく――っ!?」

 嬉しさが隠しきれていない様子が全身から伝わるなまえに、俺でもコイツをこんなに喜ばせることが出来るのだと、変な高揚感を抱いていた矢先に想定外の行動を起こされ俺の頭は簡単にパニックを起こす。

「あ。にんにく臭いカモ?」
「なっ、なっ……」

 俺の唇に柔らかい感触を落とし、陽気な鼻歌を奏でながら車へと歩きだすなまえ。ふふふん、じゃねぇ。こちとらバクバクだわ。なんでコイツはこんなにも簡単に言葉や行動に表せるんだ? なんか、悔しさすら湧いて来た。

「繋心ー? 帰らないのー?」
「……今行く。……なまえ」
「名前言うの下手クソか」
「っ、文句あるかよ」
「ううん。――好きだよ、繋心」
「俺も……す、き、だ」

 名前なんて別に――とか思っていたクセに。褒美を与えられた途端、“なまえ”と呼ぶ行為の甘さを認識してしまった単純な大人1名。

 大人とはこういうモノだ。




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