真っ赤な愛

「暖かくなったって言っても夜は冷えるだろ。連絡くれれば早めに切り上げたのに」

 家に着くなり一静が私の為に甘めのコーヒーを淹れてくれる。湯気立つマグを受け取りながら「だって、仲間との時間邪魔したくなかったし……」と小さく声を発すると頭をくしゃくしゃと撫でてくる一静。

「あいつらとの時間もこれからたくさんあんだし。それならなまえとの時間を優先させるね、俺は」
「……そう言ってくれるの、すっごく嬉しいよ。でも、仲間との時間も大切なのは違いないから」

 押しかけておいて何言ってんだと自分でツッコミを入れそうになるけれど、一静はそんなことしないで目を細めてみせる。その瞳が可愛いと訴えてくるから、こそばゆくなって目を逸らしてしまう。

「健気な彼女さんが、今日はどうしてこんな嬉しいサプライズを? 誕生日はもう過ぎたよな?」

 テーブルに自分のマグを置いてじっとりと私を見つめてくる。……行動したからにはその意図を説明しないと。それに、こうやって急に押しかけた責任だって取らねば。

「あのね……、私、美鈴ちゃんと大学が一緒でね、」
「谷口美鈴?」

 たどたどしく口を開き始めた私の話に、一静は美鈴ちゃんのフルネームを出して確認を取ってくる。それだけでも一静と美鈴ちゃんの関係が本当にあったんだと再確認させられて、胸がぎゅっと苦しくなってしまう。

「美鈴ちゃん、一静にまだ未練あるみたいで。さっき、宣戦布告? されちゃって……それで……」
「不安になって俺のとこに来たの?」

 窺うように言葉を汲み取る一静に肯定を返す。……俺のこと疑ってんのかって怒られちゃったらどうしよう。もしくは、この話を聞いて美鈴ちゃんに想いを馳せちゃったらどうしよう……。ネガティブになった思考は私の心を蝕み、縋るようにマグを両手で握りしめる。

「なまえ、コップ置いて」
「う、」

 ふぅっと一息吐いたかと思えば、いつもより低い声でマグを置くように指示を出す一静。縋ってたマグを取り上げられ、手持ち無沙汰になった手はその場で固く握るしかない。

 どうしよう、怒らせた……? 一静の顔、見るのが怖い。

「俺のこと、疑ってんの?」
「っ、」

 予想していた嫌な言葉が一静によって実現されてしまい、肩に力が入る。……こうなる可能性だって予想してた。だけど実際にこうなると心臓が痛い。ドクドクと通常とは異なるペースで脈を打たれて、私の呼吸は短くなっていく。

「こっち向いてなまえ」
「い、一静……」

 おずおずと顔を上げた先に居た一静の顔は予想と反して慈しむような表情をしていて、別の意味で呼吸が止まる。

「美鈴の名前が出た時点である程度の予測は付いてた」
「えっ」

 膝の上で固く閉じられた拳を一静の手が捕獲し、優しく撫でてくる。その優しい力が強張っていた私の体を脱力させ、わずかに拳が緩む。その隙間を縫って一静の手が私の手と絡み合う。

「久々にライン来て、何事だって思ってたけど。なまえの行動で辻褄が合ったよ」
「もう送ったんだ、美鈴ちゃん……」
「アイツは昔から何でもハイペースだもんな」

 美鈴ちゃんを知った口調で話す一静に少しモヤっとしたけれど、包み隠さずに話してくれている状況に安堵する気持ちの方が大きい。

「でも、ちゃんと断ったから。俺はなまえしか見れないって。他を見る気はないって、ちゃんと伝えた」
「そうなんだ……」
「目で見て確かめて」

 スマホのロックを解除してスマホを手渡してくる一静。さすがにそこまで疑うようなことは……、そう言おうとして目を合わせると一静はただじっと目を見つめ返すだけで。その目に圧されておずおずと一静のスマホへと目線を落とし、「えっ!」と声をあげてしまう。

「こ、この写真……」
「ちなみにロック画面もそれだから」
「うっそ……一静が?」
「大好きな彼女は自慢したいタイプなんで」

 スマホを触る為に開放されたのは右手だけで、左手は未だに一静の手によって弄ばれている。さわさわと撫でるように触れてくる一静の右手は熱っぽくて、とてもニヒルな感じがする。

「な、なんかズルイ……」
「そう? 大好きななまえちゃんに俺の気持ち疑われてちょーっと拗ねてるからかな?」
「うっ……ご、ごめん」

 口を尖らす一静に謝罪をして「やっぱりラインは見ない」とスマホを返す。「これだけで十分一静が私のこと大事にしてくれてるのが伝わるから」と言葉を続けて。

「疑って本当にごめんなさい。一静が私のこと、大事にしてくれてるのは痛いくらいに分かってたことなのに。美鈴ちゃんに言われた言葉で動揺しちゃいました……」

 頭を下げると一静がもう1度くしゃりと私の髪を触る。「もう良いよ。俺も俺の為に必死ななまえが見れたし」と優しい声が耳元でする。その声がくすぐったくて、思わず身じろぎすると、その反応が気に入ったのか私の後を追ってじゃれついてくる一静。

「わ、あははっ。い、っせっ、止めてっ、」
「ヤダネー」
「わー! 耳、駄目! くすぐったい!」

 ソファに2人して倒れこみ、文字通りイチャつくこと数分。覆いかぶさっていた一静がガバっと体を起こし、息を整え「帰ろう。時間が時間だし」とソファから降りていく。

「あの、一静……」

 離れていく一静の裾を摘まみ、一静を見上げて言葉を続ける。今日、ここに来たのは……

「今日、ちぃちゃんの家に泊まるって言ってるんだ」
「…………え?」
「今日、泊まってっちゃダメ?」
「なまえ?」

 ここで一静と一夜を共にする為だ。だから家に帰って着替えを鞄に詰め込んでここまで来た。あの時は焦りで自棄になって起こした行動だけど、親にそう言って出て来たからには帰る訳にもいかない。

「マジで、言ってる?」
「一静となら……、って思ってる。初めては一静とが良いって……お、もってる……」

 掴んだ洋服の裾が一静が動いたことによって離れる。ソファから降りた一静が再びソファに体を預け、今度はさっきよりも明確な目的を持って私の体を押し倒す。さっきもそうだったけど、上から見下ろされるこの光景は中々ない景色で、しかも一静の顔がいつもと違ってギラついているから胸が詰まりそうなくらい痛い。

「まだ怖いって思ってるでしょ?」
「……思ってな、」
「嘘。なまえの顔、俺の好きな顔じゃないし」
「すきなかお?」
「そ。こういう雰囲気の時のなまえって、トロけた目してて、口は半開きで、そっから見える赤い「ま、待って! 恥ずかしいからヤメテ!」……あぁ、そうそう。そういう真っ赤な顔」
「……っ、」

 押し倒された体は一静が優しく抱き起してくれて、そのまま一静の胸の中へ。今度は一静が下で私が一静の体の上に乗っかるような姿勢。私とは違う心音が妙に心地良い。

「俺たちは俺たちのペースで進もうぜ」
「……ごめん。ごめんね、一静」
「謝んなよ。俺は苦じゃねぇし」

 あ、でも――と言葉は続く。


「次なまえから誘われたら、途中で止める理性はもう無いから」
「へっ?」
「1回限りのなけなし理性なので」
「なっ」
「だから、なまえ。次誘ってくれる時は覚悟しとけよ?」
「……一静からは誘ってくれないの?」

 上目遣いで聞いてみる。もちろんワザとだ。やられっぱなしは嫌だから。ちゃんと、対等で居たい。おんなじくらい、好きで居たいし、居て欲しいから。

「……ったく」

 深いため息を吐くいっせいは確実にパンチが効いているようで、思わず頬が緩む。

「確実に俺の理性殺しに来てるでしょ?」
「うへへ」

 溜息を吐く一静からは不穏な雰囲気は感じ取れない。ちゃんと待とうとしてくれているのだ。なんて優しい彼氏なんだろう。大好き過ぎる。

「今回のはオマケでどうにか耐えるけど」
「一静、だーいすき」
「何なのホント。ヤりたいの?」
「……オフザケが過ぎました。ごめんなさい」

 首に腕をまわして甘えるとゆっくりと背中を撫でてくれるから、それが心地良くて思わずそのまま瞳を閉じ合わせそうになる。

「こらこら、飯もご飯もまだでしょうが」
「んー……もうこのままで良いかも」
「だめ。なまえの寝間着姿見てぇから」
「あ」

 その言葉を聞いて、固まる私の体。寝間着……寝る時の服……。

「どうした?」
「寝間着持ってくるの忘れた……! てか下着しか持って来てない……」
「まじか。結構突発的行動ですか?」
「……ごめんなさい」

 猪突猛進が過ぎる自分の行動が今更ながら恥ずかしくなって、ソファの上で正座する。私ってば後先考えな過ぎだ。1人でずんずん先走っちゃて、恥ずかしい。

「俺のジャージ貸すよ」
「ありがとうゴザイマス」
「彼ジャー? 良いよね。夢だったんだよね」

 後で写真撮らせてと言う一静の顔はニヤけ気味だ。一静、意外とそういうのが好きなタイプ……?

「やっぱスマホ見せて」
「え、なんで急に?」
「デジタル派でしょ? 絶対コスプレ系の見てる」
「あー……うん。よし、お風呂入りな? 今日は浴槽お湯張るし。ゆっくり浸かってきな?」
「やだ。一静のスマホ見る!」

 暫く攻防を繰り返し、「頼む! 風呂行ってくれ!」と懇願する一静に声をあげて笑ってお風呂に入り、上がった時には完璧な夜ご飯が準備されていて目を見開いて。しかもそのどれもが美味しくて。

 「一静は良い旦那さんになりそうだね」と笑う私に「なまえも可愛い奥さんになりそう」と口の端に付いたソースを拭いながら笑ってくれる一静。

 こんなに愛おしい人へ向ける私の気持ちが変わることは到底有り得ない。

「そろそろ寝るか。……なまえ、おいで」

 ご飯を食べて、一緒に食器を洗って、洗面所で肩を並べて歯を磨いて。迎えた夜、ベッドの中で腕を広げてくれるので、当たり前のようにその腕の中に収まる。ぎゅっと抱き締めてくれる腕の中は私だけに与えられた特別な場所だ。

「一静。ずっと、大好き」
「うん。俺も。なまえが世界で1番好き」

 耳元で囁く声はとても甘い。こんなに優しい声色を向けてくれる一静の気持ちがどこかに行くなんてことも考えられない。縛り付けておく必要なんて、どこにもないんだ。だって一静はこんなにも私を愛してくれているのだから。

「いっせー……私も……る、よ」

 心地良さが眠りを誘い、その眠りに落ちる前、置き土産のように放った言葉。この言葉を一静に届いたかは分からないけれど、私は一静がトイレに起き上がった時以外はずっと温かい腕に包まれ、心地良い眠りを味わうことが出来た。

 誰が何と言おうと、私の居場所はここだ。そうでしょ? 一静。

 だからね一静、私も愛してるよ。




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