この身を差し出しても

 私の一喝が効いたのか、あの後は思ったよりもすんなりと勉強をしていた2人。といっても、雅人くんは一切犬飼には尋ねなかったし、犬飼も私が雅人くんに教えているのを口出ししないにしても、ニヤニヤとした視線を送り続けるし、その視線に今にも飛び掛かりそうな勢いで雅人くんも睨みを返すし。なんともまぁ心労がえげつない勉強会となった。もうこんな勉強はまっぴらごめんだ。

 帰り道も私を挟んで静かに牽制を送り合う2人に、そっと溜息を吐く。この2人、逆に仲良しなのでは? そんなことを冗談めかしてでも言おうものなら、恐らく大惨事を招きかねないのでぐっと口を噤む。
 誰も口を開いていないのに、雰囲気がうるさい。何か会話を――。そう思った時、雅人くんが立ち止まって低い声を放った。

「……なんか、チリチリすんな」
「おれはなーんにも向けてないよ?」
「ンなこた分かってんだよ。もっと遠くからだ」

 遠く――その場所を見定めようと、雅人くんが怪訝そうに顔を歪めながら暗闇を見つめる。犬飼はその言葉を受けて、「まじ?」と溜息を吐く素振りを見せている。……どうやら、分かっていないのは私だけのようだ。

「えー。鉢合わせはないって言ってたのに」
「鉢合わせ……って、」
「段々近くからになってけど……。アイツか?」

 犬飼の言葉でようやく私も1つの可能性に行き着く。どうか違いますように――その願いを込めて雅人くんに倣うようにその先へと視線を送れば、そこに待っていたのは望んでいない現実だった。そんな偶然、ある? 普通。……いやあってるからこうやって先輩とエンカウントしてしまっている訳だけども。

「せ、せんぱい……」
「へぇ。ああいう顔してるんだ。いかにも陰キャってカンジ」

 犬飼は態度や表情で負の感情を出すのが得意だ。決して口からはマイナスの言葉を出さない。そんな犬飼が先輩を前に珍しく負の言葉をハッキリと口にする。いつもとは違う犬飼の様子に思わず犬飼を見上げれば、犬飼は先輩から目を逸らさないままスッと私の前に歩み出た。……もしかして犬飼、私を先輩から隠してくれてる?

「男2人と一緒とか……。みょうじさんってヤリマン?」
「……ッ、」

 顔がカッと赤くなるのが分かる。なんでそういう思考回路になるの? ただ単純に友達と勉強をしてただけだ。その相手が異性だったってだけ。雅人くんも犬飼も友達なのに。……どうしてこんなにもひどい言葉を他人に向けられるのだろうか。

「おい。こいつやべぇぞ。殺気ぶんぶんカマしてやがる」
「受けなくても分かるけど、カゲがそう感じてるってことはなまえじゃなくておれらに対してってこと?」
「だろうな」
「はぁ。下手に手出し出来ないのがボーダー隊員の嫌な所だよね」

 私からは先輩がどういう表情をしてるのか、よく見えない。だけど、対峙している犬飼の肩が身構えている人のソレだから、多分今先輩は何かとてつもないことをしでかそうとしているに違いない。……私のせいで2人が巻き込まれるのは嫌だ。ひどい言葉を投げられるのは、私1人で充分。

「先輩、2人で話しましょう。この2人は関係ないです」
「あっ、ちょっ、なまえ!」

 2人を巻き込みたくない――その一心で犬飼の右側から体を出し、先輩に話しかけようとした時。犬飼が今まで聞いたこともないくらいに焦った声色をあげた。
 その声に驚いて思わず犬飼へと視線を向けると、犬飼の顔は声色と同じくらい焦った表情を浮かべていて。犬飼の初めて見る様子に思わず呆気に取られたのも一瞬で、気が付いた時には私は犬飼から覆いかぶさるような形で抱き締められていた。

「ぐっ……」
「犬飼っ!?」
「……チッ!」

 雅人くんの舌打ちする声がしたかと思えば、犬飼の体の上でドカっという音と共に何かが倒れる音がする。

「なまえ! 大丈夫!?」
「犬飼こそっ……腕、血が出てる!」
「あー、これくらい平気。ただの切り傷だよ」

 そう言いながら止血をしている犬飼の顔からは、もう焦りなんて見えない。ハンカチを赤く染め、それだけでは飽き足らないという様子でたらたらと落ちてゆく血液に息を呑めば、「見た目が大袈裟なだけ」と犬飼はいつものように読めない表情で笑う。犬飼が生きていることに一瞬安堵したものの、すぐに今目の前で起こったことに対する恐怖心と罪悪感が身を焦がすように競りあがって来た。

「ごめんっ、私のせいだ……! 本当にごめんっ!」
「何言ってんの。おれはこれが心配で今日来たんだから。予想通りになって嬉しいくらいだね」
「……いぬかい、」

 どうして。今の犬飼からは本心しか感じないんだろう。犬飼の視線がいつも以上に優しい気がしてしまう。いつもみたいに私を責めてよ。“お前が出しゃばったせいだ”とズバっと言ってよ。……じゃないと私、罪悪感で押し潰されそうになる。



 あれから騒ぎを聞きつけた周囲の人が警察へ通報し、雅人くんに蹴られたことで戦意喪失した先輩は後を追った雅人くんによって呆気なく拘束されて、そのまま警察に連行された。犬飼は大事をとって病院へ向かうことになり、その場に居た私達が同行者として付き合い、病院の待合室で事情聴取を受けながら犬飼を待つことになった。

「悪い……」
「そんな……。雅人くんが謝ることなんてなにも、」
「なまえを守ってやれなかった」

 事情聴取を終え、2人きりで犬飼を待つ間、雅人くんが力のない声で謝罪を口にする。……違う。謝られることなんて何にもない。……私が2人を巻き込んだんだ。謝るのは私の方なのに、雅人くんも犬飼も一切私を責めようとはしてくれない。
 その優しさがちくちくと胸を刺して痛い。……全部、私のせいだ。2人に苦しい思いをさせてしまっていることも。犬飼が怪我したことも。……全部、私のせいだ。

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