全身で愛を甘受しよう

 吐く息が白い。たった今犬飼と歩いて来た道のりを、今度は全速力で逆走する。後ろで結んでいたマフラーの結び目が解けてマフラーの端が何度も落ちてくる。口に当たるそれを乱雑に押しのけて向かうはかげうら。
 思えば私たちの出会いはかげうらだった。そして、自分の気持ちを自覚したのもかげうらの前。まさか、自分の想いを打ち明ける場所にまでなるなんて。そんなことを思って「ははっ」と思わず笑みが出る。その息ですら白い。この白は寒さのせいか、それとも――いや。そんなのはどうでもいい。雅人くんに会いたい。ただそれだけ。

「ま、さと……くんっ! い、ますか……っ、」

 ガラガラと勢いよく戸を引き、その戸にもたれかかるようにしてぜぇはぁ、と息を切らす私に中に居た人たちが何事かとざわつく。その中から村上くんが「なまえさん。まずは水飲もうか」とお水を持ってきてくれた。

「ありがと、う……それで、雅人くん居る?」
「あぁ。……おいカゲ。なまえさんが呼んでるぞ」
「わーってるよ。……犬飼はどうした」
「神社で別れて来た。……雅人くんあのね、」

 やっと会えた雅人くんに早く気持ちを伝えたくて、口を開くと雅人くんが慌てて私の口を塞ぐ。

「おまっ! なんつぅこと言いだそうとしてやがる! こっち来い!」

 雅人くんの顔が心なしか赤い気がする。私の明確な感情を受け取ってるからだろうか。なんにしても、今度は拒否されなかった。そのことがただただ嬉しい。私は本当に簡単だ。さっき雅人くんに拒否された時、この世の終わりを感じるくらい絶望の淵に立たされたのに。こうやって受け入れてくれただけで、天にも昇る気持ちになるのだから。



 手を引いて連れてこられたのは休憩室。ホールでの喧騒とは打って変わって、静寂を保っていた休憩室で私と雅人くんの2人きりになる。

「……お前、ついこないだまでいまいち読めねぇ感情だったじゃねぇか」
「うん。迷ってた。ついさっきまで。私のこの感情がどういった感情なのか、自分でも分からなかった」
「……のに、なんで今こんなハッキリした感情向けてくんだよ」
「雅人くんに拒絶された時、すっごく悲しかった。なんで、どうしてって思った。そうしたら雅人くんも私と同じくらい傷付いた顔してて。どんな感情が雅人くんにそんな顔させてるんだろうって。雅人くんにとって私はどういう存在なんだろうって、知りたくなった。そんな風に思うのは、雅人くんだけ。雅人くんが“好き”っていうもの、“嫌い”って思うもの。ぜんぶ知りたい。雅人くんをもっとたくさん知りたい。それがどういう感情なのか、さっき犬飼に気付かせてもらった。……私、雅人くんが好き。雅人くんの気持ちが知りたいから教えて。……私は雅人くんにとって、どんな存在?」

 雅人くんが顔を手で覆う。深い息を吐いたかと思えば、椅子に力なく座り込んで。ゆるりと視線を私へと絡ませてくる。その表情は決して嫌悪感を抱えた類のものじゃない。それは、サイドエフェクトを持っていない私でも感じ取れるくらいハッキリしてる。

「こんだけハッキリとした感情向けられてんのに、不快な気持ちになんねぇのは初めてだ」
「……期待して良い? その言葉」
「来い。なまえ」

 雅人くんの声に応じて近付くと、ガタンと椅子が音を鳴らす。椅子を鳴らした人物は私が近づくなり、いとも簡単に私の背を追い越して上から私を捕獲する。

「ま、雅人くん?」
「俺、前になまえがこのサイドエフェクト持ってれば良いって言ったけどよ。やっぱ持ってなくて良かったわ」
「どうして?」
「もしこのクソエフェクト持ってたら早々に俺の気持ちに気付いてただろ」
「……うそ、そんな前から私のこと好きでいてくれたの?」
「は? お前ほんと鈍いな」

 言葉に棘はあるけれど、さっきみたいに心を抉るような痛みはない。

「……そうなんだぁ。どうしよう、私のが好きって思ったの後だったなんて。ちょっと予想外」
「予想外だとか思ってんの、なまえだけだぞ」
「えっ!? そうなの?」
「犬飼も……俺も、分かり易かったみてぇだぞ」
「知らなかった……。全然、知らなかった……」
「……馬鹿だな、なまえ」
「な、斜め上に真っ直ぐなだけだよっ」
「はっ。ンだそれ」

 しばらくそんな他愛もない会話を繰り広げて、少しだけ無言になった後、雅人くんが「なまえ」と私の名前を呼ぶ。その声につられて顔を上げると雅人くんの顔はすっごく優し気で。店先で会った時とは全然違うその表情に、心臓がギュンと脈打つのが分かる。

「さっきは拒否って悪かった。もう二度となまえのこと拒否しねぇから。なまえも俺のこと拒否らねぇで欲しい」
「拒否なんてしない。雅人くんのことは全部受け入れる」
「……そうか。なら」
「っ!?」

 拒否しないとは言ったけど。……言ったけれども! こういう行為には私にも心の準備が必要なんだけどな!?

「す、するなら、するって……っ! きゅ、急にされちゃったら、私口も閉じられないし……っ、
「うるせぇな。んじゃもっかいするぞ。口は閉じなくてもいいから」
「ま、雅人くん! 待って!」
「あぁ? ンだよ。俺ぁ、するって予告したぞ」
「ち、違う! ドア! ドア見て!」
「……なんだ、ゾエ達のことか? ンなもんはじめっから気付いてんだよ。こちとらサイドエフェクト持ちだぞオイ。覗き見なんぞ無駄だってハナから気付いてんだろうが」

 私じゃなくドアの向こうに居るであろうギャラリーに声をかけると、いくつかの影が「ヤッベ」「逃げろ!」とかそういう黄色くない声を発して散っていく。

「っ!? 気付いてて話続けたの!?」
「ンだよ、なんか文句あっか?」
「お、大アリだよ! 私……今、キ、キスしてるとこ見られちゃった……!」
「じゃあ今だったら文句ねぇよな? もう誰も居ねぇ」
「で、でも!」
「ンだよ、嫌なのか?」

 雅人くんはずるい。誰よりもずるい。さっき私が“拒否なんてしない”って言ったばかりなの覚えてるくせに。

「なまえ。目瞑れ」

 また近付いてくる雅人くんの顔に今度こそ瞼も口も閉じて構える。しばらくして耳元で「好きだ、なまえ」と囁く声がして、それに肩をビクっとさせるのとほぼ同じくらいのタイミングで唇に温かくて、優しい口づけが落とされた。

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