美しい微笑みが出来ない人

 雅人くんには何をあげれば喜んでくれるんだろうと思い悩んで、男性雑誌を広げていると犬飼が声をかけてきた。

「おれが良く読んでる雑誌じゃん。なんでなまえが?」
「ね、犬飼。雅人くんが欲しがってる物とか聞いたことない?」
「……えー。おれがカゲに嫌われてるの、なまえだって知ってるでしょ? そんなおれがカゲの情報知るわけないでしょ」
「……だよね。実は、こないだテスト勉強のお礼にってヘアミスト貰ってさ。私も日頃の感謝を込めて何かお返ししたいなぁって思ってて」
「……なるほどね。でも、雑誌で見るよりも実物見た方が良いんじゃない?」
「まぁそれもそうなんだけど。男性向けのお店に私1人で入るのも勇気要るし、」
「じゃあなまえさ、今度の土曜日暇?」
「土曜日? 土曜日はお昼までバイトで、夕方から空いてる」
「じゃあちょうど良い。おれもその日ランク戦なんだけど、昼の部だから。終わったら落ち合おう」
「えっ、どういうこと?」
「駅集合で良いよね」
「い、犬飼?」

 ポンポン話を進めて行く犬飼に待ったをかけると、「だから、おれがその買い物に付き合ってやるって言ってんの」とニヤリと笑う犬飼。

「え、いいの……?」
「おれも買い物したい気分だったし。男目線の意見も欲しいだろうし、おれと2人なら入り易いでしょ?」
「本当にいいの?」
「いいって。なまえって意外と気にしいだよな」

 “バイト終わったらラインして”と告げ、男性雑誌をパラパラと捲りだす犬飼。もしかして土曜日、ご飯でも奢らされるのだろうか……? 犬飼の喰えない表情を見て、そんな推理をしてみるけれど、やっぱり良く分からなかった。



 約束の土曜日。犬飼を待っている間に匂いのチェックを入れる。……ソースの匂いはついてない。洋服だって柔軟剤の匂いだ。髪の毛もヘアミストの匂い。……よし、大丈夫。ちゃんとそれぞれからお互いを尊重する程度に良い匂いが漂ってくる。

「すみません。私、三門事務所のこういう者なんですが。芸能活動とかに興味ありませんか?」

 やけに近くから声がするなぁと他人事のように構えていると、もう1度「あの」という声がして、そこで初めてそのスカウトの声が私に向いていることに気付く。

「えっ、わ、私ですか!? や、ちょっと今バイトが忙しくって」
「デビューしたら、バイト代以上に稼げますって!」
「別にそういうんじゃなくって……」

 “興味がないので”と断り続けても、いかにもな格好をしたその人は「事務所に来れば興味出るかもしれませんし」と食い下がってくる。ノルマでもあるのだろうか? だとしたら声をかけるのは私じゃなくても良いだろう。さて、このしつこいこの人はなんと言えば引いてくれるだろう。

「すみません。彼女、高校卒業と同時におれと結婚する予定なんです。だから、おれの奥さんを人気者になんてさせたくないんですよね。……なんでそういうのはすみません。……ほら行くよ、なまえ」
「い、いぬ「上の名前で呼ばない」……す、すみはる、」

 急に肩を抱かれ、おたおたしている私に耳元で囁きながらもう1度スカウトの人に慇懃な笑みを向けて会釈する犬飼。そうして犬飼に連れ去られるような形で私たちは合流を果たす。

「本当かどうかも怪しいんだから、気を付けなよ? 決して浮かれちゃ駄目だからね。……にしてもなまえ、おれの名前呼ぶの下手過ぎ」

 ある程度歩いた所で犬飼がそっと肩から手を離した。素直に「ありがとう」と言おうとするよりも先にそんな言葉が放たれ、思わずムッとする。

「う、浮かれてないし! てか、もっとまともな断り方あったでしょ!」
「いいじゃん別に。もうあの人と会うことないし。……てかなまえ、ヘアミスト付けてんの?」

 私の野次をさらりと躱したかと思えば、代わりに新たな質問をぶつけてくる犬飼に私の思考はそちらへと振り向く。

「あっ分かる? 良い匂いでしょ?」
「……おれの香水のが良い匂いだけどね」
「まぁ。犬飼の香水も好きだけどね」
「香水って、その人の体臭とかでも匂い変わるから、気を付けなね?」
「なにその含んだ言い方! この匂いが合ってないみたいじゃん」
「まぁ、おれの香水付けてた時のが良い匂いしてたのは事実」
「え、うっそ」
「はは。なまえって簡単。さ、行こう」

 そう言って今度は私の左腕を優しく掴んで先を行く犬飼。……こういう、人混みを率先して歩いてくれる所を見ると犬飼は本当に女性の扱いに慣れてるんだってことが分かるんだよなぁ。



 よく行くというお店に案内して貰い、店内を見て回る。季節的に防寒具が多く、雅人くんを思い浮かべては何が良いか思案する。雅人くんは結構首回りが隠れる様な服装が多いから、ネックウォーマーはどうだろう。マフラーやネックウォーマーが置いてある場所を見ていると、迷彩柄のネックウォーマーが目に留まった。

 あ、雅人くんっぽい。……あ、でもこれも……。






「なまえは結局良いの買えた? てか、思ったより大きいね。ちゃんと持って帰れんの?」

 買い物を終えて、今からボーダーの集まりに呼ばれているという犬飼とはそこで解散することになった。結局、ご飯を奢らされるということもなく、ただ私の買い物に犬飼が付き添ってくれただけだった。学校で何かを要求されるのだろうか……? そんな邪な考えを浮かべている私を知って知らずか、「じゃあ気を付けて。……あ、スカウトとかそういうキャッチに気を付けてね」と手を振って去って行こうとする犬飼。

「あっ、犬飼!」
「ん? どうした?」
 
 立ち止まった犬飼に、大袋の中からひと回り小さい袋を取り出し、それを手渡す。

「これ犬飼に。こないだ助けてくれたお礼、まだ出来てないままだったし」

 雅人くんに買おうと思ったネックウォーマーの隣に革製の手袋があって、それを見た時に前に犬飼がボーダーでの制服がスーツであると言っていたのを思い出した。

「防衛任務の時とか、これからの時期寒くなるだろうし。どうかなぁと思って」
「まぁトリオン体だとあんま関係ないんだけど。……でも、すっげぇ嬉しい。ありがとう、なまえ」

 とりおんたいとは……? ボーダーの専門用語らしき言葉に一瞬ハテナが浮かぶけれど、目の前に居る犬飼は今まで見た中で、1番綺麗な笑顔を浮かべているように見えてちょっぴり照れ臭くなる。

「まぁ犬飼は色んな子からクリスマスプレゼントとして色々貰うんだろうけど」
「いやいや。そんな貢がせるようなことしないって」

 でもすぐにその表情は消え失せて、また読めないあの笑顔が戻って来る。

「そういえば犬飼って彼女作んないの? 結構モテるのに」
「……まぁ好意を寄せて貰っても、おれが寄せてないと付き合おうとはならないしね」
「それって犬飼は好きな人が居るってこと?」
「……さぁ。どうだろうね?」
「えー気になる! ボーダーの子? 年上? 年下? それとも同い年?」
「教えたらなまえはどうしてくれる?」
「協力する! 私が協力出来る人だったらだけど!」
「……やっぱり今は言わない」
「え、ずるい!」

 非難する私の声を曖昧な笑顔で躱し、「じゃあまた学校で」と今度こそ手を振って人混みに紛れてしまった犬飼に、私はもう何も言葉を投げかけれない。

 結局、今日も犬飼は喰えないヤツだった。

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