その芽は確実に

 楽しかった休日を終えて、また訪れてくる平日。その1日目である月曜日に、部長は私を呼びつけて、「金曜日に言っていた件、どうかな?」と改めて訊いて来た。

「転属はしません。私は営業部に居続けます」
「だが……、」
「大体、どうして私が部署を変えるなんて話になるんですか? これは私と葛原さん達との話なので。私の仕事のポジションは関係無いと思いますけれど。違いますか?」

 強く言い切ってみせると部長は「分かった、分かったから……!」と宥める様な口調で私を制してくる。上司に口答え――とかそんな噂が出回るのかもしれない。でも別にどうだって良い。勝とうとしなきゃ勝てないんだ。私が理不尽な理由で居場所を追われるのはゴメンだ。

「お話は以上ですか? 仕事に戻りたいのですが」
「あ、あぁ」
「失礼します」

 丁重に頭を下げて談話室から出て行く。そして廊下で立ち止まって息を深く吐く。やってしまったという気分からじゃない。やってやったという達成感からだ。

 もうクヨクヨなんてしない。言わないといけない事、言うべき事はちゃんと言うんだ。もっとシャキっと。真矢先輩の様に自信を持って。澤村先輩の様に逞しく。私の憧れはあの2人だ。

 その2人が味方で居てくれるんだ。大丈夫、何があっても私は強い。戦える。

「よし! 頑張るべ!」

 魔法の呪文を唱えれば私は無敵だ。



「あら、みょうじさん。お疲れ様」
「真矢先輩! お疲れ様です!」

 他部署に用事があって、エレベーターで降りていると、マーケティング部がある階で真矢先輩が乗ってくる。そして、顔を合わせるなり真矢先輩が目を細めながら口を開く。

「聞いたわよ。みょうじさん、部長相手に吼えたんですってね?」
「ほ、吼えた訳じゃ……」
「ふふ。分かってる。でも、さすがね。みょうじさんはやっぱり強いわ」
「真矢先輩達のおかげです。2人が居なかったらここまで吹っ切れてないし、立ち直れてもいないと思うし」
「そう言って貰えると私達はとても嬉しいわ。……そうだ、みょうじさん。土曜日、澤村くんの試合行ったんでしょ? どうだった?」

 真矢先輩が話を転換したかと思えば、それは澤村先輩のバレーの試合についてで。真矢先輩が知ってるって事は、真矢先輩も誘われていたんだろう。用事があって来れなかったとかなのかな。一緒に観たかったなぁ。

「すっごく面白かったです! 真矢先輩と一緒に観たかったです」
「……ごめんなさいね。どうしても外せない用事があって。今度、一緒に行きましょう」
「はい! 是非! 澤村先輩、こないだ3人でバレーした時と全然違うんですよ! スパイクもサーブも!」
「ふふ。そう。格好良かった?」
「はい! すっごく格好良かったです!」
「他には?格好良いなぁって思う人、居なかったの? みょうじさんには新しい出会いもあるんだし。ねぇ?」
「他に……ですか」

 あの日、顔を合わせた人を思い返してみる。黒尾さんに、小柄さんに、仏さんに、スガさんに、旭さん…。他にも何人か居た人を思い浮かべてみるけれど、全員面白いとか、良い人そう、とかそういう感想ばかりで。“格好良い”に当てはまるのは……やっぱり……。

「正直、私は澤村くんをお薦めしたいと思ってるんだけど。どう?」
「えっ、」

 頭に思い浮かべていた人物の名前を真矢先輩が出した事に驚いて、真矢先輩の顔を見つめてみるけれど、その顔は至って真面目だ。

「で、でも。私、葛原さんと別れたばっかりっていうか……きちんと別れてすら無いのに直ぐ次の人かって思われるだろうし。それに、今澤村先輩を好きになったら、傷付いた穴を埋める為に好きになった様な気がして……」
「それはどうかしら?」
「えっ?」
「人を好きになるタイミングなんて、自分じゃ決められないわ。それに、もし穴埋めだったとしても、それはそれで良いじゃない。澤村くんなら穴を埋めるだけじゃ無くて、沢山素敵な思い出をくれそうじゃない?」
「で、でも……。澤村先輩にその気持ちが無いだろうしっ、」
「ふふっ、それは……私は澤村くんじゃ無いから分からないけれど」

 真矢先輩が濁した事に一抹の不安を覚えてしまうのは何故なんだろう。どうして、そんな事無いと思う、と言って欲しいと思ってしまうんだろう。

「大事なのはみょうじさんが、澤村くんの事をどう思ってるかだと思うわよ」
「私は……」

 私は、澤村先輩の事が好きだ。でも、今までは先輩として、人間としての好きだと自覚していた。…でも、今は。今私が抱いている“好き”は何の好きなんだろう。恋愛感情としての好きなんだろうか。

「恋愛で付いた傷は恋愛で上塗りするのが1番だと思うわ」

 真矢先輩が美しい微笑みを浮かべて、エレベーターから降りていく。1人になったエレベーターで澤村先輩の顔を思い浮かべてみる。……この感情は、どんな感情なんだろう。これから、どんな感情になっていくんだろう。

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