a doze(n) of pain

 月曜日。昨日は体を動かしたおかげでぐっすりと眠れた。土曜日に良く眠れていないかったのもあって、帰ってからの記憶はあまり無い。でも、そっちの方がありがたかった。だって、家に帰って1人になると強さの陰に潜む不安や恐怖が襲ってきそうだったから。おかげで怯むことなく今日を迎える事が出来る。

 土日と私を支えてくれた2人に感謝しながら、会社の前に立つ。大丈夫。もう散々泣いたんだ。それに、私だけじゃなくって澤村先輩や真矢先輩を傷付けた正臣さんにはムカついている。私は怒って良い。その権利がある。大丈夫。私が怖気づく事なんて何にも無い。

「頑張るべ」

 魔法の呪文を唱えて会社の自動ドアをくぐる。私は強くなった。強くなれたんだ。大丈夫、私にはいつだってあの2人が居る。



「ねぇ、聞いた?」
「葛原先輩の事?」
「高取さんの件でしょ……?」

 エレベーターに乗っているといくつかの雑談に混ざって私達に関する噂話も聞こえてくる。本人が居るというのに。1人に対して自分たちが多勢だと気まずいとかよりも、好奇心のが勝つんだろう。後ろで交わされる会話に嫌気がさす。これからこういう事が多発するのか。真矢先輩はこういう視線を何度も味わってきたのかと思うと、真矢先輩に抱き着きたくなる。

各階にエレベーターが着く度に人が降りていく。そうして残るのは私と同じ部の人達で。それに伴って私に向けられる視線が増えていく気がする。……皆、私や正臣さん、洋子の事を良く知っているのだ。あぁ、どうして私がこんな目に遭わないといけないんだろう。文句の1つくらい言わないと気が済まない。

 そんな思いがエレベーターが上に上がる度に私の中でも込み上がってくるのが分かった。



「おはようございまーす」

 自分のデスクに着いて周りから向けられる視線を気にしないフリをしながら準備に取り掛かっている時だった。向こう側で良く聞いていた声がして思わず声を上げる。前まで私はその声に顔上げて笑顔で「おはよう」と返していたのに。今日はその声におはようと返したくない。それは向こうも同じな様で、目が合うと途端にその顔を歪めてくる。

「洋子」
「……こっち来て」

 声をかけた私に、周りの視線が更に向けられるのが分かった。噂の渦中である2人がどんなやり取りをするのか、見たい。そんな視線。私だって居心地が悪いけれど、私は聞かれて困る事は何も無い。そんな思いで洋子の前に立つと、洋子が舌打ちしながら私の腕を引く。

 今、目の前に居るのが私の友達“だった”女性だ。私は、強くありたい。その為に私は洋子とも決別しなければいけない。私は洋子の事だって許せない。



「一昨日は泣くだけだったのに。急に怖い顔しちゃって。どうしたの? なまえらしく無いわね」
「……ずっとそうやって私の事馬鹿にしてたの?」
「まぁね。鈍い女だなーとは思ってた。あんたが正臣さんが会ってくれないって嘆いてる日も、私は正臣さんに抱かれてた訳だし。優越感はあったわね」
「酷い……」
「酷い? どこが? あんたは正臣さんの彼女として堂々としてられて。私の事を優先してくれていても、私は堂々と出来なかったのよ? あんたのせいで。酷いのはどっちよ」
「そんなの……、言えば良かったじゃん。私も正臣さんが好きだって。正々堂々と。そうすれば、ちゃんと話もしたし、もっと別の方法だって……!」

 私の為を思って正臣さんの事を教えてくれたあの時と同じ様にシンクに体を預ける洋子。そして、私の言葉を聞くなり、凄い顔で睨みつけて来る。その顔にはいつもの様な快闊さはどこにも無い。あの時感じた格好良さも全て嘘だったのだ。あの時も、私の為を思っての言葉なんかじゃ無かった。全部、嘘だった。……これが本当の洋子。そう思うと、虚しくなってくる。私は一体何を見てたんだろう。

「別の方法? どんだけ頭沸いてんの。そういうとこ、本当に苛々する」

 ポケットから煙草を探す素振りをする洋子。しかし、そこに煙草は無かった様で鋭い舌打ちをみせる。

「あー、苛々する。まぁでも良いわ。あんたと話すのも後少しだろうし」

 そう言って給湯室から出ていく洋子を見つめて、シンクへと視線を落とす。決別を告げて来たのは洋子の方だった。私もそうしようと思っていた事を洋子からされただけ。

 それでも、どうしてもあんな風に簡単に切り離されると心は痛む。

「……頑張るべ」

 その痛みから逃れる為に、蛇口を捻って冷たい水に手を浸らせて気を紛らわせた。

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