終わりを始めてしまった
 あの日、みょうじさんが言ったように俺は利き手である右手に怪我を負った。とはいっても、あの時の俺は換装体だったし、生身に戻ればそれは無かった事になる。でも、みょうじさんはそんな事知らない。だから、事あるごとに甲斐甲斐しく俺を気遣ってみせる。

「ノート取れる?」とか「荷物持とうか?」とか「席立てる? 手貸そうか?」とか一つひとつそれはもう心から心配そうに尋ねてくるから。思わずだらけそうになる顔を必死に保つ事で精一杯で、トリオン体についての説明を逃してしまっている。……本音を言うとそんなみょうじさんが可愛くて、わざと言ってないのが7割を占めるが。
 そして、気遣ってくれるうちはみょうじさんはずっと俺の隣に居てくれる。その事が嬉しくて、言えないというのが残りの3割。種明かしをしたらみょうじさんは怒るのだろうか。それはそれでまた一興なんだけれど。

「迅くん、今日お昼ご飯持ってきた?」
「いいや。食堂で適当に済ませるつもりだけど」

 変態じみた考えを漂わせていた所にみょうじさんの声が聞こえてきて、その声に答えると「そっか」と望んでいた答えが貰えたように、満足そうに微笑むみょうじさん。

「私、実は迅くんの分も持ってきたんだ。良かったら、一緒にどうかなって、思って……」
「……ありがとう。嬉しいよ」

 そう言うとまた笑顔を浮かべるみょうじさん。……まただ。ここに来て、みょうじさんが笑う度にみょうじさんが泣く未来が視える様になった。ちらつく程度だったその未来の頻度が増しているように思える。確実に俺のせいだと思う。でも、その未来を辿るには、いや、辿らない様にするにはどうすれば良いか。そこまでの事は今はまだ分からない。だから、辿らずに済むように、俺は今日もこうしてみょうじさんの側に居る事を選び続ける。

「本当!? じゃあ良かったら屋上に行かない?」
「うん。そうしようか」

 不確定な未来よりも、今目の前に居るみょうじさんが笑う未来を選びたいから。俺はちらつきだした不穏な未来を見ないようにして、みょうじさんの笑顔を選び続ける。それが例え己の我儘だったとしても。



「めっちゃ美味しい! これ、ぼんち揚げ?」
「気付いた? 迅くん、いっつもぼんち揚げ食べてるから。どうかなぁ〜と思って」

 みょうじさんが作ってきてくれたお弁当は食べやすい様にフォークで刺せるおかずと、ぼんち揚げをアレンジして作ったお握りで。どれも美味しくて、ペロリと平らげた俺を見てみょうじさんは嬉しそうに笑う。

「ご馳走様でした。今度ぼんち揚げあげるから、また作ってきてよ」
「あはは、迅くんどんだけぼんち揚げ持ってるの」
「箱買いしてる」
「えっ箱なんだ? 凄いね!」

 水筒からお茶を注いで、そのコップを渡してくれるみょうじさんにお礼を言う。……あ、まただ。みょうじさんの泣いている姿が視えた。そう思ったのとほぼ同じタイミングでみょうじさんが口を開く。

「……私ね、2年くらい前にあった襲撃、第一次侵攻っていうんだよね? その時に妹を亡くしてるんだ。その日、妹がどうしても遊びに行きたいってせがって、でも私は家から出たくなくって。初めはあやすように諭してたんだけど、あまりにもしつこかったから、私ついカッとなって怒っちゃったんだ。そしたら妹は泣きだしちゃって。そのまま部屋に閉じこもって泣いてる妹を、放っておけばいつかはケロっと機嫌直していつもみたいに人懐っこい笑顔を浮かべて出てくるだろうって思ってたの。まさか、それが最期になるなんて。思いもしなかった」

 こういう話は三門市に居れば至る所で耳にする。だから、みょうじさんだけが特別という訳では無い。それでも、その人が抱える悲しみはその人にとっては特別で。古くからボーダーに居る俺からしてみれば、その悲しみを防げなったという事実が俺の胸を締め付ける。それが、みょうじさんの体験した悲しみなのなら、余計に。

「あの時、私が妹の我儘を聞いてあげていれば。妹が閉じこもった部屋だけが壊されても私の家族は誰1人犠牲にならずに済んだ。もっと言えば私があの時妹を怒らなければ。妹はずっと笑っていれたかもしれない。そんな後悔ばかりしてた。でも、こういうのって、ここに居ればきっと誰かしら体験してる事だと思うんだ。……だったら、私だけがその悲しみに浸り続けて、その悲しみを周りにも伝播させる訳にもいかない。思い出させたくないって思う。だから、私は周りの人が穏やかに居られる様にしたいって思うの。その結果が人から良い様に使われる事に繋がってても、あの時妹にしてあげられなかった我儘を叶えてあげられる行為なんだと思えば、苦にもならない。だから、私は決して人には怒らない様に生活してきた」

 それなのに、

 そこで言葉を切ったみょうじさんが深く息を吐く。そういう行為を人が行う時。その次に何を行うのか、俺は今までの経験で学習してきている。

「迅くんに対しては怒っちゃったんだ。しないようにって抑えてた感情さえも制御出来なかった。……あの時に気が付いたんだ。私、迅くんの事が好きなんだって」


 その段階でみょうじさんの泣く姿が濃くなった。みょうじさんが泣く未来を辿らなくて良い様にする為に、俺はみょうじさんの側に居る事を選び続けるつもりでいた。でも、さすがに分岐点が訪れるのが早くないか。まだ一緒に居たいのに。俺は神様でも何でもないから、急に訪れた分岐点を前にどうする事も出来ない。訪れた未来は受け止めるしか無い。さぁ、選べ。みょうじさんが泣かないで済む未来を。

「……ありがとう。…………俺も、同じ気持ちだよ」

 俺は、50人の命が救えるのなら、5人の命を見捨てる覚悟があるのに。

 俺は、みょうじさんと俺自身を天秤にかけて、俺自身を取ってしまった。その事実に胸が押しつぶされそうになる。

 それなのに、俺の表情は緩み、笑顔をみょうじさんに向けていた。

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