途方もない愛を知る
6話の後

 くすくす。笑い声が廊下に木霊する。なんて下卑た笑い声なんだろう。その笑いを生んでいるのはその手に握られた教科書か。

「ねぇ、何やってんの」
「迅くんっ!? 何で、」
「放課後俺が学校に居ちゃマズイ?」
「う、ううんっ! 全然、変じゃないよっ」
「そっちこそ、どうしたの。こんな時間に大人数で。いっつも彼氏のもとへ一目散って感じだったのに」

 咄嗟に後ろに隠すその教科書はもう教科書と呼べない程に汚い言葉で埋め尽くされている。その教科書の持ち主は今頃必死にその教科書を探しているんだろう。顔に笑みを張り付けたまま。

「ねぇ。楽しい? ソレ」
「……な、何の事?」
「とぼけんなよ」

 教科書を持ったその女子生徒を壁へと追いやり、手で逃げ場を無くす。……は? 何一丁前に顔赤くしてんの? 彼氏居るんだろ。至近距離で女子生徒を見据え、そっと後ろ手に周ったその教科書を抜き取る。

「馬鹿、死ね、ビッチ……。良くもまあこういう汚い言葉が出てくるもんだ」
「それは元から書いてあって……!」
「へぇ? つまんない嘘吐くんだね。それがもし本当だったら俺はそれを書いた人物を探し出して、この言葉以上に汚い方法を使ってでもソイツを傷つけるけど。……それでも良いって事だよね?」
「……っ」

 唇を噛み締めて、さっき以上に顔を真っ赤にする目の前の女子生徒。はっ、今更泣きそうな顔になるとか。遅過ぎんだよ。……いや、早過ぎるのか。なまえは今も必死に笑顔を浮かべて、周囲が穏やかに過ごせる様に努めてるのに。お前は、簡単に泣くんだ。どんだけ安い涙なんだ。

「君らの望み通り、俺はなまえにめでたくフラれちゃったからさ。……もうこれ以上なまえに近付くな。もし、なまえが傷付く様な事が続く時は、お前の未来、滅茶苦茶にしてやるからな。……って、教科書をこんな風にしたヤツに伝えといてくれる?」

 なまえがしていた様に俺もその顔面に偽りの笑みを張り付けて、目の前の女子生徒を睨むと、コクコクと力なく首を縦に振ってみせる。

「じゃあそこに居る君らが証人って事で。良いかな?」

 お前ら全員の顔を覚えたからな。

 そういう意味で言った言葉をどうやら彼女らは理解してくれたらしい。今ここに居る彼女らが今後なまえをいじめる未来は無くなった。パタパタと逃げるように走り去って行く女子生徒を見送った後、俺の左手に残ったなまえの教科書を見つめる。

「……どれもなまえに似合わない」

 俺はなまえ以上に周りの事を考えられる聡明な人を知らないし、なまえ以上に生きて欲しいと願う人は居ないし、なまえ以上に純粋で初々しい女の子は居ない。そんななまえを泣かせたのはこの俺だ。

 だから、どうか。なまえの幸せをなまえ知らない所から手伝えれば良いな。なんて思うんだよ。なまえはそれを望まなかったとしても。これは俺の我儘で、欲望だから。だから、どうかなまえは気付かないままで。

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