エピローグ

「昨日、千絵と初めて喧嘩しちまった……」
「えっ、珍しい。まじか、何で?」
「週末に遊びに行くってなってるんだけど、俺は千絵が行きたいって言ってた水族館に行きたくて、千絵は俺が行きたいって言ってた動物園に行きたいって、お互い譲り合って……。そしたら段々喧嘩になっちまった……。どうしょう、俺、どうやって謝ればいい??」
「えぇ〜、しょうもなっ」
「うわ、酷っ。大体みょうじと松川くんは喧嘩とかしねぇの?」

 今日も相変わらず私は山田のノロケを聞いている。

「しない。なんない」
「言い切れるの羨ましいな、オイ」
「だって松川くんがスマートだから」
「ちょ、それ俺がバカみたいじゃん」
「まぁ。……でも松川くんの大人っぽさは群を抜いてるからなぁ。仕方無いよ」
「……みょうじも言う様になったなぁ」
「大好きですから」
「……松川くんにお願いされたから仕方無ぇけど、喧嘩した側からするとノロケ聞くのなんか、腹立つな」
「あはは、散々ノロケてきたんだから、私のノロケも黙って聞きなさい」

 そして、私も負けないくらい、ノロケを聞かせている。



 あの日、鞄も持たずに駆け出した私を追いかけてくれた松川くんに告白されて。めでたく付き合うようになって。松川くんに連れられて戻ったお店で千絵さんに謝って。千絵さんも「私も今までの私を振り返ってみたら結構自己中だった……。本当にごめんなさい。これからは気を付けるね」瞳に涙を浮かべながら謝ってくれて。
 そして私達が付き合うようになったと報告すると、泣きながら喜んでくれた。その姿から、ぶんぶんと嬉しそうに振る尻尾すら見えて、千絵さんと山田って、こういう所似てるんだなって。ちょっとだけ可笑しかった。

 もしかしたら、千絵さんはあの時のことがあるから、今回山田の希望に応えようとしてるのかな。だとしたら素直で凄く可愛いなぁ。

「まぁでも喧嘩の内容がそれなら、千絵さんと直ぐに仲直り出来るよ。あんまり落ち込むな」
「だと良いんだけど……」



「松川くん!」
「みょうじさん」
「ごめん、待った?」
「ううん、俺も今来たとこ」
「今日も寒かったねぇ」
「だな。じゃ、行こうか」
「うん!」

 松川くんは今もちょくちょくバイトを続けていて、私も受験勉強に勤しんで。時間が合う時はこうして放課後デートを重ねている。大体は松川くんが私の学校に迎えに来てくれるんだけど、たまに松川くんが「今日は迎えに来て貰っても良い? 及川の事散らしたいから」とかそんな事を言って私にも松川くんを迎え行く番をくれる。私が気を遣わなくて良い様に、っていう気遣いをしてくれるから、やっぱり松川くんは凄い。そんな所が大好きだ。

「今日ね、山田が千絵さんと喧嘩したって、嘆いてた」
「あー、そういえば田所も泣きついてきた」
「まじか。でも理由が可愛すぎない?」
「可愛すぎるっつーか、アホらしいっつうか。なんて謝れば良いと思う? って。もう普通に謝るしかねぇだろって感じ」
「あはは、それ山田も悩んでた」
「アイツらバカップルが過ぎんだろ」

 車道がある左側を歩く松川くんはそう言って呆れたように笑う。今日は雪がちらついていて、グンと冷え込む日だけど、松川くんが私の左手を握ってくれるから、私の中から寒さは無くなっていく。その代わりに、“幸せ”という気持ちがじんわりと入り込んでくるから、松川くんって凄い。自慢の彼氏だ。

「みょうじさん、良い匂い」
「でしょ? 松川くんがくれた及川クリーム、塗ったんだ」
「あぁ。……てか、及川クリームって。なんか俺それヤダ」
「だってもうそれで定着しちゃった」

 信号を渡ると今度は右側が車道になる。するとさり気なく右隣に移動して、そのまま私の右手を捕まえなおす松川くん。こういう所。出会った時から変わってない。スマート。

「スマートマンも、そろそろ定着させない?」
「嫌だね。それなら“まっかわ”って呼んで」
「それはもう千絵さんが呼んでるあだ名だからヤダ」
「じゃあ、新しいあだ名?」
「一静」

 松川くんの足が止まる。

「え、」
「一静って、誰かから呼ばれる?」
「いや……、友達は誰も呼ばねぇ」
「じゃあ、一静で」

 ぽーっと私を見つめる松川くんの表情は見ていて面白い。

「……ほんと、みょうじさんの事になると上手くいかねぇなぁ」
「え? なんで?」
「どうやって自然に名前で呼び合うか考えてたんだけどなぁ」
「はは、そんなの考えずに呼んでよ。なまえって」
「緊張するでしょうが」
「えっ、緊張すんの? 一静が?」
「なまえに、下の名前で呼ばれるの、まじで恥ずかしいんだけど」
「あ、ちょっと今ので言ってる事分かった。一静、もう1回呼んでみて」
「……ワザとでしょ? ねぇ?」
「あはは、どうだろう」
「……ほんと、なまえには敵いません」

 前途多難だと思っていた私の新しい恋はスマートマンのおかげでスマートに乗り越える事が出来た。そんなスマートな松川くんが私の事となると、そうじゃなくなるという。

「大体告白する時ももっとちゃんと段取り考えてたんだよ」
「そうなんだ?」
「田所達と別れた後、イルミネーションが綺麗な所に連れて行ってそこで、って思ってた。のに、まさかトイレ前のソファになるとは」
「あはは! 確かに。トイレの前だった。イルミネーションがまさかのトイレって」
「なまえのせいでしょうが」
「ごめんなさい。……ね、今度そのイルミネーション見に行こう!」
「そうだな。結局行けてないままだし」

 今度はイルミネーションの前で私が松川くんに好きだよって言ってみよう。松川くん、驚いてくれるかな。想像するとニヤニヤしちゃう。

「なまえ、顔。ニヤついてる」
「ふふ、一静の事考えてた」
「……敵わないねぇ」

 嬉しそうに笑う松川くんは大人っぽくなくて、歳相応で。ちょっと赤くなった頬っぺたが可愛い。そんな松川くんが……一静が堪らなく好きだ。

「私も一静には敵わないや」

 私は、スマートな一静も、そうじゃない一静も。もう、どんな一静でも大好き。




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