過去も未来も

 人間は心臓の横に、“トリオン器官”という見えない内臓を持っているらしい。そして、そのトリオン能力が他の人よりも優れている人間はサイドエフェクトという超感覚を持つ場合もあるらしい。

 なんて迷惑な器官なんだろう。私は自分の生まれ持ったトリオン器官を心底恨めしく思っている。年齢と共に劣化していくらしいけれど、それは一体いつになることやら。

「……お酒臭い」
「あぁ。飲み会だったんだ」
「……そう」
「急な飲み会でさー。そういうの、ほんと困る」
「大変ね」

 嘘だ。目の前でワザとらしくネクタイを緩めるこの恋人は、ついさっきまで別の女の人とよろしくやっていた。……あぁ。嫌だ。そんな鮮明に見せないで。

「なまえ?」
「私喉乾いちゃった。自販機行ってくる」
「? おう。顔色悪いけど、大丈夫か?」
「っ、うん。平気だから」

 額に手を当てようとしたその手を払い、逃げるように外へと駆け出した。……サイドエフェクトなんて、そんなもの。早くなくなってしまえばいいのに。



 小さい時から自分の体験していない記憶が頭に流れ込んできた。はじめは夢でも見たのかもしれないと、そんなフワフワした感覚でその記憶を扱っていた。

 だけど、それが夢なんかじゃないってことを理解したのは、街中ですれ違った男性の顔を見た時。やつれきった雰囲気が気になって見つめたその人が、カッターを手に当てては力なく脱力させるシーンが流れ込んできた。
 そして次にビルの屋上に辿り着いては泣きながらその場にへたりこむシーン。極めつけは、その人の目の前で涙を流しながら「助けて!」と声を荒げている女の人のシーン。その女の人は瓦礫の下敷きになって血を流していた。

 そしてその姿が段々と遠のいていき、最後は目の前が真っ暗になった。

 思わず目の前に居る男性をもう1度見やるとその男性は「ごめんな……。またお前の所に行きそびれちゃった……」とうわ言のように呟いた。

 その言葉を受けて、私が今まで見てきたものは他人の過去の記憶であることを理解した途端、私は自分自身が見てきたものの恐ろしさを理解し、自分の生まれ持った特異体質を恨んだ。

 もちろん、他人の過去の中には良い思い出だってあった。だけど、その過去を見ている時だって心には罪悪感もセットで生まれる。
 見たくもないのに他人を秘め事を見ているような。そういう罪悪感がいつも私の中にあった。

 さっきだってそう。本人は上手く隠していても、私のサイドエフェクトがある限りは見抜いてしまう。知らなければ、幸せでいれたのに。

「どうせなら未来が見えればいいのに」
「それはどうかな」
「!?」

 ガコンと撃ち落された缶コーヒーを拾い上げた時、聞き覚えの無い声が私の独り言を拾う。夜という暗い空気は私の恐怖を増大させる。一体誰……?

「あぁ。失礼。俺の名前は迅悠一。以後よろしく」
「……え、な、なに……?」
「こんな夜更けに女性1人なんてキケンだね?」
「……コーヒーを買いに来ただけだから」

 街灯の明かりだけではうっすらとしか見えないその人は、あろうことか私の後ろを歩きだす。……なに、この人。本気で怖い。もしかして、ちょっとヤバイ人なんだろうか。

 スマホを家に置いてきてしまった……と自分の置かれた状況の深刻さを恐怖に駆られながら慄いていると迅悠一と名乗った男の人は「あ。俺、マジで怪しくないから。ボーダー隊員だし」と尚も軽い声を飛ばしてくる。

「あ、あの……私彼氏いるので!」
「うん。みたいだね。この後別れるけど」
「なっ!?」

 自信ありげな物言いに、思わず缶コーヒーを落としてしまった。落ちた缶コーヒーはコロコロと迅くんのもとへと転がっていく。

「はいコレ」
「あ、アナタ一体何なの……!」
「んー? 俺ね、サイドエフェクト持ってんだ」
「? だ、からそれが何っ」
「お姉さんがこの後別れるの、視えちゃった」
「は、」

 拾い上げた缶コーヒーを私の手に届けたかと思えば、飲み込めない言葉ばかりを放ってくる迅くん。その全てを拾い上げることなんて出来なくて、呆然と立ち尽くしている私を見て「ちなみに、今からゲートが開くのも。視えちゃった」と緩やかな笑みを浮かべて手元に刀のようなものを携える。

「俺ね、未来が視えんの」
「……!」

 そう言って私の顔を見つめてきた迅くんの顔は、両手に握られた武器に照らされてハッキリと覗き込むことが出来た。
 その瞬間、私の脳内に迅くんが経験してきたであろう過去の映像が流れ込んでくる。

――どうせなら未来が見たいと思った。だけど、それはどうだろう。

「そういうわけでもないのね」

 迅くんの背中に隠れるような位置取りで立つ私の言葉を受けた迅くんが「……お互い様かもね」と笑う。

 確かに。……私たちは辛いサイドエフェクトを持ってしまったものね。

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