Unsung heroine
東北の11月は侮れない。朝はベッドから起き上がるのも躊躇するようになった。まだ薄暗い通学路を歩いていると鼻先が赤くなるようにもなった。
そんな春高が目の前となった季節。気温の変化に負けている暇は無い。
「ちース……」
だけど、そんな季節になったとはいえ、澤村の体育館に響く声がいつもより小さいのは少し引っかかった。
「大地さん今日元気ないッスね! クソ出なかったとかですか!?」
「あー……まぁそんなとこだ。さ、今日もアップから始めるぞー」
西谷の朝からパワー全開な絡みにも大して反応を示さず、主将として指示を出す澤村。西谷の最後の言葉は余計だけど、元気がないというワードは私も感じた事だった。
澤村は進学組で、センター試験も目の前に控えている。もしかすると、寝不足ではないだろうか。そうだとしたら、あまり無理はして欲しくない。澤村はいつだって人知れず気苦労を抱え込む質なのだから。少し心配だ。
「澤村、なんか動き鈍いな」
烏養さんが言うように、今日の澤村の動きはやっぱりおかしい。いつもなら拾い上げてみせるようなボールすら追えない。体が重たそうだ。
「すまん!」
「どんまーい!」
コートに居る澤村は自分と同じチームになったメンバーに謝罪している。その額にはいつも以上に汗を浮かべている。……どうやら寝不足レベルの体調不良ではないらしい。
「あの、烏養さん……。澤村、ちょっと様子変じゃないですか?」
「だな……。おい、澤村。ちょっと良いか」
烏養さんが澤村を呼び寄せ、それと同時に木下にコートに入るよう指示を出す。その流れで澤村は自分がもうコートに入れない事を察知したらしい。その表情はどこか諦めのような感情を晒している。
「熱、測ったか」
「……いえ」
澤村の声が叱られている小さなの子供のように小さい。そんな澤村を烏養さんは小さな溜息と共に「まぁ春高が近いから焦る気持ちも分からんくはない。けど、体は資本だ。1番大事にしろ」とあやす様な口調で諭す。
「……すみません」
澤村の声がいよいよヘコんだものになる。言わんこっちゃない。無理をするからこうやって怒られるんだと烏養さんの隣で澤村を一緒に怒っている気分になっている時だった。
「と、まぁ説教はここまでにして。みょうじ。悪いが澤村を保健室に連れて行ってくれるか」
澤村を見ていた烏養さんの目線が私に向けられ、仕事を与えられる。私はバレー部のマネージャーだ。部員のサポートをする仕事。だからその言葉に力強く頷き、澤村の腕を持つ。その腕がジャージ越しでも分かるくらい熱くて。どんだけキツい思いしてここに立っているんだと、悲しい気持ちになった。
「すまん、みょうじ」
「すまんって何よ? 謝るくらいなら無理して登校しちゃ駄目でしょうが」
朝練中だった事もあって、保健室に先生は居らず、職員室で鍵を借りて保健室へ入り、ようやく椅子に座った澤村が口を開く。でもその言葉は人を思いやったうえで発する謝罪で。迷惑かけてごめんって。違うでしょ。キツイならキツイって言ってよ。私はそんな気持ちで澤村の謝罪を跳ねのける。
「そうだよな。……すまん」
「烏養さんが言ってた通り、春高が近くて焦るのは分かるけどさ。体が悲鳴あげてる時くらい、ちゃんと養わないと」
「……あぁ。その通りだ」
ぐうの音も出ない様子で私の言葉に同意を示す澤村はちょっと新鮮だ。普段は後輩を咎める回数の方が多いあの澤村が。今は私の言葉に成す術なく打ちひしがれている。だけど、その言葉の合間に吐き出される呼吸の荒さの方が私の胸を締め付ける。
「ごめん、体調崩してるのに。言い過ぎた。ベッド行こう」
「あぁ、」
先ほど測った体温は39.2℃を表示していた。さっきまで体を動かしていたにしても高過ぎるその体温に、座っているのも辛いだろうとベッドに横たわるよう提案しても、澤村は動かない。体温計で知った自分の体温に、一気に気怠さが体を襲っているようだ。この場合は動けない、といった方が正しい。
「立てる? ベッドまでだから。頑張って」
「ありがとう、みょうじ」
さっきと同じように掴んだ腕はやっぱり熱くて。また胸を鈍い痛みが襲う。お願いだから、無理しないでと私の方が泣きつきたくなってしまう。
どうにかベッドまで辿り着き、横たわった澤村は目を閉じて深い息を吐いている。頬を上気させ、額にはじんわりと汗を滲ませている。
試合の最中のような呼吸の荒さが続く澤村を見ていると、どうしても居たたまれない。持ってきていたタオルで澤村の顔を拭くと、眉根の皺が少しばかり和らいで、それが私の気持ちをも安堵させる。
「私、一旦着替え取りに戻るから。あまりにも怠さが続くようだったら今日は早退すること。良い?」
「……はい」
「澤村はいっつもそうやって無理するんだから。これが他の部員だったら怒ってるクセに。自分がやっちゃ示しつかないでしょうよ」
「……ほんと、スマ「もう謝らなくて良いから。寝て」
また謝罪を口にしようとした澤村の額に手を当てて遮る。別に謝って欲しくて言ってるんじゃない。責めてる気持ちだってない。ただ、無理をして欲しくないだけ。烏野の大黒柱である澤村はいつだってその柱であろうとする。それが、自分も気付かないうちにプレッシャーになってる事だってある。だから、時々はこうやって誰かを頼る事だってして欲しいのだ。
「同級生の前でくらい、普通の男子生徒で居てよ。主将じゃなくて良いから」
「……あぁ」
「何でも自分1人で抱え込もうとしないで。スガも東峰も潔子も居るんだから。キツイ時はキツイって、ちゃんと言葉に出して欲しい」
「分かった」
体が睡眠を欲しているのか、澤村の意識がまどろんでいる。それを良い事に私は言質を取るように澤村に自分の願いを刷り込んでいく。
「それが無理でも、私にだけは甘えて欲しい」
「……あぁ……分かった」
最後の言葉は澤村の脳が理解した上での返事かどうか、怪しい所だったけれど、私の手のひらの冷たさを求めるように額をこすりつけてくるその行為が見れただけでも満足だ。
「あ、寝た」
少しだけ荒い寝息を立てだした澤村を見つめる。その表情は無防備で。眠っている間だけはバレーの事も、春高の事も、センター試験の事も考えないでいいのか、その表情の中にほんの少しの解放感も感じられる。
いつまでもその顔を眺めていたいけれど。体を動かして汗を掻いている状態に、そのうえ寝汗まで掻いたらさぞ不快だろう。その為に私はまずは着替えを取りに行かなければ。
私の仕事は部員のサポートをする事だ。私はバレー部のマネージャーなのだから。
少しでも早く澤村が回復出来るように。大黒柱を、澤村を支えられるような存在で居たいのだ。