理不尽に感謝

「申し訳ございませんでした」
「そんなんじゃ困るよ、本当に! ウチはアンタ達以外にも取引する相手いくらでもあるんだから」
「この通りです。どうか、今後も是非弊社とお取引して頂けませんでしょうか」
「……今後の誠意で判断するよ」
「ありがとうございます」



 社会人になると、自分が悪いと思っていない事でも今回のように頭を下げないといけない場面が出てくる。しかし、今回の事で言うならば、わざわざ相手の会社に行ってまで謝罪をしないといけないような事なのか。そんな愚痴が頭をよぎる。いつもだったらこのまま愚痴のオンパレートが開催されるのだが、今日はそういう訳にもいかない。

「すっかり遅くなっちまったな〜。腹減ったし、みょうじ。どっかメシ食いに行かないか?」
「私のせいで本当にすみません……」

 この謝罪にはあのテッペンがハゲかけた中年男に対する謝罪よりも何倍も熱がこもる。そんな私の謝罪に対し、澤村先輩は中年男よりも寛大に「気にすんな」と笑って許してくれる。

 元はといえば、あの中年男が指定した納期を言い間違えたせいなのに、なんでこんな事に……。自分の間違いを認めたくないが為にこっちに責任を押し付けてきたのに。こんな事が無ければ澤村先輩に迷惑をかける事も無かったし、残業させる事も無かったのに……。あぁ、もう。本当に申し訳ない。


「ほらー、そんなに落ち込むなって。みょうじが悪いワケじゃないってちゃんと分かってるから。ご飯奢ってやるから、それで勘弁なさいよ」
「そんな、先輩が悪いワケじゃ!私のせいで……、」
「はい、そこまで! みょうじ、今何が食べたい?」
「ええっと……、ラーメン、ですかね」

 澤村先輩に話を強制的に切り替えられ、急な質問に思わず頭に浮かんだ食べ物をそのまま口にする。……それにしてもラーメンって。全然可愛げない物を言ってしまった。自分が選択したカードが間違いであったと思い、違うカードをきろうとしたが目の前に居る先輩の顔がキラキラと輝きだしたので、手を止める。

「俺も! ラーメン食いてぇと思ってたんだ! みょうじはパスタとかのが良いかと思ってたんだけど。ラーメンで本当に良いのか?」
「えっ、は、はい! 勿論!」
「そっか。んじゃ、この近くに俺のオススメの店があるから、そこで良いか?」
「大丈夫です!」
「おっし! んじゃ行くべ! それにしてもみょうじもラーメンの口だったとはなぁ。俺達、気が合うのかもな?」

 そんな言葉を嬉々とした表情を浮かべて話す澤村先輩を見て、私の本能は間違えていなかったんだと、ホッと胸を撫で下ろす。それにしても先輩、すっごくラーメンが好きなんだなぁ。



 先輩に連れられて入ったお店は店主1人が回しているお店で、お洒落とは程遠い場所だけど、決して汚いというわけでもなく、落ち着く空間を持ったこじんまりとしたお店だった。
 お店は既に何人かのお客さんで賑わっており、通されたカウンター席で先輩の真似をしてしょうゆラーメンと頼み、運ばれてきたラーメンを啜ると、先輩が太鼓判を押す理由が分かる。

「おいしい!!」
「だべ? このお店は俺が入社した時から通いまくってるんだよ。特にしょうゆラーメン。これは本当に旨い」

 その言葉にぶんぶん、と頭を縦に振ってみせると満足そうに笑って返してくれる。

「みょうじも気に入ってくれたなら良かった。みょうじ、ビールも頼むか?」
「いいんれすか!?」
「おーおー、理不尽なクレーム対応頑張った褒美だ。俺が許す」
「ありがとうございまふ!」
「はは、焦らずゆっくり噛みなさいよ」

 運ばれてきたビールジョッキを軽くぶつけ合ってから、グビっと冷たい喉越しを感じつつ、ぼんやりと先輩の横顔を見つめてみる。

 私がこの会社に入社して、教育係として澤村先輩が付いてくれて。そこから先輩とは長い付き合いをしてきた。
 教育期間が終わってからも、私は澤村先輩を頼りにしたし、その度に先輩は嫌な顔1つしないで対応してくれた。先輩はずっとバレーをしてて、主将も務めてたっていうのは聞いた事がある。だからなのか、澤村先輩はすっごく頼りがいがあって、頼もしい。こんなに包容力があるんだから、先輩の彼女さんはさぞかし幸せなんだろうな……。

「あ!!」
「な、ど、どうした? 急に驚いた顔して……」
「先輩!」
「は、はいっ」
「私と居たら、彼女さん、嫌な気持ちになりませんかね!? ただの後輩とはいえ、私とはいえ、一応の女と2人でご飯なんて……すみません! 直ぐに食べ終わるので急いで……っ、」
「はは、落ち着けって。俺、彼女居ないから」
「!?!? えっ!? 居ないんですか?」
「お、おう。ここ何年も居ないけど……なんでそんなに驚くんだ? 驚く程意外でも無いと思うけど」
「意外です! 意外過ぎます! こんなに優しいのに……!あ、そっか。仕事が忙しくってそれどころじゃないとかですよね?だとしたら私のせいでもありますね、すみません……」

 私が投げた質問を自分で回収し、勝手に腑に落ちて少しヘコんでいる私に先輩は「こらこら、またそうやってヘコむ。自分で自分を責めるクセやめなさい」と子供をあやすような、そんな優しい声をかけてくる。

「大体、仕事が忙しいとか、こっちからお断りとか、そんな高尚な理由じゃないよ。ただ、モテないだけ」
「モテない? 先輩が? 会社で先輩すっごく評判良いんですよ?」
「それはありがたいけど……、それとこれとはまた話が違うんじゃないかな」

 先輩はそう言って少しぬるくなったビールで喉を潤す。

「昔、付き合った事のある人達からは“優しすぎる”だの、“物足りない”だの言われてフラれまくったしなぁ。ホラ、俺ってイマドキっていうの? そういう流行り廃りには疎くて。現に今だってみょうじ達が好きそうな場所に連れて行く事出来てねぇし……」

 最後の言葉はこの店の店主に気を遣ってなのか、小さい声になっていたけれど、私は先輩のそんな声に比例するかのように「そんな事ないです!」と大きな声で返す。

「えっ? みょうじ?」

 私の声に驚いた顔の先輩を見つめ、自分のジョッキに残っていたビールを一気に仰ぐ。

「先輩は優しいです! そりゃ優しすぎるくらいに! でも、そこが先輩のいい所です! 頼りがいもあります。面倒見も良いです。今だって、教育係を外れた私の事もこうやって気遣ってくれるし、謝罪にまで一緒に来てくれるし、こんな美味しいラーメンも奢ってくれるし、私が失敗しても嫌な顔1つしないし、叱る所はちゃんと叱ってくれるし、物足りなくなんかありません! 先輩は流行りに囚われる事無く、そこにある本質をしっかり見てるんだと思います。先輩はとにかく凄いんです!」
「みょうじ、分かった、あの……もうそこら辺で良いから、」
「私は! 先輩の嫌いな所なんて1個も見つからないですけどね!むしろ好っ……」

 本音が喉まで出掛かって、慌ててストップをかけたが、どうやら遅かったようだ。

「……あ、りが、とう……な」
「すみませっ、私っ、つ、ついっ! 出しゃばり過ぎましたっ! すみません……あのっ、忘れて下さい……っ」
「……あー、悪い。それはちょっと……ムリだ」
「っ、ですよね……。すみません……、ほんと……お酒飲んで気が緩んでしまって……、」

 どうしよう。先輩、困ってる。こんな告白まがいな事をしてしまったんだから、当然だ。あぁもう、最悪だ。これからどう接していけば……。

「これからどう接していったらいいか分かんねぇ」
「っ!すみませっ……、あの、なるべく先輩には声かけないようにしますっ」
「違うんだ、そうじゃない」
「えっ?」

 先輩の言葉の続きを横顔を眺めながら、待つ。そうじゃないって……、先輩?そんな私の心の疑問に答えるかのように、先輩はビールをグイっと飲み干す。そして、私の方を向いて、目を合わせてくる。

「今までみょうじに世話焼いてたのは、確かに俺が教育係として接してきた後輩だからっていうのもある。でも、みょうじと接していくうちにその危なっかしい感じというか、猪突猛進というか、考え出すと自分を責める方向に持って行く感じが見ていてどうも放っておけなくて。んで、そんなみょうじから頼られると妙に嬉しくて。気が付いたら、みょうじから目が離せなくなってた」
「……それって」
「あー、その……つまり。分かりづらくてスマン。俺にとってみょうじはそれだけ手を焼きたくなる特別な存在って事だ」
「……っ!!」

 そんな、こんな大逆転アリなんだろうか。関係が崩れるくらいなら、と黙ってきた気持ちを先輩から差し出されるなんて。こんな事あって良いのだろうか。

「それ……お酒が入って惑わされてるとかじゃ、無くってですか?」
「俺は酒には強いんだ。これでも」
「でも、先輩、顔、真っ赤……」
「あのなぁ、たったビールジョッキ1杯で酔えるかってんだ。これでも相当勇気振り絞ってんだよ。……それで、みょうじはどうなんだよ」
「えっ、わ、私ですか?私は、さっき言った通り……先輩がす、好き……です」
「うわ〜……ヤベェ。俺、今顔誰にも見せれねぇわ……」
「私もです……」

 傍から見てみたら、私達2人はさぞかし滑稽な姿だろう。スーツ着た良い大人2人がカウンターに肘付いて両手で顔を覆っているのだから。
 でも、今は他人にどう思われようと、このニヤけた顔を防げるのならば、それで良い。だって、今私は溢れん限りの喜びを顔面で留めるので精一杯なのだから。

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