“れ”

 エンジニアは結構忙しい。隊員達の要望を受け、その要望以上に応えれるように毎日研究しては実験してを繰り返している。

 徹夜や泊まり込みなんてことはざらで。けれど、開発、改善した武器を隊員が活用しているのを見ると、やって良かったと思える。
 それがクセになってしまっているから、暫くはこの生活を手放せそうにない。

 それが祟ってなのか、何なのかは良く分からないけれど、恋愛の“れ”の字も私の人生にはやって来こない。もう二十歳も目前だというのに。悲しいものだ。……まあそこはこの際良い。私にはエンジニアとしての楽しさがある。そして、今日もそれは変わらない。

 時刻は23時22分。今回の依頼も長期戦になる気配を帯びている。だからさっき、仕事に区切りをつけて、動かし続けた脳をサッパリする為に、シャワールームでシャワーを浴びた。私の夜はまだまだ終わりそうにない。

 課題は山積みだ。片手でも安定した狙撃をするには、形を改造する必要があるか。いっそのことガンナーの様な形に近づけて……。リセットされた脳に待ってましたといわんばかりに色々な思考が纏わりついてくる。それらを泳がせながら髪が含んでいる水分をタオルに染み込ませつつ廊下を歩いていた時。

「みょうじ? まだ居たのか」

 1人で会話していた私の中に第三者の声が混じり、脳が一旦停止する。顔を上げた先に居たのは嵐山で。

「嵐山こそ。こんな時間までボーダーに居るの珍しいね」

 一旦停止した脳が再び動き出す。1つめに浮かんだ思考はやはり嵐山に関するもので。嵐山は家族が大好きで、何よりも家族を優先にする男だ。だから、この時間にボーダーに居るのが珍しいのはどちらかといえば嵐山の方だ。この時間にボーダーで会うのは初めてかもしれない。そんな驚きを込めて言葉を返すと、嵐山は爽やかに笑う。

「それもそうか。みょうじは良く泊まり込みしてるもんな。今日もか?」
「そう。ライフルの研究をしてるんだ。嵐山は? 泊まるの?」
「ああ。俺も今日は泊まり込みだ。今度の入隊式の事前準備、結構やる事多くてな」
「入隊式月イチになったんだっけ。大変だね、メディア広報部隊の隊長は」
「おかげさまで」

 そう言って再び笑う嵐山はどこまでも爽やかで。この男はどの時間を切り取ってもあのテレビで見る顔と変わらない、完璧な笑みを浮かべるのだ。本当に、裏表が無いというか。真っ直ぐというか。

 嵐山という人間に、負の感情はあるのか、一度研究してみたい。どうせ研究したところで興味をひく結果は出ないのだろうけど。

 それにしても普通だったら嵐山のようなポジションは余程の自信が無いと務まらない。容姿に並々ならぬ自負があるとか。しかし、嵐山からはそういった類の鼻にかけたような態度は全くと言っていいほど伝わってこない。

 ミスターパーフェクトなのだ、嵐山准という男は。

 嵐山がとりまるくんに負けないくらいモテるというのも頷ける。良いなぁ。嵐山を見つめながら、ぼんやりと脳を嵐山に対する思考で埋め尽くす。そんな私を知ってかしらずか、嵐山は「じゃ、みょうじも頑張れよ。あんまり無理しないように」と気遣う言葉を私に向ける。

 頑張れよって何を? 恋愛を? 余計なお世話だなぁ。そこまで考えて、ハッとする。違う。今嵐山と私は仕事の話をしていたのだ。頑張れっていうのは、開発の事だ。と、いうか。

「あっ、ねぇ。嵐山!」

 片手を上げて作戦室に向かおうとしていた嵐山の背中を呼び止める。

「ん? どうした?」
「実は今、佐鳥くんからライフルの改造頼まれてて。佐鳥くんの戦闘データ見たいんだよね。もし良かったらちょっとだけ作戦室にお邪魔しても良い? 嵐山の邪魔はしないから」
「でも……。今部屋、誰も居ないぞ?」
「うん? 別にログの見方は分かるし、平気だよ。嵐山さえ良ければ、だけど」
「……あ、あぁ。了解した」

 普段どんな頼みごとでも快く引き受ける嵐山が突っかかりを見せる。……そんなに迷惑をかけるような頼み事じゃないんだけれど。嵐山の態度が少し気になるけれど、作戦室には連れて行ってくれるらしい。まぁ良いかと考えるのを止めて、私は嵐山の後をついて行った。



「いっくしゅっ!」

 嵐山隊の作戦室に着いて、椅子に座ってパソコンを立ち上げているとくしゃみが飛び出す。どうやら髪の毛を乾かさないまま冷えた廊下を歩いたのがいけなかったらしい。嵐山に言って、暖房入れて貰おうか。そう思ったのとほぼ同じタイミングで嵐山が給湯室から湯気の立つお茶と共に顔を出す。

「今暖房入れたから。お茶でも飲んで温まってくれ」
「うわ、何から何までごめん。お構いなくとか言えたら良かったんだけど、正直すっごく助かる」
「いや。俺もトリオン体だったから、結構部屋が冷えてる事に気が付かなかった。ごめんな。これ、部屋が温まるまで着てて良いから」

 そう言って嵐山は自分の隊服である赤いジャージを差し出す。断ろうとするよりも前に「それ、一応洗ったばっかりだし、大丈夫だと思う。みょうじが良ければ使ってくれないか」とお願いするような言い方をするもんだから、私だって「ありがとう」と返すしかない。良い男だなぁ。嵐山は。

「なんか私も嵐山隊の一員になった気分。“嵐山隊、現着した!”なんて。……てか、この服ブカブカ! 嵐山ってやっぱ体格良いんだね」
「まぁな。……ほら、これログ」
「ありがとう。お借りします」

 嵐山の上着を羽織って嵐山の真似をした私に、なんともいえない笑みを浮かべながらログを差し出す嵐山。……その笑みは呆れなのか。それとも、メディア人として携えた愛想笑いなのか。尋ねてみたかったけど、そのどちらも答えとして返ってくるにはあまり嬉しい答えではないので、聞くこと自体を止めてログに集中する。来たからにはきちんと仕事せねば。



 ログを見だしてから30分くらいは映し出される映像を真剣に見れていた。けれど、イヤホンの向こうから聞こえてくる紙のめくる音やペンを走らせる音、じんわりと温まっていく部屋の温度、良い匂いのする嵐山のジャージ。それらに囲まれて、誘われるように眠気が段々と顔を出してきた。その眠気を押し込めるように、嵐山に淹れて貰ったお茶を流し込んでみるものの、三大欲求である睡眠欲がそんなもので抑え込める筈もなく、私は気が付けば眠りの世界へと迷い込んでしまっていた。

「寝るならベッドで寝ろ。体痛めるぞ」

 私は寝つきが凄く良いタイプだ。現に今意識の遥か遠くで聞こえる嵐山の声も、優しく揺する嵐山の手も心地良いあやしのリズムに変えてみせている。

「んん、ちょっとだけ……。5分。5分で良いから……」
「そういって既に15分経ってるぞ。ほら、向こうのベッド貸してやるから。ちょっとだけ頑張れ」
「やだ……。もういいの、ここで寝るの……」

 夢見心地にそんな事を口走ったのは覚えている。そして、その言葉に嵐山が軽いため息を吐いたのも意識の遥か遠くで聞こえた。私の記憶はそこで途切れている。



「おっはよーございまーす! 嵐山さん起きて下さーい!……って、え!? は!? なんでみょうじさんがここに!? えっ、ええっ!?」

 うるさい。瞼の向こう側がすごくうるさい。次に脳が覚醒したのは佐鳥くんの煩すぎる程の声のせいだった。私の脳には嵐山の声しか残っていなかったのに。今は佐鳥くんの声がする。これは一体どういう事だ。佐鳥くんの声は私の脳に疑問をもたらし、その疑問を解く為に脳が動き出す。

「おう、起きたか。おはよう」
「っ!?」

 起きた瞬間に自分の置かれている状況が分からず、脳がパニックを起こす。そのせいで言葉を発する事が出来なかった。今、私の体はベッドの中で横たわっている。近い距離で聞こえた嵐山の声は、私の頭上にあり、私の事を見下ろしていた。これは、所謂添い寝の状態だ。なんで?……なんで嵐山がここに? どうして一緒のベッドに? そこまで考えて、私がガッツリ嵐山の胸元辺りの服を握っている事に気づく。そこで状況をほぼ100パーセント理解する。私が完璧に悪いパターンだ。

「おおおおおはよううう」
「どれだけ動揺してるんだ」
「嵐山、ごめん……。昨日、」
「5分だけとか言ってなぁ。結局30分は粘られたぞ」
「ほんっとうにごめん!」
「はは、まぁ気にするな。みょうじも疲れてたんだろう。それより、体、どこも痛めてないか?」
「……お、おかげさまで」

 それまでオロオロとしていた佐鳥くんが私達の会話を聞いて、意を決した様子で口を挟んでくる。

「あの、みょうじさんと嵐山さんは、やっぱりここでそういう……?」
「変な勘違いするな、賢。第一お互い服着てるんだ。それだけでも分かるだろう」
「あ、確かに」
「俺が寝落ちしたみょうじをベッドに運んだんだ。で、その後寝ようと思ってベッドに行った時に、ついクセで自分のベッドで寝てしまった。ただ、それだけだ。だから、賢。間違ってもほかの誰かに言うんじゃないぞ」
「了解しました! オレ、口は堅いんで! みょうじさんも安心して下さい!……あ。俺、飲み物買いに行ってきます!」

 状況を理解してくれた佐鳥くんは、顔の横にキラリと光が見えるようなどや顔を決めて部屋から出て行く。どうしよう。口は堅いと佐鳥くん本人は言っていたけれど、私は佐鳥くん以上に口が軽い人を知らない。同じレベルで太刀川さんと緑川くんが並ぶ。ボーダー三大口軽男の1人に見られてしまった。これは、今日のお昼には全ボーダーに知れ渡ってしまうかもしれない。その時は私が責任を持って全隊員の誤解を解く為に奔走せねば。

「ごめん、嵐山。さっき佐鳥くんには自分から入ったって言ってたけど、私が嵐山の事絶対引き込んだでしょ?」
「まぁ。洋服に皺が付くくらいの力で握られてちゃ、離れられないよな」
「うっ……」

 いつになく嵐山が悪戯な表情を浮かべている。嵐山って、普段嫌味の1つも言わないから、この言葉が冗談で言っているのか、嫌味で言われているのか判断が着かない。分かっているのは、私は嵐山を怒らせても仕方が無い事をしてしまったという事だ。なにが“嵐山の邪魔はしない”だ。十分迷惑をかけてしまっている。

「ごめん……ほんとに。仕事、中断させちゃったよね?……私、出来る所手伝うから」

 俯く私を見て、嵐山が笑い声をあげる。その声はいつもの嵐山で。怒ってはいない事が分かって安心する。こんな事されても嵐山は完璧なんだなぁ。

「気にすんなって。みょうじをベッドに運んだ時点で粗方片付いてたから」
「あの、嵐山……、」
「ん?」
「その、ベッドまで運んでくれて……ありがとう」

 謝るのは勿論なんだけれど、それと同じくらいお礼もしなければ。嵐山がここに運んでくれなかったら、私はあのまま椅子で眠りこけて風邪でもひいていたかもしれない。今こうして柔らかいベッドで温かいブランケットに包まれているのは、嵐山のおかげだ。その感謝の気持ちを伝えると嵐山が急に真顔になる。

「あ、嵐山っ?」

 それまで右ひじを枕に立てて、横たわっていた嵐山の体が私の上へと移動する。その弾みで私の体も仰向けにされて、嵐山と向かい合うような体勢になる。スプリングの軋む音が背で聞こえる。これは……一体。嵐山の顔は相変わらず真顔のままで、意図が掴めない。

「お前はもうちょっと危機感を持った方がいい。2人きりの部屋に躊躇なく来て、おまけに薄着で。そのうえ自分の上着を羽織って、そんまま無防備に寝られて。ベッドに運んだらそのまま引きずり込まれて。起きてみたら上目遣いにそんな事言われて。そこまでされて勘違いしない男は居ないぞ」
「へっ?」
「俺だって、ボーダーの顔でもあるよりも以前に男だからな」
「へぁ、……あ、うん?」
「だから、今後は気をつけるんだぞ」

 それは、つまり。嵐山も数々の葛藤をこなして、今こうして私を押し倒してるって意味? 真顔に見えていた顔つきが少しだけ苦しそうな、バツが悪そうな顔つきに見えるのは、嵐山にとって、今自分がしている行動を“負の感情”として捉えているからなのだろうか。嵐山の事だから、同意も得ていない相手をこうしてベッドに押し倒している行為は己の正義に反するのだろう。
 でもね、嵐山。私、嵐山にこんな事されても、嫌だって思ってないんだ。それは何でなのか、その原因を突き止めるくらいの事は出来るくらいに私の脳はとっくに覚醒している。

「分かった、もうしない。……したとしても、嵐山にしかしない」
「お前は……本当に」
「だから嵐山はずっと勘違いしてて」

 そういうと嵐山の顔は今まで見た事もないような顔つきに変わる。……どうやら私の人生にも恋愛の“れ”の字がやってきたようだ。

案の定広まりました。

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