予感岬で刻んだたしかなもの

「いらっしゃいませ! あ、迅くん!」

 チリンとドアに備え付けられた鈴が可愛げな音を鳴らし、来客を告げる。そうしてこの喫茶店の客として姿を見せた俺を、なまえさんはにこやかな笑みを浮かべて迎えてくれる。

「しばらく姿見せなかったから心配してたんだよー」
「あらそう。そりゃあ嬉しいな」

 まさか自分がボーダーとして暗躍していたとは言えない。というか言ってしまえば暗躍ではなくなってしまう。

「今回も遠方に営業行ってたの?」
「うーん、まぁ。そんなとこかな」
「凄い、売れっ子なんだ」

 注文したコーヒーをテーブルに置きながらなまえさんが目を細める。そんななまえさんの微笑みを曖昧な笑みで返し、コーヒーカップに口を付ける。

「私のことも占ってよ」
「それはダメ」
「えー、どうして」

 なまえさんは俺のことを超能力者だと思っている。その原因を作ったのは俺なんだけれど。そして、その勘違いをそのままにしているのも俺の意志。

 なまえさんが営む喫茶店に足を運んだのは本当にたまたま偶然。そこに休憩出来るスペースがあったから。
 大学に行っていない俺は月曜から日曜日、そして祝日もどれもほぼ平等な日として捉えている。それでも土日や祝日は平日に比べて人が多い曜日だ。街中を歩けばそこら中で赤の他人の未来が視えてしまう。

 望んでいないのに視えてしまう、視てしまうのは持った者の運命なのだろう。

 それは重々理解したうえで俺はこのサイドエフェクトと共存している。けれど、キツイと思ってしまうのも事実だ。その日は生憎土曜日で、週の中で最も人が外に出ているといってもいい日だったのが運の尽き。

 案の定視え過ぎてしまった俺は人知れぬ疲労感を抱え、人通りの多い道から外れた寂れた道を歩いていた。そこにひっそりと佇んでいたのがなまえさんの営むこの喫茶店だ。

 あの日も今日と同じように鈴を鳴らし、窺うように店内に足を踏み入れた俺をなまえさんは「いらっしゃいませ」とあたたかい笑みで迎えてくれた。

 人通りが少ない道というのもあるが、土曜日だというのに誰も居ない店内は本来ならば近寄り難い雰囲気なのだろうが、人気がないというのは俺にとっては最高の条件だった。

 俺のテーブルにコーヒーを置き、仕事を終えたなまえさんは来る気配のない客をのんびりとキッチンに立って待っていた。焦る様子も、微睡む様子もなく、ただのんびりと。ゆるやかに過ぎていく時間を味わうようにして過ごすなまえさんは俺の張り詰めていた気持ちをも解してくれた。

 そうして俺は曜日問わずこの喫茶店に足を運び、いつしか常連となりなまえさんと交わす言葉も増え、なまえさんのことを沢山知っていった。

「なんならここの一角で営業する? そしたらここももうちょっと繁盛するかも」
「そしたら俺ここ来るのやめちゃうよ?」
「えー、それはヤダなぁ」

 なまえさんは先の大規模侵攻でおじいさんを亡くしている。元々ご両親は他界しており、小さい頃からおじいさんとおばあさんと3人で暮らしていたそうだ。そしておばあさんが病気で亡くなり、おじいさんと2人で喫茶店を切り盛りしていたが、そのおじいさんも大規模侵攻で帰らぬ人となった。

 残されたこの喫茶店だけは守りたくて高校卒業と同時にこの喫茶店を継いだと聞いている。

「数少ないお客さんなんだもん。迅くんのことも大切にしなきゃ」
「嬉しいこと言ってくれるね? 今日はケーキも頼もうか」
「やった! 褒めてみるモンだ」

 ケーキボックスからショートケーキを取り出すなまえさんから「良いの?」と喜ぶ顔が視える。その未来を視てその未来を実現する為に運んできたケーキをなまえさんの前に差し出し、「これは俺からなまえさんに」と言葉を添えると「良いの?」と視えた未来通りの笑顔を浮かべるなまえさん。

「実はお腹空いてたの。迅くんってば本当に凄い」
「エリート派ですから」
「アハハ、何それ。でもこういうことが起こると迅くんって本当に超能力者なのかもって思っちゃうな」
「いい加減信じて欲しいな」

 ぱくぱくとケーキを美味しそうに口に運ぶなまえさんを眺めながらコーヒーを啜る。
なんて穏やかな時間なのだろう。ボーダーに従事している間は絶対に味わえない時間だ。

 なまえさんに何度か「俺は未来が視える」と冗談めかして告げたことがある。初めは「まさかぁ」と笑っていたけれど、今みたいなことを繰り返していくうちにそれが本当かもしれないと思いだしたようだ。

 一般人であるなまえさんがサイドエフェクトの存在を知らないのは無理もないことだけれど、俺のサイドエフェクトのことを“超能力”と捉えるなまえさんがなんだか可愛くて、その誤解は解かずにいる。

 何より、なまえさんと過ごすこの時間くらいはボーダーというしがらみから放たれたかった。だから俺は“超能力を使って人を占う職種”という誤解を意図してさせている。

「私の未来はどうなんだろう」

 最後に取っておいた苺を口に放り、ヘタを取りながら窓の外に思いを馳せるなまえさん。……俺はなまえさんの未来が視えているから、その答えを教えることは簡単だ。

「さぁ。どうだろうね」
「…どんな未来が来ても最後は笑えてるといいけど」
「それは大丈夫なんじゃないかな」

 だけど俺はあえてそれをしない。だって未来はあくまでも不確定なものだから。今俺が視えているこの未来だっていつ変わるか分からない。現時点ではほぼ確定としかいいようがないのだ。

「ほんと? それは嬉しいな」

 でも、俺が抱くこの想いだけは重ねた月日の中で変わらない確かなものとして刻み続けている。だからこの想いがここから長い年月をかけてなまえさんに伝わるように。

「ごちそうさま。また寄らせて貰うよ」
「はい。いつでもここでお待ちしています」
「じゃあまたね、なまえさん」

 会計を済まし、喫茶店を出る俺をなまえさんが出迎える時と変わらない笑みで見送る。その姿の、その少し向こうに居る真っ白なドレスを来て笑みを向けるなまえさんを見つめながら俺もなまえさんと同じ笑みを返した。

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