Paisley

 私は知っている。彼が華やかしい営業成績を収めているのは、その陰で並々ならぬ努力を重ねているからだということを。
 取引先の情報は知れる限り調べ、相手が求めるものがなんなのかを研究し尽くし、自社にとっても最大限のメリットが生まれるようにするにはどうしたら良いかを考え抜く。
 
 そうして勝ち取った契約を、彼は当たり前のように振る舞い、大袈裟に喜ぶこともしない。そういう態度をいけすかないと嫌う人間も居る。

 だけど彼は決してそういう僻みに屈することも、負けることもしない。気にもしない。

 そういう真っ直ぐとした芯を持っている彼に、先輩としても、人間としても、1人の男性としても。尊敬したし、好意を持ってもしまった。

「みょうじまた残業〜?」
「及川先輩!」

 こういう資料はあらかじめ準備しとけって言ったでしょ〜? と緩く叱る及川先輩は、私の横の席に腰掛け「ホラ、纏めた資料こっちに寄越しなさい」と手を差し出す。こういう時に放つ命令形が優しいことも、そこにほんの少しの甘さを感じてしまうことも、もうずっと前から知ってしまっている。

 好きに、ならない訳がない。だけど、好きになってはいけない。

「もしもし? うん、ごめん今日もちょっとだけ遅くなる……え? ううん、終電までは行かないよ……ん? うん――」

 スーツから取り出したスマホに、甘さと優しさを何重にも足した柔らかい声で語り掛ける先輩。おまけに表情だって溶けそうなくらい穏やかで。

 私と先輩の間に置かれた先輩の鞄から、水色にペイズリー柄が乗った包みが覗いている。1度解かれたであろう結び口は丁寧に結び直されていて、それがどれだけ大事にされているかを思い知る。

「お前は寝てて。……うん、分かった。ありがと。……あ、温かくして寝ること。いい? うん、じゃあ。おやすみ」

 おやすみ、と語り掛けてから、スマホを離すまでに少しの間を置いた後、先輩は私に「ごめん」と眉を下げて謝罪した。その表情を見て、きゅっと胸が苦しくなるのが分かった。こんな気持ちになれる立場でないことぐらい、痛いくらいに分かっている。だけど、その事実がまた胸を苦しくする。

 先輩が私の気持ちを悟っているかまでは分からない。どういう気持ちで私の前で奥さんからの電話に出たのかも、今どういう気持ちで私を見ているのかも。分からない。だけど、知りたくもない。

「良い奥さんですね」
「……あぁ。まぁね」

 ペイズリー柄を見つめながら放つ言葉。先輩の顔を見てはいないけれど、見なくてもどんな顔で答えているかだけは分かる。

 これだけは、知らなくても分かることなのだ。

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