崖っぷちクリスマス

 侑とは高校が同じだった。とはいっても、学校の端と端に居るような。そんな距離で見るだけの相手だった。侑はバレー部に所属していて、そのバレー部の代表格。それは、稲荷崎のカオといってもいいくらいの凄さだ。そんな侑と私が高校が同じだからといって、交わる事は無かった。高校では1度も同じクラスにならずに、侑は私みたいな端くれに居る女子高生なんか認識せずに過ごした。……そう思っていたのは私の勘違いだった。



「あっ! みょうじさんや! 久しぶり!」
「っ!?」

 その勘違いに気が付いたのは、高校を卒業して、就職を選び東京へと上京した2年後の事だった。大声で私の名前を呼ぶ侑に驚いて、口にしていた日本酒を詰まらせ、噴き出しそうになった私。その隣で高2から交友関係が続いている角名が眉根を寄せている。

「久々に見たらめっちゃ美人さんになってはるやん」
「私の事、知ってるの……?」
「は? 当たり前やん。2年の時角名とサムと同じクラスやったやろ? それに何度か合同体育で顔合わせとうし」
「そう、なんだ……」
「んで、さっき角名に連絡したらみょうじさんと飲んどうて聞いたから。今どないなってんねんやろーって気になったから。来てみた!会えて嬉しいわ」

 ニカっとはにかむ様に笑う侑は、眩しくて。2年前には遠くからしか見る事の出来なかったあの笑顔を、2年経った今、真正面から向けられるなんて思いもしなくて。そして2年の間で精悍さをも携えた侑に、私はまんまとハマってしまった。



 そこからあれよあれよと事が進み、私は気が付けば侑と半同棲の様な生活を送っている。とはいっても侑は寮生だったし、私が1人暮らしをしている部屋に好きな時にやって来て、好きな時に帰るような。そんな生活。

 侑はバレーの世界では今なおその名前を轟かせ続けていて、今も全日本の代表入りを果たしている。そんな侑は交友関係が広いようで、それなりに浮名も流している。どこまでが本当で、どこまでが嘘なのか。週刊誌やSNSを見る限りでは見当もつかないのだけれど。

 それでも、時々侑は思い出したかのように私の部屋を訪れては、私の出すご飯を美味しそうに食べてくれる。夜には私に優しく触れて、最後には腕枕をして一緒に寝てくれる。……それ以上の事を望んではいけないと、己の分は弁えているつもりだ。

 大体、私は侑に「付き合って欲しい」とか、「付き合おうか」とか「俺の彼女」とかそういうハッキリとした言葉を貰った事は無い。それを自分から尋ねる勇気も無い。もしかしたら、侑からしてみれば私はただのセフレなのかもしれない。それは悲しい事だけれど、それが私の身分なのだと、何度も言い聞かせて侑との時間を過ごし続けた。



「なまえ。今度の25日、空けといてや」

 ふらっと家にやって来て、ご飯をかきこみながら侑はそう言った。今度の25日。それはつまりクリスマスで。私なんかが侑にとっても特別な日であろうその日を貰って良いのか。聞き間違いではないかと「25日?」と尋ねた私に侑は「おん。なんや、予定入ってんの?」と眉根を寄せてくるから、慌てて首を横に振る。

「ううん! 無い! 無いよ! 仕事終わったら直ぐ家に帰る!」
「おう。そうしたって」

 一瞬垣間見えた不機嫌さを直ぐに引っ込めて侑は食事に戻っていく。……侑程にリアルを満喫しまくっている人物が、その日が男女にとってなんという日かを知らない筈ない。そんな日に私を誘ってくれた事が嬉しくて。私は一気に25という日が愛おしく思えた。



 そうして迎えた25日。時刻はもうそろそろ22時を30分過ぎようとしている。侑からの連絡はまったく入ってこない。もしかしたら何時もの様にふらっと現れるのかもしれないと思い、一応ご飯も作った。もしかしたら外食かもしれないと思って、化粧も落とさないで、フォーマルな洋服に着替えて。髪の毛だって整えて。そうして過ぎて行った定時後の数時間。

 これなら明日にまわした仕事の1つや2つこなせたのに。12月にもなれば毎日が忙しい。それも、年の瀬ともなると尚の事。それでも、侑が空けてと言うのなら。私は何を差し置いてでもそれを1番に持ってくる。実際、そうした。のに、侑は私を置いてどこで何をしているのだろう。もしかしたら私に言った事なんて忘れてしまったんじゃないだろうか。……それもあり得る。だって、私は侑にとって、何なのか。胸を張って答えられる程の関係じゃないのだから。

 何度もスマホの電源を触っては時刻だけが光るディスプレイを眺めて、スリープするのを繰り返す。そうして時刻が23:17を示した時。私の中で張っていた何かがぷっつりと切れた。

「……もしもし? 角名? 今暇でしょ?……は? 彼女居ないクセに何言ってんの。クリスマスとかどうでも良いから。ね、今からいつもの居酒屋に来てよ。……良いでしょ、別に。……分かった、奢る。奢るから。……うん、じゃあ」

 まだ耳元で何か言っている声がしたけれど、その声を耳元から離して通話を切る。冷えてしまった鍋はコンロの上に置いたままにして、部屋の暖房を切って照明を切って真っ暗になった部屋に鍵を掛けて。私は外へ飛び出した。



「……侑と一緒なんじゃないの」
「の筈だったんだけど」
「ふうん」

 訊いてきたクセに、居酒屋には似つかわしくない私の身なりを一瞥するなり、素っ気ない返事を寄越す角名。それだけで何となく察せるならいちいち聞いてこなくて良いのに。絶対わざとだ。こんな時間に呼び出した私に当てつけの為にやってるに違いない。ムッとしてしまうけれど、私のこのモヤモヤを聞いてくれるのは東京では角名しか居ないから。なんとか留飲を下げて、一先ず運ばれて来たビールジョッキを傾ける。

「……私って、侑にとって何なんやろ」
「ありゃ、けっこーヘコんでる感じ?」

 こっちに来てからは意識して出さないようにしている関西弁。それが制御出来ない程に、私の心はダメージを負っている様だった。自分でも、意識せず出た方言に内心ビックリする。私が一丁前にこんなに大打撃を受けていたなんて。

「なぁ、私って侑にとってただのセフレなんやろか?」
「俺に聞かれても」
「なんで今日空けといてて言われたんやろか。私、めっちゃ嬉しかったのに。せやのに、いざ蓋開けてみたらこんな時間まで音沙汰無しなんやで? もう、訳分からん。私、こんなクリスマスになるとか、思いもせんかったわ…。今までで1番最悪なクリスマスや。……こんなんなら去年みたいにずっと仕事に追われとけば良かったわ」
「荒れてるねぇ。まぁ飲んで飲んで」
「その棒読み感なんとかしてや。めっちゃ傷つくねんけど。まぁそれが角名なんやけどな。そこが角名の良いとこなんやけどな!はー、もう。いっその事角名と付き合うとけば良かった! せやったらあん時侑と出会っても、侑にハマらんで済んだかもなのに!」
「そんなお互いに1ミリも有り得ない可能性口にすんなよ。お前と俺が付き合うとか無理」
「そんなん分かっとうわ! こないな時でさえそんな事冷静に言うなや。余計寂しなんねん。なんで私は誰からも好きになって貰われへんのやろ……。もう、嫌や……。侑なんか、好きにならんどけば良かった……」
「おい。なまえ。それ、ホンマか」
「っ!?」

 あの時と同じ様に、侑から名前を呼ばれ、あの時と同じ様に口に当てていた日本酒を噴き出しそうになる。角名がそんな私に眉根を寄せるのも同じ。

「家帰っても居らんし。……ほんで慌てて角名に連絡取ったら一緒居るて言うし。意味分からへん。何で他の男と2人きりでこないなとこ居んの」

 おしぼりを口に当てて振り返るとそこには声色と同じ様に、怖い顔をして私を睨みつける侑が居て。

「なまえ仕事終わったら家帰るて言うてたやん。やのに、なんでこんなとこ居んの」
「……侑こそ、なんで、」
「訊いてんの俺やねんけど?」
「……待ってたよ。ちゃんと。……23時過ぎても鳴らへん携帯ずっと抱えて! 待っとった! せやけど侑が全然連絡くれへんから! 私1人が勝手に舞い上がってたんかな思うてっ、そんなん虚しいだけやんって、急に悲しなって……。そう思ったら私は侑にとってどないな存在なんやろって、そういう考えになってしまうんよ」
「は? どんな存在って……」
「だってせやろ? 私、侑から一遍も“付き合おう”とか言われてへんもん。せやのにセックスだけはもう何遍もしてるし。そんなんセフレと変わらへんやん。それでもええって、思うてたのに……。侑が“25日空けといて”とか言うから。期待してまうやん。せやからこんな格好してこんな時間まで化粧も落とさんと起きてんやん。でもいざ蓋開けてみたらこんな時間までほっぽらかされて。なんでクリスマスにこんな思いせなあかんの? もう、嫌や……」
「……ホンマに、ホンマになまえはもう俺の事嫌いなん?」

 消え入りそうな声を振り絞って、屈んで私の下にくる侑の目線。なんでそない泣きそうな顔になってんの。やめて。そないな顔向けんといて。こっちまで泣きそうになるやん。

「っ、き、嫌いや」
「ホンマか?」
「……何でそない聞くねん。別にええやん。私が侑の事嫌いになっても。侑は痛くも痒くも無いやろ? 他の人のとこ行けばええだけの話やん。今日やって他の誰かのとこ行ってたんやろ?今からでもまた別の人んとこ行けばええやん」
「勝手な事ばっか言うなや。俺がいつなまえから嫌われてもええって言うた? いつ他の人の所に行ったとか言うた? 全然ちゃうわ。ついさっきまで大学に捕まっとったし。それのせいでなまえに連絡出来んかってん。……やっと解放された思うて急いでなまえの家帰ってもお前居らんし。俺がどんだけ慌てたか。なまえ知らんやろ」

 寂しそうな声を出したかと思いきや、段々語気が強まっていく侑に私は何も言い返せない。……侑をこんな風に怒らせるのは、もしかしたら初めてかもしれない。そして侑が一体何に怒っているのかが分からなくて、私は口を噤んでしまう。角名に助けを求めるように視線を向けても、空気に徹しているだけで、私は結局1人で侑の怒りに立ち向かうしかない。

「俺がいっちゃん初めなまえに会うた時。何て思うたか知っとうか?」
「えっ、久しぶり……とか?」
「アホ。東京来てやないわ。高校時代や」
「え、高校? まず侑が私の事認識してたかどうかすら怪しいんやけど」
「はぁ!? お前ニブチンなんやな。俺お前の事めっちゃ意識してんで!?」
「は、はぁ? 嘘、いつ?」
「ずっとや。初めて見た時から“うわ、めっちゃタイプ!”て思うてたで。したら角名とサムが一緒のクラスになりやがって。どんだけコイツとサムの事どついたか。けど、なまえが就職でこっち来て、角名も大学こっち来て、それなりに連絡取ってるって聞いた時は角名の事どんだけ撫でまわした事か。それくらい、ずっと前からなまえの事意識してんねやぞ」

 侑から出てくる言葉が信じられなくて、どうしてもこの場に居合わせる角名に目線を泳がせてしまう。するとようやく角名が存在感を露わにして口を開く。

「コイツ、本気で取り組む事には結構慎重派だからね。“なまえに依存してるて思われたくない”とか言って、形だけ合コンに参加してみたりして。あの時の居酒屋でも前日からしつこいくらいラインしてきたクセに、いざ入ってきたら“あっ!みょうじさんや! 久しぶり!”って。俺がどんだけ笑い堪えるのに必死になった事か」

 角名は結構性格が悪い。嫌な嘘も平気で吐く。でも、こんな雰囲気でそんな嘘を吐ける程馬鹿じゃ無い。実際、侑が角名の話を聞いて反論しないのが、それが事実だという事を物語っている。

「……今までハッキリ口にせんかったのは俺が悪い。……今まで付き合うて来た人らにもそういう事すっ飛ばしてきたから。面倒臭いって思うてた。……せやけど、なまえにはちゃんと言葉にせなあかんかったよな。ほんまゴメン。不安にさせてしもうた。そこは謝るから、どうか、俺の事嫌いにならんといて?」
「……私は、侑にとって、何?」
「……好きな人や。世界で1番。ずっと。誰よりも大事な人や」
「……っ」

 泣いてしまったのは私の方だった。さっきまで泣きそうな顔してた侑はもうどこにも居ない。私だけ泣かされて、悔しい。でも、ずっとずっと欲しかった言葉をようやく貰ってしまったのだから、仕方無い。涙の1つや2つ、出るに決まってる。

「せやからなまえ。俺と結婚しよ」
「へっ……!?」

 そうして流し続ける涙を止めたのは侑だった。今侑は何て言った? ケッコン……?

「結婚したい相手にプロポーズするって一応筋通して大学に言おう思うたらまさかこない時間まで説得されるとか。思いもせんかったわ」
「いや、そらそうやろ……。侑、自分の人気分かっとんの?」
「当たり前やん。俺のグッズの売り上げ半端無いで」
「せやったら今自分が言うた事の意味分かってる?」
「分かってへんかったら指輪なんか買わんわ」
「指輪!? 買ったん!?」
「おん。今ポケットにあんで。なまえが“はい”って頷いてくれたら、左手に嵌めたる」
「いや、待って……。ちょっと理解が追い付かへん……。だって、えっ? 私達付き合うてたん……?」

 今さっき侑と私は同じ思いだという事が分かったばかりだ。それが分かっただけでも十分過ぎる程だったのに。今度は結婚?侑は色々とすっ飛ばし過ぎや。

「何? 俺と結婚するん、嫌なん?」
「や、嫌とか。そんなんや無くて……っ、待って。今、理解するから……」
「えぇ? 俺、なまえと結婚出来んのやったら大学辞めるって啖呵切ってしもうたわ。それでようやっと許可出たっちゅうのに。なまえは俺からプロポーズされて、嬉しくないんか?」
「っ、」

 侑は慎重派だと角名が言っていた。なのに、今の侑は一体どういう事か。めっちゃグイグイ来る。……いや、良く考えれば侑は一度決めてしまえばそれに迷いが無いタイプだった。没頭して、没頭して、突き詰めるタイプ。バレースタイルを見れば一目瞭然だ。そんな侑を私は好きになったんだ。そして、その真っ直ぐな愛が今、私に向いている。それが嬉しくないのかと侑が聞く。……そんなの、嬉しいに決まっている。あぁ、もう。侑を中退させる訳にもいかないし。

「家の侑のゾーン、整理整頓してもええ?」
「ええよ。どうせあそこ引っ越しさせるし」
「エロ本見つけたら捨ててええ?」
「……巨乳のやつだけは、あかん」
「私あそこまで巨乳やないからあれを1番捨てたい」
「……分かった」
「遅くなる時は遅くなるって連絡欲しい」
「分かった」
「あと、合コンには行かんで欲しい」
「付き合いがあるけど、なるべく断る」
「……あと、」
「以外と要望あるな!?」
「好きって気持ち、もっと出して欲しい」
「……なんやお前。むっちゃ俺の事好きやんけ」
「当たり前やん。好きに決まっとるやん。好きやないとこんな事になってへんわ」
「……それが返事って事でええ?」
「ええよ。結婚しよ。侑。せやから、左手に指輪、嵌めてくれる?」

 どん底に落とされたと思っていた1日が、まさか。こんなに忘れられない1日になるとは。今日の事はこれから左手に嵌められたこの輪っかを見る度に最高の思い出として何度も蘇るのだろう。そんな事を思いながら私は侑の腕の中に飛び込んだ。

 一連の流れを角名がバッチリ録画している事も知らずに。

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