FoowL

 ひょっこり。まるで小さな動物が草むらから顔を覗かせるみたいに。小柄なその子はバレーの練習が行われている体育館に顔を覗かせた。

「あのぅ……赤葦くん、居ますか」

 俺の耳が良くなかったら、多分、絶対。聞き逃していたであろう、小さな体に見合った小さくてか細い声。

「こんにちは! 誰かに用か!? って赤葦か! おい、あかあしー!」
「木兎さん。俺はここに居ます。そんな大声で呼ばないで下さい」
「うぉ! 赤葦! この子が用があるらしいぜ!」

 自分でも思うけど、俺は腹から声が出るタイプだ。だからこうして赤葦から「近所迷惑なので止めて下さい」なんて窘められる。

 そして、この小さな子は俺のおっきな声に驚いているのか、瞳をキョロキョロと忙しなく動かし続けて状況を見守っている。

「みょうじさん。なにか用?」
「あのこれ……先生が……」
「あぁ。そういえばプリント渡すってホームルームで言ってたっけ」
「うん。でも忘れちゃったから、部活してる生徒にだけでも渡して欲しいって」
「なるほどね。嫌な日に日直になっちゃったね」
「う、ううんっ。私も勉強して帰るつもりだったからっ」
「そっか。プリントありがとう。助かったよ」
「うん。じゃあ、部活頑張ってね」

 俺らにペコっと頭を下げてから、ダットのゴトク(?)駆けだして行ったみょうじサン。なんか……

「ウサギみてぇで可愛いな」
「木兎さん、駄目ですよ」
「えっ?」
「木兎さんとみょうじさんなんて、木兎さんが襲ってるようにしか見えませんから」
「なっ! んなことあるか!」

 赤葦は俺の抗議にさえ「どうだか」なんて言いながら、練習へと戻って行った。――俺が襲うだなんて、んなことあるもんか。



「ひっ」
「えっ、みょうじサン!? わ、悪いっ、」

 そんなやり取りから早数日。どうしたことか。これじゃまるで本当に俺がみょうじサンを襲ってるみてぇ。

 いや、本気で襲ってる訳じゃない。断じて。決して。これにはちゃんとワケがある。






 昼休み。それは窮屈な授業から抜け出す数少ない楽園とも呼べる至福の時。そのゴールデンタイムを逃す程俺はバカじゃない。昼飯食って、残された時間は友達とはしゃぎ回って友情を深めようという名目で行われる鬼ごっこに参加。
 これが俺のレギュラー化した昼休みの過ごし方。ずっと俺が鬼だったけど、それも昨日までのハナシ。ようやく鬼の座を上田(サッカー部キャプテン)に明け渡し、今日から俺も逃亡者の一員だ。

 そして俺はバカじゃない。天才なのだ。他人にしてやられたことはきちんと覚えておける。あぁ、俺はなんて賢い「木兎発見!」――いやおい待て。見つけんの早すぎんだろ。うわてかこっち向かってくんの早っ。さすがサッカー部。とか言ってる場合じゃねぇ。
 早く隠れる場所を見つけてやり過ごさねば――。そこまで考えて目に入ったのは普段から愛用している俺の体育館。

 その姿を瞳に映した時はなんともいえないホーム感がこみ上げてきて、思いっきり走った。俺だって運動量はダテじゃねぇ。振り切ることなんてカンタン。どうだ上田クン――

「こっちに逃げたよな!? こら木兎ーっ!」
「うえっ!?」

 やばいしくった。走るのは良しとして、走る方向にまで気が回ってなかった。この方向だと確かに体育館に逃げ込んだと考えるのが当たり前だ。
 やべっ。このままだと見つかっちまう。――もう誰かを追いかける日々は嫌だ。俺は自由になりたい。
 どうにか、隠れる場所、場所。――そうだ用具室! またしても目に入った用具室を頼って一目散。ここなら鍵もかけられたハズ!
 そうして飛び込こもうとした用具室から思わぬ人物がタイミングよく出てきて、ビックリした俺はそのままその子の肩を掴んで一緒に用具室にダイブ。

 結果的にそこにマットがあったから怪我には繋がらなかったものの――この状況。さぁどうする。

「えーっとケガ、ない?」
「あっ、だ、ダイジョブです……」
「ほんとゴメン。今鬼ごっこしてて。そんで隠れる場所探してて」
「そ、そうだったんですね……あ、あのっ」

 急に大男に押し倒されてみょうじサンもビックリしたのだろう。小さい体にしては、やけに大きい瞳が更に開かれてその瞳に俺が反射している。うわ、なんか俺汗かいて息も上がってるし完全にヤバイヤツじゃん。

「……あっいつまで押し倒してんだーってカンジだよね。ゴメン! じゃあ俺はこれで――」
「あ、あの、」

 慌ててみょうじサンの上から飛び起きてこの場から退散しようとした時、みょうじサンから呼び止められて振り返る。

「ん?」
「隠れる為に来たのなら、今は出ていかない方が……」
「あっ。それもそっか!」

 みょうじサンの言葉を腑に落とし、両手でドアをパタリと閉めたと同時。上田の「ぼくとぉ〜!」という腹の底から唸るような声が木霊する。

「あ、あと……こ、声も落とした方が……」
「そ、れもそうだな……こんくらいか?」
「そ、そうですね……」

 さっきまで横たわっていたマットを分け合って2人で腰掛ける。声を抑えないといけない分、必然的に体の距離が近くなる。俺、耳は良い方なんだけど。まぁそれはこの際黙っておこう。

「つーか、みょうじサンは何でここに?」
「さっきまで体育だったんです」
「ナルホドな! だから体操服なんだ。つーか片付け1人? あ、てか。もしかしてバレーだった?」
「あ、はい……」
「いいなぁ! 授業でもバレーできるとか。羨ましい」
「そ、そうですか……?」

 みょうじサンはここに隠れる必要なんてないのに、こうして一緒に隠れて話相手になってくれてる。目線を僅かに逸らしながらもきちんと会話のキャッチボールをしようとしてくれる辺りがなんとも可愛らしい。

 こんな可愛い子と密室で2人きり――あれ。これ。ヤバイんじゃね? どうしよう、俺、ちゅーしたいぞ?

「な、なぁ……みょうじサン」
「はい?」
「みょうじサンって彼氏いる?」
「えっ……いえ、いませんけど」
「じゃあ好きな人は?」
「いないです」
「じゃあさ……ちゅー、してもいいか?」
「へっ!?」

 みょうじサンの体が驚きで後ろにのけ反る。その反応に慌てて腰に手を回すも恐ろしく逆効果。こんなんキスする体勢になる為のようなモン。

「口と口触れ合うだけ。な? だめ?」
「や、あ、あのっ」
「俺とちゅーすんのイヤ?」
「い、嫌とかじゃなくてっそのっ」
「俺のこと嫌い?」
「き、嫌いじゃないですけどっで、でもっ」

 みょうじサンの口からは決して否定的な言葉は出てこない。――だったらキスくらい。そう思って目を閉じ唇を近づけて行った時「木兎さんはっけーん」と脱力した声でそれは遮られてしまった。

「なっ!? 赤葦!? なんでここにっ」
「俺とみょうじさん、一緒のクラスなんで。体育委員で一緒に道具の片付けしててもおかしくはないでしょう。それよりも木兎さんこそここで一体なにを?」
「それはだな……、鬼ごっこをしててだな……」
「へぇ。鬼ごっこ。でも変ですね? その様子だとまるでみょうじさんを襲っているようにしか見えませんが?」
「いやこれには深いワケがあってだな……!」
「その深いワケは後でたっぷりと聞きます。だから今はせめて鬼と化して下さい」
「ひっ!? あ、赤葦……それだけは……それだけはっ!」
「木兎容疑者を発見しましたー!!」
「あかあしぃ〜っ!」

 俺の短くも儚い自由な時間は、己自身の短絡的な行動によってその幕を下ろすことになってしまった。
 そうしてその後の俺に待ち受けていたのは、それ以上に恐ろしく長い、バレー部員からの総スカンと赤葦による懇々とした説教なのであった。

 もう2度しねぇから。せめてもう1度。今度はちゃんと段階を踏ませてくれと頼んでみても、俺はそこからしばらくみょうじサンの姿を拝むことすら出来ないのであった。

――赤葦はみょうじサンの母ちゃんか何かか?

 そんなこと、訊いたが最後。俺はもう2度みょうじサンには会えなくなるだろう。

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