交際0日、ビュン!です

 前までは学校で会えていた。だから登校した先で言えば良かった“おめでとう”を、今年はどうしようかと悩んだ。アドラーズに所属している時は“まぁ同じ日本だしな”という謎の判断基準でラインを飛ばしていたけれど、現在影山は日本を飛び出し遠くの地、イタリアはローマにその身を置いている。果たしてそんな相手にラインで誕生日を祝ってしまって良いのだろうか。……電話、はやめておくべきだ。向こうは夜中だし。というか影山は今頃夢の中だろう。
 考えれば考えるほどラインしかない。よし、今年もラインにしておこう。着信を鳴らして起こしてしまう方が申し訳ない。影山の健康状態は、一般市民である私のものより何倍も繊細で大事にしなければならないのだから。

―誕生日おめでとう

 グルグルと考えポコンと浮かび上がらせた緑色の吹き出し。日曜日の午前8時。まだ閉め切った状態のカーテンの向こうは既に朝を知らせていて、薄日が部屋をぼんやりと照らしている。なんだか贅沢な時間だ。普段の私だったら未だ夢の中に居る時間を味わっている。日曜の朝はこんな感じなんだな。さて、もう1度寝るか。いや、せっかくだから散歩でもするか。さぁどうする――。悩みながらベッドの上で腕を伸ばした瞬間、布団の上に放っていたスマホが音を響かせた。アラーム音ではないメロディーは画面上に“影山飛雄”と示しそれが着信であることを示している。浮かぶ文字にギョッとし反射で指をスライドしてしまった。……しまった、切ってしまった。一旦心と喉を咳払いで落ち着かせ、今度はこちらから電話をかけるとコール音はすぐに途切れた。

「お、はよう」
「おはようではねぇ」
「ごめん。ついこっちの時間で言っちゃった」
「そっちは朝か」
「うん。朝8時。良い天気だよ」
「そうか」

 そっちは今日付変わったばっかだよね。という言葉にはそうだと端的な言葉を返される。こっちは朝8時。あっちは午前0時。時差8時間。私と影山は今8時間の差を越えて繋がっているらしい。なんだか変な感じだ。2019年にもなると時間の差を埋めることなど容易いのだ。文明の利器は恐ろしい。

「誕生日、おめでとう」
「……おう」
「あれ、違った? そっちって今2019年12月22日だよね?」
「そうだ」
「良かった。てっきり1日間違えちゃったかと」

 おめでとうと言われた影山の反応が悪くて一瞬焦ったけど、ミスは犯していなかった。ホッとすると今度は“では何故こんなに不機嫌なのか”という疑問が湧いてきた。電話をかけてきたのは影山側だというのに。

「今年の誕生日は“ちゃんと祝う”って言ってたろ」
「うん? うん。だから祝ったじゃん」

 影山がローマに行くと知った時。“海外行っても誕生日はちゃんと祝ってあげるから”と言った。確かに言った。だから悩みながらも祝いの言葉はちゃんと送ったではないか。約束を反故にはしていない。後ろめたいことなど何もないと返す言葉に意思を乗せてみたけれど、影山の雰囲気に変化は見えない。

「“ちゃんと”なら、電話だろ」
「あー……ごめん。迷ったんだけど、寝てるかなって」

 影山が重きを置いていたのは“ちゃんと”の部分だったらしい。確かに、それだとラインでポンと済ませるより電話で、声で告げるべきだった。影山の主張の方が正しいと思い素直に謝罪をすれば「ピッタリに連絡したのは良かった」とどこか上からの言葉を寄越された。お前は上司か。というか日曜の朝8時に起きてお祝いしたんだから、私は感謝されるべきなのでは? 何故怒られている?

「……しかった」
「はぁん?」
「今年も、祝ってもらえたのは……その、」

 嬉しかった――。モニョモニョとした言葉を紐解くと影山はそう言ったようだった。それを理解した瞬間、私の心に覗いていた“理不尽では?”という不満は綺麗さっぱり消え去った。どれだけバレーの世界で名前を轟かせたとしても、いつまでも根が素直なところは影山の良いところだと思う。爪を綺麗にケアするところも、そのくせ髪型や服装には頓着しないところも、同年代の間で流行っているドラマや曲をまったく知らないところも、かと思えば自分のニュース記事で書かれた格好良さげなワードに嬉しそうにしてみせるところも。ずっと影山の変わらないところで、好きなところだ。影山はきっと“ちゃんと”祝って欲しくて眠たい目を擦りながら日付が変わるその時を待っていたのだろう。

「誕生日、おめでとう」
「さっき言ってもらった」
「なんかもう1回言いたくなったの」
「……変なヤツだな」

 そう言うくせに影山の声色はさっきよりも良いものになっている。素直じゃないところがまた素直だ。影山はどこに行ってもずっと変わらない。この先影山がどこでバレーをするのかは分からないけど、どこに行っても彼の誕生日をこうして祝えたら良いなと思う。

「もう寝るでしょ?」
「みょうじは」
「私? 二度寝するか迷ってたけど、意識だいぶ覚醒したし。散歩でもしよっかなって思ってる」
「じゃあもう少しだけ話しても良いか」
「良いけど。寝なくて平気?」
「今日くらい別に良い」
「そっか」

 もう少し話していたいと言われた気がする。……気のせいか。ただの気分だろう。自惚れるなと言い聞かせつつ「私たち、今8時間の時間を越して電話してるんだよね」と当たり前の言葉を吐く。

「てか、私が今そっち行ったら今からまた寝れるってこと? やば、お得じゃん」
「寝る為にローマ来る前に、半日の移動が必要になるだろ」
「え、最悪。影山に論破されたんですけど」
「あ?」

 屈辱だわと言った言葉には「クツジョク?」と傾げられたので良かった、やっぱアホだわと高笑いしてやった。そんなんでイタリア語喋れんの。……喋れてそうだな。プレーする上で必要だから。バレーのことになったら途端に頭の回転すさまじくなる男だから。

「イタリア語で“ありがとう”は?」
「Grazie」
「ま、まぁ。これは簡単だし。私でも分かるし」
「なんの話だ?」

 発音良過ぎてビビったことは黙っておこう。

「影山って、今23歳になったんだよね」
「そうだ」
「良いなぁ」
「良いのか?」
「私もそっち行ったら8時間だけ若返るんだよね」

 行こうかな――。ポツリと呟いた冗談に「来いよ」と返され一瞬思考が停止した。そうしてすぐさま動き出した脳は“簡単に言うな”という反論で脳内を埋め尽くす。“海外に行く”という行為は中々に大変だ。パスポートをとったり飛行機をとったり、荷物をキャリーに詰め込んだり。他にも色々なことが盛りだくさん。そういう色んな準備をしないといけないのに、影山はいとも簡単に“来いよ”と言う。まあ冗談なんだろうけど。冗談を言うような人じゃないからこちらもついマジレスしそうになってしまった。

「日本からローマに来るくらい、ビュン! だろ」
「ビュン??」
「ビュン! だ。西谷さんが言ってた」

 言葉尻の勢いとか、誰が言ってたかの話をしているんじゃないんですよ。日本からローマまでをビュンで表せるの、ちょっと認識に齟齬をきたしていますね。まず宮城から東京に行くまでだって一苦労なんですが。それを“くらい”で表すなんて…………あぁ、さすがスター。バレーの為ならなんてことないってか。こちとら一般市民なんですわ。格が違うってことですか馬鹿野郎。

「ボーノ!!」
「褒められるようなもんでもねぇだろ」
「褒めてないしっ!! なんか適当にイタリア語捻り出しただけだし!!」
「そうなのか」

 なんかちょっと疲れた。この電話終わったら二度寝しよっかな。そんで昼前に目が覚めて、あぁこれがいつもの日常だーなんて思いたい。規格違いの人生を歩む人間と話してたら感覚が狂いそうになる。

「影山もそろそろ寝な」
「おう」
「今年も誕生日祝えて良かったよ。来年もちゃんと……あ、ラインでお祝いするから」
「来てくれねぇのか」
「はい?」

 通話終了ムード出てたはずなのに。継続の方向で舵を切る影山に思わず語尾が上擦った。まさか10分以上話すことになるとは思ってもみなかった。影山は用件を手短に話して、それこそ即会話終了! ビュン! みたいな人間だから。……別に良いんだけど。影山がどこに会話を持って行こうとしてるのか気になるし。

「会いに来てくれねぇのか」
「誕生日を祝う為にローマに来いと??」
「ちげぇ」

 は? 何言ってんだ。今のところ会話の行く先が全くもって読めない。まぁバカなやつだからな、影山は。下手したら自分の言ってることさえ分かってないかもしれない。アナタだいぶ頓珍漢なこと言ってますよ。

「電話じゃ物足りねぇ。みょうじに会いたい」
「……は?」
「だから会いに来て欲しい」
「はい?」
「俺はどうやらみょうじが好きらしい」
「いやいやいや。え? なんで今言うの?」

 影山の言い分は「今気付いたんだからしょうがねぇだろ」だった。はぁ、そうですか。今気付いたんならしょうがないですね。ええ。……え、私のこと好きなんだ? まじか。どうしよう。私も今めちゃくちゃ影山に会いたくなっちゃった。会って思いっきり抱き着きたい。抱き締め返して欲しい。

「どうしよう、影山。私もめっちゃ好きなんだけど」
「じゃあ俺に会いに来い」
「影山が来いって言いたいけど。行く。私がそっちに行ってあげる」
「おう、待ってる」

 ローマに行く為にはたくさん、たくさん時間がかかっちゃうけど。そんなのはビュン! だし、あっちに行ったら8時間分は若返ることが出来る。それに、行ったあとの時間は全部影山と一緒に過ごせる。そう考えたら日本からローマに行くことなんてそれくらいのことだ。

「会いに行ってあげるから、私のこと一生放さないでね」
「放してやんねーから。はやく来い」
「待ってて。ビュン! だから」

 その言葉通り最速タイムで向かったローマでは、影山がその手に指輪を抱え私を待っていた。プロポーズするまでもがビュン! な男だと笑う未来はもうすぐそこにある。

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