ふたりの折衷愛

「秘書検定でも受けるの?」

 唐突に問われた資格。私は既にボーダーに就職している身だし、誰かの秘書になる予定もない。どうして突然――その戸惑いを瞬時に察したらしい唐沢さんは、本棚を指差し「だって色々勉強してるみたいだから」と質問の捕捉を行った。

「あぁ。……いや、ちょっと興味あるなぁってくらいで」
「そう? それなら良いけど」

 ぴっちりと結ばれていたネクタイを解きながら軽い笑みを吐き出す唐沢さん。その安堵の意味が分からず、「何が良かったんですか?」と素直に意図を問う。
 唐沢さんは解いたネクタイを私に渡し、それを受け取る私はいつものようにハンガーにネクタイをかける。こんな風につうかあの仲になれるまで、それなりの努力を重ねてきたつもりだ。その努力の1つが“唐沢さんの彼女として相応しい教養を身に付けること”であり、その努力は今でも怠らないようにしている。だから私の本棚には、そういう本がひしめきあっている。からこそ、唐沢さんの言葉が引っかかった。

「なまえちゃんが別の男に尽くすのなんて、考えたくもないからね」
「なっ……なんですかそれ」

 私は唐沢さんの為に頑張ってるというのに。唐沢さんの隣に居る為には、もっともっと頑張らないといけないって思ってるのに。どうして唐沢さんは「なまえちゃんは今のままで充分可愛くて愛おしいんだから。これ以上魅力的にならないで欲しいな」なんて甘い言葉で私を甘やかそうとするんだろう。ますます傍から離れられなくなってしまう。

「照れてる?」
「照れてませんっ!」
「アハハ、耳真っ赤。可愛いね」
「もうっ! そうやってすぐ私で遊ぶ!」
「ごめんごめん。なまえちゃんには飽きないがないから」
「……もうっ!」

 ムキになって唐沢さんの肩をポカポカと叩いていれば、「悪かったよ」と軽い口調で謝罪しながらぎゅっと抱き締められた。そうして腕の中に閉じ込められれば、私の気持ちはいとも簡単に緩んでしまう。本当はこんな風に扱いやすい簡単な女になんてなりたくない。もっと知的なクールビューティーガールになりたいし、誰が見ても“唐沢さんの彼女”にふさわしい女性になりたいのに。唐沢さんはすぐこうやって私の意志を優しく手折ってみせる。

「唐沢さんの為に努力しようとしてるのに、唐沢さんのせいで努力出来ません」
「えぇ? どういうこと?」
「だって唐沢さん、すぐ私のこと甘やかすから」
「だってなまえちゃん、今でも充分頑張ってくれてるから」
「えっ?」

 再びハテナを浮かべ見上げれば、唐沢さんからはお返しに頬にキスを落とされた。いつもより多めなスキンシップに心臓を小躍りさせていると、「あの本棚にあるマナー本すべて、俺の為ってことだろう?」と本質を突かれた。図星を指されて別の意味で心臓を跳ね上げさせれば、唐沢さんの口角は再び緩やかにあがる。……これはもう言い逃れ出来ない。

「……唐沢さん、いつも知的で素敵だから。私も唐沢さんに相応しいレベルで居たいじゃないですか」
「ふっ」
「なんで笑うんですか……! 唐沢さんの為に頑張ろうとしてるのに」
「ごめんごめん。いや、お互い様だなと思ってね」
「お互い様?」

 オウム返しする私を笑い、ポケットから携帯を取り出す唐沢さん。その画面を一緒に覗き込めば、検索履歴に“ケーキ おすすめ”“ケーキ 女子 人気”といったワードがずらりと並んでいた。その履歴を見つめたあと、唐沢さんへと視線を移せば唐沢さんの瞳が迎えてくれた。そしてそのまま視線誘導された先にあるのは、先程お土産として持って来てくれたケーキの箱。きっと、唐沢さんの必死のリサーチの結果があのケーキだということなのだろう。

「俺もなまえちゃんに喜んでもらうにはどうしたら良いか、いつも必死だからね。お互い様だろう?」
「唐沢さん……、」
「なまえちゃんは俺のこと余裕たっぷりな人間だって思ってるみただけど。決してそうじゃないんだよ」
「へへっ……ありがとうございます。すごく嬉しいです」
「俺の気持ちも分かってくれたかな?」
「……はい。好きな人が私の為に頑張ってくれるだけで、充分だって思いました」
「そういうこと」

 頭をポンポンと撫でてくれる唐沢さんの手が優しくて、撫でられる度想いが伝わってくる。もっととねだるように抱き着けば、「なまえちゃんはいつでも可愛いね」と言葉まで付け加えてくれた。私もお返しといわんばかりに「唐沢さんはいつも格好良いです」と言葉を返す。

「じゃあなまえちゃんの可愛い所、もっと見せてもらおうかな」
「えっ? うわっ!?」
「ラグビーボールよりも軽いよなまえちゃん。ちゃんとご飯食べてる?」
「……唐沢さんにいつも美味しいご飯食べさせてもらってるつもりです」
「ははは、そっか。じゃあもっと美味しいお店に連れて行かないとだね」
「え、そしたら私もっとダイエット頑張らないといけなくなるじゃないですか」
「今から一緒に頑張ろう」

 軽々と抱きかかえられ、唐沢さんと至近距離で見つめ合いながら向かう先。そのゴール地点にゆっくりと降ろされた時、お土産に買ってきてくれたケーキの存在を思い出した。慌てて起き上がろうとすれば、唐沢さんの唇がそれを制す。その隙間を縫って「や、ケーキっ」と単語を口にしてみせても「大丈夫。あとで一緒に食べよう」と微笑まれるだけ。確かに今は真夏じゃないし少しの間くらいなら大丈夫だと思うけど。……けど。

「明日休みだよね?」
「はい……そう、ですけ、ど……」
「そう。それなら良かった」
「か、唐沢さん……?」
「ごめんね。俺、知的で素敵な男性なんかじゃないんだ」

 なんて。不敵に笑う唐沢さんを見て、大丈夫だと思えないのは仕方のないことだ。

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