手を取るなキケン

 店先の戸が引かれる。その音に反応して浮かべた笑みは、店内へと足を踏み入れる人物の顔を見て消え去った。その一瞬の流れを見た男は、反対にいやに整った笑みを浮かべ「やだなぁ、僕だってお客さんなのに」と嫌味ごとを吐き出す。

「ライスカレーで良いですか」

 質問形といよりかは言い切りの形で注文を尋ねれば、男はまたしても緩く笑みを象る。そうして続く言葉は「さすがなまえさん。僕のこと、よくご存じで」という嫌味。こみ上げそうになる暴言をなんとかすんでの所で飲み込み、「少々お待ちを」という常套句を満面の笑みで吐き捨てた。



「大体、なまえさんはもっと着飾った方が良いと思うんだよね」
「さいですか」
「せっかく綺麗な作りしてるんだから。もったいないなぁ」
「ご進言承りました」

 ちぐはぐな言葉遣いで躱しているにも関わらず、目の前の男は楽しそうにライスカレーを食している。こんな可愛げのない女相手に食べるライスカレーなんて、一体何が美味しいんだか。……まぁ別に私は飯盛女じゃないから必要以上に愛想良くする義理もないけど。

「僕がなまえさんだったら綺麗にお化粧して、そして鶴見中尉殿に見せて……ふふっ」
「あのう、失礼ですが。私の顔を使って勝手な想像するのはやめて頂けますか」
「何言ってるんだよ。鶴見中尉殿がキミなんかに“可愛い”なんて言うわけないでしょ」
「……はぁ」

 言われてないし。言われるとも思ってないし。なんで勝手な想像の先で叱られないといけないのだろうか。そんな文句は「あぁ、鶴見中尉殿に叱られる……」と心の底から嬉しそうな表情を浮かべている男には届きそうもない。大体、人に叱られることにそんな風に喜びを見いだすだなんて。

「宇佐美さんって、変態ですよね」
「はぁ? 何言ってんの。僕はいたって普通の人間ですよ」
「いやまぁまぁヤバい人間かと思われますが」
「そんなことないですよ。だって僕、女性と普通に仲良く出来ますし」
「別に私は恋愛がうんぬんって言ったつもりはないですけど」

 話が飛躍するなぁと溜息を吐けば、「そんなんだからなまえさんは誰からももらわれないんだ」なんてめちゃくちゃ失礼な言葉を返された。……コイツ初めからここに繋げるつもりだったな。

「宇佐美さんって毎回そこをいじってきますよね。もしかして私に突っかかれる部分がそこしかないとかですか?」
「いやそういうわけじゃないけど。もっとちゃんとしたら綺麗なのにもったいないなぁって話」

 出た。なまえさんは綺麗なのにもったいない。うるせぇ余計なお世話だ――って言いたい。私は今のままが自然体で楽だからそうしてるだけなのに。そりゃ店先に立つ以上、必要最低限の身だしなみはしているつもりだ。だから別にこれ以上文句を言われる筋合いだってないはずなのに。どうして宇佐美さんは毎回お店に来るなりこんなことを言い続けてくるのだろうか。おかげではじめはどうにか愛想良く躱していたのに、今となっては本音を返すようになってしまった。
 それでも宇佐美さんは怒ることなく、今もこうして食堂に足を運び続けている。前に1度「もしかして私のこと好きなんですか?」と冷やかしてみたけど、「ライスカレーが美味しいからだよ」としれっとした顔で返されこちらがスンっとなってしまった。……じゃあ一層のこと放っておいて欲しい。

「……大体、勝手だと思いません? 本人がこれで良いって思ってるのに、なんで周りが盛り上がって勝手に話進めるんだって話ですよ」
「なんの話?」
「こっちの話ですッ」
「あ、そう」

 そう。こっちの話だ。宇佐美さんが鶴見中尉殿に盲目的なように、私だって他の人の考えや意見なんて無視したい。それなのにどうして周りだけで勝手に結婚媒介所になんか登録してしまうのだ。……やめたい、今すぐに。堪らなく逃げ出したい。

「なんかよく分からないけど。頑張ってくださいね」
「……良いですね、宇佐美さんは。まるで他人事だ」
「まるで他人事ですので。それじゃまた来ます」

 ライスカレーを平らげた宇佐美さんは、会計を済ませるなりそそくさと退店して行った。……私もあれくらい他人事だと言ってのけたい。けど出来ない。ハァ、と吐いて出た溜息は、宇佐美さんが空にした容器の中へと吸い込まれていった。



「……あらまぁ。なまえさんですか?」
「……ええそうです私です」

 会いたくなかった。あろうことかこんな姿を宇佐美さんに見られるだなんて。見られたくないと願えばそれは天邪鬼として捉えられてしまうのだろうか。神様、私ほど素直な人間は居ないのです。どうか願いをそのまま叶えて欲しかったです。――なんて反論を天に向けて放った所で時既に遅く。会ってしまったものは仕方ない。観念したように足を止めれば、宇佐美さんはこちらに近寄って「へぇ」とポツリと呟いた。じろじろと見つめるその視線が鬱陶しくてむず痒い。

「やっぱちゃんとしたら化けるね」
「化けるとかやめてもらえます?」

 キッと睨み上げれば、宇佐美さんはそれをなんなく受け止めてみせる。……こんだけ言われて言い返せないのは、宇佐美さん自身がそれなりに整っているからだ。何か文句を――と顔面を見つめても、「美坊主め」くらいの文句しか口に出せない。

「美坊主って。そりゃどうも」
「くぅ、」

 歯を噛み締め悔しさを味わっていれば、「あ、ちょっと。せっかく綺麗に紅を引いてるんだから。崩れちゃうでしょ」と母親みたいな窘め方をされてしまった。……誰も好き好んでこんなハッキリとした化粧をしているわけでもないのに。ゴリゴリに押されて逃げ道をなくされただけだ。誰が行きたくて見合い写真を撮りになんて行くか。

「あぁ……逃げたい」
「そんなに嫌なんですか? 誰かのもとに嫁ぐのが」
「嫌ってわけじゃないですけど……今はまだ嫌です」
「ははっ、嫌なんじゃん」

 楽しそうに笑う宇佐美さんをもう1度睨んでやれば、宇佐美さんがその口角を怪しげに歪めてみせた。そうして問うように告げられたのは「じゃあ連れ出してあげましょうか?」という理解し難い言葉。その言葉に思わず眉を寄せた私を笑いながら「僕、今から網走まで行くんですよ。良かったら一緒に行きます?」と続けられたことで少し話の筋が見えた。

「それは……駆け落ちってことですか?」
「やだなぁ。鶴見中尉殿から任せられた任務なのに。それを僕が放るわけないでしょ」
「え、じゃあなんでですか?」
「だって。嫌なんでしょ?」

 私が嫌だから。ただそれだけの理由で、この人は私にその手を差し出しているらしい。この手にはきっと、私を幸せにしてやるとかそういう類の気持ちは微塵も乗っていない。
 ここで私が逃げ出したら、それなりに大騒動になるんだろう。その予測はきっと、宇佐美さんに投げた所で“自分でどうにかしろ”と投げ返されるに決まっている。

「どうしますか? 別に僕はどっちでも良いですけど。せっかく綺麗ななまえさんを見せてもらったから、そのお礼ってだけだし」
「……さいですか」

 あまりの言いっぷりに、思わず肩から力が抜けてしまった。良いなこの人は。これくらい軽やかに生きるくらいのヤバさが、私にも必要なのかもしれない。……お見合い写真撮りに行ったらそのまま男と逃げました――か。うん、悪くないかも。

「網走方面に、私の幸せってあると思います?」
「知りません。幸せかどうかは自分で決めてください」
「……ふはっ。確かにそうだ」

 この手を取った先に、そう易々と幸せが待っているとは思えない。……それでも。宇佐美さんから差し出される手を、私はどうしようもなく取ってみたくなったのだ。

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