だって今更だよ

「体育ん時、ナイス顔面キャッチだったな」

 ニヤニヤと笑う倉持に溜息を1つ。相手にしないのが1番だ。だって私は倉持と同レベルなんかじゃないから。私は大人だ。シカトしていれば子供っぽい倉持だってさすがに飽きてどこかに行くだろう。

「まじで上手かったぜ。あのレシーブはリベロ泣かせだな。なぁ、今度俺にもコツ教えてくれよ」
「次の授業でバレーボールぶん投げてやる」

 我慢しよう、放っておこう。相手にしないでおこう。大人の思考を纏った薄っぺらい強がりなんてほんの数秒で破り捨ててしまった。売り言葉には買い言葉だ。それは倉持からしてみれば、思い通りの展開なんだろう。倉持の顔が私をイラつかせるには十分過ぎる程ににんまりとした顔つきに変わる。

「あんなでっけぇ球避けれっけどな」
「バレーボールをバカにすんな。あんなにおっきい球剛速球で来たら避けれる訳ないじゃん」
「にしてもあそこまで真正面では受けねぇだろ。フツー」
「こんっの……っ!」

 早々にゴングを鳴らした私達の舌戦に、近くに座っていた御幸くんが本に目を落としたまま笑う。ちなみに何も口を挟んでこないのは、巻き込まれ、下手すれば御幸くん自身が標的になる場合もあり得ると知っているからだ。彼はここ何戦かの私達のやり取りで既にそれを学んでいる。学べていないのは結局私の方で。今日も変わらずに倉持から持ちかけられるゲームに乗ってしまうのだ。



「最近さぁ、」

 倉持が居ない時に、御幸くんがポツリと、そういえば、くらいの軽さで言葉を紡ぐ。

「アイツ、打率悪いんだよなぁ」
「アイツって、倉持?」
「そー。変に落ち込んでて気持ち悪いんだよね」
「ふは、良いじゃん。たまには」

 私を散々バカにしてきた事の罰だ。いいぞ神様。もっとやって下さい。たまにはアイツにキツイお灸をすえねば。「何なら、ベッコベコにしといてよ」と付け足すと御幸くんは「そうしたいのは山々なんだけどなぁ」と笑いながら頭を掻く。

 楽しそうにしているようで、その実困っているようにも見える。……これは、意外と事態は深刻、という事なんだろうか。そうなると、話は少し違ってくる。アイツは、普段はああだけど、野球に対しては凄く真面目で、一生懸命だって事は私でさえも分かる。
 それくらい、倉持は野球が大好きだ。そんな倉持が不調で、しかも結構深刻なんだとしたら、いくらムカツク倉持でもいささか心配になってしまう。

 普段私をバカにしてきた罰だとも思うけど、それでもそれに対しての罰にしては与え過ぎな気がしないでもない。……神様、やっぱりこれ以上はやめてあげて下さい。

「そんなに倉持って状態悪いの?」
「んー、どうだろう。本人もバッティングフォームいじったりして試行錯誤してるし、調子なんていつどのタイミングで戻るかなんて分かんねぇしなぁ」
「そっか……」

 それはつまり、本調子戻るにはこうしたら良い、という確約された方法は無いと言う事で。どうしよう。罰というよりかは、呪いに近い気がしてきた。え、これって私が呪った感じになるのかな。散々バカにしてきた恨みを呪いに! みたいな。そういう私の怨念だったりするのかな。と、なると今回の倉持の不調は私の責任……?

「ね、ねぇ。御幸くん、倉持のその呪いって、どうしたら解けるのかな……? 私が念じれば良いと思う?」
「呪い? 念?……ごめん、みょうじさんの中でどういう行程辿ったのか良く分かんねぇんだけど、とりあえずみょうじさんが倉持の事心配してるって事でオッケー?」
「心配っていうか……責任っていうか」

 もごもごと吃って消えていく私の言葉。心配、してるんだけど、それを口に出すのはなんだかちょっぴり恥ずかしい。普段あんな事言い合ってる仲だから余計に。

「じゃあさ、今度の試合に応援来てくんないかな」
「応援? 何で私が?」
「頼むよ。な?」

 口篭って何も言えないでいた私に御幸くんは日曜日の試合に来て欲しいという。それが倉持にとってなんの打開策になるのかは分からないけれど、私自身だけでは倉持に何がしてあげられるかなんて分からない。方法が分からない私にとって、試合会場に足を運んで、という御幸くんの提案は助け舟のようだ。

「じゃあ途中からになるかもだけど。それでも良いんなら」
「おう! アイツも喜ぶよ」
 
 はにかんで笑う御幸くんはどんな根拠を持ってそんなに自身たっぷりに言い切れるのか。御幸くんの笑顔からは何にも分からなかった。



 午前中に元々入っていた用事を終わらせ、足を運んだ試合会場。試合は既に6イニング目に入っていて、点数は5対3で青道が2点のビハインド。2アウト1、3塁の状態と中々に熱い試合展開を行っているようだった。そして、ネクストバッターズサークルから出てきたのは、倉持で。アイツ、打率悪いらしいけど大丈夫なんだろうか。こんな大事な場面、本当に結果残せるんだろうか。祈るように体を前屈させて見つめる打席。審判の声がやけに響く。そうして見つめた打席のカウントはスリーボールツーストライクのフルカウント。ここまできたら決めろ。倉持。打て、倉持。倉持。

「打て、倉持!」

 心の中だけでは抑えきれずに、思いが口から飛び出していく。その瞬間、倉持の肩が一瞬だけぴくりと動いた気がした。そんな、まさかね。そう思ったのも束の間で、次の瞬間に倉持は肩にグッと力を込めて、来た球を打ち返す。さっきまで耳に付いていた審判の声は倉持の鳴らした金属バットの音で吹っ飛んでいく。

 湧き上がる歓声を受けて倉持はぐんぐん加速して、一気に2塁まで進んでみせる。さすが韋駄天。こういう所だけは素直に凄いって思えるわ。てか、調子良いじゃん。なんだ、良かった。心配し過ぎて声上げちゃったじゃん。まぁ、こんだけのギャラリーだし、聞こえてないよね。

「……!」

 試合展開をリセットしてみせたその男はこの会場のヒーロになった。そんな倉持が1塁側スタンドに向かってガッツポーズを掲げる。その姿にスタンドは更に盛り上がりを見せるけど、私にはどうしても、倉持が私にガッツポーズをしてみせたように思えてしまって、歓声にうまく乗れない。だって、今も、ずっと、倉持と目が合っている気がしている。そんな、まさか。まさかだよね。こんだけ離れてるんだもん。違うよね、倉持。

「……まじか」

 確かめてみたくなって、倉持に応える様にあげた私の左手を見るなり倉持は満足そうに頷いてみせる。まじか。まじか、倉持。あんた、そんなに格好良かったっけ。



「いやぁ〜、昨日の試合、倉持の打率が久々良かったなぁ〜」

 スコアブックを眺めつつ笑う御幸くん。いつもは大人しいクセに今日はやけに饒舌だ。そして、私はそんな御幸くんに対して何も言い返せない。からかわれている、面白がられているという事は分かっているのに。倉持だったら殴っていたかもしれない。でも今日の相手は御幸くんだ。殴りたくても、殴れない。だって御幸くんは倉持じゃないから。

「なぁ、倉持。お前昨日の試合バッティングフォームいつも通りだったよな? なのに何であんな打率良かったんだ? いつも通り以上じゃん。お前の成績」
「っ!! お前が仕組んだのか……!」

 そうだよ、倉持。今気付いたの。そこはめちゃくちゃ鈍感なんだ。

「……お前の声援のおかげで打てた……から、また……良かったら俺の応援に来てくれ、よ」
「う、うん。わ、わかった……」
「ふうん? “俺の応援”ね。“俺の”」
「うるっせぇ黙れクソ眼鏡!」
「倉持くんこっわぁ〜い。みょうじさんタスケテ〜」
「わ、私自販機行ってくるっ」

 耐えられなくなって、教室から飛び出す。試合であんな姿見せつけられて、しかもスタンドの中に居る私を見つけてくれて、私にガッツポーズ向けてくれて。あの時見せられた笑顔は今でも頭に張り付いている。今更倉持の事格好良いって思うなんて。倉持の事好きだって思っちゃうなんて。なんて、今更なんだろう。鈍いのは私だった。

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