交渉権獲得
「俺さぁ、今日誕生日なんだよね」
目の前に居る男子生徒、真田くんは両手を窓の外に出してその手にある黒板消し同士を打ちつけ合う。
「あ、そ、うなんだ。……おめでとう」
「うん」
唐突な告白に詰まりながらもおめでとうとお祝いの言葉を送る。でもそれを言われたからといって、私がどうしようという訳でもない。何故なら、私と真田くんは只のクラスメイト。それ以上も以下もないから。勿論、プレゼントを贈るような仲でも無い事はこの会話が顕著に表している。
シンとした教室に真田くんが開けた窓の向こう側から運動場で部活を行っている生徒の掛け声が響く。そしてその声に続く金属音。その全てがこの教室に届いては、消える。普段だったら窓を開けていても、運動場の声はここまで届かないだろう。それに負けないくらい、この教室も賑やかだから。だけど、今は違う。この教室には私と真田くんだけ。
「あの、当直仕事、この日誌だけだから。後は私がやっとくよ。真田くん部活行って大丈夫だよ」
「ん〜? 良いよ。俺もあともうちょっとだけサボリたいし」
「……そっか」
意外だった。真田くんって、前はこういう当直仕事も相手の子に上手く甘えて任せていたし、部活も適当に行って、適当にこなす、みたいな人だった気がする。でも、最近の真田くんは当直を任せる事はまだあるとしても、部活に関しては積極的になっているような気がしていたのに。そんな彼の口から“サボリたい”なんて言葉が出るのが意外だった。
「あ、みょうじさん。今俺の事不真面目だな〜って思っただろ?」
「えっ? いや! そんな事は! どっちかというと、意外だなって思って……」
「意外?」
窓がある壁にピッタリとくっ付けた体の上半身だけを私が座る机に向ける真田くん。その瞳が夕日に当てられて、オレンジ色に燃えているみたい。そんな目を向けられて思わず逸らす私に「みょうじさんの中で、俺ってどんなイメージ?」と尚も食いついてくる真田くん。
「えと……、クラスの中心人物で……部活が好きな人?」
「はは! 結構抽象的!」
私の答えに嬉しそうに笑う真田くん。こんな答えで気を良くする意味があまり分からないんだけど。真田くんは何故か楽しそうだ。
「部活、確かに今はおもしれぇな。部活の時間は好きだ。でも俺、今日、誕生日だから」
「うん?」
1人腑に落ちた表情で同意を求めてくる真田くんになんて答えよう。誕生日だから、部活行きたくないって事? 好きなのに?
「だからさぁ、誕生日プレゼントだと思う訳よ」
「……うん?」
更に訳が分からない。誕生日プレゼントってなにがだ? 真田くんの中では筋が通っているらしい自論に私は益々混乱してしまう。
「こうやって、普段話せないみょうじさんと2人きりで当直の仕事が出来てる事が」
「……うん??」
私と当直している事が誕生日プレゼント?……私の対岸に居る存在は考えも対岸にあるのか? 普段関わりがないクラスメイトとの貴重なコミュニケーションが取れる、みたいな事? 真田くんってそんなにフレンドリーな人だっけ?
「ふは! みょうじさん全然分かってねぇ! 頭良いのにな!」
「ご、ごめん……」
難解な問題を出す真田くんは楽しそうに笑う。何が楽しいのか、私にはサッパリだけど。誕生日のプレゼントとして真田くんが笑っているのなら、まあ良いのかもしれない。本人が良いのなら。それが正解なんだろう。
「いっつもみょうじさんともっと話したいなぁって思ってるんだけど、みょうじさんはあんまり騒ぐの嫌いだろ? だから、俺みたいな煩いヤツが話しかけたら嫌かな〜って思って中々話しかけれなくて。でも、当直でならこうやって放課後に静かに2人で話しできるじゃん。だから、俺の誕生日プレゼントを今、貰ってる訳」
「へぇ……そ、うなんだ?」
あながち私の推測は間違っていなかった様だ。こんなに真田くんがフレンドリーな人だったなんて。これも意外だ。
「絶対分かってねぇな」
「うん?」
「みょうじさん、俺が普段関わりの無い生徒と話せて嬉しい! みたいな感覚だと思ってるだろ?」
「違うの?」
私は真田くんの思考が分からないのに、真田くんは私の思考が分かるみたい。なんで?
「俺、そんなにコミュニケーションオバケじゃねえよ? それに、そんな優等生キャラでもないね」
黒板消しを粉受けの部分に置いて、そのままもたれる真田くん。ジッと見つめる瞳は確信的な何かを持っている。その確信的な何かが私には分からなくて、もどかしい。
「ごめん、どういう意味?」
答えをねだる様に続きを促す。そんな私を真田くんは楽しそうに笑う。まるでこの瞬間を楽しむかの様に。
「だから、」
「うん」
ようやく教えてもらえる話の核にワクワクとした感情すら沸き起こる。
「俺は、みょうじさんと、話したいってこと。みょうじさんと2人きりが良いって事」
「……えっ、」
「俺はみょうじさんが好きって事」
「……えっ、え。……え?」
真田くんが教えてくれた答えは私のキャパを易々と飛び越えてきた。私の事を真田くんが好き? だから、こうやって2人きりで居る時間が誕生日プレゼント……? 部活の時間よりも優先したい? 私がその答え?
「何言ってんのって顔してる。みょうじさん意外と分かり易いね」
「だって……ごめん、本気で分からなくて。真田くんはクラスの中心人物で、それこそ、モテるから……。何で私なんかに目を付けたのかが不思議で……」
「目を付けるって! あはは、その例え面白いね。……俺がみょうじさんに目を付けたのはわりと早い段階だったけどね。物静かで、みょうじさんの周りは穏やかで、忙しなく流れる俺の時間すらも止めてくれそうで。見てると落ち着く。そんでこうやって2人きりになってみると、すっげぇ居心地良いんだよ。みょうじさんの持つ空気感みたいなのって。だから、良いなって。スカウトしたいって思った」
「スカウト……?」
「そ、スカウト。俺の彼女として。どう?」
「えっと……その、」
「まぁ、他に指名するつもりも無いからさ。俺はみょうじさん1位指名で選択終了だから。気長に待つ事にするわ。じゃ! 今日の所は部活に向かいますかね」
そう言って鞄を肩にかける真田くんに「あの、」と待ったをかける。
「指名を頂いた私には交渉権というモノがあるのでしょうか……?」
「おっ、詳しいね。まぁ厳密にいうと、交渉権を得たのは俺なんだけどな。拒否するか、受けるかどうか、交渉は可能だ」
「じゃ、じゃあ……まずは真田くんがどういう人なのか具体的に知りたいから、もっと、これから、真田くんの事、教えて頂きたい、です」
そう言った私に真田くんは目を見開いて、「はは、まじかよ。激アツじゃん」とそのまま驚いた顔を破顔させる。
「お互いに良い結果になるように、よろしくおねがいします」
90度に腰を曲げて、お辞儀をしてくる真田くんに倣って「うん、こちらこそ。あの……、ありがとう。私に目を付けてくれて」と言いながら私もお辞儀を返す。
「じゃ、俺は部活に行ってくるわ。また、明日な! みょうじさん!」
「うん。部活、頑張って」
手を振って駆け出していく真田くんを見送った後、窓辺に立って、運動場を見る。見つめた運動場で先ほどと同じように部員の掛け声と金属バットが打ち鳴らすボールの衝撃音が教室に響く。
真田くんの誕生日プレゼント、何か渡してあげたいな。真田くんはどんな物が好きなんだろう。真田くんの事、これからの交渉でたくさん知れると良いな。