底なし沼の優しさ

「なまえ。これやるよ。さっき売店行ったから、ついで」

 そう言って手渡されるプリンを受け取ると満足そうに笑って、手をヒラヒラとさせながら自分のクラスへと帰って行くカルロスくん。

「お、なまえ。今から体育か? 暑いからちゃんと水分摂るんだぞ」

 体育館へと向かう途中、カルロスくんのクラスを通りかかるとそんな優しい言葉をくれるカルロスくん。

「お疲れ、ほら。やっぱり汗掻いてる。これで拭けよ」
 
 体育が終わって吹き出してくる汗を手で仰いでいると自分のスポーツタオルを手渡してくれるカルロスくん。

「今から帰りか? 送ってやれなくて悪いな。気を付けて帰れよ。あ、帰ったらラインくれな」

 帰宅途中、走りこみ終わりで体育の授業の私以上に汗を流しながらそんな優しい言葉をくれるカルロスくん。

 カルロスくんはとっても優しい。それは私だけじゃなくて、色んな人にそうだ。カルロスくんは基本的に人との距離が近い人だと思う。でも、それを押し付けるんじゃなくて、相手のパーソナルスペースを上手く測って広い人にはあまり近寄らない。
 そういう距離の測り方も上手だ。だから、カルロスくんはそういう人からも一目置かれている。

 要するにカルロスくんは大人なんだと思う。そして、そんなカルロスくんは容姿も相まって同級生だけでなく、先輩や後輩の女子生徒からも凄くモテる。好きだという声は毎日のようにあちらこちらから沸きあがっている事を私は知っている。そしてその人達が思いのたけをカルロスくんにぶつけては散っていく事も知っている。理由だって分かっている。

「今日、A組の女子から告白されたけど、ちゃんと断ったから」

―なまえと付き合ってるからってな

 カルロスくんは告白された事も、断った事もちゃんと報告してくれる。わざわざ報告なんてしなくていいのに、とも思うけれど、その気持ちとは裏腹に“私という彼女が居るから”という事が断りの理由となっている事にどこか嬉しい気持ちになってしまう自分もいるから、複雑なもので。

「そっか。分かった。毎回ちゃんと教えてくれてありがとう」
「まぁ結果は同じなんだけどな。あ、それよりなまえ。今日部活休みなんだけど、駅まで送ってやろうか?」

 デートらしいデートも出来ないからな、そう付け加えて微笑みを浮かべるカルロスくんを至近距離で見つめるには少し、いやかなり危険な人物だと思う。
 なんでカルロスくんは私なんかを好きでいてくれるんだろう。そんな不安がカルロスくんの隣に居ると浮かんでくる。私はその不安をいつもプクリと生み出しては慌てて摘むのだ。だって、カルロスくんに面倒くさい女だって思われて、嫌われたくないから。

 大好きで大好きで、カルロスくん目当てで部活の見学も行ったし、練習試合にも足を運んだ。勇気を振り絞って渡した差し入れを笑顔で受け取ってもらえた時は飛び跳ねる程に気持ちが弾んだ。そこから、弾む気持ちは留まるところを知らず、ついにはその気持ちを本人伝えるまでに及んだ。「野球に集中したい」そんな言葉が返ってくるとは分かっていた。それでも、どうにかしてこの思いを伝えたくて、半分自己満足のようなものだった。
 
 本人に断ってもらって、落ち着かせよう。そう思って臨んだ告白の返事はまさかの「じゃあ付き合おうぜ」なんていう完璧に予想外の言葉で。正直あの時の事はハッキリと覚えていない。だけど、現に今カルロスくんが私にだけは特別な優しさをくれているという事実がカルロスくんと付き合っているという事を実感させてくれる。

「なまえ? 大丈夫か?」
「ん? あっ、ごめん!」

 そんな事を考えてボーっとしていた私の前にカルロスくんの端正な顔が覗き込まれるようにして現れる。カルロスくんに慌てて謝ると「帰り、駅までなら一緒に帰れるぜ? どうする?」もう1度ゆっくりと優しく言葉を繰り返してくれる。

「ううん、大丈夫だよ! だってカルロスくん、自主練もあるでしょ?」
「そんなのは帰って適度にやりゃ良いんだよ。休む時はちゃんと休まないとな」
「うう……でも、」
「なまえは俺と帰るの嫌か?」
「そ、そんな事ないよ! 嬉しいんだけど!」
「ふっ、じゃあ決定だな。ホームルーム終わったら迎え来るから」

 私の言葉を聞くと満足そうに笑って自分のクラスへと戻って行くカルロスくん。あぁ、なんでカルロスくんは私の告白に了承してくれたんだろう。私、いつもグズグズと考えてばかりで、カルロスくんの優しさに何一つ返す事が出来てない。そんな私がカルロスくんの彼女で良いんだろうか。あぁ、ほらまた、私はカルロスくんから優しさを貰う度にこうやって不安がプクリと膿んでくるのだ。好きなのに、どこか苦しい。



「なまえ。出れるか?」
「うん! お待たせ」
「んじゃ行くか」

 終礼が終わるなり、先に終わって廊下で待っていたカルロスくんから声をかけられる。その言葉に慌てて鞄を持って駆けて行くと手馴れた様子で私の手を握って歩き出す。

「カルロスくんっ、みんな見てるよ……!」
「ん? あぁ手か? 良いじゃねぇか。俺達付き合ってるんだし」

 そう言って繋いだ手を掲げてその手の奥で片側の口角を上げてみせるカルロスくん。あぁ、クラクラする。自分の彼氏がカルロスくんだって事に私は全然慣れない。慣れろって方が無理があるだろう。
 それでもやっぱり、カルロスくんが周りの目を気にせずにこういう事をしてくれるのは嬉しい。でも、周りに見せ付けるようにして手を繋いだってカルロスくんには何の得にもならない。だって、相手は私だし。こうやって歩く事に私の方が嬉しい気持ちを貰ってるような気がする。あぁ、また1つカルロスくんに嬉しい感情を貰ってしまったなぁ。私は一体どうすればカルロスくんに喜んでもらえるんだろう。

 駅までの道をゆっくりと並んで歩く。カルロスくんは私の歩幅にしれっと合わせてくれている。私の歩みが普段よりもゆっくりと噛み締めるように歩いているにも関わらず、カルロスくんと並んで歩く事が出来ているから、そんな所にもカルロスくんの優しさが散りばめられてるんだって思うとまた胸がギュンとする。あぁ。もう好き過ぎて苦しい。

「さっき下駄箱に手紙入ってた。1個下の学年の子からみたいだったけど、明日断り入れに行っても良いか?」
「あっ、うん。分かった」
「誰かから俺が女の子呼び出してた、とか聞いても誤解しないでくれよ?」
「うん。大丈夫。カルロスくんが今こうやってちゃんと教えてくれるから」
「なら良かった」

 ニヤリと笑ってみせるカルロスくんからはどこか余裕のようなものも感じられて、その色気が同い年とは思えなくて、クラクラとする。大体、カルロスくんは毎日告白のオンパレードな訳だけど、中にはちょっと良いなと思う人が居たりするんじゃないのかな。こないだだって告白されたって言う相手の子、すっごく可愛かったし。
 でも今、私と付き合ってしまった手前、受けるに受け入れなくて、泣く泣く断ったとか、そんな事あったりするんじゃないだろうか。カルロスくんは優しいから、私に別れを告げられないだけで、本当はもう既に――

「なまえ?」

 ピタリと止まった私の歩み。1歩先でカルロスくんの歩みも止まる。

「どうした? 急に立ち止まって。どっか痛むのか?」

 握った手はそのままに体全体を私に向けて向き合ってくれる。

「カルロスくんはさ、」
「うん?」
「なんで、私なの?」
「え?」
「なんで、私を彼女として選んでくれたの? 毎日告白されてて、私なんかよりも可愛い子とか、綺麗な人とか居るのに、なんで私の告白だけを受け入れてくれたの? ただの気まぐれだったりする? 私はそれでも嬉しいよ。嬉しいんだけど、カルロスくんがくれる優しさが私には不釣合いな程に沢山あるから、私何も返せてないって、不安になっちゃうの。本当は今だってカルロスくんな大事な時間使ってるって分かってるのに、わざとゆっくり歩いちゃうし。でもカルロスくんは急かす事なく同じペースで歩いてくれるし。なんでそんなに優しくしてくれるの? って、時々苦しくなっちゃうんだ……。ごめん、こんな事急に……面倒くさいよね……ごめん」

 摘みきれなかった不安がいつの間にか私の中で大きく育ってしまっていたようで、ついにその苦しさを吐き出してしまう。あぁ、どうしよう。絶対、困らせてる。こんなに優しさをくれてる人に私はなんでこんな事してしまうんだろう。絶対、呆れられた。嫌われちゃった。そう思うと怖くて顔が上げれない。

「なまえ、顔上げて」
「……ムリ」
「いいから」

 繋いだ手と反対の手が私の顎を捉えてやんわりと顔を上げさせられる。強制的に合わされた視線の先でカルロスくんの妖艶な笑みが待っている。なんでそんな笑顔が浮かべられるんだろう。本当に同い年なんだろうか。

「カルロスく、」
「なまえの事、不安にさせてゴメン」
「えっ?」
「これでも愛情表現だと思ってやってた事だったんだけど。なまえを不安にさせてた事に気付けなくて、悪い」
「なんで、カルロスくんが謝るの? カルロスくんは何にも悪くないじゃん。私が勝手に不安になって、それをカルロスくんにぶつけちゃったんだよ? カルロスくんは呆れても良いくらいなのに」
「呆れるなんて事しねぇよ。自分の彼女が不安に思ってるんなら、拭うのが彼氏の役目だろ?」
「うへ?」

 カルロスくんの言っている事がイマイチ理解出来なくて変な声をあげてしまう。

「なまえの事気にかけてるのは俺が気になってるからそうしてるだけだ。なんで気になるのかっていう所をなまえにちゃんと伝えてないからなまえが不安になっちまうんだろ? だったらそれは俺のせいだ」
「……カルロスくんの優しさはどこまで深いの?」
「さぁ? なまえに対する優しさはどこまで続いてるんだろうな? 俺にも分かんねぇ」
「私が、カルロスくんの隣に居ても良いの? カルロスくんはどう思ってるのかって聞いても良い?」
「俺はモチロンなまえの事が好きだぜ。告白してくれたのはなまえだったけど、毎回部活にも練習試合にも顔を出してくれて、顔を真っ赤にして差し入れくれた時も、それ以上に顔を真っ赤にして好きだって言ってくれた時も、どのなまえも可愛くて堪らねぇって思った。それは今でもそうだし、なまえ以上に好きだって思えるヤツはいねぇ。だから、なまえが不安に思ってる事は俺が全部取り除いてやりてぇとも思ってる」
「……じゃあ1つ、お願いしても良い?」
「あぁ、何でも言ってくれ」
「好きって、もっと沢山言って欲しい」

 目を見てお願いするとカルロスくんの顔が柔らかく崩れる。

「言うだけで良いのか?」
「えっと、どういう……?」

 ハテナを浮かべる私の表情を見つめた後、さっきまでの私の顎を捉えていた手が再び私の顎を捉え、少し上の位置で支えられる。えっと、これはつまり……。

「言葉だけじゃなくて、行動でも示したほうが伝わるだろ?」
「うん。確かに……。そうかも」
「なまえ、好きだぜ」

 今度は言葉と共に熱くて優しい口付けをくれるカルロスくん。私はその口付けから伝わるカルロスくんの優しさに埋もれてしまう。あぁ私、窒息してしまうかもれしれない。でも、それでも良い。だってカルロスくんの優しさはとても心地が良いものだから。いつまでも、彼の優しさに埋もれていたい。

BACK
- ナノ -