今こそ別れめ

設定捏造


 今日、先輩達は引退する。

 いつもはシューズのグリップと床の擦れあう音が響くこの体育館も今日は鳴りを潜めていて、卒業生を送り出しているかのように思える。
 私達2年生は在校生として先輩達を見送るために今日の卒業式に参加しているのだけど、来年は自分達が「仰げば尊し」を歌うのだと、先輩達の歌を前にそんな事を考えていた。

――実感沸かないな。

 いつもとは違った雰囲気を纏う学校も、先輩達が引退してしまう事も、来年は自分達が見送られる側になる事も、今と変わらないメンバーでバレーの試合に出れなくなる事も、大地さんの姿を校内で見つける事が出来なくなる事も。

 すべて。何の実感も私には沸かない。だからなのかは分からなかったけど、卒業式では何故か泣けなかった。それは隣に座る田中が膝に置いた手を硬く握り締めながら静かに涙を流す姿を見ても、ひな壇に立ち、歌いながら涙を流す旭さんの姿を見つけても。
 私は泣かなかった。



 卒業式も終わり、それぞれがお互いに別れの言葉を告げ、明日からはもう通うことの無い校舎にひとり、またひとりと背を向けて歩き出す。
 みんなに手を振られ、少し寂しそうに佇む校舎の一室。そこに私達烏野高校バレー部は居た。

「せっかくの休みだったのに、1年まで。ありがとうな」
「何言ってるんですか東峰さん! こんなに日に休んでなんていられません!」

 元気良く答える仁花ちゃんに無言で首を縦に何回も振る影山。

「ふふふ、ありがとう」
「は、いっ、イイエ!」

 優しく微笑む潔子先輩にたじろぐ日向。

「今日がこのメンバーで居れる最後の日なんですね」

 涙で顔をグシャグシャにさせながら言葉を詰まらせる武ちゃん。

 そんな武ちゃんに「うわっ! 先生、鼻拭け! 鼻!」と急かす烏養コーチだってその目じりは少し赤い。

「ちょっと、先生がそんなに泣いてたら俺ら泣けないですよ」

 そう言って皆を笑わせるスガ先輩。

「そっすよ! 俺らが大地さん達を泣かせないと!」
「そうだぜ!」

 スガ先輩の言葉に元気良く反応する田中と西谷。

「おい。泣かせるって張り切ってする事じゃないんだぞー?」

 2人の手綱を握る縁下。

 そんな様子を遠くから見つめている月島と、月島の隣で微笑みながらやり取りを見守っている山口。

 卒業式を迎え、それを終えた今でも何ら変わらないバレー部を前に私はどうしても泣けなかった。もしや冷めた人間なのではないかと自分の事を疑い始めた時、教室の扉が開く音がした。

「スマン、遅れた!」
「あー! 大地さんやっと来た!」
「遅いっスよ!」
「バスケ部の主将と話してたらな、つい。スマン、田中。西谷」

 こんな日でも大地さんは困ったように笑って頭をぽりぽりと掻く。

 大地さんだって変わらない。それなのに、明日から何が変わるというのだ。3月1日という1年の中のたった1日で何故大地さん達は在校生から卒業生へと変わってしまうのか。
 明日だって大地さんは大地さんで。なのにどうして、こうやってお別れをしないといけないのかなんて考えたくない。受け入れたくない。理解したくない。

「あー……えっと、今日は俺達3年生の為にこうやって時間を作ってくれてありがとな。ほんと、嬉しいよ。俺達は今日で烏野を卒業するワケだけど。お前らには来年、再来年がある。だから、そんなお前らに前主将として最後に伝えたい事がある」

 ざわついていた教室も大地さんが静かに口を開くと共に静けさを取り戻して行く。

「まず、日向達はやらかさない事。とにかく、落ち着きなさいね。お前らも先輩になんだから。月島と山口、お前らの持ってる武器は周りのやつらに負けないくらい凄い。だから、自信を持ってその武器を磨いて欲しい。谷地さんはこいつらの事、しっかり見守りつつ見張ってやってくれ。んで、田中に西谷。お前らも! 最上級生になるんだから、すぐ他校のやつに喧嘩吹っかけない事! お前らに関してはそこだけが心配だからな。成田に木下、こいつらの事頼むな。それと、縁下。主将って役目は大変だけど、お前なら出来ると俺は思ってるよ。皆の事、引っ張ってってくれ。そして、武田先生。烏養コーチ。お2人が居なければ、烏野は今でも落ちた強豪∞飛べない烏≠ネんて言われ続けていたかもしれません。1度は落ちた烏野を助けてくれて、本当にありがとうございました。……長くなっちまって、悪い。ただ、お前らは俺らが叶えられなかった夢を今度こそ、叶えてくれ。お前らならそれが出来ると俺達は思ってるから。お前らと過ごした日々は……本当に、楽しかった。ありがとう」

 1人ひとりに宛てた暖かい言葉たちを、それぞれが胸に仕舞い、大地さんの言葉に頷く。
 みんな晴れ晴れとした気持ちと、今にも泣きそうな気持ちを表情の中に併せ持っていて。

――あぁ、みんな我慢してるんだ。こみ上げてくる気持ちを。武ちゃんなんて1度は泣き止んでいたのにまた号泣してるし。
 今度はその隣に居る烏養コーチだって目を手で覆ってはいるけれど、武ちゃんに負けないくらい泣いていて。旭さんなんて大地さんが話し出す前から泣き出してるし。大人男子、涙腺しっかり。なんて。……あ、旭さんはまだ未成年か。

 しん、としてしまった教室。みんながこの瞬間をかみ締めているのが分かるから、誰も何も言わない。終わって欲しくない。この瞬間が終わったら、私達は大地さん達とは違ってしまう。

――そんなの、嫌だ。

「卒業、したくねぇなぁ……」

 そんな気持ちを汲み取り、代弁するかのようにポツリと言葉を零したのはスガ先輩。1度堰を切ってしまえば、もうそれはないのと同じ。留まる事を知らない涙はみんなの頬を濡らし、嗚咽を呼ぶ。

「俺達だってっ! お前らともっと、バレー、したかった……っ!」
「菅原……っ!」

 スガ先輩が本音を隠しきれず口を吐いて出た言葉に、気丈に振舞っていた潔子先輩も耐え切れず口元を押さえる。さっきまでの静けさはもうそこにはなく、聞こえてくるのはみんなのすすり泣く声。あの月島でさえ、その目に涙を浮かべているというのに。この場において泣いていないのはただ2人。

――私と、大地さん。

 大地さんは皆の様子を静かに見つめ、じっと何かに堪えるようにそこに佇んでいた。力強くそこに立つ大地さんを見た時、私の中に渦巻いていた何かが一気に爆発した。

「だい、ちさんっ、」

 1番辛い思いをしてきたハズで。1番皆の事を考えてきたハズで。誰よりもバレー部を大切に思ってきたハズの大地さん。そんな大地さんが尚も強くあろうとする姿に、今までどんな場面でも泣けなかったのが嘘みたいに涙が溢れてきた。

「……みょうじも、2年間。ありがとな」

 言わないで、そんな事。そんな事言われたら、明日から大地さんと離れ離れになる事を認めないといけない。そんな悲しい事、認めたくない。

「やだ……、やです……まだ、大地さんと一緒に居たい……。みんなで春高、行きたいですっ」
「……っ、俺だってまだやりてぇよ、お前らと……っバレー……続けてぇよ!」

 時というのはどうしてこうも残酷なまでに針を進めていくのか。お願い、時よ止まれ。叶うなら、このままずっと、ずっと。そう泣きじゃくる私の頭を優しい大地さんの手が撫でた後、大地さんは小さく笑った。

「あんま泣くなよ。今生の別れじゃないんだし」
「だって……っ!」

 1日中駄々を捏ねていた私の気持ちはもう歪みに歪んでしまったようで、「卒業おめでとうございます」の言葉が素直に出てこない。そんなムスッとした表情の私を見て大地さんはまた困ったように笑い、頭をぽりぽりと掻く。

「お前は後、1年。頑張れ。んで、早く俺と一緒の大学に来い」

――待ってるから。

 そう小さく呟いた大地さんの言葉はしっかりと私の胸に届いた。

「……っ! 絶対、行きますから。待ってて下さい」
「おう。ずっと、みょうじが浪人したって、俺がおじいちゃんになったって待ってるよ」
「そ、そこまで待たせません!……多分!」
「はは、多分かぁ」
「勉強、頑張ります」
「そうだな、頑張れよ」
「はい!……大地さん」
「ん?」

――卒業、おめでとうございます
――おう、ありがとうな


 3月1日。今日は大好きな人達の大事な旅立ちの日。今こそ別れめ。さらば、大好きな人達。

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