逃れたい席

「みょうじ、数学の時間船漕いでただろ」

 後ろから甲高い笑い声と共に耳に付く言葉が聞こえてきて、それにむっとして、振り向きながら睨んでやる。

「うるさいなぁ、ほんと。起きてたら起きてたであんたがちょっかい出すでしょ! 早く席替えしたいわ」

 天井を見上げながらわざとに大きな溜息を吐き出してやる。

「それはこっちの台詞だっての。お前が居眠りするから先生が頻繁にこっち向いて困ってるんですけど?」
「それってあんたも見られちゃ不味い事しようとしてるんじゃん。人の事言えんの!?」
「はぁ? お前ああ言えばこう言うよな!」

 ヒートアップしていくやり取りに、隣で見つめていた御幸君が堪らずに吹き出した気がしたけど、そんな事は今は気にしてられない。

「お前らってさ、あれだろ? 喧嘩する程仲が良いってやつだろ?」
「御幸君? ん? 御幸君?」
「お前、何言ってんの?」

 御幸君の理解し難い言葉を全力で否定する。おぉ、倉持よ。そこは気が合うんだね。心の中でグッと親指を立ててやる。

「お前らさ、夫婦喧嘩は犬でも喰わないって諺知ってっか?」

……もう御幸君に何を言っても駄目な気がしてきた。

「んまぁ、でも確かに倉持は偶にウ ザ イけどな」

 前言撤回。御幸君は分かる人だ。何て素敵な人なんだ。

「ねぇ、私たち付き合わない? 気が合うと思うんだけど」
「ふはっ、何その軽い告白の仕方」

 軽く笑って流されるかと思っていたのに。周りに目線を泳がせた後に、ふっと真顔になって囁く様な声で「じゃあ……付き合ってみる?」何て言うもんだから提案した私も豆鉄砲を喰らってしまった。その表情、言葉、雰囲気すべてが思考を一瞬奪ってしまう程の色気を放っていて。何か言葉を紡がなければ、と思考がワンテンポ遅れて巡りだしたと同時に後ろから「駄目だ!」と大きな声がして思わずそちらに顔を向ける。

「く、倉持?」
「……あ! いや、そーいうんじゃなくて! その……」

 怒った様な顔をしたかと思いきや、直ぐにハッとした顔になって挙句の果てには机に顔を伏せてしまった。何なんだ。コイツ……。何で耳が赤いんだよ、私にまで熱が伝染してきてしまったじゃ無いか。ふと横からニヤニヤとした目線を感じる。くそう……。イケ眼鏡にしてやられた。前言撤回だ。今度は絶対に撤回するもんか。そう思って一睨みしてやるけど隣のいけ好かない男はただ笑うだけ。駄目だ、御幸君に何を言っても駄目だ。

 こんな筈じゃ無かったのに。この席にならなければ倉持や御幸君と話すこと無かったし、この席に居る事が楽しいと思う事も、倉持に話しかけられて嬉しいと感じる事も、倉持にばかり目が行ってしまう事も、倉持の事ばかり考えて生活する事も、無かったのに。早く、一刻も早くこの席から逃れないと、私が私では無くなってしまう気がして怖い。



「お前ら分かり易過ぎんの。見てておもしろいんだけど。ねぇ、まだくっ付かねーの?」
「……っ! ほんとムカつく!! 席替え早くしたい!!」
「おーおー言ってろ言ってろ。離れて気が付く事もあるだろうし。な? 倉持」
「……うるっせ」
「もう、ほんと御幸君黙って……」
「はは。だから、お前ら本当は仲良いんだって」

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