マジレス

 日向くん影山くんの衝突から数日。2人は速攻の練習を止めた。止めたと言っても“END”じゃない、“STOP”の方。それが分かっているから、バレー部自体にそこまで不穏な空気は感じられない。ただ、日向くんの“今のままじゃだめだ”という言葉には皆突きつけられるものがあった。それはきっと影山くんも同じ。だから影山くんは月曜日のうちに及川さんにアドバイスを請い、烏養さんとも話し合いをし、結果として“日向くんの求めるセッティング”に向けて更に練習を重ねるようになった。
 私もマネージャーとして影山くんの自主練に付き合う毎日を過ごしている。”スパイカーの最高打点をボールの最高到達点にする”――口にするのと、実際にやってみせるのとでは大きな差があると思う。それでも影山くんは“やってみせる”と決意し何度も何度もボールをセッティングする。こんな風に尽くしてもらえるスパイカーたちを少し羨ましいとさえ思いながらもボール出しに鋭意努め、今日はここら辺にしておこうと切り上げることになった。夏ど真ん中とはいえもう日もすっかり落ちてしまったし、ボールを出したり拾ったりするだけでも蒸された体育館に居ると汗が纏わりつく。帰ったらすぐシャワーを浴びようと思いながら帰宅の途についていると、「みょうじさん」と影山くんから声をかけられた。

「自主練お疲れ。また明日も頑張ろ〜ね」
「はい。あざっす」
「じゃ」
「えっ」

 えっ、とは。
 “じゃ”というお別れの挨拶に戸惑いを見せられてこちらも戸惑ってしまう。“さようなら”ではないのかという気持ちを持って固まっている私に、「送ります」と影山くんが言ったことで展開の想像がつく。なるほど、送るつもりで声をかけてくれたのか。それはそれは、ご親切に。

「ありがとう」

 夜も暗いし、1人で帰るより話し相手は居た方が良い。ここはお言葉に甘えるとしよう。けれど私とて1年歳上の先輩である。後輩くんへの労いを金に物を言わせて行おうではないか。

「好きなの選んで良いよ」
「良いんすか! あざす!」

 ……200円足らずの自販機でこんなにも感謝されると逆に良心が痛むのは何故だ。金に物を言わせて〜とか宣ったからか。人間、謙虚さは大事なんだなあ。善行をしようとしたはずなのに情けなさを感じるはめになりつつ小銭を入れれば、影山くんはそんなのお構いなしといった表情で自販機の前に立つ。ピースサインを作り、それを地面と平行になるようにして自販機へと伸ばす。ガコンと落ちて来たパックは彼がいつも口にしている“ぐんぐんヨーグル”だ。どうして影山くんは同じ商品を2択で選ぼうとするんだろう。右のヨーグルと左のヨーグルで味が違うとか? そんなことはないか。ともあれ、無事にぐんぐんヨーグルを手にし「ありがとうございます」と礼を告げる影山くんに応じながら今度は私が自販機の前に立つ。……ピースサインに意味を見いだすのならば。

「うーーわ。まじか。おしるこかぁ」
「交換しますか」
「ううん。大丈夫。これも含めて運ですから」
「? そうっすか」

 左のぐんぐん牛乳か右のヒエヒエおしるこか。出来れば人差し指に頑張ってもらいたかったけれど結果は中指の勝利。冷たいおしるこにストローをさしジュっと吸い上げる。……おしるこは温かい方が良いしもっと1口は大きく味わいたい。何故パックジュースにしたのか。さりとて需要はあるのだろう。もしかしたら私だってこれを機に病みつきになるかもしれない。

「巡り合わせ、縁、運。そういうものはあるもんだからね」
「……そうですね」

 おしるこに対して呟く感想を、隣の影山くんも真面目に受け止める。まさかそこまでマジレスで返されるとは思ってもみなくてストローから口を離し影山くんを見上げると、影山くんの視線は地面へと向いていた。
 
「アイツとなら、思い通りに戦えるかもって思いました」
「……うん」
「実際それで手応えは感じてたし、あの時は俺が正しいと思った」

 でも、違ったんですね。
 そう言えること、違ったと気付けること。考えを改め改善に向けて取り組めること。それが出来ている影山くんは、私なんかよりずっと立派だ。そして、それだけ真剣にバレーに向き合っているんだと思ったら先輩後輩関係なく尊敬に値する人物だとも思う。影山くんはこれからもっとすごい選手になるんだろうな。

「喧嘩した意味もちゃんとあったね」
「お騒がせしてすみませんでした」
「いやー、ほんと。止めに行ったのが田中で良かったよ。私だったらタックルしてただろうし。2人とも病院送りだったね」

 上から視線を感じる。応じるように見上げた先で影山くんの何か言いたげな表情が待っていた。……なんですかコラ。

「やんにょかコラ」
「……みょうじさんなら受け止められそうだなって」
「ハァー? 何、たとえタックルをかまされようとも、みょうじ如きなら勢いを殺してしなやかに受け止めてみせると? そう仰りたいわけで??」
「まぁそっすね。みょうじさん軽そうなんで」

 彼はこれを悪ふざけやからかいの意味で言っているのではない。マジだ。彼にはいつだって冗談を言うという余白はない。全力で何事にも真剣に向き合う。影山飛雄とはそういう人だ。

「ふはっ。マジレスすんの本当面白いよね。良いと思うよそういうの!」
「そう言って笑うのみょうじさんだけです」
「え、まじ? 私ずれてんのかな」
「そういうの、良いと思います」
「あ、ありがとうございます」

 メコッとパックが空鳴りする。いつの間にかおしるこを飲み干してしまっていたらしい。意外と爽やかな飲み口だった。次もまた買おうかな。そんな風に気持ちを紛らわせながら「私のクラスにさぁ」と新たな会話を差し込む。

「ブリュンヒルデちゃんに似てる子が居るんだよね」
「そうですか」
「知ってる? ブリュンちゃん。ちょーカワイイよね」
「ぶる……知らないです」
「あ、そうなんだ。じゃあ高嶺ちゃんは? カワイイって人気だし、1年生からも人気みたいだけど」
「分かりません」

 あれま。あんなに可愛い子を知らないのか。それはちょっと勿体ないぞ、影山少年。ブリュンヒルデ玲子ちゃんにも、高嶺ちゃんにも興味がないのか。影山くんは本当にバレーがあればそれで良いんだろうな。それはそれで一途で良いと思うけど。

「そっか。興味ないか〜。“可愛いってああいう子を言うんだよ”って教えたかったんだけどな」
「……“カワイイ”がなんなのかは、みょうじさんを見てたらわかります」
「……はい?」
「だから、俺分かります。カワイイ」
「え、えぇ〜? ちょ、冗談やめてよ。惚れるじゃん」

 私は知っている。彼がマジレスしかしない男であると。けれど、だからといってこちらだって全てを全力で受け止めれるわけではない。マジレスにマジレスを返す度量はない。笑いながら冗談に変えようと舵を切るのは防衛本能みたいなものだ。

「えっ、惚れてくれるんスか」
「ちょ、待っ。一旦マジレスやめて??」
「まじれす?」

 首を傾げる影山くんを一旦放置し自身の額に手を当てる。……落ち着いて考えよう。影山くんは冗談を言わない。そこは彼の良い所で、面白いと思っている部分でもある。そして影山くんの根幹をなしている部分。そういう性格の彼が、私に“カワイイ”と言った。私の冗談を真に受けこんなにも嬉しそうに表情を輝かせた。……あぁ、これはマジだな。

「影山くんってそういう人だもんねぇ」
「で、どうなんすか」
「えーー。ハイ。まずは、ありがとうございます、です」
「それを言うならこっちだと思います。ありがとうございます」

 これは……その、いわゆる……良いってことだよね? 認識にズレはないよね? 相手はあの影山くんだし。一応確認しておくか。

「その……惚れて、良いんスか」
「はい。惚れて欲しいです」
「……承知しました」

 まさか。影山くんに恋愛感情があるとは。そんなものはないだろうと失礼ながら思ってたし、影山くんの邪魔になるくらいなら私の恋心なんて捻り潰そうと思っていたのに。そんなことも言っていられないくらいに大きくなってしまいそうな予感がする。けれどこれは他でもない影山くんが是としたのだ。マジになっても良いだろう。

「じゃあ。よろしくお願いします」
「こちらこそ、です」
「明日からも自主練付き合ってもらえますか」
「……エッ、さっきの“よろしく”ってそっちに係ってる??」

 ここまで来てそれはさすがにないって分かってるけど。けども、ね。なんか恥ずかしいじゃん。冗談めかして恥ずかしさを誤魔化そうとした私に、影山くんは律儀に「いえ。さっきのは交際の申し込みです」と返す。……ふふっ。うん。だよね。

「マジレスすんの、ほんと面白い」
「そうですか」
「うん。そんで、好き」
「俺もみょうじさんのこと好きです」

 マジレスをどうもありがとう。

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