影山は三度笑う

 昔から言葉足らずな人だと思っていた。けれどそれが影山という人物だとも理解していたし、別に嫌いではなかった。はしゃぎ過ぎないところも、バレー以外はとことんバカなところも。そういう部分で“信頼出来る人”だと思った。それなりに良い形で交友関係を築き上げられていると思っていた高校3年の春。影山は私に「俺のこと好きか」と訊いた。
 どこまでアホなんだろうと思った。そう訊かれて「はい、好きです」と返すほど愚直な人間なんかじゃないと知ってくれていると思っていたのに。私の返す言葉は「普通」の3文字。それに対し影山は「そうか」の3文字で済ませた。それが、高校3年の卒業間近のこと。

 あれからどうなったかというと。特にどうすることも、どうなることもなく。影山が何を言いたくて何を訊きたかったのかも分からないまま。細々とした付き合いが続いていた。高校を卒業してすぐプロの道に進んだ影山は、今も変わらず華々しくスター街道を進んでいる。それを画面越しに観たり、時々現地観戦行ってみたりと、他の同級生たちと似たような距離感で関わりを持っている。
 時々思うのは、あの時素直に「好きだよ」と言っていたら、私たちの関係はどうなっていたんだろうという選ばなかった方の行く先。とはいえそんなものはもう遠い昔の、取り戻せぬ問答である。あの時に起きていたかもしれない可能性を浮かべたら、いつも“後悔先に立たず”という諺も一緒に出てくるから困ったものだ。どうやら私は、あの時素直になれなかったことを後悔しているらしい。今みたいにまったく関わりがなくなったというわけではない現状に、物足りなささえ感じてしまっているのだから。

「今年の開幕、こっちなんだ」

 Vリーグの日程が発表され、すぐさまチェックした開幕日と開催地。……行けるな。チケットさえ取れれば。しかも相手はブラックジャッカル。日向が入団したところだ。行かない選択肢がない。すぐさま日向に“試合観に行くね!”と連絡すると、“ありがとう!! 試合出れたら頑張るから!!”と返事が来た。日向とも高校時代交友があり、今でもこうして連絡もする仲。だけど、日向より影山との方が高校3年間同じクラスだったし、付き合いも長い。だというのに、ラインのやり取りは日向の方が多い。こういうところに影山の言葉が足りない部分が出ている。影山とのトーク画面に移り、数秒逡巡したのち“開幕戦、行くね”と打ち込む。……日向に連絡して影山に連絡しないのもおかしいし。

―おう

 おう。だって。おう、か。いや、まぁ、ウン。そうなんだけどさ。それで良いんだけども。もう会話終了だわ。

「良いんですけど! 別に」

 いんだよ、ほんと。間違ってはないだけども。日向の後だと物足りなさを感じちゃうのは仕方ないことだ。順番を間違えた私が悪い。溜息を吐いて1個前のやり取りを見てみる。“今度同窓会あるけど来れる?”“無理だな”だった。ラリーが単調だなぁ。ちょっとのスクロールですぐ数年前にまで遡れてしまう。こちら発信ばかりのラインに、既読スルーせずきちんと返事をしているところが微笑ましい。影山飛雄という男はコミュニケーション下手だけど、悪い人ではないのだ。ただちょっと言葉が足りないだけ。



「もしもし」
「もしもし。コレ何」
「何ってなんだ」
「チケット」
「あぁ」
「いやいやいや。え、なんで?」

 ライン上に通話のアイコンが現れたのはそこから数週間後のこと。郵便でそれを受け取るなり向こうの都合も考えず鳴らした着信は、思ったよりすぐ応答があった。挨拶もなしに問う声に、影山はあの頃と変わらぬ声色で答えを寄越す。言葉足らずなところも相変わらずだ。不変を貫く影山に少し落ち着きを取り戻し「急にごめん」と謝れば「散歩中だったし、別に」と返された。

「散歩? 影山が?」
「みょうじが言ったんだろ。“散歩でもしろ”って」
「え? 私が……あー」

 覚えてる。確か高校時代に影山が日向との連携プレーに悩んでた時だ。技術面でのアドバイスは無理だし、でも悩んでる影山の力になりたいしで絞り出した「散歩でもしたら」という言葉。あれを影山は真に受け実践しているらしい。……“しろ”とは言ってないけど。

「散歩は良いな」
「ん?」
「頭を空に出来る」
「へー。それは良かった。影山にもちゃんと息抜きの方法があって」
「そうだな」

 電話の向こうで小銭の音が響く。そしてそれを何かに投入する音ののち、重たい落下音も聞こえてきた。察するに自販機で飲み物でも買ったのだろう。

「今でもピースで選んでんの?」
「いや」
「何選んだの」
「水かスポーツドリンクかで悩んで……」
「んで?」
「2つの指で」
「やってんじゃん! ピースサイン!」

 ケラケラ笑う。電話の向こうではムッとした気配を感じた。……ラインより電話の方が喋れてるな。あれか、影山、文字打つの苦手なのか。指先使うの上手そうなのに。沈黙の間を埋めるようにずっと鼻を啜れば、向こうからはキュッとキャップを捻る音がする。本題に戻らねば。

「チケット、ありがとう」
「おう」
「なんでくれたの?」

 本題に入ったら、影山は「みょうじが来るっつうから」と返す。そうなんだけどさ。そこは分かってんのよ。私側じゃなく、影山側の意図が知りたいわけで。……あぁ、そうか。影山の理由が“私が来るから”なのか。だとしたらこれ以上突っ込むところもない。

「準備してくれてありがとう。チケット争奪戦覚悟してたから、正直助かる」
「そうか」
「当日、楽しみにしてる」
「おう」

 じゃ、と手短に告げ電話を切る。“勝ってね”とは言えなかった。日向に“勝ってね”とは言ってないし、影山にだけ言うのはフェアじゃない気がしたから。だけど、どちらかにしか言えないんだとしたら、私はきっと影山にその言葉を伝えるのだろう。何年経っても言えていないあたり、私も言葉足らずな人間なのかもしれない。



 試合当日。それはもう、本当にもう。楽しかった。本当はもっと色んな言葉を尽くしてこの感情を表したいけれど、どの言葉がピッタリかが分からない。もどかしい気もするけど、とにかく今の気持ちを表すなら“楽しかった”だ。とても素敵な祭りに参加させてもらった気分。
 日向と影山がコートを挟んで向かい合う試合は、何故か“コートのこっち側”で肩を並べていた高校時代を思い出した。楽しくて、時間が経つのも忘れて。自分が何色のユニフォームを着てるかなんて頭から吹き飛ばし、どちらのチームが得点を取ってもはしゃぎ喜んで。終わる頃には祭りの終了を悲しむ気持ちよりも、大きな充実感を抱えていた。

「みょうじーっ!」
「日向!」
「久しぶり!」

 試合終わり、通路に行くとたくさんのファンで溢れて帰っていた。その中から日向は私を見つけ出しパァっと明るい笑みを見せてくれる。体格良くなったなぁなんて感心しながら日向に近付けば、日向が私のユニフォームを見て「あっ!」ともう1段表情を明るくしてみせた。

「俺だ!」
「俺だよ〜」

 21番のユニフォームは、日向のブラックジャッカル入団が決まった時興奮して買ったやつだ。影山のユニフォームも持ってるけど、今日は日向のデビュー戦だったし。チケットを用意してもらっておいて申し訳ないけど、着たい方を着させてもらった。影山はきっとそんなところで怒りはしないだろう。下手したら気付きもしない可能性だってある。

「そうだ、サインもらっても良い?」
「モチロン!」

 ユニフォームにサインしてもらって、試合の感想とお礼を告げると向こうに居た影山が「金田一! 国見!」と男の子2人に向かって声をあげた。“また一緒にバレーをやろう”と続けた影山の言葉を私の隣で聞いていた日向はどこか嬉しそうに笑った後「また試合観に来て!」と私にも笑いかけ立ち去ってゆく。その背中を見送り視線をもう1度影山へと戻すと、影山も私を見つめていた。数秒以上合わさる視線。……もしや、これは“来い”ということか。ほんとはもうちょっとファンが少なくなってからお礼を言いに行くつもりだったんだけどな。

「お疲れ」
「ユニフォーム」
「ん? あぁ、日向のやつ」
「サイン」
「うん、さっきもらったんだ」

 ぐっと寄る眉と尖る唇。不機嫌な態度を思い切り出す影山に、予測が外れたと少し焦りを抱く。招待チケットで来たくせに敵のユニフォームを着て来たのはさすがにまずかったか。気まずさを感じ「ごめん」と謝れば、影山は手にしていた油性ペンを私のユニフォームの上で走らせた。……これは影山のサインでは?

「これ、日向のなんだけど」
「アイツがサインすんなら、俺がしたって良いだろ」
「まぁ悪くはないけど。……2人のサインが入ったユニフォームって、なんか良いね」
「俺のユニフォームは持ってねぇのか」
「持ってるよ。でも今日は日向のデビュー戦だったし。今日くらいはと思ったんだけど……ごめん。失礼だったよね」
「持ってんなら良い」

 意図が読めず困惑気味の私に、「試合どうだった」と影山が尋ねる。その問いに再び気持ちが浮き上がり、思いつく限りの言葉を並べ立てると影山もふっと笑う。その笑みを見た周囲のファンは「2回も笑った……」とざわついている。影山の笑う顔は確かに貴重だ。それが今日は2回も見れたらしい。影山の笑みを引き出せたことが誇らしいような申し訳ないような。最終的に居た堪れない気持ちが勝って「じゃあ私そろそろ」と切り上げの言葉を口にする。

「みょうじ」
「ん?」
「俺はみょうじが好きだ」
「…………は?」

 だからこれからも試合を観に来て欲しい――そう続く言葉は、耳に届きはするものの理解するまでには至らなかった。なん……え、何? 好き……? 好きって……私を? 影山が? いや……っ、え。なんっ好っ…………えー……?

「みょうじは」

 グルグルと思考が回ったままほぼ停止状態に陥っている私に、影山は新たな問いを投げかける。「俺のこと好きか」と。
 影山という男は、昔から言葉足らずな人だと思っていた。けれどそれが影山という人物だとも理解していたし、別に嫌いではなかった。はしゃぎ過ぎないところも、バレー以外はとことんバカなところも。別に、嫌いではなかった。……違う。本当はずっとずっと大好きだった。……なんなのもう。言葉足らずが過ぎるでしょ。そんな大事な前半の言葉、なんでもっと早く言ってくれないの。

「はい、好きです」

 数年越しに言えた素直な言葉。それに対し影山は「そうか」の3文字で済ませた。けれどその顔は、今まで見た中で1番の笑顔を浮かべていた。選ばなかった方の行く先は、どうやらこれから続いていくらしい。

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