絆創膏がお似合い

 曰く、一目惚れしたとのことだった。なんでも、私が美食の町プッチにガレーラ職員として出向いた際に私のことを見つけ、“運命の人だ”と感じたのだとか。私が着ていた服にGALLEY-LA COMPANYと書いてあるのを見てここまで追いかけて来たのだという。

「好きです! おれと一緒に来てくれませんか!?」

 船乗りだという男は、ガレーラ本社の門を叩き私らしき人物の特徴を対応したアイスバーグさんの秘書へ熱烈に語り、秘書ちゃんが“私のことでは”と見当をつけ呼んでくれた。一体何事だと軽い騒ぎになっていた輪の中心へ行くことを躊躇いながらも姿を見せた私に、目の前の男はこう叫んだ。ただでさえ騒がしかった周囲の声に、黄色く野太い声が混ざる。対する私は他人事ではないので、いつもみたいにバカ騒ぎに混ざることも出来ず絶句するのみ。「一目見た時、“なんて美しい女性なんだ”と思いました」だの「笑った顔も素敵」だの「船について話している姿も優し気で見惚れてしまった」だの。全て人生で初めて言われた言葉で、まるで自分のことを言われているとは思えない。

「ひとまず落ち着いてください」
「わあ……」

 やめて欲しい。ただ話しかけただけで“おれに話しかけてくれた……”みたいな顔をするのは。私は神でもアイドルでもなんでもない。ただのガレーラカンパニーに勤める従業員だ。男に近付き場所を移そうと腕に手を添えると、男はそれだけで体を硬直させ「はわ、」と鳴く。この反応、私の上司がよくしているな。何故か見慣れた光景とリンクさせながらもどうにか場所を移し、ガレーラ内の簡易応接室のソファに腰掛ける。そこでもう1度ゆっくり聞いた内容は、私を悩ませるものだった。返事は急がないという言葉に甘え、一旦ホテルに帰ってもらい1人になったところで部屋に深い溜息を漂わせる。

 パッフィングトムの開通は、ウォーターセブンに彩をもたらした。廃れてゆくだけだった私の生まれた町。その町を救っただけでなく、名物となり人を運んできてくれた海列車。その姿を見た時、私の夢が決まった。そこから日々を船にまつわるもので埋め尽くし、自身の職にして数年。いまやガレーラカンパニー1番ドック職長補佐を任せてもらえるまでになった。女である私を職長補佐という役職に置くことで客寄せを狙っている――。こういった声がアイスバーグさんを妬む一部の人から聞こえてくることも稀にある。けれどその言葉を気に留めずにいられるのは、アイスバーグさんが決してそういう視点で人事を行う人ではないと知っているから。それに、私が補佐する職長はあのパウリーさんだ。客寄せの為だけにパウリーさんが苦手とする女を補佐に就けるわけがない。脳内にパウリーさんの騒ぐ声が響く。「ハレンチ!」と顔を真っ赤にしているパウリーさんを浮かべ思わず緩む口角。私の過ごす日々は、どこを切り取っても充実している。

「入っても良いか」
「はい」
「ンマー、どうだった。引き抜きの話は」
「引き抜きと言いますか……」

 ノックと共に顔を覗かせた相手。その人物は先程まで男が座っていたソファに腰掛け私の顔を見つめる。その顔が困り果てたものであるのを見て、アイスバーグさんはおかしそうに笑ってみせた。「お疲れ」とまずは労いの言葉を向けたあと、「どうしてェかはしっかり考えろ。おれは“望むなら引き抜きは構わない”というスタンスだ」と自身の考えを明かす。そういえばルフィたちがこの町に来た時もそう言っていたなと思い返し「はい」と返事を向ける。パウリーさんはもう少しでガレーラの副社長に就任する。そうしたら、私は職長に昇進する。だけど、私にその役職が務まるか不安がないと言ったら嘘になる。職長になったら、今以上に心ない言葉を投げかけてくる人だって増えるはず。その言葉を受けるのは私だけじゃない、アイスバーグさんやパウリーさんたちもだ。その言葉を跳ね退けるほどの実力が私にあるか。ある――と自信満々に頷くことが出来ないのは、職長たちが抜けた穴が大きいのと、パウリーさんの腕が素晴らしいから。その穴を埋める人材になれているとはまだどうしても思えない。だからこそ、職長を引き受ける前にあの船乗りについて行って世界を経験するのも良いんじゃないか。その考えを捨てることが出来ない。

「ゆっくり考えろ。もしあの男が答えを急かしてくるようなら、それまでの男だ。そん時ァおれがお断りしてやる」
「ありがとうございます」

 アイスバーグさんの気遣いに感謝しつつ、私もひとまずは仕事に戻ろうと腰をあげる。これは今日明日で決めるような話でもない。アイスバーグさんの言う通り、ゆっくり考えなければ。



 考え、悩み。野次馬の関心も薄っすらしだした頃。私の答えは未だに決まっていなかった。船乗りの男も特に答えを急かすこともしてこない。それがまた彼の本気度を伝えてきて、悩みの元ともなってしまっている。答えはまだ出せていないけれど、今の今まで待たせてしまっているのは申し訳ない。今日あたりで一旦お詫びをしておくのが筋だろう。

「あッなまえさんッ!!」
「ああ。こんにちは」
「こんにちは!! いやー、会えるかな〜なんて思いながら過ごしてたら本当に会えるなんて。今日は今までで1番良い日だ」

 昼ご飯を買いに町に出たら、ウォーターセブンを散策していた男とバッタリ出くわした。男は町に滞在している間に私の名前を知ったらしく、「なまえさん、体調はいかがですか?」と優し気に私の名前を口にする。こんな風に名前を呼ばれるのもあまり慣れていないので、どうしても心がざわつく。……なんというか、私のあるかないか分からない乙女心を擽られるというか……。

「あの。今日の夜、空いてますか?」
「エッ! ……エッ!!」
「あ、ごめんなさい。答えはまだ出せてないんですけど。お待たせしてるのが申し訳なくて。せめて今日の夜ご飯くらい奢らせていただけないかなって」
「そんな! そんなことは全く気にしないでください! むしろおれがなまえさんを悩ませてしまって申し訳ないくらいで!」

 良い人だな。冷や汗を掻きながら必死に両手を顔の前で振る男を見て思う感想。そこに「あっ、でも!! 食事は是非ご一緒したいです!! お詫びのお詫びでおれが奢ります!」と必死な様子を見て“面白い人だ”という感想も付け足す。そうして夜ご飯の約束を交わしガレーラへと戻る。仕事が終わる頃ガレーラに迎えに来てくれるそうなので、なるべく早く仕事を終わらせねば。

「なまえにしては少なくねェか?」
「今日は夜たくさん食べる予定なので」
「ほォ? デートか?」

 職員の言葉に思わず咽る。その様子を見た職員は途端に表情を明るくし「例の兄ちゃんとか!?」と大きな声で叫ぶ。そのせいで周囲から口々にからかいの声があがる。とはいえその言葉を否定することも出来ず、買ってきたパンを思いっきり頬張ることで気持ちを紛らわせる。ぎゅうぎゅうに詰めた頬に視線を感じ思わず見上げた先には、直属の上司であるパウリーさんが居た。じっと交わる視線。……もしかしてパウリーさん、また賭けに負けてベリーがないとか? スッと差し出したパンを見てパウリーさんは「違ェよバカ!」と怒鳴る。ハレンチに飽き足らずバカとは。これでも一応パウリーさんを気遣って露出少な目の服を選んでるというのに。お次は“バカ”ですか。

「パウリーふぁんにはあげまふぇんから」
「良いからよく噛め」

 私の頭を乱雑に撫でながら隣に腰掛けるパウリーさん。視界に散る前髪を振って退かし、乱雑な手つきに抗議するよう隣に座る男を睨みつける。くそう、座高が違い過ぎて座ってても首が痛い。早々に睨むことを諦めパンに集中し直すと、パウリーさんは「う゛ゥ゛んッ」と野太い咳で喉を鳴らす。あまり食事中に聞きたい音ではないなあと思いながらもパンを咀嚼していると、「その……なんだ、」と咳をした割には出の悪い声を発してみせる。

「どうだ、最近は」
「なんですかその思春期の娘と対話を試みようとする父親みたいな第一声は」
「う、うるせェ!」

 パンを食べ終え一緒に買っていたコーヒーに口を付ける。そうして食事を終えようとする私に、パウリーさんがもう1度「で、どうなんだよ」と問う。どうと言われても。最近はほぼあの船乗りのことを考えているし、悩みもしている。なのであまり眠れもしていない。まあでもそれは人にあけすけに話すものでもない。強いて言うなら「まあまあです」といったところか。

「まあまあって……。……アイツのことは、どうすんだ」
「船乗りさんのことですよね」
「行くのか、一緒に」
「どうですかね。まだ悩んでます」

 まだ悩んでいると言った言葉に、パウリーさんはぎょっとしてみせた。どうしてそんな表情をするのだと不思議に思っていると「悩んでんのにデートはすんのか? そりゃお前ェ……ハレンチだぞ」とパウリーさんは声を戦慄かせる。出た、ハレンチ。大体、男と女が食事をするだけでハレンチになるのはどうなんだ。パウリーさんの思考は極端過ぎる。

「じゃあ私は今、ハレンチなことしてるってことですか?」
「……はっ?」
「だって今もパウリーさんとお昼一緒に過ごしてますし。“男”と“女”が一緒に居るだけでハレンチなら、私とパウリーさんだってハレンチですよ」
「いやっ……それとこれとは話が違ェだろ」
「どう違うんですか? パウリーさんの考えは極端なんです。だったらこの状況でだって同じこと言えますよ」
「お、おれはっ! 昼飯を食ってねェ!」

 なんだそれ。論点はそこじゃないと思う。顔を真っ赤にして言い返してくるパウリーさんに呆れながら「このコーヒー、私には甘過ぎるんで良かったらどうぞ」と手渡す。そうすればパウリーさんも「あ、おう。ありがとう」と反射的に受け取りカップに口を付ける。素直な様子を笑い「ああ、言い忘れてました。それ私の飲みかけなので。関節キスですよ」と付け足せばパウリーさんは思い切り咽る。口をパクパクさせる様子に「ハレンチ」とトドメを刺し立ち去る。パウリーさん、本当にからかい甲斐があるなあ。どれだけ茶化しても、いつでも面白い。……ここを去ったら、こんなやりとりももう出来なくなるのか。それはちょっと、いやかなり寂しくなるな。



「痛ッ」
「大丈夫か!?」
「すみません、不注意です」
「お前、血ィ出てんじゃねェか!」
「結構ガッスリ行っちゃいました」
「こんのアホ! 道具扱う時は神経尖らせろと口酸っぱく言ってんだろうが!」

 ぐうの音も出ない。ましてやこんな初歩的なことで怒られるなんて、職人としてあるまじきことだ。「すみません」と項垂れ指先を止血すれば、パウリーさんがその手を力強く握り締め高い位置まで持ち上げる。そのまま私を引っ張り向かう先は医務室。普段ここまでガッツリ体に触れてくることなんてないのに。今はそんなことお構いなし。パウリーさんの顔をちらりと見上げれば、パウリーさんは私の視線にも気付かず前を向いている。その様子が鬼気迫るもので、私は申し訳なさと同時に嬉しくもなってしまう。大事にしてくれているんだなあと実感し、人知れず上がりそうになる口角。それをどうにか押し留め、黙ってパウリーさんについて行く。思えば、ガレーラに入社したばかりの頃はよくこうやって怪我してはパウリーさんに手当てしてもらってたっけ。そして手当てが終わった時、思い出したように顔を真っ赤にするパウリーさんを見て私は、申し訳ないという気持ちを笑顔に変えてもらっていた。……懐かしい。

「おい何笑ってんだ」
「すみません。ありがとうございます」
「なまえ、お前まともに寝てねェだろ」
「……自己管理が甘くて申し訳ないです」

 少し荒っぽい手つきで行われる治療。指先に沁みる消毒液に顔を顰めながら詫びを入れれば、パウリーさんの眉にもぎゅっと皺が寄る。お昼のやり取りが嘘みたいな空気だ。いつもとは違う雰囲気に気まずさを覚え視線が彷徨う。パウリーさんの腰から下げられたポーチや私の両足を挟むように広げられたパウリーさんの足を迂回し、落ち着いた先はパウリーさんの手。その手が握っているのは怪我をした私の手だ。パウリーさんの手と私の手、まるで大きさが違う。普段滅多に触れられることのない手を見つめていると、「おれのワガママを押し付けても良いか」とパウリーさんの口が開かれた。

「ワガママ?」
「どうすんのか決めんのはなまえだが。お前が決断する前に伝えておきてェことがある」

 視線をパウリーさんの顔へと移す。パウリーさんの視線は治療を行う手元に向けられたままで、決して視線が絡むことはない。けれど彼の視線は真剣そのもので、これは茶化して良いものではないと直感的に思い固唾を呑む。そうしてパウリーさんの言葉を待てば、パウリーさんが再び口を開く。

「おれは、副社長になる」
「そうですね」
「そしたら、なまえが次の職長だ」
「……はい」
「お前は真面目だから、テメェにそれが務まんのか悩むだろう」
「それは、」

 言い淀む私を一瞬パウリーさんの視線が捉える。そうして図星であると理解し再び視線を落としてみせた。私が船乗りの誘いに悩む理由を悟ったらしい様子に、心なしかドキリとしてしまうのは何故だろうか。

「人の考えを極端だっつったのは、どこのどいつだよ」
「え?」
「ここを一体どこだと思ってやがる」
「ガレーラカンパニーです」
「そうだろうが。ここは世界イチの造船会社だ」
「はい。そうです」

 当たり前のことを言ってのけるパウリーさんに首を捻りながらも同意を返す。私の考えを極端だと言いたいらしい。でも“ガレーラは世界イチの造船技術を持った会社”という考えは何も極端ではない。なんなら世界共通認識ですらある。パウリーさんの言いたいことをイマイチ理解出来ないでいると、手に絆創膏が貼られ手当てが終わる。巻かれた絆創膏は綺麗に巻かれていて、パウリーさんがどういう人かを表している。手荒な部分もあるけれど、仕事は丁寧な人にこなす人。そういう部分は尊敬するし、憧れもする。パウリーさんから学びたいことはまだまだたくさんある。

「だったら。ここに居ろよ」
「え?」
「どこにも行くな」

 治療が終わったので手を退かそうとしたら、その手を捕まえられた。普段のパウリーさんからは考えられない行為に驚くと、パウリーさんの耳は真っ赤に染められていて、手をパウリーさんの手のひらの中で固まらせる。彼は今、必死に自分の気持ちを伝えようとしてくれている。それだけ真剣なのだと分かりバクバクと心臓が高鳴りだす。

「パ、パウリーさん」
「なまえにならおれのあとを任せられる」
「ありがとうございます」
「それだけの腕を持ってなお勉強してェと思う心意気はすげェと思う……が、あんなヤツにつれていかれんのは我慢ならねェ」
「へっ」

 昼間は父親みたいだと思った。だけど、今のパウリーさんは好きな人がとられそうなことに焦っている男性に見える。……だとすれば、パウリーさんの好きな人というのは――。

「おれはなまえに傍に居て欲しい。腕を磨きてェっつうんなら、おれがなまえに全部教えてやりてェ」
「確認ですがそれは……その、そういう気持ちがあるからですか?」
「…………そうに決まってんだろ」
「はい?」
「だからッ!! お前が好きじゃなきゃこんな必死に引き留めるわけねェだろうが!」

 顔を真っ赤にして、目まで吊り上げて。そんな形相でされる告白があるだろうか。終いには「ダーッ! クソッ!」なんて叫び声まで付けられた。こんなつもりじゃなかったと言いながらも離されることのない手。どこにも行くなって言われたけど、これじゃどこにも行けない。“決めるのは私”と言われたけれど、こんな風に選択肢をなくされるのはズルいと思う。

「本当はテメェの気持ちまで言うつもりじゃなかった」
「でも言ってくれなかったら私、船乗りさんと一緒に行ってたかもしれません」
「んなっ……」
「ありがとうございます、パウリーさん」
「それはつまり……」

 握られた手を握り返し、熱を持った自身の頬に押し当てる。そうしてその手に擦り寄り「私もパウリーさんの傍に居たいです」と微笑む。色々と悩んだけど。パウリーさんが傍に居て欲しいと願ってくれるなら。職長という役職に就くことも、ここに居続けることにも。何にも迷わずにいられる。

「今日、謝罪とお断りに行ってきます」
「あ、お……うっ」

 手に頬を寄せた状態で告げる言葉に、パウリーさんはまともな返事をしない。絶句といった様子を笑い、「だから責任、とって下さいね?」と言えば、パウリーさんは気を失ってバタンと後ろに転げ落ちてしまった。

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