待ち伏せの捕食者

 クロコダイルさんの眠っている姿を見た時、心がざわつくのが分かった。執務室に置かれた高級な革製のオフィスチェアに腰掛け、いつもは書類を気怠げに眺めている瞳が、今は瞼に隠れその身を隠している。こんな姿は滅多に見ることが出来ない。それこそ、本来の彼は他人が出入りする場所でうたた寝なんてしない。そんな彼が今、私の気配にも気付かず瞼を閉じている様子は私の興味を強く惹いた。
 冷徹で、私なんかが見ている世界とはまったく違う立場で物事を見極めているような人が睡魔に負けている。彼も3大欲求には勝てないのだと思ったら、少しおかしくもある。ちなみに、クロコダイルさんと行動を共にしているバギーさんは負けまくりだし、ミホークさんはどちらかといえば規則正しく付き合っているといったところだ。クロコダイルさんは彼らとは違い、一体いつ寝ているのだろうと不思議に思っていた。なので彼の睡眠姿はあまりにも珍しい。
 普段クロコダイルさんの顔をまじまじと見つめることは出来ないので、ここぞとばかりに整った面差しを鑑賞する。鼻筋は綺麗だし、肌も手入れされているのか艶やか。眉は強面な顔立ちに似合わず困り眉なのがまた良い。寝ている姿さえ様になるのは、なんだか理不尽な世の中だなと思ったあたりでクロコダイルさんから距離をとる。あまり見つめ過ぎていたらそのうちバレてしまう。そっと書類を机の端に置いて退散し、贅沢なものを見させてもらったと心の中で礼を述べ通常業務に戻ってから数日。

「……また寝てる?」

 バギーさんに「頼む! クロちゃんにコレ持って行ってくれ! べ、べべ別に頼まれたのすっかり忘れちまってて今の今になって、今更出したら殺されるかも!? とかビビってるわけじゃァねェぞ!?」と早口に捲し立てられ押し付けられた書類。それを手にし再び訪れた執務室。一応ノックはしたけど反応がないことを不思議に思いながらも扉を開ければ、クロコダイルさんの姿はミホークさんとの打ち合わせ時に使っているソファにあった。腰掛けた位置的に後ろ姿しか見えず、彼の瞳が閉じているのか開いているのかは分からない。けれどノックに反応がないのを見る限り、おそらくうたた寝をしているのだろう。……もう1度見てみたい。疼く欲望のままに歩き出す足。そうして覗き込むように体を屈めた瞬間、腕を掴まれソファに雪崩れ込んでしまった。突然のことに驚く私の視界に映るのは、バッチリ見開かれたクロコダイルさんの瞳。……やられた。

「不思議なんだが」
「はい」
「何故お前のような女がインペルダウンに幽閉されていた」
「あー……」

 狸寝入りだと見抜くことも出来ないのだ。そんな間抜けな人間が何故――クロコダイルさんの疑問の中身はそういうものだろう。まあインペルダウンに入獄することになったキッカケも間抜けではあるけれども。理由を話す前に、クロコダイルさんの膝の上に乗っているこの体勢をどうにかしたい。その思いで身じろぎする私をクロコダイルさんの左手が許さない。お腹に当たるフックの感覚に恐る恐る顔を見上げると、その顔は続きを求めていた。このまま話せということなのだろう。ここは下手に抗わない方が身の為だ。

「とある町に寄った時、レストランを開いている男性に“奢るから”って言われて店に誘われたんです。そしたら奢るって言われたのに見返りを求められまして」
「で?」
「そんなの聞いてないって反論したんですけど、埒が明かなくて。“お金を払う”って言ったら、提示された金額が100万ベリーだったんです」
「そんなに美味かったのか、その店は」
「色で誤魔化してるような感じでした」
「クハハハ。それに100万ベリーか。食ってみてェな」
「それが払えないなら体で払えって言われて。堂々巡りなこととかに頭来ちゃって」
「殺したのか」

 殺すなんて選択肢がよくそんな簡単に出るものだな。クロコダイルさんの言葉にふるふると頭を振って「急所を蹴りました」と返せばクロコダイルさんの顔が一瞬固まった。かと思えば、右手で顔を押さえ「クハハハ……!」と震え出す。どうやらツボに入ったらしい。こんな風に笑う人だったのか。もしかしてツボ浅いタイプなのか?

「殺されるより辛いな、それは」
「今だ! 逃げろ! って感じで海に逃げたら、どうやらそのシェフ世界政府と繋がりがあったみたいで。あっという間に“海賊みょうじなまえ”の出来上がりです。ちなみに海賊生命僅か1日でした」
「クハハハ。お前のような女が成り上がれる世界じゃねェのさ」

 確かにその通りだ。けれどインペルダウンでもなんやかんやあって無事に生き延びれたし、もう見ることも出来ないと思っていた太陽を見ることも出来た。そして今もクロコダイルさんの膝の上にいながらも命が保たれている。悪運はある方だと我ながら思う。ひと通り話は終わったし、あとは解放さえしてもらえれば再び私の安全は確保される。だというのに、クロコダイルさんの左腕は未だ私の腰にまわされたまま。まだ何かあるのかと不思議に思い見つめてみると、クロコダイルさんはその目をじっと見下ろしてきた。

「おれの眠る姿は珍しかったか」
「クロコダイルさんでも眠いとか思うんだって思ったらつい興味が……すみません」

 こんな状況に至った理由。確かにこの話の方が根幹だと思いながら返事をすれば、クロコダイルさんは再び「クハハハ」と笑う。笑ってばかりだな? 何がそんなに楽しいのだろう。よく分からず困惑していると、クロコダイルさんは自身の体を横へとスライドさせ私の隣に座るような位置になる。太もものガッチリとした感触から一転、ソファのふかふかとした弾力をお尻で感じでいるとそれを押さえつけるかのような重力を太ももに感じギョッとする。その重力の正体がクロコダイルさんの頭だったから。……何故膝枕を? 困惑する私に構わず、クロコダイルさんは何度か頭を動かして良い位置を見つけようとしている。

「あ、あの……」
「見てェんだろ。おれが寝るところ」
「ありがとう、こざいます……?」

 まさかのサービス精神に思わず礼を告げれば、クロコダイルさんは小さく笑い声をあげてその礼を受け取ってみせた。



「なまえ」
「クロコダイルさん」
「もう寝るのか?」
「はい。そのつもりです。クロコダイルさんはまだお仕事ですか?」

 膝枕を1時間程堪能された日から数日。クロスギルドでの仕事を終え眠りに就こうと寝室に向かっていると、クロコダイルさんが自身の部屋から顔を覗かせ声をかけてきた。その声に立ち止まり近付けば、クロコダイルさんはゆるりと口角を持ち上げる。

「良い酒が入ったんだが。一杯どうだ」
「良いんですか? 嬉しいです」
「あァ。特別に“奢って”やろう」
「……それは、」

 奢って、の部分を強調したのはきっとわざとだ。クロコダイルさんの言っている言葉の真意を読み取り返答を悩ませていると、あの日のように再び腰に腕がまわされてしまった。逃す気などないくせに、返答はこちらにさせる。そういう狡猾さがクロコダイルさんにはある。よく見ると普段はたくさんの宝石を飾っている指にそのどれもが嵌められていない。まるでこちらの返答を分かっているかのようだ。だとすれば、恐らく彼は私の心の奥底にあるクロコダイルさんへの気持ちも見抜いている。

「寝顔、見せてくれますか?」
「いくらでも見せてやるさ。だがその前に、おれが見てェ顔を見せてもらおうか」

 なァ、お嬢さん――そう囁くクロコダイルさんは、私の腰をゆっくりと抱き寄せる。……ああ。待ち伏せしていた鰐に食べられる時って、きっとこういう気持ちになるんだろうな。

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