ファーストキスを教えて

 この世に生まれ、40年も過ごしていればそれなりに色んなことを経験する。それこそ、自分は中々に濃い人生を他の人より味わわせてもらっているんじゃないかとアイスバーグは自覚している。若い時分に師事したいと思える人に出会い、バカを言いつつも腕を認められる男にも出会えた。そんな人たちと忘れられない思い出と経験を積んだだけでなく、最高傑作を造ることも出来た。こうなると決めるまでには良い思い出だけではないが、ガレーラを立ち上げ市長にまでのぼり詰めた。
 そんな人生を経験してきてなお、アイスバーグには初めての感覚に心をまごつかせることが起こっている。

「おはようございます、アイスバーグさん」
「あァ。おはよう」

 ガレーラ前に新しく出来たカフェ。水路がメインのこの町で、ヤガラに乗ってカフェを開くのは珍しいことではない。なので初めてそのカフェを見た時は“新しいカフェか”くらいの感想しか浮かばなかった。ただガレーラ前に腰を据えているので、利用者は当然ガレーラカンパニー職員が多くなる。アイスバーグもそのうちの1人だった。

「紅茶はあるか?」
「はいっ! アイスバーグさんは紅茶も飲まれると伺ってますので!」

 ガレーラ職員が好む物はある程度仕入れてあると笑うなまえは爛漫に笑うが、その実商売上手であった。暑い日には炭酸の効いたソーダを、寒い日には体の芯から温まるようなスープを。そして「行ってらっしゃい!」や「お疲れ様です」といった言葉を満面の笑みで付け加える。繁盛しないわけがなかった。アイスバーグも例に漏れず足繁く通い、なまえと会話を交わすうちに心まで惹かれていると気付いた時にはもう手遅れだった。

「今日は何時に終わる?」
「んー今日は住宅街の方にも行くつもりなので、ちょっと遅くなるかもしません」
「そうか。迎えに行っても良いだろうか」
「そんな。良いですよ、申し訳ないです」
「ンマー、おれがそうしてェんだ」
「ありがとうございます」

 なまえの店が人気店となり、ウォーターセブンのあちこちで“こっちにも来て欲しい”という声があがりだしたのを市長であるアイスバーグはイチ早く聞きつけていた。この町は水路がメインだ。ならばヤガラに乗っている彼女はどこにでもスイスイと行ってしまえる。となれば、もうすっかり日常となっているガレーラ前に居るなまえを窓から見つめることも出来なくなる。その可能性を気取った時、アイスバーグの心はこれ以上ないほど掻き乱された。そして、年齢や立場に構っていられなくなって素直に自分の気持ちをなまえに告げた。玉砕覚悟でもあった想いには、「嬉しいです」と真っ赤に染まりながらも満面の笑みを返された。かくしてアイスバーグとなまえの交際は始まったのだが、順調過ぎて何をどう踏み出せば良いか分からずアイスバーグは頭を悩ませていた。なまえのことを大事にしたすぎて恋愛のイロハが分からなくなっている。まさか40年目にしてこんな難題が降りかかることになろうとは――。幸せ過ぎておかしくなりそうだ。

「アイスバーグさん!」
「お疲れ」
「アイスバーグさんも、お疲れ様です」

 仕事を終え、住宅街の方へ出向くとなまえのカフェも落ち着きをみせていた。住宅街で開くカフェは歩道にもテーブルを設置しており、なまえはそれらを片している最中だった。それを手伝えばなまえは「ありがとうございます」と晴れやかな笑みを浮かべてみせる。彼女の笑みは疲れた体に染み渡るとアイスバーグは半分本気で思いながらニッコリと微笑み返せば、なまえの頬はポッと赤く染まる。……あァ、キスしたい。なまえの笑みを見る度に浮かぶ欲望に、慌てて制止をかける。こういうことはきちんと段階を踏まねば。変に先走ってなまえを傷付けるようなことはしたくない。アイスバーグは暴走しそうになる気持ちをグッと堪え片付けに専念する。もうすっかり暗くなってしまったし、なまえをきちんと送り届けねば。脳内を理性で塗り替えていると、自身の手に一回り小さい手がちょこんと乗せられ思わず動きを止める。

「あの……アイスバーグさん」
「ん?」
「いつになったらキス、してくれますか?」
「ンマッ……」

 しん、と静まり返る住宅街。なまえと行動を共にしているヤガラも今はうとうとしている。なまえとアイスバーグ以外誰も居ないここで、こんなにも近い距離で見つめ合っている。……確かに、キスの1つや2つ、してもおかしくはない。自分たちは恋人同士なのだから。けれど……良いのだろうか。こんな大男が、こんなにも幼気な女性の唇を奪ってしまっても――。

「私に色気がないからですか?」
「ンマ……?」
「もっと私に胸があって腰も大胆にくびれてたら……アイスバーグさんもその気になりますか?」

 アイスバーグはもう1度「ンマ」と小さく鳴いた。一体この子は何を言っているのだ。その気になぞとっくの昔になっている。なんならその欲望を抑えることで必死になっているというのに。1度キスしてしまえば、もはやくっ付いているのが当たり前なのだと思ってしまいそうになる。なんならもっと先の深いところ――自分にしか許されない場所まで暴いてしまいたいとすら思っているこの事実を、どう言えば良いのだろうか。こんな感情、生まれて初めてだとアイスバーグは胸を乱す。

「なまえの愛らしさは、そういう類じゃねェんだ」
「アイスバーグさん」
「なまえがなまえだから、おれァ好きで堪らねェと思ってる」
「ア、アイスバーグさん……っ」

 この溢れ出そうな気持を、どう伝えれば良いのか。深すぎて伝えてはいけないとすら思って必死に蓋をしていたというのに。なまえにはそれが届かず逆に不安にさえしてしまっていたのだとしたら。……伝える手段の1つに、最適なものがある。しかもなまえもそれを望んでいる。今しかないのではないだろうか。意を決しなまえの顔を見下ろせば、なまえも意図を察しぎゅうっと瞳を瞑ってみせた。その必死ささえも愛おしくて、アイスバーグの口角はゆるりと弧を描く。たかがキス1つ、されどキス1つ。大切に積み重ねなくては。

「待って!」
「ンマッ!」
「や、っぱり……恥ずかしいです」
「……すまん。急ぎ過ぎちまった」
「違うんです! 恥ずかしいけど、キスはしたいんです!」
「ん?」
「でもその……ここだともし誰かに見られてたら、アイスバーグさんは立場のある人だし……ご迷惑かなって」
「……可愛いな、なまえは」
「っ!」

 たかがキス1つ、されどキス1つ。その1つ1つ。なまえとなら大切に積み重ねていけるだろうなとアイスバーグは確信する。そしてその初めてを今日、これから2人きりの家で堪能出来ることも、真っ赤な顔して期待を滲ませるなまえの表情を見て確信するのだった。

■推しカプシチュガチャより
・自分は恋に現を抜かすようなことはないと思っていたのに、夢主に出会って心を乱されっぱなしのアイスバーグさん

・付き合い始めて、いつ初めてのキスをしていいものかわからなくて悩むアイスバーグさんと、いつまでもキスしてこないのでやっぱり悩む夢主

・いよいよ初めてのキス、2人の唇が近づいたとき、急に恥ずかしくなって「待って!」と言っちゃう夢主と思わず止まっちゃうアイスバーグさん

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