TPOを蹴破る

 キャプテンは結構欲望に忠実だ。艦内であっても周囲にクルーが居なければ拒否する私に構わずキスを落としてくる。壁に追いやられ、更には腰に腕を回されてしまうともう逃げ場なんてないに等しい。
 一応、キャプテンと私はそういう関係ではあるのでキス自体を嫌だと思うことはない。好きな人からのスキンシップは嬉しいし、愛されているのだと実感することだって出来る。ただTPOというものがこの世には存在する。タイム、プレイス、オケージョン。博識な彼がそれを知らないはずがない。だとしたらポーラータング号を恋人のスキンシップの場として使うのはこれら全てに適していないといえる。“所構わず”これが私にとって中々厄介なもので悩みの種となっている。しかもパンクハザードでキャプテンと別れてからゾウで再会し、そこからワノ国に至るまでの間まともに触れ合うことも叶わなかったので、それを埋め合わせるように頻度がこれまでとは比べものにならない。いくら肩を押してもビクともせず、結局いつもキャプテンの気が済むまでキスをされてしまっているのが不服でもある。

「だ、めっ!」
「あァ?」

 いつもより力をこめて押した胸板。その力が予想外だったのか、キャプテンの体は思ったよりすぐ離れていった。ちらりと見上げた顔は予想通り怒っている。けれどこちらも負けてはいられない。このまま思いつきでキスされ続けて、万が一そこに他のクルーが居合わせでもしたら。気まずい思いをするか揶揄われるかのどちらかだ。そんなのどっちも嫌だ。キャプテンはそのどちらともを何の気なしに躱せる気がする。いや絶対そうだ。本人もそう思ってるからこんなところで私の唇を貪れるんだ。ワガママで自由な男とはそういう人間なのだ。本来のトラファルガー・ローという男はそういう男である。それをハートの海賊団船員たちが受け入れているだけで、キャプテンの根は麦わらくんと似ている。正直言えば、パンクハザードからの単独行動はまだ根に持っている。……もっと麦わらの一味に揉まれれば良かったのに。脳内に広がるキャプテンへの不満。それを膨らませることに集中していると、頬をぶにっと鷲掴みにされてしまった。

「ダメとはどういう意味だ」
「言葉の通りです」
「ハァ?」

 ビキビキと浮かび上がる血管。思い通りにいかなかったらコレだ。彼はハートの海賊団で甘やかされ過ぎなのだ。その心当たりは私にもあるのであまり大きな声では言えないけれども。とにかく、コレに関しては1度きちんと意思表示をしておく必要がある。じゃないとキャプテンからキスされたあとしばらく他のクルーと顔を合わせないようにする手間だってかかり続けてしまう。

「キス、ダメです」
「もっとちゃんと分かるように言え」
「所構わずキスされるの、困るんです」

 何故だ、と低い声で返されウワッと思う。キャプテンは元の育ちが良いのでマナーを知らないはずがない。なのでこの疑問は“時間・場所・場面”それらを踏まえてなおポーラータング号でキスすることをよしとしているからこそ。キャプテンの言い分を推測するなら“恋人同士なのだから、どこで何しようが構わないだろう”だ。一理あるけど一理ない。困る、私は。だってもし今この状況をジャンバールが見たら? 数日は頬を染めて私から視線を逸らすだろう。ああ見えて彼はこの船イチ乙女だから。ではペンギンとシャチ。……うん、ダメだ。ポッと頬を染め、そこからニヤニヤと下卑た笑みに変わり次の島に上陸した時「なまえとキャプテンは2人でどうぞ」なんて気遣いの面を被った茶化しを寄越す。最悪じゃないか。他の面々のパターンを想像しても大抵が似たような感じになる。だからやっぱりダメ。

「次の島に着いた時、2人でまわりましょう? ね?」

 それまで我慢してください、そう宥めるように続けた言葉に、キャプテンはしばらくムスッとしてみせたけれど、意外にも反応はそれだけで済み腕の中から解放してくれた。キャプテンはワガママだけど傲慢な人ではない。だからこそキャプテンの願うものはなるべく叶えたくなるし応えてあげようとも思う。今回が例外なだけ。それを理解してくれて良かったとホッとする私を見てキャプテンが今度はニヤリと笑う。……何この笑み。怖いんですが。

「我慢、な」
「ヒッ」

 何かよからぬことを企んでいるぞ、この人。こういう表情をしているキャプテンを見たあと、私は大抵自分の言動を後悔するハメになる。経験済みの過去を思い出し血の気がサァっと引く。一体どういう行動をキャプテンが取るつもりなのか。キスをされた時とは別のドキドキに胸と頭を悩ませながらキャプテンの後ろ姿を眺め続けた。



「ふじょ〜〜う!」
「島だァ〜! 自由だァ〜!」

 シャチとペンギンが両手をあげダッと駆け出す。今回はワノ国を出航してから半日程度で次の島に辿り着いた。ワノ国で麦わらくんに食べ尽くされた食糧を補充する為に立ち寄るだけなので、滞在期間は1日もない。それでも、海から顔を覗かせ空を見上げる瞬間は誰だって心湧き立つ。その感情が他のクルーよりも表に出ているのがシャチとペンギンというだけだ。もう既に姿の見えない2人に対し呆れはするものの怒る人は居ない。それに事前に役割分担は決めてあるので、なんだかんだ言いつつも2人はきちんとお遣いをこなすはず。残されたメンバーは船を降りたり、服を着替えたり、船番として残ったりと各々のペースで支度を進めている。今回私はフリーで動いて良いメンバーに割り振られているので、準備を終えキャプテンの部屋をノックする。

「キャプテン、出られますか?」
「あァ」

 キャプテンの身なりはいつもとあまり変わっていないけれど、それでも充分整っていると思わされるのがちょっぴり悔しい。これは惚れた弱味でもなんでもなく、歴とした事実。キャプテンは誰がどう見ても良い男だ。そんな男に選ばれたことはやはり嬉しいし、2人でデート出来ることも楽しみにしていた。それに約束を叶えないといけない。キャプテンはあれから一切艦内でキスをしてこなかった。寝る前にかち合ったら「おやすみ」と言って頭を撫でる。朝起きたら「眠れたか」とクマを浮かべた瞳で問われる。それだけ。私の願い通りではあるけれど、こうも聞き分けが良過ぎると肩透かしを喰らったような気分になる。し、ちょっと寂しいとか思ってしまった。だけど“我慢”を口にした手前私からギブするわけにもいかず、モダモダしながらようやく今日が訪れた。正直もうだいぶ我慢の限界がきている。

「なんか見てェもんあるか?」
「私は特には。キャプテンは何かありそうですか?」
「……いや、特にはねェな」
「じゃあ……」

 中心街をふらっと歩き、大体のお店を見終えた私たちの足がどちらからともなく街の外れへと向かう。この先はいわゆるそういうホテルが並ぶ通りだ。半日しか居られないなら、早くホテルに行きたい。街を歩いている時から急いていた気持ちを歩幅で感じ取られていたのか、キャプテンはわざと私より歩みを遅くしあえて私に先を歩かせる。そういう意地悪なところにムッともするけれど、立ち止まって言い合う時間も惜しい。結局ホテルにも私がキャプテンの手を引きながら入ることになった。恥ずかしくて堪らない気持ちを抱えながら手続きを行なっていると、赤く染まった耳を撫でられ思わず体を逸らしてしまう。そんな私にあろうことかキャプテンは唇を耳に当てて「早く選べ」と囁いてみせた。ポーラータング号でのことを早速後悔し始めている。けれどもうここまで来てしまっては進むしかないので、下手に言い返すこともせず部屋へと向かう。

「キャプテン」
「なんだ」
「キス、してください」

 ベッドに2人して腰掛け、隣に居る顔を見上げる。「キャプテン」と名前を呼んだ時点で“キスして”と言ったのに。キャプテンはわざと反応するだけで意図を汲んではくれない。そのせいで結局本当の目的を口にさせられ、羞恥心を認識させられる。その恥じらいに耐えるように目を見つめてみせれば、キャプテンの顔がゆっくりと降りてきた。その動作を受け唇と目を閉じて待ちの姿勢をとるとキャプテンの唇は予想していた所とは別の場所に落とされた。

「ん、なんで……」
「してやったぞ」
「ちゃんとしてください」

 ワガママだな、と呆れたように笑ったキャプテンは瞼の次に頬へと唇を寄せる。そこから耳、首、鎖骨と色んなところに口付けるくせに、肝心の場所にはまったく触れてこない。ここら辺でようやくキャプテンの企みを察知し、思わずキャプテンの顔を睨む。けれど相手は自身の企みがバレたことに対しなんの焦りも見せない。なんなら今頃分かったのかと鼻で笑っているような態度だ。

「きゃぷてん、」

 ただ願うだけなのは悔しい。欲しいならこちらから奪うことだって出来る。そう気を取り直しキャプテンの肩に両手を置こうとした瞬間、キャプテンは上体をベッドに倒しバランスを崩した。突然の体勢変化についていけず、一緒に倒れた私と上下が反転するように入れ替わり、気が付けば私はキャプテンに押し倒されるような体勢になっていた。じっと見下ろされる顔。またしても見上げることとなったキャプテンの顔に近付こうと、顔を持ち上げようとしても両手を絡み取られていてはうまくいかない。何度か頭を持ち上げてみたり拘束から逃れようともがいてみたりしたけどそれらは叶わず。私の抵抗に対し“おれに敵うはずがないだろう”と見越しているキャプテンの顔はまさしく楽しんでいる様子で、まだ笑う余裕すらある姿を見て私の心はポッキリと折れてしまった。キャプテン相手に抗うだけムダだ。

「もう終わりか?」
「チューしたい」
「人には我慢を強いておいて、自分だけは欲望通りにってか?」
「そ、れは……」
「しかし困ったなァ。おれは今“我慢”させられてんだ。許しがねェ限りキスは出来ねェ」

 あァ。負けだ。結局こうなる。だったらはじめからキャプテンの願い通りにしておくんだった。今ここで“我慢しなくて良い”と言ったら、キャプテンはこれから先その言質を振りかざすだろう。その言葉をどういう使い方されるか、それを理解した上で言わないといけない。言わされる状況に仕向けられた。さすがは30億がかかる首を持つ男。私なんかでは到底敵わない。

「我慢、しなくて良いです」
「良いんだな?」
「はい。……だから、キスして?」
「キスだけで終わるとか思うなよ」

 ですよね――という気持ちは早々に吹き飛ばされ。あっという間にふやかされた思考でどうにか「きゃぷて、出港のじかん、」と言うと「この島には1日滞在すると告げてある」とサラリと言われトびかけていた意識が瞬時に戻ってきた。私の居ないところでそんなことを言っていたなんて。キャプテンの用意周到さに感心するようなボッと火をつけられたような気持ちになる。ということはみんな、私とキャプテンが朝まで一緒ってことを知ってるわけで…………。それにしてはみんな普通に送り出してくれたような? 何はともあれ、こうもあからさまにバレるくらいなら、ポーラータング号でひっそりとキスしていた方がまだ良かったかもしれない。意識が逸れはじめた私を叱るように突かれ、反射的にキャプテンの顔を見つめる。気持ち良さと羞恥心とでごちゃ混ぜになっている様子に、キャプテンは満足そうに笑う。

「まァ早めに戻っておくのも大事か。……どうする?」
「や、めないで……お願い」
「ハッ。我慢のきかねぇ女だな、なまえは」

 返す言葉もない。今後私がキャプテンにTPOを説く権利もなければ、我慢を強いることも出来ない。こうなってしまったのならばもう、とことん溺れよう。観念するかのように30億の首に腕を回せば、それは案外簡単に落ちてきた。そうして「もっとキスして」という欲望には、律儀に荒々しい熱を以て返事を寄越された。

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