熱が引いたらそれが合図

 ウォーターセブンに嵐が吹き荒れた。水は怒りアクア・ラグナを呼び寄せ、仲間だと思っていた人たちがこの町を去った。怒涛の日々だった。いや、過去形にしてはいけない。アクア・ラグナの被害も、ルッチさんたちが抜けた穴も。残された人間が向き合うべき問題としてまだそこに在る。幸い、ガレーラカンパニーの従業員は全員力強い人たちばかりで、パウリーを筆頭にウォーターセブン復興に前を向いている。
 ガレーラカンパニーの社長であり、この都市のボスでもあるアイスバーグさんなんかは、麦わら一味の新しい船造りに手を貸しただけでなく、弟分であるフランキーさんの出立を見送ったあと、すぐに第2の海列車製作へと取り掛かるのと並行してこの町を船にする計画も本格的に始めている。そこに市長としての仕事も加わるのだから、アイスバーグさんはもしかしたらサイボーグか何かかもしれない。とにかく、ガレーラの人は本当に強い。私もその一員であることを誇らしく思い、怒涛と呼べる日々に精を出していた。
 ただ違うのは、私は他の人に比べて体力がなかった。朝起きた瞬間、まず喉の痛みを覚え、ベッドから起きあがろうとしたら体がふらついた。そこでとある病名を思い浮かべ体温計で測ってみたら、予想通り風邪を引いていた。喉の痛みだけならまだしも、風邪を引いてはさすがに出勤出来ない。申し訳なく思いつつガレーラに連絡を入れたら、ちょうど電伝虫の近くにパウリーが居たのか、「はいこちらガレーラ」と荒々しい声で出迎えを受けた。きっと今日も忙しい朝を迎えているのだろう。再び込み上げる申し訳なさと共に「パウリー」と名を呼べば、それだけで「なまえさん?」と相手が私であると気付いてくれた。

「なんか声変じゃありませんか?」
「ごめん、風邪引いたみたい。申し訳ないんだけど、今日休ませてもらえないかな」
「だッ」

 だ?
 途切れた声に耳を傾けた瞬間、「大丈夫っスか!?」大声が耳をつんざいた。近付けた分遠ざけた受話器の向こうでは「なんか要るモンとか……いや先に病院か!? と、とにかく! 死なないでください!」と続いている。電伝虫の表情を見る限り軽くパニック状態だ。“死にはしない”ということをなんとか言って聞かせ、落ち着いた様子を見せた後パウリーは「とにかく寝てください! お願いします!」と何故か懇願スタイルで通話を切ってみせた。電伝虫の受話器を置いてふう、と息を吐く。なんだかその息が熱っぽい気がして、額に手を当て再び戻るベッドの中。つい数分前まで自分自身の体温で温められていた寝床に体を預けると、睡魔はすぐにやって来た。この熱はどうやら過労によるものらしい。女子の中では体力ある方だと思ってたんだけど。周りの大男たちに触発されて無理をしてしまった。とにかくこれ以上の迷惑は許されないので、とにかく睡眠を貪ろう。



「ん、」

 パウリーの必死な声を聞いたのが随分前のように思える。ぱちりと開く瞼の先で、窓から差し込む夕陽が漂っている。水面に揺らされ波打つ様はウォーターセブンならではの光景だ。ベッドから体を起こし、しばらくそのままの体勢でぼんやりと時を過ごす。体の怠さはだいぶマシになっている。これなら明日は出勤出来るだろう。みんなにも迷惑かけてしまったし、朝イチで謝らないと。……そういえばアイスバーグさんに頼まれていた資料、机の上に置いてたけど渡せなかったな。クウイゴスの木片に関する資料だから、これも明日出勤次第すぐにでも渡さないと。起きた瞬間、ぐるぐると回りはじめる思考。その全てがガレーラに関することだと気付きハッとする。そして苦笑を溢しひとまず水を飲もうとベッドから出る。両足で立ってみたらまだ少しふらつく気配がしたので慌てて椅子の背もたれに手を付いた時、玄関の扉がコンコンと控えめにノックされた。

「はい」

 出した声が掠れていたので咳払いしたり唾を飲んでみたりしながらドアまで近付くと、「起こしたか? すまん」という声がくぐもって聞こえてきた。パウリーがそうだったように、私たちはもう声を聞いただけで相手が誰なのか分かるくらい同じ時を過ごしている。けれど予想だにしていなかった来訪者に「え、」と小さな声が漏れ出た。

「体調はどうだ?」
「アイスバーグさん。すみません、ご迷惑をおかけしてしまって」
「ンマー、気にするな。風邪くらい誰だって引く」
「こんな忙しい時に体調管理の1つ出来ず……」
「忙しいからこそだろ。おれこそ、社長なのに部下の健康1つ守ってやれなくて申し訳ない」
「いやいや」

 玄関でする押し問答ではないなと思い「良かったらお茶でも」と半身を反らし入り口を譲る。風邪を引いている人間が住まう家に上がらせるのもどうなのだろうかと思いはするものの、アイスバーグさんの「……じゃあ」という言葉によってその考えは霧散した。

「散らかっててすみません。どこか適当な場所に座っててください」
「座るのはなまえの方だ」
「いや、そういうわけには」

 肩を押されそのままベッドへ連行される。辿り着いた寝室では先ほど起き上がる時に剥いだ布団がそのままになっていて、ほんのり恥ずかしさを覚える。けれどアイスバーグさんはそれに構うことなく私をベッドに寝かせ布団を綺麗に被せてくれた。その流れで額に宛がわれた手はひんやりとしていて心地良い。思わず吐いた呼吸が熱っぽいことに、アイスバーグさんも気付いたらしく「無理させたな」と申し訳なさそうに呟かれた。

「日中寝たおかげでだいぶ良くなりました。明日にはもう治ってると思います」
「パウリーが“なまえさんが死ぬ!”って騒いでな。なまえの家に全員で押しかけようとしてたから、代表でおれが来た」
「そうだったんですか。わざわざすみません」
「ンマー。役得だな」

 ええ? と笑ってみせると、アイスバーグさんの手がゆっくり離れてゆく。けれど私の閉じた目が開くことはない。それをアイスバーグさんは怒るでもなく「台所借りても良いか?」と問う。それに頷きを返すと「ゆっくり寝てろ」と言って静かに部屋から出ていった。それからすぐに水音や包丁の音、コンロの着火音などが聞こえそれらを心地の良い子守歌としてうたた寝していたら、寝室のドアをコンコンとノックされ体を起き上がらせる。社長自ら雑炊まで作ってくれるなんて。私はなんて素敵な会社に入社したのか。一生辞められない。

「アイスバーグさんって、なんでも出来ますよね」
「そんなことはない。料理だって雑炊が精一杯だ」
「でもこんなに美味しい雑炊、私には作れないです」
「ンマー、そう言ってもらえるのなら作った甲斐があったな」
「アイスバーグさんがつくり出す物、私全部好きです」
「……物だけか」
「えっ?」

 息を吹きかけ冷ましたスプーンを口に運べず固まってしまった。ピシリと動かない私に、アイスバーグさんは頭を掻いて「いや、その、」としどろもどろな様子を見せる。物だけか? という問いを深く考えてみるとすれば、それはきっと“アイスバーグさん自身はどうなんだ”という意味だ。アイスバーグさんのことだってもちろん好きだ。市長として、上司として、人として。尊敬している。……もっというなら、恋愛的な意味でも好意を抱いている。そして従業員1人の為にここまで献身的な姿を見せてくれている今、アイスバーグさんが問うているのもきっとそういう意味合いをこめているはず。

「おれはなまえにとって上司だ。そんな男から想いを告げられるのは迷惑かと思ってたんだが……。すまねェ。おれはどうしてもこの気持ちにケリを付けたい」

 やっぱり。自身の考えとアイスバーグさんの気持ちが一致していたことが分かりスプーンを器に戻す。私が意図を察したことをアイスバーグさんも気付いたのか、「ただ、たとえなまえの気持ちが違ったとしても、絶対にこれまで通りの関係でいられるよう努める。それでもなまえがガレーラに居たくねェってんなら、そん時は別の職を紹介する」と言葉を継いでみせる。声の大きさは違えど話を一気に進めるあたり、なんだかパウリーと似ている。思わず吹き出した私を見てぱたりと止まるアイスバーグさんの言葉。それを合図に今度は私が口を開く。

「これから先、もし私がまた風邪引いちゃったら。こうしてお見舞いに来てくれますか?」
「当たり前だ」
「逆に、この前みたいな襲撃事件があったら。アイスバーグさんの傍に居ても良いですか?」
「居てくれんのか?」
「居たいです。アイスバーグさんの傍に」

 そして、傍に居て欲しいです――。そう告げた言葉に、アイスバーグさんの口があんぐりと開く。かと思ったら目をぎゅうっと閉じ、それを隠すように手で覆ってみせた。アイスバーグさんはスマートに見えて意外と子供っぽい。抑えきれない感情を必死に押し留めている様子を笑って肩に手を乗せれば、その手を握られ彼の想いの深さを知る。こんなに愛おしそうに握りしめられたら、どうしたって離れられない。

「幸せにする。絶対」
「ふふっ。風邪の1つや2つ、引いてみるものですね」
「それは……おれだけじゃなくパウリーの心臓にも悪ィ」
「確かに。たくさん心配とご迷惑をおかけしちゃいました」
「何、そんなもんいくらでも掛けて良い。風邪の1つや2つ、いくらでも引け」
「ええ? 言ってることが違い過ぎます」

 思わず吹きだしてみせると、アイスバーグさんも「ンマー! 確かに」と笑う。そうして晴れて恋人同士になった彼は、早速1つ頼み事があると私に言い、「“あーん”ってヤツ。アレをしてみてェんだが」と照れた表情で告げてきた。されたいではなくしたいのか、と笑う私に「してェしされてェ」と力強く告げる言葉にもう1度笑い、結局私は器が空になるまで愛おしい恋人に雑炊を食べさせてもらった。

「なまえのおかげで明日からも元気いっぱい働けそうだ。だからなまえはとにかくゆっくり休め」
「じゃあ……私もお願いしても良いですか」
「なんだ、なんでも言え。金でもなんでも良いぞ。全部やる」
「ちゅうが欲しい」
「ちゅう??」
「移しちゃうといけないので。風邪が治った時。キス、してください」
「ンマー! 今すぐしてェが……我慢しよう」
「ありがとうございます。……あの、好きです。アイスバーグさん」

 そう告げた瞬間、アイスバーグさんの唇が頬に落とされた。そうして優しく抱き締められた後「頼むから我慢させてくれ」と懇願する声に、私は思わず「あはは!」と笑ってしまうのだった。

BACK
- ナノ -