じゃけえ

※過去の話(オハラの悲劇前くらい)
※設定捏造過多


 海軍一筋うん十年。この道と決めたらそこしか知らぬ男は、自分の人生のみならず他人との付き合い方も固く極端だ。“堅物”という言葉の意味を辞書で引いたらきっと“サカズキ”という人物名が載っている。これ以上ない例えだと思う。

「サカズキさん。私今日ちょっと老けて見えません?」
「何を言うとる。なまえはなまえじゃろう」
「はァ〜出た」

 溜息が口から零れ落ちる。言う人が言えば上手な返しとも取れるサカズキさんの言葉は、サカズキさんが言うと的外れな言葉となる。何故なら彼は私の変化も、機微もまるで分かっていないから。今日の私は前髪のセットを失敗したせいで、海軍帽子を被った時の見た目がいつもとは違っている。すれ違う部下たちに敬礼を向けられた時、答礼する手がすぐに前髪をイジってしまい困ったものだと我ながら悩んでいるというのに。訪れた部屋の主は私に一瞬だけ視線を投げ、すぐに今まで読んでいた新聞へと戻す。私より熱い視線を向ける相手は新聞ですか。仮にも愛おしいオクサマではないのですかね、私は。大事ですよ、世界情勢は。でも妻の機嫌も夫婦間においては大事なのではないか。聞いているのか旦那様。

「サカズキさんは今日も海軍に泊まり込みで。私は独り寂しくあのバカデカいベッドで枕を濡らし。そんな気持ちをコンシーラーで隠し何食わぬ顔して旦那様のもとへやって来た妻に対して。旦那であるアナタは一瞥で済ませるんですね。ハァ〜そうですか」
「せせろしい。なんじゃ朝から。おどれは海兵じゃあないんか」
「海兵ですよ。はい。今は海兵ですよ。はい」
「そしたら早ォ仕事しんさい」
「分かってますう〜! 仕事しますう〜!! この書類持って行きま!! す!!」
「ったく。朝っぱらからプンスカ怒りょって」

 あちらはあちらで溜息を吐く。まったくもう。私の声が聞こえるなり新聞なんて放り投げて駆け寄って、上目遣いに「私おかしくない?」って訊く私に目線を合わせて「なまえは出会おうた時から今日までずっと綺麗じゃけえ」と言ってくれたらそれで良いのに。たったそれだけなのに。“それだけ”が出来ない人なのだ、サカズキという男は。まあされたらされたで私の腰は抜けるけど。

「おォ〜なまえちゃんじゃないの〜。今日もサカズキとよろしくやってる感じだねェ」
「ボルサリーノさん。おはようございます。丁度この書類届けに行こうと思ってたんです」
「あらまァー。じゃあ丁度良かったねェ〜〜」

 向けた敬礼もそこそこに、再び前髪に手をやるとボルサリーノさんが顔を覗き込むようにして屈んでくる。そうして合わさった瞳に「サカズキさんが」と不満をぶつければ、相手はにっこりと笑ってみせた。またか、と言っているような気がしないでもないけれど、ボルサリーノさんはイマイチ感情が読めない。なのであえて鈍感なフリをして不満をぶつける。ボルサリーノさんもサボりたいのか、いつも目尻を下げ話を聞いてくれるので丁度良い相手となっている。上官相手になんと無礼な、とサカズキさんなら怒るかもしれない。でもそうさせているのもサカズキさんだし、別に良い。怒れ怒れ。そんな剣幕に負けるようならサカズキさんの妻なんてやってられない。

「前髪のセット失敗しちゃって。いつもより老けて見える気がするんです。ほら、私だってもうそんなピチピチッ! なんていえる歳じゃないですし」
「そうかねェ〜〜? なまえちゃんはまだ二十代でしょう。若いよォ」
「でも下には下が居ますし」
「大体、わっしはサカズキの方が老けて見えるけどねェ。わっしが33だから……アイツ今年で30でしょう? おかしいねェ〜〜」
「それはそうですね」

 30の風格ではない。確かに。でもそれはサカズキさんの問題であって、私自身の問題とはまた別。というか、サカズキさんやボルサリーノさんは年を重ねるごとにそれが渋みになっている気がする。それってなんかちょっとズルくないか? 私だってなれるならおつるさんみたいな女性になりたい。でもこのままだときっとなれない。前おつるさんに「どうしたらおつるさんみたいな歳の重ね方が出来ますか?」と訊いてみたら「抗わないことさ」と返された。あの余裕さえ感じる笑みは、私にはまだ出せそうもない。だからこそ夫であるサカズキさんに払拭して欲しかったのに。彼ときたら。“私は私だろう”だって。喜んで良いのかガッカリするべきなのか。

「いつまでそこで油売っとるんか。早ォ戻れ!」
「ギャッ。バレた」

 見聞色の覇気を使ったのか、扉の向こうから怒鳴り声が聞こえ肩を跳ね上げる。ボルサリーノさんが出向いてくれたおかげで浮いた時間。それを使って立ち話をしようと思っていたのに、サカズキさんはそれを許さない。ボルサリーノさんは怒鳴り声を聞くなり光となってそそくさと姿を消してみせた。ズルいなあとは思うけれど、私にそのズルは許されないので大人しくサカズキさんのもとへと戻ればサカズキさんはデスクで書類と睨めっこをしていた。これまた熱視線送っちゃって。やけちゃうよ、色んな所が。

「なまえ」
「なんでしょう」
「茶ァ淹れてくれんかのう」
「承知しました」

 サカズキさんの思考や言動は行き過ぎている部分があるとは思う。だけど私の淹れたお茶を美味しそうに啜る姿を見るとどうしたって憎めない。「なまえの淹れる茶には敵わん」と吐き出す言葉に、思いやりが乗っているわけではない。ただ真っ直ぐな本心だけがそこに在る。そして、その中にサカズキさんの想いが在ることを私は知っている。
 まだ私が新兵だった頃。サカズキさんは強烈な存在として私の瞳に焼き付いた。ここまで徹底した正義を貫く彼は、どんな生き方をしてきたのだろうと気になってしょうがなくて、直ぐに私はサカズキさんに弟子入りを願った。ある程度覚悟はしていたけれど、サカズキさんの教育はまさに“獅子の子落とし”だった。犬なんて可愛らしい呼び名がついているくせに、やっていることは獅子そのもの。私以外にも大勢の海兵がサカズキさんのもとで学ぶことを志願したけれど、数ヶ月もすればその数は半分以下に減っていた。そんな中で誰よりも喰らいつき、傍に居続けたのがこの私。何故そこまで出来たかというと、惚れたからだ。ほの字だ。どれだけ鈍い人でも分かるくらいにほの字だった。結果、私の勝利で“サカズキの妻”となった。まあプロポーズは「往生せいや」という言葉だったので、私の勝利かは正直怪しい。まあとにかく。私たち夫婦はなんだかんだ言いつつもうまくやれている。

「あ、白髪」
「放っときんさい」
「抜いても良いですか?」
「……好きにせえ」

 サカズキさんのもみあげ部分に白い毛が1本混じっているのに気が付き、それを抜いて良いかと訊くと返事はまたしても気のないものだった。髪の毛を抜くのはあまり良くないとは思うけど、さっきの仕返しも兼ねて1本くらい良いだろう。被っていた帽子を取り頭に手を添わす。そうしてプチッと白い毛を抜く間もサカズキさんは書類と睨めっこを続けたまま。この人、家では盆栽と見つめ合ってるし、私と目が合う時間が1番少ないんじゃないか? ……いや、それはないな。頭の中で浮かんだサカズキさんの熱視線に背中が焦げそうになる。頭を振ってそれを蹴散らし、「仕事戻ります」と距離を取る。この様子だと今日もサカズキさんは海軍に泊まり込みなんだろうな。

「なまえ」
「はい?」
「波は途切れんじゃろう」
「はい?」
「それと同じじゃけえ」
「何がですか?」
「時が経とおが、経たまいが。変わらんもんは変わらんのじゃ」
「えっと……」

 突然どうした? イキナリなんだ? それなりの期間サカズキさんと過ごしているけれど、さすがに意図が掴めない。確かに波は途切れることはない。いつだってその身を揺らし海を形作っている。その事実が変わることは、この先も永遠にない。そんな当たり前なことを突然言うなんて。サカズキさんの様子はいつもと違う。

「サカズキさん?」
「白髪1つ、髪型1つでわしらの関係はなんも変わらんじゃろう」
「……ふふっ。そうですね」

 なんだ、さっきのこと気にしてくれてたんだ。それならさっき言ってくれたら良いのに。こういうところが堅物なのだ。まったく、本当に愛らしい人だな。

「なまえ」
「はい」
「今日は早めに帰る」
「分かりました。待ってます」
「なまえ」
「はい?」
「……なんでもない」
「ふふっ。サカズキさん」
「もうええけ早ォ仕事戻らんか」

 そう言いますけど。サカズキさんが私のことを先に呼んだんですよ? 見えにくいけれど、確かなハートマークを付けて。確かに。愛おしそうな声で、愛おしい人の名を呼んでみせたのだ。私だって同じことをしたって怒られる筋合いはないはずだ。

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