愛する人へ

 人助けが出来るのは海賊より海軍かなと思った。それは世の理からしてそうだし、私を拾ってくれたセンゴクさんが海軍の人だったから。だから私は海兵になった。
 センゴクさんは私のことを娘のように大事に育て、1人前になれるよう鍛えもしてくれた。おかげで私はこの世界を生きていく為の力を持つことが出来たし、人助けもそれなりに出来ている。
 ただ、その生活に充実感を得ることが出来ないのは、心のどこかに疑念があるからだろうか。もっと自由に、思うがままに生きたい――そんな願いが心の奥底に燻っているのを感じつつ、私は今日も今日とてセンゴクさんのもとで今を生きている。

「“あられ”」
「“お・か・き”〜!! ……ん? ロシナンテ? 何故、」

 センゴクさんと話をしている最中。入り口から何かがぶつかるような音が聞こえ振り向くと、「あ、破っちまった!」という声と共に大きな手が障子から突き出していた。センゴクさんの部屋は和洋折衷の作りで、出入り口はドアではなく障子になっている。恐らくドアと勘違いしノックをしようとしたであろう男は、自身が作った穴の向こうで困ったように頭を掻いていた。その姿を見たセンゴクさんが「思わず反応してしまった」と言いながら深い溜息を吐く。その後に開き直った様子で「入れ」と入室を促す。センゴクさんの命令を受けもう1度「失礼します」と言って部屋に入ってきた男は、センゴクさんが飼っているヤギが食べていた紙を奪い障子の穴埋めを行う。そして怒ったヤギから手を噛まれ悶絶しながらこちらへと近づいてきた。

「お久し……えっ!? なんで人が……センゴクさん、人払いをお願いしていたはずですが」
「……ロシナンテ。貴様が指定した日時は明日だ」
「んなっ……! 今日って16日じゃ……?」
「15じゃ。アホタレが」
「すみません。出直します」

 大将であるセンゴクさんに易々と面通し出来るほどの人物だというのに、私はこの男を私は初めて見る。“人払い”を願う辺り、この人はきっとその存在を知られてはいけないのだろう。だというのに初手からヘマをして私の前に現れた。……ドジな人なんだなきっと。いずれにせよ、ロシナンテと呼ばれたこの人はセンゴクさんに何か話があって来たのだ。退室すべきは私の方だろう。

「私、また改めます」
「ああ、良い。なまえもここに居てくれ。ロシナンテ、音を消せ」
「はい」

 “サイレント”とロシナンテさんが言いながら指を鳴らした瞬間。この世の雑音が全て消えた。突然現れた静寂に辺りを見渡せば、ヤギが紙を食べている姿が目に映る。けれどムシャムシャと口元を忙しなく動かしているのに音がしない。――悪魔の実の能力者か。その考えに至りロシナンテさんを見つめると、ロシナンテさんは照れ臭そうに笑って視線を逸らしてみせた。何故照れるかはイマイチ分からない。

「現状はどうだ」
「相変わらずです。ただ子供はまた1人出て行きました」
「そうか。それは朗報だな」
「はい。……それで、あの、」

 チラリと向けられる視線。その先の話を進めて良いかと逡巡しているのが分かる。とはいえ私自身“ここに居ろ”と言われている身なので、動くわけにもいかない。ロシナンテさんと共に話の進展を求めセンゴクさんを見つめると、センゴクさんがロシナンテさんの話を引き継ぐように口を開く。

「ロシナンテ、お前の話はあの件だろう?」
「……はい。辞表願、受理していただけませんか」
「しかし……。海兵ではなくなったあともお前はおれの命令に従って動くつもりだろう?」
「もちろんです。海軍を辞めるのもその為です」
「おれとしては、どうにも頷き難い話でな。そこで、今思い付いたんだがここに居るなまえをお前の補佐に就けることにした」
「は?」
「え?」

 とんだ矛先が向いたものだ。そもそも2人はなんの話をしているのか。突然の展開に思わず肩を揺らすと、ロシナンテさんの視線が今度は遠慮なくぶつけられた。ただ私にその視線に応える余裕はない。1番動揺しているのはこの私なのだから。

「補佐って一体、」
「ドンキホーテ・ロシナンテ。それがこの男の名前だ」
「ドンキホーテ……って――あの、」
「ああ。最近悪名を上げておるあのドンキホーテ・ファミリーだ」
「えっと……じゃあロシナンテさんは……」
「そこの最高幹部の1人であり、船長ドフラミンゴの実弟でもある」
「……っ! な、なんでそんな人がここに……!?」

 状況を把握しようと会話を進めたはずなのに、余計に疑問が湧き出てしまった。要はこの男は海賊ということだ。何故そんな人が大将と会っているのか。――……ああ、そういうことか。理解した。

「本当に、“こちら側”の人間だと信じて良いのですか?」
「あァ。その点は安心して良い。おれが保証する」
「分かりました。ただ、補佐とは一体何をすれば?」
「ドジのフォロー」

 私の推測が正しければ、ロシナンテさんは実弟でありながらその地位を活かして海軍のスパイを行っている。そしてその生まれ故に海軍でも存在を秘匿とされている。だから私はロシナンテさんのことを知らなかった。センゴクさんだけが存在を知る人物。とはいえ、海軍の制服に袖を通している以上、彼の籍は海軍にある。それが彼の活動において制限をする足枷となっている。だから彼は海軍を辞めたいとセンゴクさんに願い出た。それをセンゴクさんは良しとせず、私をロシナンテさんの補佐に就け動きやすいようにしてあげたい――そんなところだろう。彼は見る限り類まれなるドジさを持っている。その点をフォローするだけでもだいぶ違うのではないか。それらの推測を「なるほど」という言葉にこめて納得してみせれば、センゴクさんの頷きが是を表した。そのやり取りを見て今度はロシナンテさんがハテナを浮かべている。

「ロシナンテとは昔出会い、そこからずっと共に過ごしてきた」
「私と同じような感じですか」
「……あァ。そうだ」
「そうですか。……分かりました。私も、ロシナンテさんを信じます」

 ハテナが幾つか増えているロシナンテさんに、「私も昔、センゴクさんに拾ってもらったんです」と補足してみせると、ロシナンテさんも理解したように首を数回振ってみせる。“そうだったんですか”と言いたげな表情をしているけれど、何故喋らないのだろうか。さっきまで普通に話していたのに。

「ロシナンテ、今は喋って良いんだぞ」
「……あっ! そうでした。すみません、向こうでは“喋れない人間”として通ってるもんで」
「ふふっ。そうなんですね」

 ドジだなあ。ロシナンテさん、やっていることは結構危険で重要な任務なのに、張本人はどこか抜けている。でも、そこが良い――。じわりと感じる直感のようなもの。きちんとした確証はまだ持てていないけど、ロシナンテさんのことは信じられる。そう思い、センゴクさんへ「補佐の件、承知しました」と申し出る。この選択は、自由を予感させる。

「つきましては、私も“辞表願”を提出いたします」
「は? おいなまえ、何を言っている?」
「なまえさん?」
「海軍を辞めて、孤児たちを育てる施設を作ります。ロシナンテさんとはその活動の中で出会い、お付き合いを始めます」
「なまえさん??」
「仲睦まじく2人で過ごす姿は、傍から見れば微笑ましい恋人に見えるでしょう」
「それは……そうだが、」
「ロシナンテさんはファミリーとしての活動も忙しい。だから恋人である私に会いに来ることも中々出来ない。そんな中、ロシナンテさんが見出だした意思疎通の手段が手紙です」
「そこに機密事項を記せということか。しかしそれだとそれをおれに横流しするなまえに危険が及ぶではないか」
「施設自体を“海軍支援”によるものにすれば良い。そうすれば私が海軍に書類を送ることに違和感は生じません。ロシナンテさんもファミリーに怪しまれたとしても私が“元海兵”である身を利用して近付いたといえばやり過ごせませんか?」
「しかし……」
「ロシナンテさんとは違って、私自身が海賊に近付くことはありません。だから危険もそこまで及ばないでしょう」

 腕を組み返答に詰まるセンゴクさん。その様子を見て先手必勝だと思い標的をロシナンテさんへと変える。突然見つめられたロシナンテさんは肩を揺らし小首を傾げてみせる。この作戦は、ロシナンテさんなしでは進められない。というかそもそもロシナンテさんを補佐する為の話だ。

「ロシナンテさん。失礼ですが恋人は」
「い、いえ。居ません」
「では想い人は」
「い、居ません」
「ということは、この作戦を知られて困る意中の方も居ないということで良いですか?」
「そ、うですね。はい」
「ではこれで行きましょう」
「おれは構いませんが……なまえさんはこんな大男と突然そんな、その、」
「大丈夫です。私にも恋人や好きな人は居ません。“恋人が出来た”と紹介する親も家族も居りません」
「……そうですか」
「だから、偽りでも構いません。私の親しい人になってください」

 最後の言葉は勢いで言ってしまった。その言葉にハッとしていると、やり取りを聞いていたセンゴクさんが諦めたように深い溜息を吐き「分かった」と許可を下す。その表情がなんだか父親のように見えて、急に恥ずかしさを覚える。なんだろう、この結婚の許しを得た直後みたいな気持ちは。

「まったく。おれの思い付きがこんなことになるとは思いもしなかった」
「ふふっ。私も思い付きで言ってみたことが通るとは思ってもみませんでした」
「ロシナンテ、そういうわけでこれからはおれ以上にお前がなまえと接することになる。……頼んだぞ」
「は、はい」
「これから、よろしくお願いします」
「こちらこそ」

 互いに頭を下げ、同時に上げる。そうして見つめ合った先で、ロシナンテさんは照れ臭そうに笑ってみせた。その笑みがどこか優し気で、これから始まる恋人生活に人知れず心が躍る気配がした。



「なまえさん」
「ロシナンテさん」

 あれから話はスムーズに進み、引継ぎを終えた後私は海軍を去り、新設された施設へと移っていた。海軍を辞めるという話は、センゴクさんがうまく取り計らってくれて表向きは退職扱いだけど、実際は“辞表提出済み”の身分預かりになった。何かあったらいつでも戻って来れる場所は持っておけるように――。そんなセンゴクさんの気遣いが知れたので、その辞令に異を唱えることはしなかった。そうして始まった新生活。子供相手の日常は、下手したら海賊を相手にしていた頃より慌ただしいかもしれない。それでも、“人助けをしている”という実感はこちらの方が強い。私は戦いたかったのではなく、人助けがしたかったから。海兵という立場故ではなく、ただ1人の人間として困っている人に手を差し伸べられている気がして充実感もある。自由を感じられる。

「今日も来てくれたんですね。ありがとうございます」
「こ、恋人ですので」
「ふふっ。そうですね。最近はどうですか?」
「夜空に浮かぶ星が綺麗で、なまえさんに見せたいなあと思いました」
「まあ、なんて素敵なんでしょう」
「あ、や、その……すみません」
「謝らないでください。嬉しいです、ありがとうございます」

 私としてはファミリーの動向を訊いたつもりだったんだけれど。返ってきた言葉は恋人としての言葉で、つい微笑みが溢れてしまう。ロシナンテさんと恋人になってみて数ヶ月が経つけれど、彼は結構筆まめな人だ。もちろんファミリーの情報を報告する目的が第一ではあるけれど、添えられる私宛の手紙にもきちんと想いが乗せられている。
 面白いのが、必ずと言って良い頻度でインクが滲んでいたり、一部が破けてそれを貼り直した後があったりすることだ。面と向かわずとも人はドジを踏めるのだといつも手紙を見て微笑ましくなる。そんな彼は、“会えないから手紙を送る”という設定が活かせないほどに私のもとへと足を運んでくれる。恋人のもとへ足繁く通うというのも辻褄としては合うので咎めはしない。何より、ロシナンテさんが来るのを私自身心待ちにしているのだ。

「ここの子らは、みんな良い顔をしていますね」
「はい。出来ることならずっと見守っていたいです」
「なまえさんもセンゴクさんに助けてもらったんでしたよね?」
「はい。私の居た島が戦場になった時に。そこからなのでもう15年以上はお世話になってます」
「そうだったんですか。すみません、踏み込んだことを聞いてしまって」
「いえ。彼氏であるロシナンテさんには私のこと知っておいて欲しいです」

 そう言った言葉に、ロシナンテさんはそわそわと落ち着かない様子で視線を逸らす。冗談半分で告げる言葉にいつも面白いくらい反応してくれるから、どうしてもからかうのをやめられない。ロシナンテさんの反応に笑いながら「私の島に海賊が来たんです」と過去を明かし始めると、ロシナンテさんも聞く姿勢を見せる。

「その海賊は大きな組織で、到着するなり島を占拠しました」
「勝手なヤツらですね」
「本当に。とはいえ、私たち島民もタダで育った場所を明け渡すなんてことはしませんでした。そうして武器を取った島民と、海賊の戦いは激化し何人も死人が出ました」
「……親しい人もその時に?」
「父と母。あと兄を」
「……そうですか」
「激化する戦いに、政府は海軍を島に向かわせました。その指揮を執っていたのがセンゴクさんです」
「なるほど。そこが出会いだったんですか。なんだかおれと似てますね」
「ロシナンテさんも?」
「はい。おれは元天竜人です」
「えっ? ……ええっ!? えっと、私が聞いて良い話ですか?」

 さらりと告げられた事実に目を見張る。想像以上に根が深そうな話に思わず確認を取ると、ロシナンテさんは「彼女であるなまえさんにはおれのこと知っておいて欲しいです」と返され思わず視線を逸らしてしまった。まさかロシナンテさんにやり返されることがあるとは。

「父と母は心優しい人で、地上に降りると決めたのもその優しさからくるものでした。ただ、世間ではそれを“世間知らず”と言います。そんなおれたちに待っていたのは、決して甘くない現実でした」
「ロシナンテさん……」

 甘くない現実――。彼の言葉に潜む闇を知り、彼の傷を想う。本当は触れたくない、かさぶたになることのない傷なはず。その傷口を見せてくれる彼に思わず手を握ると、ロシナンテさんもそっと握り返してくる。似ているというのも烏滸がましいけれど、彼の痛みが私には少しだけ分かる。だから、私の手が差し伸べられるのなら。ロシナンテさんの助けになりたい。

「おれはその時にセンゴクさんに拾ってもらいました。おかげでおれは人間の温かさを諦めずにこれた。ただ、兄ドフィは違う。人の想いではどうすることも出来ない冷酷非道さを持った男です。……おれは、ドフィの弟です。だから、ドフィを止めたい。いや、止めないといけない」
「ロシナンテさんの、力になりたいです」
「なまえさん……ありがとうございます。心強いです」

 ぎゅう、と力をこめられる手のひら。その手に応じてみせると、ロシナンテさんの熱を感じることが出来る。私は、海兵でもなんでもなく、ただ1人の人間として、ロシナンテさんの傍に居たい。

「私、本当は海兵であることに疑問を抱いていました」
「ん?」
「島に海軍が来た時、戦いはどうなったと思いますか?」
「鎮圧されたんじゃないんですか?」
「結果としてはそうです。ただ、やって来た海兵は激化する戦いを収めることを優先させ、本来助けるべき島民すら手に掛けたんです」
「なっ……」
「まだ幼かった私には、どちらが正義かなんて分かりませんでした」
「なんてことを……。そんなこと、あって良いわけがない」
「勝ってしまえば正義はそちらに傾く。海軍とは、そうして成り立っている組織です」
「……否定はしません」
「心から忠誠を誓えない人間が、海兵であって良いのか。そんな気持ちをずっと持っていました」

 そんな時、ロシナンテさんが現れた。それがきっかけで私は海軍から離れ、ここに身を置くことになった。あの時、この道を選んで良かった。そう思えるのは、ロシナンテさんのおかげ――そう続けた言葉は、私にとって告白のようなものだった。センゴクさんのことは慕っているし、感謝もしている。だから誰にも決して明かすことのなかった自分の本当の気持ち。それを初めて打ち明けた相手は、静かにそれを聞いた後「珀鉛病を患った少年がファミリーに入ってきたんです」と口を開く。

「珀鉛病……ってあのフレバンスの? 確かあの町は、」
「そいつもまだ幼いクセにこの世を恨んでるような顔して毎日を過ごしてるんです」
「ロシナンテさんは、その子を助けたいんですね」
「はい。本当はファミリーから追い出してから手を回したいんですが。中々手強くて」

 苦虫を噛み潰したように吐き出す言葉に思わず笑ってしまう。中々苦労しているようだ。ロシナンテさんはいつもファミリーに居る子供たちに手酷く当たる度、それを後悔するように落ち込んでいる。そんな彼の後悔なぞ露知らずな様子ですくすくとファミリーで育つ子も数人居て、最近そこにもう1人加わったという珀鉛病の少年。彼はその子のことが気になっているらしい。

「ドンキホーテ・ファミリーのことがどうにか出来たとして。子供らが居る以上、そこで終わるわけにはいきません」
「そうですね」
「だからなまえさん。もう少しだけ、おれに時間をくれませんか」
「時間?」
「すべてのことが片付いたら。アナタに伝えたいことがあります」
「……今、言ってはくれないんですか?」
「今言うのは、誠実ではないと思うので」

 むう、と頬を膨らませ抗議してみせる。ジトっとした視線を受けたロシナンテさんは、どうしたものかと慌てはするものの、意見を変える様子は見せない。時間をくれというのならば、自身の気持ちを告げておくのも大事だと私は思うけれど。何より、ロシナンテさんの気持ちが今すぐ欲しい。

「じゃあ待ちます」
「すみません、」
「でも私は言っておきますね」
「え?」
「ロシナンテさん。私はアナタを愛しています」
「っ! そ、それは……ず、ズルいです!」
「ええ? ズルくはないですよ。愛してるって気持ちは、ちゃんと伝えるべきです」
「そうですね、それは確かに」
「ですよね? ね?」

 言質をとり再び見上げる顔。その視線から逃れるように逸らされた視線は、数秒空を見上げたのちゆるりと降りてくる。そうして見つめ合い、「“カーム”」と言って自身の体に触れるロシナンテさん。その流れで私を抱き寄せ、数秒優しく腕の中に閉じ込めたかと思えばそっと解放された。

「ちゃんと言いましたよ」
「聞こえない言葉は意味がないです」
「でも言いました、ちゃんと」
「ふふっ。まあ良いです。実は聞こえたんで」
「えっ!? おれちゃんと“カーム”って、」
「ロシナンテさんはドジだから」
「ま、マジですか……。聞こえないと思ってデケェ声で“愛してる”って言っちゃいました」
「へえ。愛してるって、言ってくれたんですね?」
「へ? ……え?」
「ふふっ」
「なまえさん??」

 ドジだなあ。ロシナンテさんは。まあそのおかげで“愛してる”が聞けたし。次はちゃんと言ってもらえるのを楽しみに、彼に時間をあげても良いだろう。

「私はロシナンテさんを信じています。だから、どんなことが起きても自分が“そうしたい”と思う方を選んでください」
「……ありがとうございます」
「そして最後には絶対、私のもとへ帰って来てもう1度“愛してる”って言ってください」
「はい。……約束します」

 そう言ってもう1度抱きしめてくれたロシナンテさんの腕の中は、今まで生きてきた中で1番落ち着く場所で、充実感と多幸感を抱く場所だった。






 彼から手紙が届いたのは、それから数年の時を経てからのこと。その中身は珀鉛病の子を治す為に動きだしたあたりから始まっており、そこから今日に至るまでのことが日記のように綴られていた。そしてその手紙の終わりに、自身が選んだ選択に対して私への謝罪と、悔いはないことが記されていた。そして、あの日の約束を果たせそうにないことを悔やむ言葉も書かれていた。“愛してると面と向かって告げることの大切さを教えてくれてありがとう”――そんな感謝と共に。そう記すのならば、あの時もっとたくさん私に“愛してる”と言ってくれたって良かったじゃないか。
 そんな不満を抱きながら届いた手紙を抱き締める。彼はなんだかんだ言いつつもちゃんと約束を守ってくれた。思えばロシナンテさんは“愛してる”という想いを、いつも手紙に書く言葉たちに乗せて届けてくれていた。そんな彼からの最後の手紙。その1番最後に添えられた1枚に、大きな字で“おれはなまえさんをずっと愛しています”と書かれていた。遠慮のないデカデカとした文字に、思わず笑みが溢れる。インク、やっぱり滲んでる。……ロシナンテさんはすごいな。これだけ泣き腫らした顔に笑顔を呼べるのだから。ドジのスペシャリストだ。まさかこんな大事な部分でドジを踏むなんて。まさにロシナンテさんそのもの。そんな微笑ましくも熱烈な想いを送ってくれた差出人を思い浮かべてみれば、思い出の中のロシナンテさんは優しく笑ってみせる。ロシナンテさんはよく笑う人だった。
 これから、この手紙を読む度私はロシナンテさんの笑った顔を思い浮かべるだろう。誰よりもドジで、優しくて、いつも笑っていて、やっぱりドジな人。そんな彼を、私は一生をかけて愛し続けようと思う。

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