題名「  」


※学パロ
※コラさんやローの家族、エースが生存している世界線
※ローの病気について設定捏造あり


 学校の教室には、色んな人が居る。私みたいに静かな子だったり、いつも誰かと喋って楽しそうにしている子だったり。誰ともつるまず静かに本を読んでいる子だったり。ちぐはぐでアンバランスな環境でも、それぞれが自分の居場所を見つけそれなりにうまくやっている。学校って、きっとそういう適応能力を育む為にも存在しているんだと思う。

「ロー、ちょっと良いか」

 ドアから顔を覗かせたスモーカー先生がトラファルガーくんの名前を呼ぶ。それに言葉を返しもせず静かに本を閉じ席を立つその姿を、クラス中の女子がバレないように視線で追う。学校って、色んな人が居る。それでも、モテる人というのはどんな人の視線も奪ってみせるもの。トラファルガーくんはそういう人だ。
 私の隣の席に座るトラファルガー・ローくん。彼は入学当初から女子の視線を釘付けにする男子の1人だった。けれど彼はあまりその視線に応えることもせず、クラスの中心になることもせず、静かに本を読むばかり。それがまた良いのだと、女子は“クールなトラファルガーくん”にまた視線を送り続ける。そんな彼に私はというと。もちろん、3年生になって同じクラスになっただけでなく、隣の席になったのだ。気にならないわけがない。ただまあ、私は自らをアピールする勇気もなければ魅力も自信もない。だからこの気持ちは恋とかそんな大それたものにもならない、“憧れ”みたいなもの。クールで、愛嬌を振りまくわけでもない。それでも学校生活において必要な成績を充分過ぎる程収め、スポーツだって卒なくこなす。友達だって居ないわけじゃない。……私と似ているようで全然似ていない。だから、憧れる。

「おい、図書屋」
「図書屋……?」
「図書委員だろ。アイツが鍵渡しとけって」
「あ、スモーカー先生? ありがとう」

 いつの間にか呼び出しから戻ってきていたトラファルガーくん。彼に妙な呼び名で名前を呼ばれたかと思ったら、机に図書室の鍵が置かれた。私たちの担任のスモーカー先生はああ見えて図書委員の顧問をしている。部活動もやって問題児たちの面倒も見て、その上図書委員顧問まで。……大丈夫かな、スモーカー先生。でもまあ、図書司書であるたしぎちゃんがアレだから、学生時代の先輩だったらしいスモーカー先生に図書委員の顧問が持ち掛けられるのも分かる気がする。

「司書が下手こいて来れなくなったらしい。だから戸締りまでして帰れ、だと」
「なるほど。伝言ありがとう」
「別に。ついでに使われただけだ」

 たしぎちゃんが下手をこいた、というのがどういう中身なのかは訊かずとも分かる。そしてそれこそがスモーカー先生が図書委員の顧問になった理由でもある。スモーカー先生の苦労を思いながら鍵を鞄に入れていると、廊下からドタドタと駆ける音と争うような声が聞こえてきた。

「トラ男ーッ! 帰るぞーッ!!」
「おうトラファルガー。今日こそ誰が1番強ェか勝負だ」
「……チッ」

 E組のルフィくんとS組のユースタスくん。この学校イチのお騒がせ男子といっても過言ではない2人が、トラファルガーくんを迎えに来てこう叫ぶ。いつも物静かであまり人とつるむような人じゃないトラファルガーくんが、どうしてこの2人と仲良しなのかがイマイチよく分からない。だけどトラファルガーくんは忌々しそうに舌打ちはするものの、本気で嫌がっているわけではないみたいだから、彼らはきっと対等な友達なんだろう。ハァと溜息を吐きながらも鞄を持ちルフィくんたちのもとへと歩いていくトラファルガーくん。……視界が一気に騒がしくなった。険しい表情を浮かべて会話するトラファルガーくんと、そんなのお構いなしに笑うルフィくんとユースタスくん。そんな3人を見つめる女子たち。この光景にタイトルを付けるなら、“青春”ってところかな。もちろん私は眺めるだけだ。早く図書室に行かないと。

「えー。良いじゃんかちょっとくらい。遊ぼうぜ」
「ふんっ。トラファルガー、お前さては逃げようとしてるな?」
「だから……ッ! あ、おい図書屋」

 図書屋――。私に与えられた珍しい呼び名だ。その名を呼ばれ立ち止まるとトラファルガーくんがこちらに向かって歩いてきた。一体何事だろうと立ち竦む私に辿り着いたトラファルガーくんは、そのままスタスタと歩みを進めてゆく。……何事? え、私は今呼ばれませんでしたか? 気のせい?

「早く来い。行くぞ」
「え、あ、」

 早く来い、行くぞ。……ん? トラファルガーくんの言葉を理解しようとすると、“目的地が一緒なので、そこまで一緒に行こう”ってことで良いのか。そのように理解し駆け足気味に歩みを進めトラファルガーくんの少し後ろを陣取る。……なんか、なんていうか……。ドキドキする。なんでか分からないけど。憧れの人と近くに居るから? それだと教室での距離感はどうなんだって話になる。……分からないけど。なんだかドキドキする距離感だ。



「誰も居ねェな」
「自習室あるし。参考書とかあっちの方がたくさんあるから」
「なるほど」

 トラファルガーくんと2人で図書室に辿り着き、所定の位置であるカウンターに腰掛ける。そんな私を見た後トラファルガーくんは少し離れた席で私と向かい合うようにして椅子に座る。そのまま鞄から参考書を取り出し、カリカリとノートにペンを走らせる姿は、まさに“自習”だ。たった今言った通り、自習室の方が勉強する環境には適しているはずなんだけれども。まあそれをトラファルガーくんに言う勇気も、言いたいと思う気持ちもないけれど。だけど、向かい合うような位置関係はちょっとむず痒い。その気持ちを誤魔化す為に小さく咳をし、私も自分の仕事に取り掛かる。……とはいっても利用者の少ない図書室なので、仕事もすぐに終わってしまうのだけれども。
 早々に仕事を終え手持無沙汰になった私は、鞄から小説を取り出し物語の続きを読むことにした。たしぎちゃんに“この小説が面白いから図書室に置いて”と頼んでいるけれど、今のところそれは叶ってはいない。シリーズ展開しているから取り寄せるのにも手間暇がかかるのだろう。

「図書屋」
「あ、ハイッ」
「それはなんていうタイトルだ」
「それ……? あ、本?」

 勉強の小休憩なのか、本から顔をあげるとトラファルガーくんも頬杖をついた状態でこちらを見つめていた。その視線にドキっとしつつ、小説を持ち上げ表紙を見せる。トラファルガーくんが表紙のデザインに興味を持ってくれたことに少し高揚する。私もこのデザインが気になって買ったから。“ジャケ買い”というやつだ。タイトル名を告げるとトラファルガーくんがインプットするように頭を少しだけ揺らす。読むのかな、この本。だとしたら感想訊いてみたいな。……なんて。

「そろそろ帰るか」
「え、あっ! もうそんな時間!? やばっ」

 トラファルガーくんの言葉にパソコンに表示された時刻を見る。トラファルガーくんに言われなかったら私ずっと図書委員やってるところだった。これじゃたしぎちゃんを笑うことなんて出来ない。慌てて立ち上がったせいで膝をカウンターに打ちつけ悶絶していると、トラファルガーくんがふっ、と笑った気がした。その声にカァっと熱を持つ耳をどうしようかと思っているうちにトラファルガーくんが席を立つ。そうしてカウンターに置かれた鍵を手にし出入口へと歩いてゆく。そのあとを慌てて追い図書室の照明を落とす。そうしてトラファルガーくんが扉に鍵を閉めた後、トラファルガーくんは職員室へと歩き出すので私も慌ててあとを追う。戸締りまでしてくれるのは一体何故なんだろう? トラファルガーくんってあまり自分のことを話すタイプじゃないから、今何を考えているのか分からない。

「おい図書屋」

 トラファルガーくんから名前を呼ばれたのは数日後の教室でのこと。あの日は鍵を返却したあと特に何を言うでもなく解散した。それからは特になんの変化もない日々だったので、あれはトラファルガーくんの気まぐれだったのだろうと思っていた矢先。もう呼ばれることなんてないと思っていた呼び名を口にされ思わず体を硬直させる。油の切れたロボットのようにギギギ、と首だけ横に動かしトラファルガーくんの方を向くと、トラファルガーくんの視線は間違いなく私に向けられていた。

「は、はい」
「あの小説はどういう順番で読めば良い」
「しょ、小説……?」
「図書屋が読んでたヤツだ」
「あっ。あれ、」

 本当に読んでくれたんだ……。あの小説、時系列バラバラで刊行してるから、確かに順番が分かりにくいかもしれない。トラファルガーくんがあの小説を手にしてくれたことに喜びを感じながら小説のタイトルをメモに走り書きし、それを手渡す。メモを渡す時、トラファルガーくんの長い指が一瞬私の指に触れて心臓が有り得ない程脈打ったのは私だけの秘密だ。

「“0”が付いているのが1番昔の物語で、“X”がメインの物語とゼロの間、“2”って付いてるのがメインの続編、“新”って付いてるのが数年後の世界線って感じだと思う」
「へェ」
「や、ややこしいよね。でも、どれも面白いから是非」

 メモの情報を口頭でも説明し、未だ激しめに脈打つ心音をひた隠す。なんだろうこのプレゼン終わりの緊張感は。プレゼンなんてしたことないけど。誰かに自分の好きなものを紹介するのはどことなく緊張してしまう。もし“大したことない”とか思われたらどうしよう。“こんなものが好きなのか”と鼻で笑われたらどうしよう。

「助かる。ありがとう」
「っ、うんっ!」

 トラファルガーくんって、何を考えてるのか分からない。だけど、人が好きなものを笑うなんてことはしない人だ。そういう人だから、私の好きなものをもっと知って欲しいなんて思ってしまう。



「ここは本当に誰も居ねェんだな」
「トラファルガーくん!」

 数日ぶりの図書当番が回ってきていつものようにカウンターに腰掛けていると、トラファルガーくんがやって来て溜息がちに声をかけてきた。読んでいた小説から顔を上げトラファルガーくんを見上げると、トラファルガーくんも私を見下ろしじっと見つめ合うような体勢になる。……まずい、今私思いっきり笑いかけたみたいになってしまった。トラファルガーくんが来てくれたことが嬉しくてつい。馴れ馴れしい奴とか思われてないかな。

「本の持ち込みはアリか」
「あ、うん。大丈夫だよ」
「そうか」
「……あ」

 パッと視線を逸らしている間にトラファルガーくんはこの前と同じ場所に腰掛け、質問と同時に鞄から小説を取り出した。その小説があの日問われた小説であると認識し思わず飛び出る声。本当に買ってくれたんだ。しかも0のヤツ。メモ通りの手順で読もうとしてくれてる。……どうしよう。めちゃくちゃ嬉しい。私は作者か。

「は、話しかけても良い?」
「あァ」

 恐る恐るかけた声は、トラファルガーくんにきちんと届いた。そしてトラファルガーくんは嫌な顔もせず本から視線を外し私に向き合ってくれる。そして私が意を決す間も、トラファルガーくんはどこか楽しそうに言葉の続きを待っている。

「その小説、好き?」
「図書屋は」
「私は……大好き」
「そうか。おれも好きだ」
「ほんと……!? 良かった〜……!」

 自分が好きな物を好きと同意してもらえた。しかもその相手はあのトラファルガーくん。こみ上がる気持ちに思わず手を口に当て喜んでいると、もの凄い音と共に「あっ」と人の驚く声が聞こえそちらに意識を向ける。するとそこには顔を真っ赤にしたたしぎちゃんが居て、メガネを何度も忙しなく上げていた。

「ごめんなさい、私ったら……。ぬ、盗み聞きするつもりはなくって……」
「…………アッ。ち、違います! たしぎちゃん今のはッ」
「私スモーカーさんにちょっとただならぬ用事が出来たのでッ」
「た、たしぎちゃん! 違うから!」

 ああ、行ってしまった。下手したら明日スモーカー先生から“たしぎからどうしたら気配を消して仕事が出来るか相談されたんだが”と言われ事の顛末の問い質されることになるだろう。そうなったらそうなったで事の次第を話せば良いだけなんだけど。ちょっと面倒だ。そして、そうなるとトラファルガーくんのことも話題に出さないといけなくなる。変に勘の良いスモーカー先生のことだから、そこからトラファルガーくんと私のことを紐づけて考えることになりそうだ。……私は嫌じゃないけど。トラファルガーくんからしたら良い迷惑だろう。

「ごめんね、トラファルガーくん」
「何が」
「私のせいで変な勘違いされちゃって」
「別に図書屋のせいじゃねェだろ。勘違いなんざ放っておけ」
「でも……」
「そんなモン気にしてたらキリがねェ」
「ほへえ」

 おモテになられる方は次元が違うなあ。こんな勘違いなんて日常茶飯事だってことか。あっけらかんとした様子のトラファルガーくんに思わず意味不明な感嘆の声をあげていると、トラファルガーくんの表情が再びニヤリとしたものへと変わる。

「それで。どこが好きなんだ?」
「あ、えっと「おれの」……オッ!?」
「ふっ。冗談だ」

 さっきの今でそんな冗談言うなんて。トラファルガーくんって実は悪戯好きなのかな。あと、結構笑う人らしい。意地悪されたことに少し頬を膨らませながらも“小説の”好きなところを語ると、トラファルガーくんも静かに話を聞き、時折「おれもあそこは良いと思った」と同意を示してくれたり、“あそこはこういう意図があったんじゃないか”と自身の考察を教えてくれたりした。そうやって2人きりで話す時間は、小説を読んでいる時と同じくらいあっという間で夢中になれる時間だった。……トラファルガーくんと2人きり。私、結構好きかもしれない。
 
「あのね、トラファルガーくん」
「ん?」
「これから、もし良かったら教室でも話しかけても良い? トラファルガーくんの邪魔はしないから」
「邪魔?」
「トラファルガーくんって教室で医学書読んでるでしょ? その時は声かけないように気を付けるから」

 言って気付いた。トラファルガーくんは教室でいつも本を読んでいる。ということは、邪魔じゃない時なんて1分たりともないのでは? 声を掛けるだけで邪魔なんじゃ? ああどうしよう。スモーカー先生に“どうしたら気配を消してクラスメイトでいられるか”相談したい。「意味が分からん」と眉根を寄せて頭わしゃわしゃされる未来しか見えない。

「別に。声をかけられたくらいで邪魔なんて思わねェ」
「ほんと? ちょっとだけ会話するのも大丈夫?」
「逆に、おれから図書屋に声をかけるのもアリか」
「そ、そんなのっ大歓迎だよ! 私なんて友達居ないからいつだって声かけてもらっても平気! トラファルガーくんを邪魔になんて思わないっ」
「ふっ。友達居ねェことをンな胸張って言うな」
「あっ……」

 カァっと染まる頬。陰キャの出しゃばりは良くない。そう自覚してたつもりだったのに。思わずはしゃいでしまった自分自身を恥ずかしく思っていると、トラファルガーくんがもう1度笑う気配がした。もしかしてバカにされたのかなと不安に思ってちらりと目線をあげてみる。するとトラファルガーくんはふいっと視線を逸らし、不自然な咳払いをしてみせた。顔が見れないからトラファルガーくんが何を考えているかが分からない。それを知りたいと思うのは、ワガママなのかな。出しゃばりなのかな。……だけど、知りたい。

「トラファルガーくん」
「……帰るぞ」
「え、あ。うん」

 視線は合わされないまま。トラファルガーくんが鞄を持ってスタスタと出口へと歩いていく。トラファルガーくんが居る図書室は、時間の流れがあっという間だ。たしぎちゃん、結局帰って来なかったな。今日はスモーカー先生から鍵預かってないから戸締りは出来ないけど、一応職員室に寄って帰ることは報告しておこう。後は戸を閉めるだけの状態にして最後に照明を消すと、図書室の外で壁にもたれていたトラファルガーくんも職員室へと歩き出す。前の時もそうだったけど、どうして待ってくれるんだろう? トラファルガーくんのことはまだよく分からないけど、一緒に居られるならそれで良い。そんな思いを秘めてトラファルガーくんと共に歩く私は、ずるいのかもしれない。

「あ、スモーカー先生」
「おォ。帰るのか」
「はい。たしぎちゃんがどこかに行っちゃって。鍵閉めれてないんですけど」
「話は聞いた。戸締りはするよう言ってあるからお前らは帰って良いぞ」
「……話は……聞いた……んですか」
「あァ。“青春を見た”とかなんとか。興奮しながら喚いてた」
「ち、違うんですスモーカー先生! あれはそういう意味じゃなくッ」
「なんだァみょうじ。たしぎみてェだな」
「せ、先生ッ」
「あー、分かってるよ。良いからさっさと帰れ」
「んもうっ!」

 じゃあな、と手を振って立ち去るスモーカー先生。トラファルガーくんは気にしてたらキリがないって言ってたけど。やっぱり気になるものはしょうがない。私はトラファルガーくんじゃないから、この手の話にはとても疎いのだ。いわば不慣れ。経験値が違う。

「おれらはどうやら青春らしい」
「……トラファルガーくんって、“青春”って言葉似合わないよね」
「テメェ……。言ってくれるじゃねェか」
「あっごめんっ。つい」

 零れ出た本音にぎゅっと眉根を寄せられ慌てて謝る。私をからかうつもりで言った言葉が不発に終わったのが気に喰わないのか、舌打ちを放ってから歩き出すトラファルガーくん。その歩みがいつもよりゆっくりなのは、きっと私が追い付けるようにしてくれているからだ。その意図を汲んで足早に駆け寄りちらりと見上げると、トラファルガーくんの眉間に皺はもう寄っていなかった。……私たちがどう見えているか、トラファルガーくんがどう思っているかは分からないけれど。私がこの光景にタイトルを付けて良いのなら。“青春”ってタイトルを付けたい。


 
「トラファルガーくんって、頭良いよね」

 ポツリと出た言葉は、隣の席に座るトラファルガーくんにも届いた。100と右上に書いてトラファルガーくんに渡す用紙は、今しがた行われた数学の小テストだ。トラファルガーくんから返された私の用紙には78とトラファルガーくんの字で書かれている。スモーカー先生の作るテスト結構難しいのに。なんで満点がとれるんだろう。そんな疑問は、医者の道を目指す彼には愚問なのかもしれない。にしても満点はさすがに“頭が良い”というありふれた感想を浮かべてしまうのもしょうがないだろう。

「ロー、また満点か」
「おう」
「くそったれ」

 スモーカー先生がトラファルガーくんの言葉に苦虫を噛み潰したような顔を浮かべてみせる。教師としてどうなんだ? という言動だけど、そんなのをこの先生に対して浮かべていたらそれこそキリがない。これで結構良い先生だし。ただまあ、トラファルガーくんとテストで勝負しているあたりはどうにかして欲しい。そのせいでテストの難易度が上がっている気がしないでもないから。行き過ぎると学年主任の青キジ先生辺りからどやされるんじゃないだろうか。……そんなのもどこ吹く風なんだろうけど。

「あ、なるほど。この公式使うんだ。ありがとう、トラファルガーくん」

 返って来た用紙には、トラファルガーくんによっていくつか解説を書き込まれていた。その中の1つに、どうしても分からない問題があってちらりとトラファルガーくんを見つめてみる。トラファルガーくんもその視線に気付くなり手を差し出してくるので、これは話しかけて良いという合図だ。

「ごめんね、どうしてもここの解き方が分からなくて」
「ここは――……」

 カリカリとペンを走らせるトラファルガーくん。手元を覗き込むために椅子を近付け聞き耳を立てる。……トラファルガーくんの声、低くて聞き取りやすいな。というか教えるのまで上手だ。トラファルガーくんの声がこんな近くで聞こえるのなんて初めてで、思わずそっちに意識がとられてしまう。説明してくれてるのに、意識が引っ張られてしまう。いやちゃんと聞かないと――そんな葛藤を繰り広げていると「聞いてんのか」とペンで軽く頭を小突かれてしまった。

「ごめんなさい」
「ハァ。もっぺん1から言ってやる……が、次気ィ抜いたら張っ倒すからな」
「ヒィッ」

 恐ろしい言葉に思わず息を呑むと、そこでようやく私たちにクラスの視線が集まっていることに気が付いた。……教室で話しかけて良いとは言われたけど。相手はトラファルガーくんだ。私なんかがこんな風に親しくしていたら、周囲からしてみたらどういう了見だと心穏やかにはいられないだろう。ましてやトラファルガーくんはこんな風にクラスメイトと話すなんてあまりしない質だ。たしぎちゃんみたいな勘違いが生まれたら、それこそトラファルガーくんにかかる迷惑が甚大だ。トラファルガーくんは気にしないかもしれないけど、防げる勘違いは防いでおかねば。

「や、やっぱり自分で考えるよ。ありがとう」
「いや、おい……。冗談だ。張り倒すとかしねェよ」
「ううん、大丈夫。分かってる」
「ま、待て図書屋」
「オイ! 誰が雑談して良いっつった! ローとみょうじみたいに分からねェ問題はテメェら教え合え!」

 じゃねえと授業始めるぞ! そう続けるスモーカー先生の怒鳴り声で、こちらに向いていた視線が一気に散る。それぞれのテスト用紙に視線が落ちたのを見たスモーカー先生は、ハァと溜息を吐いてそっとこちらへと視線を向ける。そうして静かにグッと立てる親指。…………絶ッッ対わざとだ。ぐうっと歯噛みしてみせるとスモーカー先生はその手を崩し今度は追い払う仕草をしてみせる。今の怒鳴り声は私たちに対しても向けられている。そうして大義名分を得て再びトラファルガーくんの方を向くと、トラファルガーくんの表情が悔しそうに歪んでいた。その視線が向かう先はスモーカー先生だ。咄嗟に振り返った先で、スモーカー先生はしたり顔を浮かべてみせる。……これは一体、なんの勝負なんだ?

「白猟屋め……!」
「と、トラファルガーくん。自分で考えるって言ったクセにアレなんだけど……。やっぱり教えてくれないかな」
「……貸せ」
「ありがとう」

 再び始まるトラファルガーくんの解説。ここまでは分かるか? と問われる度にトラファルガーくんの視線が私に向けられる。彼はクラス中の視線を集める側の人で、いつだってその視線に応えることはしない。そんな彼が、私のことを何度も見つめている。トラファルガーくんの視線を、独り占めしている。なんだかそれがひどくむず痒くて、嬉しい。烏滸がましいことかもしれないとも思うけど、あとちょっとと願う気持ちを止めることが出来ない。出しゃばらないように気を付けるから。だから、あと少しだけ。トラファルガーくんと一緒に居たい。

「……で、答えはこうだ」
「なるほど……。すごい。私、今無敵かもしれない」
「ふっ。大袈裟だな」
「トラファルガーくん、私の先生になってよ」
「先生、ねェ。そう呼ばれるのも悪かねェ」

 先生という職業を噛み締めるように呟くトラファルガーくん。いつも医学書を読んでいるし、成績だって常に上位。“医者になる”という強い意志を感じるトラファルガーくんが、どうしてこの高校に来たのか。医学部進学に強い高校なら他にもあるハズなのに。

「トラファルガーくんは、なんでこの高校を選んだの?」
「なんで……」
「ごめん。踏み込んだこと訊いちゃって。なんでもない」

 出しゃばらないようにすると言った矢先でコレだ。自分のことを話したがらないトラファルガーくんを、もっと知りたいと思ってしまった。そしてそれをあろうことか本人にぶつけてしまった。この前から私は憧れの人に近付こうとし過ぎだ。思っていたより相手が優しい人だったからって、調子に乗っている。私なんかが親しくして良い人じゃないのに。教室で話して良いという言葉を真に受けてしまった。ぎゅっと唇を噛み締め俯く私に、トラファルガーくんは溜息を零す。

「おまえはじれったい」
「えっ」
「邪魔にも思わねェし、踏み込まれたとも思わねェ。だからもっと胸張っておれの傍に居ろ」
「……えっと、」
「傍に居ろっつうのは……なんつうか……その、」
「トラファルガーくん?」

 もごもごと口籠る様子を不思議に思っていると、トラファルガーくんはガシガシと頭を掻いてぎゅっと眉根を寄せてみせる。まるで解けない問題を前に悪戦苦闘しているみたいだ。その様子がおかしくて、ついふっと笑みが零れる。そうして零れ出た笑いに、トラファルガーくんはまた舌打ちして「誰のせいだと思ってんだ」と睨んでくる。どうやら私のせいらしい。トラファルガーくんはよく分からない。だけど、今彼が言ってくれた言葉は普段自分のことを話さないトラファルガーくん自身の気持ちだ。それを言ってくれたことが堪らなく嬉しい。私の気持ちは、邪魔でもないし踏み込んだものでもないらしい。そう言ってもらえたことは、私にとって何よりの自信になる。それだけで周りからどう思われようと構わないと思えるから、トラファルガーくんはやっぱり凄い。

「よォ、生徒諸君。勉学の時間を使って行う青春は楽しいか?」
「チッ」
「そんなにおれの作った問題がつまらねェなら、お前にだけ特別問題でもやろうか?」
「要らねェよ」

 ぎゃあぎゃあと言い合う2人に、いつしか教室の視線が集まる。そしてその視線の中心に居ることに2人は気付きもせず言葉で応戦し合う。2人はこの光景が私たちN組の秘かな名物であることを知らない。この光景も、名前を付けるとしたら“青春”になるのだろう。



「図書屋」
「トラファルガーくん」

 今日は来ないと思ってた。トラファルガーくんが来なかったからほぼ無人の状態だった図書室。たしぎちゃんに別れを告げて扉を閉めたら、トラファルガーくんが立っていた。こんな時間に一体どうしたんだろうと思っていると、トラファルガーくんは廊下を歩き出す。歩く方向は下駄箱。どうやら帰ろうとしているらしい。私も目的地は一緒なので必然的にトラファルガーくんのあとを追うとトラファルガーくんも歩幅を合わせてくれる。

「間に合わなかった」
「何に?」
「本当は今日も行くつもりだった。が、麦わら屋たちに捕まっちまった」
「ああ。ルフィくん」

 ルフィくんとユースタスくん。トラファルガーくんとは正反対そうな2人だけど、彼らはよくトラファルガーくんとつるんでいる。捕まったって言ってるけど、本当に嫌だったらちゃんと逃げるはず。それをしないってことは、トラファルガーくんも彼らとの時間をそれなりに楽しいものとして過ごしているのだろう。最近トラファルガーくんは図書室によく来てるから、ルフィくんたちは寂しかったんだろうな。トラ男〜! と悲しそうな声でトラファルガーくんに引っ付くルフィくんが脳内に浮かんで思わず笑ってしまう。仲良しだよなあ、3人。

「楽しかった?」
「……まァ。あいつらはアホだが、バカじゃねェ」
「んん?」
「のクセしてバカみてェにおれに構うのは鬱陶しいが」
「ふふっ。よく分かんないけど、楽しいなら良かった」

 学校を出てから2人で歩く道。トラファルガーくんと下校するなんて、なんだか夢みたいだ。図書室に行けなかったなら、わざわざ来ることもなかったのに、と頭のどこかで思うけれど、そんな冷静な考えは持つだけ野暮だ。素直に一緒に過ごせている今を味わおう。それにしても、トラファルガーくんはどうしていつも図書室に来るんだろう。勉強なら家でも出来るはずだけど。
 
「おれがこの高校を選んだ理由だが」
「あ、うん。この前の」
「ここは、おれの恩人が通っていた高校なんだ」
「恩人?」

 私が前にした質問。その質問の答えをくれるトラファルガーくんを見上げると、トラファルガーくんの視線は空へと向けられていた。吐く息の白さは、夜空に向かって消えてゆく。その行方を見つめトラファルガーくんがもう1度息を吐き、夜空に白を描いてみせる。

「昔おれは大病を患っていた」
「そうなんだ……」
「幸い、おれの父が名医だったおかげで今は完治しているが。長らく入院生活を送る日々だった」

 トラファルガーくんの過ごした日々を知らないから、簡単なことは言えない。だけど、トラファルガーくんの語る過去は決して楽なものではなかったのだろう。その過去を私なんかが聞いて良いのだろうかとも思ったけれど、これはトラファルガーくんの意思で明かされている。だったら、ちゃんと聞きたい。トラファルガーくんのこと、もっときちんと知りたい。

「そこである人に出会った。その人は、辛い闘病生活を送るおれにいつも笑いかけてくれた」
「そっか」
「おれは可愛げのねェガキで、いつもその人に突っかかってばかりだった。それなのにその人はいつだっておれを励ましてくれた。いつしかおれは、闘病の辛さよりその人と過ごすことの方が楽しくなっていた」
「それは、恩人になるね」
「あァ。あの人が居なけりゃおれは病を倒せてねェ。大恩人で、大好きな人だ」
「……なんか私も、その人のこと好きになっちゃった」

 一体どんな素敵なお医者さんなんだろう。トラファルガーくんの話に出てくる恩人に想いを馳せていると、トラファルガーくんも柔らかく微笑む。本当に、大好きな人なんだな。トラファルガーくんが医者になりたい理由はよく分かった。私にとってのトラファルガーくんみたいな存在が居たからだ。

「その人が通ってた高校がココなんだ」
「へェ。その人も。珍しいね? 医者がこの高校を選ぶなんて」
「医者? コラさんは医者じゃねェ。塾講師だ」
「えっ? コラさん……塾講師……?」
「おれらの高校の校長居るだろ。センゴク。アイツがコラさんの恩師らしい。だからコラさんは塾講師になったんだと」
「待って……その話、私知ってる」
「はっ?」

 トラファルガーくんの言う“コラさん”ってもしかして……。私の思い描く人と一緒? あの、ちょっとどころじゃないドジさを誇るあの人? 下手したらたしぎちゃん以上にドジなあの……いつもニコニコ笑ってる……あの人?

「私、中学校の頃通ってた塾がこの近くにあるんだけど。そこの先生が“コラさん”って呼ばれてたんだ」
「もしかしてその人の名前……“ドンキホーテ・ロシナンテ”じゃねェか?」
「……! やっぱり……。じゃあもしかして、“コラさん”って呼び始めたのってトラファルガーくん?」
「あァ。そうだ」
「そうなんだ……わ、すごい。なんか今色々繋がった」

 なんで“ドンキホーテ・ロシナンテ”なのに“コラさん”と呼んでくれと言うのかとコラさんに昔問うた時、コラさんは「昔おれをそう呼んでくれた子が居たから」と嬉しそうに笑ってみせた。その相手がトラファルガーくんだったのだ。そういえばあの時のコラさんも、トラファルガーくんみたいな表情を浮かべてたっけ。

「あれ? でもなんでトラファルガーくんとコラさんが出会うの?」
「コラさんの家は色々あってな。それでよく怪我してウチの病院に運ばれてきてたらしい」
「えっ、そうなんだ?」
「まァ、あの時は自分の足に躓いて両足骨折したとかだったが」
「自分の足に躓いて??」

 しかも両足? そのエピソードが思いっきりコラさんって感じで、思わずお腹を抱えて笑ってしまう。ドジだなあコラさん。昔っからそうなんだ。高校に入ってから全然会ってないけど、元気にしてるかな。トラファルガーくんとの会話でハッキリと浮かぶコラさんの顔。その顔を懐かしんでいるとトラファルガーくんも隣で笑い声をあげる。そうだ、あの人は関わった人を笑顔に出来る人だ。

「おれがこの高校を選んだのは、コラさんが通ってた高校なのと、コラさんが開く塾がこの近くにあるからだ」
「そういう理由があったんだね」
「いつも塾が終わる時間まで適当に時間を潰してた」
「なるほど」

 トラファルガーくんの言葉で図書室に来る理由を知る。今まではきっと自習室やルフィくんたちと過ごしていたのだろう。そこで偶然ひと気の少ない図書室を知り、そこを自身の場所として選んだ。コラさんのおかげで、私はトラファルガーくんとの関りが出来たということだ。あの頃から良い先生だなと思っていたけど、コラさんは塾講師になる前からずっと良い人だったようだ。

「コラさんの話出来る人が居るとは思わなかった」
「……今から会うけど、来るか?」
「えっ、私も行って良いの?」
「図書屋が良ければだが。メシ食うことになってるが親御さんは平気か?」
「大丈夫! 今日親仕事で居ないから、ご飯は自分で作るつもりだったんだ」
「そうか。じゃァ、コラさんに連絡しとく」

 突然私が来ると言われてコラさんは嫌に思わないだろうかと少しの間だけ考え、それをすぐに打ち消す。そんなことを思うような人じゃないってことは知っている。コラさんという人は、私を見てニカッと笑って元気だったか! と言ってくれるような人だ。3年振りのコラさんは一体どうなっているのか。きっと相変わらずドジやってみんなを笑わせているんだろう。



「エーッ! ここが付き合ってんのか!」
「ちげェよ」
「いやだってロー。お前……会わせたい人が居るとか言われたらそりゃお前……アッ結婚かッ!?」
「なんでそっちに飛躍すんだよ!!」

 出会って数秒。こんなトラファルガーくんは初めて見た。いつも冷静で取り乱すことのないトラファルガーくんがこんなに目を吊り上げてツッコミを入れてるなんて。なんかちょっと新鮮だ。トラファルガーくんの強烈なツッコミを受けたコラさんは気まずそうに頭を掻いた後視線を私へと動かす。そうしてそこで私が見慣れたニカッとした笑みを浮かべてみせる。

「久しぶりだなっ! なまえ。元気にしてたか」
「はい。おかげ様で」
「そうか。なまえは大人しいヤツだったから、高校でうまく馴染めてるか心配だったけど。ローと一緒なら良かった!」

 ローのこと、よろしく頼む! と頭を下げた勢いで鼻先をコーヒーカップに突っ込むコラさん。「熱ィッ!」とひっくり返り、長い足をテーブルにぶつけその衝撃でカップを倒し、零れたコーヒーが自身のコートにかかってあたふたして。そんなコラさんをトラファルガーくんが甲斐甲斐しく世話して。どちらが兄なんだろうと思いながらコラさんのコートにかかったコーヒーをハンカチで拭いている間にも、コラさんは新たなドジを呼び起こしてみせ。いくらなんでもドジに愛され過ぎだろうと笑うしかなくなって。そうしていつの間にか3人で大爆笑しながら私たちは3人で楽しいひと時を過ごした。

「図書屋」
「ん?」
「コレ、コラさんから」
「ハンカチ……?」

 コラさんと食事をした日から数日。土日を挟んだ教室で、トラファルガーくんから袋を差し出された。その中には可愛いシロクマが刺繍されたハンカチが入っていた。これは一体なんだろうと不思議に思うと、この前コートを拭いた時のお礼だと明かされる。あの時貸したハンカチのシミを落とすことが出来ず、お詫びに新しいハンカチを買ってくれたらしい。トラファルガーくんによると、土曜日は1日ハンカチ選びに付き合わされて大変だったとか。そのエピソードの“大変”が何を指しているかが容易に分かって思わず笑う。楽しい土曜日が過ごせたようで何よりだ。

「このシロクマ、可愛いね」
「だろ? おれが選んだ」
「えっそうなの? トラファルガーくんが?」
「他にもペンギンやらシャチやらもあってどれ買うか悩んだんだが」
「そっかあ。ありがとう、嬉しい。大事に使うね。コラさんにもお礼も言っておいてもらえる?」
「あァ。…………ちなみに、全部買った」
「え、買ったんだ?」

 トラファルガーくんの言葉にパッと顔をあげると「どれか1つなんて、選べっこねェだろ」とどこか拗ねたように呟くトラファルガーくん。シロクマは私、他2つはそれぞれトラファルガーくんとコラさんが持つことにしたのだという。

「ふふっ。お揃いだね」
「図書屋が嫌じゃなければ、だが」
「ううん。嬉しい」
「そうか。……コラさんが、」
「うん?」

 ハンカチを眺めているとトラファルガーくんの言葉が続く。その割にその続きを言わない様子を不思議に思っていると、唇を変な形に歪ませながら「コラさんが!」と強めに主張してみせるトラファルガーくん。

「また図書屋に会いてェそうだ」
「ほんと? 私も会いたい」
「だから! また今度、メシに誘って良いか」
「うん! 私も行って良いのなら是非! この前すっごく楽しかった」
「だが……その、コラさんもああ見えて社会人だ」
「うん。ああ見えてね」
「だからコラさんが来れねェ時もある。その時はおれと2人になるかもしれねェが……それでも良いか?」
「エッ」

 それはつまり、トラファルガーくんと2人きりでご飯を食べるということ……? それってなんか……ちょっとデートっぽくないか? そのシーンを想像して思わず固まった私を、トラファルガーくんは拒否と捉えたらしく呆然とした表情を浮かべてみせた。

「あっちがっ、い、嫌じゃなくて! い、良いのかなって思って」
「……ハァ。そうだった。図書屋はそういうじれったいヤツだった」
「えっ?」
「おれまでじれってェヤツになってちゃ、世話ねェな」
「トラファルガーくん?」

 トラファルガーくんの言葉がよく分からず首を捻っていると、トラファルガーくんの表情がニヤリと変わる。その表情はどこか確信めいた感情を抱いていて、思わず身震いしてしまった。まるで標的を定めたトラのようだ。そんな彼の表情を見つめる勇気が私にはなく、ゆっくり視線から逃れるようにするとトラファルガーくんはそれすら余裕の笑みで見送ってみせる。なんだろう、このじわじわ追い詰められてる感じは。



「わっ」

 スモーカー先生に頼まれたプリントを運んでいると、向こうから吹いてきた風によってプリントが数枚廊下に舞う。ひらひらと舞うプリントに踊らされるようにあとを追うと、風を起こした張本人がそれに気付き踵を返す。

「ん」
「ありがとう、ユースタスくん」
「お前……確か……“図書屋”か?」
「そ、うです……?」

 肩で風を切るように歩いていたユースタスくん。彼はいつも大きな体で自信満々に歩いている。真ん中以外の道を知らなそうな彼が道端を歩く私なんかを知っているとは思ってもみなくて、つい声が上擦ってしまった。というか“図書屋か”という質問にハッキリと頷いて良いものかどうかも微妙なところだ。私をそう呼ぶのはトラファルガーくんくらいだし。

「トラファルガーとよく居る女だよな」
「えーっと……仲良くはさせていただいています」
「仲良く、ねェ。お前名前なんつーんだ?」
「みょうじなまえです」
「へェ。なまえか」
「えっと……」

 私の抱えるプリントの上に手を置いたまま、じっと見下ろしてくるユースタスくん。その手が退かないせいで私自身も逃げることが出来ない。なんだろう、なんでこんなまじまじと見つめられるんだ? トラファルガーくんよりもおっきいユースタスくんは、強面なのも相まって威圧感が物凄い。あれか? 最近トラファルガーくんが図書室によく来るから、私が奪ったみたいに思われてるとか?

「あの、トラファルガーくんを独占して? ごめんなさい」
「は?」
「いやあの前にトラファルガーくんが言ってて。“麦わら屋たちに捕まった”って。だから、ユースタスくんはトラファルガーくんともっと遊びたいのかな、と……思いまして」
「ハァ!?」
「ヒィ」

 違うの? え、違うの? 何もう怖い。なんでそんな目を剥くの。口をわなわなと震わせて何か言葉を探している様子のユースタスくんが、1番上にあるプリントをぐしゃりと握りしめる。……ああ、それトラファルガーくんのヤツ……。

「お、おれが……アイツとつるめなくなってつまんねェと思ってるって……?」
「ち、違うんですかね? 違うんですね、すみません。間違ってすみません」

 こうなったらトラファルガーくんのプリントを犠牲にして逃げようか。目をぎゅっと瞑りながらそんなことを思っていると、ユースタスくんの手が第3者の手によって掴まれ乱雑に振り払われた。

「おいユースタス屋。図書屋に絡んでんじゃねェ」
「ト、トラファルガーくん……!」
「ふんっ。ヒーローみてェな登場だな」

 ユースタスくんには申し訳ないけど、今の状況は私にとってもトラファルガーくんがヒーローに見える。悪役はユースタスくんだ。そんな思いでトラファルガーくんの後ろに隠れユースタスくんから距離を取ると、トラファルガーくんはふっと勝ち誇ったような笑みをユースタスくんに向ける。対するユースタスくんはその笑みを見て一瞬カチンッとしたようだったけど、すぐに負けじと表情を歪めてみせた。

「なるほどなァ。トラファルガー、てめェを強請る良いネタが出来た」
「何言ってやがる。そんなもんはねェ」
「じゃァな。図書屋……いやなまえ」

 去り際、ユースタスくんは私の肩に手を乗せこう囁く。その割に視線は一切私ではなくトラファルガーくんに向けられていて、トラファルガーくんもその視線を忌々しそうにして睨み返していた。“強請るネタ”はきっと、私のことだ。私のせいでどうやらトラファルガーくんが不利な状況になったらしい。そのことが申し訳なくて顔を俯かせていると、トラファルガーくんが私の腕にあるプリントを奪って歩き出す。

「ト、トラファルガーくん。ごめんね……?」
「謝るこたァねェ。ユースタス屋は別に勘違いもしてねェから」
「んん?」
「つーか。何名前教えてんだよ図書屋」
「だって訊かれたから……」
「しかも下の名前で気安く呼ばれてんじゃねェ」
「えェ……?」

 それは……ユースタスくんに言ってくれないかなあ?



「腹減ったァ……」

 お昼時。学校の中で1番の賑わいを見せる食堂に出向くと、入り口付近に倒れ込み真っ白な灰のようになっている男子生徒が居た。いっつも元気いっぱいな姿は一体どこに行ったのか。普段の様子からは似ても似つかない姿につい心配になって声をかけると、ルフィくんの萎んだ瞳が力なく私を捉える。

「大丈夫?」
「金がねェんだ……せっかくサボにお小遣い貰ったのに」
「あの、良かったら一緒にご飯食べる? この間の小テストの出来が良かったから、ご褒美にお小遣い貰ったんだ」
「えっ良いのか!! お前良いヤツだな!」

 途端に回復し、貰ったお小遣い分のパンを一気に平らげたルフィくんは目の前で満足そうにお腹を撫でている。ししし、と笑う姿はいつもよく見る姿だ。

「エースから渡された小遣いはすぐ使い切っちまって。見兼ねたサボが“エースには内緒”ってお小遣いくれたのに。それも使っちまったんだ」

 エース、サボ。どちらも血の繋がりはない兄弟だと紹介してくれたルフィくんは、そんな2人をそれでも大事な人だと胸を張る。その姿がトラファルガーくんとどこか被って見えて、私も思わず微笑みが零れる。ルフィくんとトラファルガーくんが仲良しな理由がなんとなく分かる。そして、どうしてルフィくんの周りには人が集まるのかも。ちょっと話しただけで分かってしまった。ルフィくんはそういう人だ。

「匂いつられて食堂に来たら、お前と会えた! ししし!」
「ふふっ。小テスト、頑張った甲斐あったよ」
「そういやお前確かトラ男と一緒に居るよな? なんだっけ。えーっと“本屋”!」
「惜しい。“図書屋”だね。ちなみに、本名はみょうじなまえです」
「そうか、なまえか。こないだギザ男が連呼してたなーそういや」
「ふふっ。トラ男、ギザ男」

 あの2人をそんな名前で呼べるなんて。学校イチの大物だな。そしてルフィくんはそんな事実なんてどうでも良いかのような顔で毎日を笑って過ごしている。ルフィくんは明るくて自由で、太陽みたいな人だ。

「トラファルガーくんとは、最近仲良くなったんだ」
「そっか! 良いヤツだよな」
「うん。はじめは近寄り難いなぁ〜とも思ってたけど、ちゃんと話してみたら少年みたいに熱く語ってみたり、お世話になった人の前では無邪気になったみたり、ルフィくんたちと居る時は素で楽しんでるんだなあって思ったり。見てて飽きない」
「しししっ! なまえはトラ男のこと大好きなんだなっ!」
「ッ!」

 大好き――。なるほど。私の感情は、その言葉で表せるのか。ルフィくんが当然のように言ってのけた言葉に思わず呆ける。そうか、私は、大好きなのか。トラファルガーくんのことが。そしてそれは、トラファルガーくんがコラさんに向ける気持ちや、コラさんが私たちに向ける感情とは少し違った意味合いを持つことにも。今気が付いた。

「ルフィくん……。私、トラファルガーくんのこと好きみたい」
「……? おう、だな」
「どうしよう、憧れじゃない」
「ん?」

 私の言葉に頭を捻るルフィくんは、彼を探していたというサンジくんたちに声をかけられ「じゃあななまえ! メシありがとう!」と笑いその場から立ち去ってゆく。意識の向こうでサンジくんが「そんなこったろーと思ってメシ作ってきてやったぞ」という声が響く。それにはしゃぐルフィくんの声を聞きながら、私は“大好き”という感情に心を囚われていた。



「いやおれじゃねェだろ!!」
「ですよね……」
「いや肯定すんなッ!」

 誰も居ない教室。今日は塾の定休日だ。それでもコラさんはいつもそこに居ることを知っているので、顔を覗かせてみるとやっぱりコラさんは居た。休みの日に突然押しかけたというのにコラさんはニカッと笑って受け入れ、私の悩みに耳を傾けたあと、その相談相手は自分ではないと叫ぶ。……私もそう思う。

「あ、ハンカチありがとうございました。大事に使ってます」
「そりゃァ良かった。ローのやつが何時間も悩んで選んだヤツだ」
「そうなんですか。……知らなかった」
「おうおう。青春だなオイ」

 私と似ていて、似ていない。そんなトラファルガーくんに、私は憧れていた。自らをアピールする勇気もなければ魅力も自信もない。だからこの気持ちは恋とかそんな大それたものにもならない、“憧れ”みたいなもの。……そう思っていたのに。いつの間にかトラファルガーくんの隣に居て良いという自信をもらい、その距離感に居心地の良さを感じ、手放し難いものにしていた。恋をしていた。

「あのルフィくんに気付かれるくらい、好きみたいです」
「あー……そういうのはな? おれじゃなく本人に言え? 大事だぞ。“愛してるぜ!!”って伝えんのは」
「あ、愛ッ……」
「おれはそうしてきた」
「説得力がハンパないです」

 コラさんの言葉にぐうの音も出せないでいると、「そういうことだ。ロー」と耳を疑う言葉を入り口に向けるコラさん。……えっ!? トラファルガーくん!? 一体いつからそこに……!

「悪い。おれが呼んだ」
「こ、コラさんっ!?」
「だっておれが教えられる問題じゃねェから。こういうのは2人で解け」

 な? と言いながら頭に手を置かれ、トラファルガーくんのもとへ向かうよう促される。コラさんの温かい視線に送り出されるようにしてトラファルガーくんのもとへと行くと、トラファルガーくんはそのまま外へと歩き出す。どうしよう、すっごくドキドキする。全然大好きだ。憧れなんかじゃない。

「外堀から埋めようとすんな」
「えっ?」

 辿り着いた公園。私の首に自分が巻いていたマフラーをぐるぐると巻き付けながら言われる言葉。意味が分からず白い息を吐いてみせると、トラファルガーくんの口からも同じように白い息が零れる。

「白猟屋、ユースタス屋、麦わら屋、コラさん。周りの奴らに気付かれたり指摘されたりする前に、まずおれだろ」
「えっと……ごめんなさい?」
「……いや、おれも悪かった」
「トラファルガーくん?」

 巻かれたマフラーの端が肩から零れ落ちる。その端を捕まえ、もう1度巻き付けるトラファルガーくん。その流れのままぎゅっと抱き締められ、思わず体を硬直させる。まずい。この距離は私の心音がトラファルガーくんに伝わってしまう。バレないようしたいのに、トラファルガーくんの腕の中から離れることが出来ない。ずっと憧れ……いや、願っていた場所だと私の心が訴えている。その心に応じるように目を閉じてトラファルガーくんに擦り寄る。ああ、大好きだ。どうしようもなく。

「おれは図書屋のことが好きだ」
「私も……トラファルガーくんのこと大好き」
「図書屋……なまえ。おれと付き合ってくれ」
「よろしくお願いします」

 見つめ合い、笑い合う。じっと見つめられたかと思ったら、トラファルガーくんが私の首に巻いたマフラーをぐっと下げ私の唇を見つけ出す。それがどういう意図なのか分かり、思わず逸らしそうになる視線。それをどうにか踏ん張ってぎゅっと目を閉じる代わりに顎を上向かせると、トラファルガーくんの満足そうに笑う声がゆっくりと降りてくる。この光景にタイトルを付けるなら、一体どんなタイトルにしようか。

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