死にたがり治療

 誰も居ない島。誰の声も聞こえない。耳を塞ぐ必要もない。ただぎゅっと目を閉じていたら、あと少しで楽になれる。長くて苦しかった日々も、今感じる息苦しさで最後。だからもう、泣く必要なんてないのだ。

「お前……! ナギナギの実の能力者か……!?」

 鼓膜が震えることなんてもう二度とないと思っていたのに。サークルの中に割り込んだ人物は驚愕の眼差しを浮かべ私のことを見下ろしている。一体どうやってこの島に来たのか。というか何故こんな火の海の島で私を見つけられたのか。見つからない為にサークルを張ったのに。……あと少しで私は死ねたのに。
 唇を噛み締め顔を歪ませる私に、男はそれ以上の歪みを象り私を睨みつける。鋭い眼差しに対峙する勇気を私が持ち合わせるはずもなく、私の手札にある唯一の選択肢“敵前逃亡”を選び逃げ出そうとした瞬間。「“シャンブルズ”」という声が響き私と男は船の上に移動していた。

「おおっ! キャプテンの言う通り人が居たぞ!」
「やっぱキャプテンの“スキャン”はすげェな!」
「キャプテン万歳!」
「てか、おれら海賊が人助けって。なんか変じゃね?」
「そんなのはとりあえず置いといて。ひとまずアイアイ!」
「アイアイ〜ッ!」

 甲板で口々に言葉を放つ人たち。全員同じ色合いのつなぎを着ていて、1つの組織に属していることを表している。“PENGUIN”と書かれた帽子の人が言っていた言葉を聞く限り、彼らはどうやら“海賊”らしい。ペンギン帽子の言う通り、どうして海賊が人助けなんてしたのか。実際に行動を起こした男を見つめる。この人だけ服装がみんなと違うし、“キャプテン”と呼ばれていた。ということはこの海賊船の船長なのだろう。……ずいぶんと世話焼きな船長だ。

「医務室に来い。手当てする」
「いえ、結構です」
「チッ。良いから来い」
「大丈夫です」

 手当てしてもらったところで無駄になる。キッとこちらを睨む視線から逃れるように顔を伏せ、船から降りようと踵を返したら、腕を掴まれ身動きがとれなくなってしまった。重心が後ろに傾き思わず後退りをすれば、そのままずるずると引っ張られ医務室に連れ込まれてしまった。こんな手荒な世話の焼き方があるのか。

「あの、本当に結構なので」
「……ナギナギの実を、そんな風に使うんじゃねェ」
「えっ?」
「おれの大好きだった人の能力なんだよ。それをテメェ……あろうことか“死”に利用するなんざ、ありえねェんだよ!!!!」
「っ!」

 ガタガタと震える体。早鐘を打つ心臓のせいで呼吸も荒くなる。どうにか心を落ち着かせようと目を閉じてみても、脳内で響く怒鳴り声は消えない。ダメだ。やっぱりこびりついた声はどこにもいってくれない。この能力を手に入れてからはだいぶ島の人に見つからずに済むようになったけれど、それまで受けてきた迫害がなくなるわけではない。生きている限り、この罵詈雑言はいつだって私の中で蘇り体全体を包み込む。
 いつしかジクジクとした痛みさえも感じるようになってしまい、無意識に腕を掴む。……お願い。謝るから。たくさん、たくさん謝るから。だからもう、怒鳴らないで。私を、殴らないで。痛いのは嫌だ。悲しいのは嫌だ。寂しいのは嫌だ。――私を、独りにして。

「ごめんなさい。ごめんなさいっ。ごめんなさ、ごめんなさいっ」
「お、おい。落ち着け」
「やだっ、殴らないでっ! ごめんなさいっ! ごめんなさいっ!!」
「おいっ! しっかりしろ!」
「やだあっ! ごめんなさいっ! もう殴らないでくださいっ! ごめんなさいっ」
「分かった、分かったから」

 腕を掴む手に力がこもる。そうやって別の痛みで気持ちを紛らわせようとしてみても、脳内に映る島民の拳はなくならない。嫌だ……。痛い……。痛い……! 助けて……。もう楽になりたい。死にたい。――死にたい。
 ガタガタと震える体を、男が抱き締め背中を擦る。本当は誰かに触られることも嫌で堪らないけれどもはや私に抵抗する力もない。この状態になると私の口からはもう「殺してください」と死を願う言葉しか出てこなくなる。だからといって殺されることも、殴る手が止まることもないと既に知っているのに。いつまで経っても私は同じことを繰り返すだけ。

「死にますから。……だからもう、殴らないでください……。私を無視しないでください」
「分かった。もう分かったから。怒鳴って悪かった」
「ごめんなさい……」

 男の腕の中で咽び泣いていると、男が「“シャンブルズ”」と島でも聞いた言葉を放つ。そのあと私に「触るぞ」と手短に言い、袖を捲られる。その瞬間、男が息を呑むのが分かった。けれど男はすぐに腕をアルコール消毒し、注射針を宛がう。その針が入ったかどうかも分からないうちに注射針が抜かれ、ガーゼで圧迫止血しパッドを貼られ処置が完了したことを知る。医学的なことは何も分からないけど、この男は何かしらの知識があるらしい。あまりの手際の良さに呆然と見つめるだけで終わってしまった。
 注射針を処分した男が「気分悪ィとかねェか?」と静かに尋ねてくる。その問いに首を振ると、男も顎を引いて返事を見せる。そのまま背中をゆっくりと擦り続けてくれる男を不思議に思うも、その意図を尋ねる気力も見当たらない。ぼーっとする意識を手放さないように踏ん張る私に、「良いから寝ろ」と今度は背中をあやすように優しく叩いてみせる男。…………こんな風に背中を優しく叩いてもらうのなんて、もう何十年も前にあったきりだ。人の手って、こんなにも優しくて温かいものなんだな。



 次に目が覚めた時、男はベッド近くにある椅子に座って視線を落としていた。何かを書き込んでいるらしい動きを寝惚け眼で見つめていると、男が視線も体勢も変えないまま「体調はどうだ」と問うてきた。この人は後ろに目でもついているのか。というかそもそも、この人は海賊なはず。それなのにどうして助けただけでなく、手当てまでしてくれたのだろう。あの島からも私からも奪えるものは何もないはずなのに。……まったくもって動機が読めない。

「問診に答えろ」
「あ、はい。大丈夫です」
「そうか」

 そこでくるりと椅子を回転させベッドに近付いてくる男。自身の膝に手を置き私の顔を覗き込むように見つめられ、思わず視線を逸らす。なるべく人の視界に入らないように生きてきたから、視界の中心に据え置かれることに居心地の悪さを感じてしまう。

「名前は」
「みょうじなまえです」
「歳は二十歳くらいか」
「はい、そうです」
「……ラミと同じか」
「ラミ……?」

 男が紙に私の情報を記入していく中、“20”と書いたところでペンが止まる。立ち止まったペン先を眺めているとペンの先がカルテから離れ男の頭へと持って行かれる。そうしてボリボリと頭を掻いてみせる男が「こともあろうに焼身自殺たァ、悪趣味でしかねェ」と小さく呟く。今の言葉は私に向けて言ったのだろう。また怒鳴られるのか。嫌な予感を抱き手のひらを握りしめてみせれば、男は至って落ち着いた声色で「おれの名はトラファルガー・ロー。死にたがり屋、お前の主治医だ」と名乗ってみせた。

「死にたがり屋?」
「そうだろ。死にてェ理由はテメェの体中にある痣が原因か?」
「ッ!」
「悪い。健康状態を把握する為に触診させてもらった」

 トラファルガー・ローと名乗った男は更に「ここ最近の話じゃねェな」と確信めいた疑問を続けてみせる。言いたくはない。だけど、この状況で口を開かないなんて選択が出来る程私は強くない。トラファルガーさんがどんな人かも分からない今、下手に刺激することは出来ない。

「私の母は、島中のみんなから嫌われていました」
「母親が?」
「誰とでも寝る女。だから男は簡単に手を出すし、簡単に母を捨てる。そして女性からは軽蔑され避けられる。そんな人だったと聞いています」
「……」
「だけど、母はそうすることでしかあの島で生きていくことが出来なかった。私が居た島は、そういう島でした。そんな中、母は私を身籠りました」
「そんな環境で手助けしてくれる人なんて居たのか?」

 トラファルガーさんの問いにふるふると首を振る。私自身が産まれる前の話だから、ちゃんとした流れは知らない。だけど、そんなのは考えるまでもなく分かる。あの島の人たちがどういう人たちかは、私自身も体験しているから。

「そんな状況で私を産んだせいで、母はそこから体を弱くしてしまいました」
「助けなんて……ねェんだよな」
「それでも、母は私のことを大事にしてくれた。私を“唯一の宝”と言ってくれた。だから私は、たとえ母が周りからどんな風に言われても母を愛してました。だって私は、愛されていたから」

 私は、母にとっての宝だった。なのに、母が病で亡くなってから私自身の価値は周りの人間によってゴミ以下にされた。幼い頃から性的な目で見られることもあれば、苛々の捌け口としてサンドバックのように殴られることもあった。島から逃げようと試みても捕まり、そういう時はいつも以上に殴る蹴るの嵐が待っていた。そんなことを繰り返すうちに、抵抗する気力を奪われいつしか島の中で見つからないよう息を潜めるようになった。そんな時、見たこともない実を見つけ齧ってみた。その時からだ。私自身に不思議な力が芽生えたのは。そこからは島民に見つかることも少なくなり、このまま消えた存在として生きていけたら――。そう思って日々を過ごしている時、島の中で“天竜人がここに来る”という噂が流れだした。そしてその噂に“先住民一掃大会という名目で人間狩りが行われる”という内容まで付け加えられるようになる頃には、島民たちは逃亡の手配を始めていた。
 そして島の人たちは最後に島に火を放ち島を捨てた。天竜人が来るかどうかも、人間狩りなんて恐ろしいことが起こるかどうかも、何も分からないのに。憶測だけで今まで自分を育んでくれた島に火を放つだなんて。当たり前のように島に取り残され、住人が乗った船を燃え盛る島から見つめる。その姿を眺め、そこでようやく私は自分の人生を終わらせられるのだと胸を撫でおろした。……そして、トラファルガーさんに助けられた。

「やっと死ねると思ったのに。どうして助けたんですか……」
「誰にも助けてもらえねェ人生を、ぶっ壊したくなる気持ちはおれにもよく分かる」

 ぼそりと呟く声。それはまるでトラファルガーさんも苦しんでいるみたいで、なんとも言えない気持ちになる。トラファルガーさんの声が震えているような気がして、返す言葉が見つからない。

「だが……その能力を使って“死”を選ぶのはダメだ。やめろ」
「トラファルガーさん……?」
「おれは、フレバンスという町の出身だ」
「フレバンス……白い町……?」
「あァ。おれも迫害を受けた。あの日々は思い出すのも辛ェ」

 目に手を当てぎゅっと唇を噛み締めるトラファルガーさん。その姿を見ていると私の心も痛くなる。きっとトラファルガーさんは私の話を聞いている時、同じ気持ちになっていたのだろう。彼はきっと、優しい人だ。だから島の火事を見て船を寄せたのだ。そして自身の能力を使って逃げ遅れた人が居ないかを探してくれた。そして、私を見つけ助けてくれた。たとえそれが私にとっては要らぬ世話だったとしても、その優しさを踏みにじるようなことはしたくない。

「ごめんなさい。せっかく助けてくれたのに。相手が私で」
「助ける相手に理由なんざ要らねェ。コラさんならそう言ったハズだ」
「コラさん……?」
「死にたがり屋の前にその能力を持ってた人だ」
「前?」
「悪魔の実は、持っていた人が死ぬと復活する仕組みだ」
「じゃあコラさんという方は……」
「おれを助ける為に命を張ってくれた。おれの、大好きな人で大恩人だ」
「そうだったんですね……」

 だからこのナギナギの実? に過剰に反応していたのか。なんだか余計に申し訳なさが募る。よりにもよって手にした相手が私だなんて。コラさんという方にも、トラファルガーさんにも申し訳ない。……早くこの実を手放す為にも、私は生きていちゃいけない人間だ。

「船を降ります」
「降りてどうする。どうせ死ぬつもりだろ」
「私なんかがそんな大切な能力を持ってても勿体ないですから」
「おい、死にたがり屋。お前医者の前でよく命を軽んじれるな」
「だ、だって……」
「良いか。お前はしばらくおれの船から降ろさねェ」
「えっ」
「言っただろ。おれはお前の主治医だ」
「でも……」

 私が持っていたって使いこなすことも出来ない。それなら早く手放して、次の人に有効活用してもらった方がずっとずっと良い――そう続けた言葉に、トラファルガーさんが深い溜息を吐く。そして私の額を暴力とも呼べない力で弾きじっと目を合わせてくる。

「あのなァ。ナギナギの実なんざ、なんの役にも立たねェよ」
「えっ?」
「格好良くもねェし。ブキブキの実の方が良いと今でも思う」
「えっと……、」
「だが、それでも。おれにとっては大事な能力だ」
「と、トラファルガーさん?」

 言っていることがちぐはぐな気がする。そのことに頭を混乱させていると、トラファルガーさんの表情がふっと柔らかくなった気がした。まるで大事な人との思い出を噛み締めているみたいだ。

「だから、とりあえず。死にたがり屋が持ってろ。そんで、おれの傍に居てくれ」
「でも、」
「死にたがり屋のこれからの人生は、おれが守ってみせる。それがコラさんへの恩返しにもなるはずだから」

 だから、生きてくれ――。そう願われた瞬間、私の瞳から大量の涙が溢れだした。止めることの出来ない嗚咽を隠す為にサークルを張ろうと思ったけど、それはトラファルガーさんの願うことではないと思って能力は使わなかった。その状態で泣き声をあげる私を、トラファルガーさんは優しく背中を擦って受け止めてくれた。
 ナギナギの実と共に生きること。それが、トラファルガーさんへの恩返しになるのなら。もうちょっとだけ、生きてみようと思う。

BACK
- ナノ -