医者の不養生の荒療治

 医者の不養生とはよく言ったものだ。限界を知っているからこそ、その限界を甘く見る。そして少しだけと思っていた無理の積み重ねが想像を超える量であったと気付くのは、いつも事が起こってからだ。

「ちょっ、えェ!? な、なんで!?」
「えっ! なんでおれが目の前に居るんだ!?」

 朝目が覚めたら、何故か私は男部屋に居た。お腹にはペンギン、腕にはシャチ。男2人の体重がかかっているのに然程重みを感じないことにも混乱しつつ手を動かせば、白くてふわふわとした手触りを感じ視線を動かす。その手触りがどうやら自身の体から感じられるものであると理解した瞬間、ペンギンとシャチを押し退け甲板へと飛び出した。そこで見つけたのは私と同じように目を開く私。

「入れ替わり……!?」
「おいベポ。いきなり飛び上がってどうしたんだよ」
「私ベポじゃない!」
「はァ? “私”ィ?」
「ベポはおれだアイアイ!」
「は? “おれ”?」

 一体何事だと後を追って来たペンギンとシャチが私たちの言葉遣いに首を捻っている。私たちもたった今事態に直面したばかりで何が何やらって感じだけど、とにかく。どうやら私たちは中身が入れ替わってしまったようだ。そしてそんなことが出来る人物に、1人心当たりがある。

「キャプテンー!!」

 ベポと顔を見合わせ勢い良く駆け出す先は船長の部屋。ノックもそこそこに扉を開くと、キャプテンの姿はベッドにあった。とはいっても自らの意思でベッドに入ったとはいえず、ベットサイドに腰掛けそのまま横たわったというような体勢だった。この人はこんな睡眠でも「寝た」と言い張るから厄介なのだ。

「どうしたなまえ。顔色悪ィぞ」
「違うよキャプテン。おれはベポだ」
「はァ? どっからどう見てもお前はなまえだろうが」
「えっ、待って。ってことはキャプテンの意思で私たちを入れ替えたってわけじゃないの?」
「“私”? ……おいベポ。どうした。熱でもあんのか?」

 再び見つめ合うベポと私。そしてその視線を同時にキャプテンへとぶつける。その先に居るキャプテンは私たちの視線を受けギュッと眉を寄せる。……キャプテンの隈、エグいことになってる。この人この3日間、トータル何分眠ったのだろうか。

「キャプテン、今どんくらい寝た?」
「……15分も寝りゃ充分だ」
「じゃあ3日間の睡眠時間は?」
「目を閉じた時間も含めりゃ6時間はいく」
「絶対それだ」

 私たちがこうなった理由はキャプテンの睡眠不足、つまり医者の不養生によるものだ。医学的な根拠は分からないけど、きっとそうだと思い至る。原因を察知し口に当てた手はぷにぷにしていて、思わず何度も押し当てその感触を味わうことに夢中になってしまう。

「肉球気持ち良い〜」
「おれは暑苦しさから逃れられて嬉しい〜」

 互いに入れ替わったおかげで味わう幸せを噛み締める。意外と入れ替わり、アリなのでは? と思いながら肉球を楽しんでいると、つんとした匂いが鼻腔を駆け抜けて思わず眉根が寄る。

「ねェベポ。お風呂入ったのいつ?」
「なァなまえ。なんでこんなに胸の辺り窮屈なんだ?」

 聞けばベポがお風呂に入ったのは3日前だという。しかもそれも“体を拭いた”というレベル。通りで所々指通りが悪い毛並みがあるはずだ。

「とりあえずお風呂入って良い?」
「え〜おれあんまお風呂好きじゃねェ」
「でもベポの体でお風呂入るの私だし」
「あっそっか! じゃァ良いぞ!」

 ベポに了承をもらってお風呂に入ったのは良いものの。いつもの癖で自分のシャンプーを使ったら倍以上の量を使うことになってほぼ使い切ることになってしまった。というかシャンプーで良かったのだろうか? よく分からなかったけどこの際トリートメントもしてしまえ! と勢いで行ったのでベポの体は驚きの毛並みになった。これならどこを触られても自慢の手触りをお届けできるだろう。

「ふう〜〜。サッパリしたァ〜〜けどちょっとのぼせちゃったかも」
「あっ、おかえりなまえ」
「っ!?!?!?」

 お風呂から上がった先に居たのはつなぎの前を大胆に開けた私。思わず釘付けになった胸元は明らかに何も身につけていない。仰天の眼差しを向けるとベポは「なんか動き回ってたらヒモ外れちゃって。キャプテンに直してもらおうと思ったけど断られた」とトンデモ発言をぶちかましてきた。

「見せたの!?!?」
「見せた。けどキャプテンは見たがらなかった」

 アレはなんなんだ? と首を捻るベポは補正下着というものを知らないのだろうか。「ごめんな、なまえ〜」としょんぼりしながら謝るベポから悪意は感じ取れない。ということは本当に下着の概念がなく、外れてしまったブラジャーをどうにかしようとキャプテンに助けを求めたということなのだろう。キャプテンもとんだとばっちりを受けたものだ。

「……いや、そもそもキャプテンが悪いのでは?」
「キャプテンが言うには、能力が暴走したんじゃないかって」
「100パーキャプテンが悪いじゃん」

 睡眠不足による制御不足ってところだろう。ということは、私たちの入れ替わりが戻るのはキャプテンにしっかり寝てもらう他ないということ。そうと決まれば。

「ベポ。私、キャプテンと寝てくる」
「えッ、それって……」
「あー、違うから。そういう意味じゃないから」
「な、なんだ、そっか。おれてっきりそういう意味かと」
「そういうとこだけは知っててブラのことは知らないのちぐはぐ過ぎない?」
「んん? ぶら?」

 こてんと首を傾げるベポ。まぁそういうベポのポンコツさが可愛いんだけども。とにかく、今の私(ベポ)はお風呂にも入ったし毛並みも万全のポテンシャルを誇っている。添い寝するには完璧な存在だろう。

「ベポ、他の船員にはしばらくキャプテンの部屋に近付かないように言っておいて。絶対安眠だから」
「アイアイ!」
「それと! ブラジャーはこの際しょうがないけど。でも! 絶対前は閉めて! 死守して! 胸元!」
「あ、アイアイ!」

 ビシッと敬礼するベポに頷き、つなぎをギチィッと締め上げる。その姿を見つめ息を吐きキャプテンの部屋へと向かい「たのもーッ!」と言いながら扉を開けば、やっぱりキャプテンは本と睨めっこをしていた。

「キャプテン! 何してるんですか!」
「お前らを元に戻す方法を探してる。“シャンブルズ”を発動していない以上、もう1度発動したところで直るかどうか分かんねェし、下手したらもっとややこしいことになるかもしれねェ」
「そんなの睡眠しかないでしょうが!」
「おわっ!?」

 おおっ。ベポの体、思ったより力強い。まさか私がキャプテンを押し倒せるだなんて。キャプテンの体を抱えベッドにタックルをかませた事実に感動していると、「ベポてめェ……」と組み敷いたキャプテンから睨まれてしまった。

「ヒィッ」
「……あァクソ。今はなまえなんだったな」
「キャ、キャプテン怖いィ〜〜」
「あー、悪かった。ちょっと頭が混乱した」

 キャプテンからあんな風に凄まれたのは初めてで、思わず怯んでしまった。その様子を見たキャプテンが観念したように溜息を吐き体を脱力させる。どうもキャプテンの体はベッドの寝心地を求めていたらしく、キャプテンの体が起き上がる気配はない。

「寝ましょう、キャプテン」
「……そうだな」
「私、キャプテンがしっっかり眠れるように添い寝しますから!」
「…… なまえが?」
「いやまあ厳密にいうと“ベポの体”が、ですけど」

 この毛並み、最高じゃないですか? と言ってキャプテンの手をベポの頭へと持っていく。そうすればキャプテンの手は素直にその場に留まってさわさわと頭を撫でてみせる。……あ、これ私も気持ち良いかも。人に撫でられるのってなんか落ち着くなァ。

「こりゃ良い眠りに就けそうだ」
「へへっ。キャプテンに寝てもらわないと、私の胸元が危ないので」
「……ちゃんと前閉めさせたか?」
「はい。“絶対死守”って言いました」
「そうか」
「……あの、キャプテン。ベポが見せたその……ぶ、ブラジャーはあの……わ、忘れてください」
「……一応努力する」

 ちょっと。なんか今の声、小さくなかったですか? そう問いただそうとしたら、キャプテンの体が私の胸元に吸い寄せられた。その行為に思わずギョッとしたけれど、キャプテンの目は緩やかに閉じられていて、無意識によるものだと理解する。やっぱキャプテン、限界だったんだ。

「お疲れ様です、キャプテン。起きるまでこの部屋には近付くなって言ってるので、思う存分寝てください」
「あァ。助かる」
「おやすみなさい」

 しばらくもしないうちに聞こえてきた規則正しい寝息に微笑みを落とし、そっとベッドから抜けだそうと目論む。も、それはキャプテンの腕によって叶わず。ぎゅうっと掴まれた力はこの手触りを逃すものかという執念さえ感じられて、思わず固唾を飲む。……困ったな。キャプテンが寝たら添い寝役は終えるつもりだったのに。このままだと私、キャプテンとしばらく一緒に居ないといけないパターンなのか? それはちょっと色々とマズい。“どうにかしないと”という勢いでベッドに押し倒したけど、中身はどう足掻いても私自身なのだ。キャプテンとこんなに密着するなんて、心の準備が出来ていない。

「どーしよ……助けてベポ……」

 そんなひっそりとしたSOSなど人払いをした部屋から発してみても意味もなく。それどころか深い寝息を吐くキャプテンが擦り寄ってきたことですっかり黙らされてしまった。ちらりと見下ろす先には、夢の世界へと旅立ってしまったキャプテンが居る。その姿を見つめそっと頭を撫でてみると、キャプテンは再び健やかな寝息へと呼吸を変動させてみせた。

「おやすみ、キャプテン」

 キャプテンを抱きしめ自分自身も目を閉じる。ベポの体はあったかいけど、人の体温も心地が良い。いつの間にか自身にも芽生えた睡魔に意識を預け、私はキャプテンと一緒に夢の世界へと旅立った。



「んん、」

 意識がゆっくりと覚醒し、再び目を開く。眼前に黒く染まった肌が現れ、これはなんだろうと手を這わせるとその手をひと回り大きい手から捕えられてしまった。

「起きたか」
「きゃぷてん……? あれ、私……えっ、も、戻ってる――!?」

 半分くらいしか開いていなかった目を見開く。目の前にあるのがタトゥーを彫られたキャプテンの体であると理解しバッと顔を上げると、これまた至近距離にキャプテンの顔があって息を呑む。……肌艶はマシになったようだ。

「よ、よく眠れたようで……」
「いや、まだ寝足りねェ」
「えェッ!? ちょ、待っ」

 腰に手をまわされそのままぐっと抱き寄せられる。今の私はベポじゃないし、手触りも良くないはずだ。まだ寝たいというのならここにベポを呼んできた方が良い。そう言いたいのに、キャプテンは離してくれる気配を見せない。

「きゃ、キャプテンッあの、」
「やっぱ抱く方が性に合ってるな」
「エッ、あの……」
「睡眠はしっかり摂ったほうが良いんだろ? じゃないとまたいつ入れ替わりが起こるかも知れねェ」
「そ、れはっ」

 そう言われるとこれ以上抵抗も出来ない。ぐっと押し黙った私の反応に、キャプテンは満足そうに頭を撫でる。……なんだろう、このしっくり感。こんなこと言うのもアレだけど、私も誰かを抱き締めるより、抱き締められた方が落ち着くかもしれない。

「さっきよりしっかり眠れそうだ」
「……あの、キャプテン」
「なんだ」
「頭、撫でてもらえませんか?」
「あ?」
「そ、その方が私も眠れそうです」
「そうか」

 私のお願いをキャプテンは聞き入れてくれた。そうして優しく頭を撫でられると、バクバクとうるさかった心臓も落ち着きをみせる。やっぱり、人に撫でられるのって心地良い。思わず体をキャプテンのもとへとすり寄せると、キャプテンが私の頭をポンポンと優しく叩いてあやしてくれる。その手の熱が気持ち良くて、今度は私の方が先に夢の世界へと旅立ってしまった。
 そんな私の姿を見てキャプテンが「おやすみ」と優しい声色で言ってくれた気がするけど、微睡む意識ではきちんと答えることが出来なかった。だから、起きた時はちゃんと「おはよう」って言おう。そしたらきっとキャプテンも同じ言葉を返してくれるはずだ。

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