アイスバーグさんによる就職手引き

 フランキーが居なくなったここは、少しだけ寒い気がする。寝そべった状態で目を閉じ波の音を聞いていると、「ここに居たのか」という声が上から降ってきた。

「アイスバーグさんこそ。こんなとこに居て良いの?」
「平気だ。この都市のボスであるおれにはそれが出来る」
「また予定全キャンセルしたの? 秘書泣かせだねえ」

 1度は開いていた目を再び閉じ波の音に耳を傾けると、アイスバーグさんがすぐ近くに座る音が聞こえた。予定をキャンセルしたとはいえ、他の予定が波のように押し寄せてくる多忙さを抱えるこの男が、何故廃船島に腰を据えているのだろう。私とは違って市長に社長にと色々することはあるハズなのに。

「新しい秘書さん、怖いんでしょ?」
「そうだな。今回はきちんと見境があるが」
「……良かったね」

 “人を見る”ということに重きをおいたらしい今回の新秘書オーディション。総勢200名余りの応募者の中から選ばれたのは、年端も行かない女の子だった。そしてその子は確かな才能を発揮し日々アイスバーグさんの秘書として頭角を現している。あんなことがあったばかりだったので部外者ながらに心配していたけれど、その点は安心出来そうだ。

「何故オーディションに参加しなかった」
「だって私、見る目ないし」
「ンマー!」

 アイスバーグさんはそれだけ言って黙り込んでしまった。今の私の言葉をどう捉えたのだろうと反応が気になってそっと目を開けると、アイスバーグさんは困ったように額を掻いていた。……どうやら効いたらしい。

「あれはその……すまなかった」
「ふふっ。良いよ別に。アイスバーグさんの言い分の方が正しかったって思ってるし」
「しかし結果としてカリファはおれ達を裏切った」

 ……どうやら効き過ぎたかもしれない。少し申し訳なくなって寝そべっていた体勢から起き上がる。不遜な態度をやめ隣り合って座る私に、アイスバーグさんはもう1度「あの時はすまなかった」と謝罪を寄越す。

「ううん。私の方こそ。私がカリファさんを目の敵にしてた理由覚えてる? “なんかヤダ”だよ? そんな適当な勘で秘書を辞めさせろなんて言う側の方がおかしいって」
「しかし……あの時おれはなまえに“お前に何が分かる”などと……」
「でも実際そうじゃん」
「それは……」

 自分でも支離滅裂だったと思う。毎回会う度にカリファさんに敵意を示し、アイスバーグさんには“こんな女雇わない方が良い”と言い続けて。アイスバーグさんもはじめは“どうして、なぜ”と理由を訊いてくれていた。その理由が“女の勘”だなんて根拠のないものであれば、誰だって付き合いきれないに決まっている。

「フランキーにも言われたよ。“そりゃおめェ……スーパーだな”って」
「それは褒めてないか?」
「ふふっ。違うよ、あれは叱ってた」
「そうなのか……?」

 そうだよ。私には分かる。だってフランキーとはずっと一緒に過ごしてきたから。この廃船島に流れ着いた時、私を見つけ助けてくれた人……と、とりあえず呼んでおこう。その人はあれから色々あってサイボーグになったけれど、いつだって変わらず私と一緒に居てくれた。廃船島に流れ着く前の記憶がないと言った私に「じゃァこれからたくさんスーパーな思い出をつくりゃ良いじゃねェか!」と笑ってくれたフランキーは、言葉通りスーパーな思い出をたくさんプレゼントしてくれた。私の、大切な人(サイボーグ)だ。

「フランキー元気かなあ」
「元気にやってるさ、アイツは。元気じゃない姿を想像出来ねェ」
「確かに」

 ふふっと笑う私につられてアイスバーグさんの顔も少しだけ緩む。フランキーを見送ってまだ1ヶ月も経っていないけれど、もう会いたいと思ってしまう。……だけど、フランキーがそうしたいと決めた人生の航路だ。それを見送ると決めたのは私自身だし、その道を選び夢の船、サウザンドサニー号に乗ったフランキーの選択に私自身後悔はしていない。ただ、毎日のように味わっていた背中の熱が感じられないのが少し寂しくて、ちょっぴり寒い。

「ん?」
「ちょっと背中貸して」
「ボスの背中をカイロ代わりか」
「へへっ。良いじゃん。悪いって思ってるならこれがお詫びってことで」
「ンマー! ……んまァ、良いだろう」
「てかさ、私にとってアイスバーグさんは市長でも社長でもなんでもないからね?」
「ふっ。そうか」

 アイスバーグさんの背中に自身の背中を合わせ、再び目を閉じる。フランキーの背中にもたれ掛かってうたた寝していた感覚が蘇ってくる。アイスバーグさんとフランキー、やっぱりどこか似てるな。血の繋がりはないけど、2人の関係性を表すなら“兄弟”って言葉がしっくりくるだろう。根拠は私の勘だ。

「なまえはこれからどうするつもりなんだ」
「んー、フランキー一家も解体しちゃったし。あとは適当に過ごそうかなって」
「適当に過ごすだけの金はあるのか」
「えー、ないけど」
「ンマー! ……なまえ、お前幾つだ。もっとしっかりしろ」
「アイスバーグさん、お父さんみたいでなんかヤダ」
「……10歳しか変わらんヤツに父親だと思われるのも癪だ」
「私だってアイスバーグさんのことお父さんになんか見えない……アダッ」

 預けていた背中が突然なくなり体勢を崩してしまった。一体何事だと目を開くとそこにはアイスバーグさんの顔があって、膝枕のような体勢になっているのだと知る。……いや顔近ッ。約20年過ごしてきた中で過去イチの近距離で見つめられ思わず顔を背けてしまう。こういうのって恋人同士でするんじゃないの……ッ。

「何故秘書オーディションに参加しなかった」
「またそれ? だから私には無理だって。私はフランキー一家に居る時も街中をフラフラするような御用聞きしかしてなかったし。それが性に合ってる」
「それは“職業”といえるのか?」
「言えないかも。まァでも人と話すのは嫌いじゃないし、アレだったらスクエアシスターズの酒場でも手伝おうかな」

 自分自身のことについて、私以上にアイスバーグさんの方が身を案じてくれているのは、アイスバーグさんがこの都市のボスだからなのだろう。とはいえ、たとえアイスバーグさんが市長じゃなかったとしても、私のことは気にかけてくれていたと思う。それがアイスバーグさんという人だから。
 そういう人だからこそ、私は恋をしてしまった。まあ相手はいつの間にか都市の代表にまでなってしまったけれど。もはや一般市民の私が簡単にその隣を手にすることなど出来なくなってしまった。秘書でさえ200人以上の中から選ばないといけないような人。そんな人の膝を占領しているだけでも充分贅沢だ。……でも、そろそろ時間切れかな。

「じゃあ私そろそろ――ッ!?」
「アイツが出て行く前、おれは頼まれ事をしたんだ」
「頼まれごと?」

 起き上がろうとした私の体を抑え、その手を私の目に当て視界を奪うアイスバーグさん。その行動の意味が掴めず混乱する私に、アイスバーグさんの固い声が届く。フランキーに頼まれ事をしたという言葉の続きをひとまず聞いてみようとその体勢のまま落ち着くと、アイスバーグさんも再び口を開く。

「アイツらのことをよろしく頼む、と」
「そっか。フランキーがそう言ったんだ」

 フランキーは変態だし変態だけど。変態ながらに人を想う気持ちはアイスバーグさんに負けないくらい持っている。その不器用な思いやりを聞いて緩む口角。この2人は本当に似た者同士だな。フランキーの願い通りフランキー一家全員に仕事を回してあげているアイスバーグさんの優しさは私たちに向いていて、そしてフランキーに向いている。それぞれの優しさを実感したら、体全体がじんわりと暖かくなって寒さはもうどこにも感じない。

「だからおれも、アイツに頼み事をし返した」
「アイスバーグさんが?」

 意外な言葉に思わずアイスバーグさんの手を退けようと触れる。それでもその手は頑なに動かない。それどころか触れた私の手を握りしめ捕らえられてしまった。アイスバーグさんに握られた瞬間、私の体にブワっと火が灯るのが分かった。もはや暑いとすら感じる熱は、アイスバーグさんの手から伝わっている。……これは女の勘でしかないけど、私はアイスバーグさんがフランキーに何をお願いしたのか分かったかもしれない。

「フランキーはなんて?」
「そういうことは本人に訊け――だそうだ」
「ふふっ。ンマー! ごもっとも」
「ンマー!」

 アイスバーグさんの口癖を真似ると、アイスバーグさんも思わず同じ言葉を吐きだす。その様子を笑い、瞼に宛がわれた手をどけると今度は素直に退かされる。そうして再び見つめた顔は、分かり易く真っ赤に染まっていて思わず吹き出してしまう。アイスバーグさんだって、良い歳した大人が可愛い顔しちゃってるじゃん。

「なまえが良ければ、私の恋人になってくれないか」
「151番の人みたいなスタイルは持ち合わせてないけど、それでも良いの?」
「ンマーッ……! 一体どこからそんな情報を……」
「私、人と話すのは好きなんだよね」
「あれは……その、アレだ、」
「あははっ。アイスバーグさんって絶対浮気出来ないタイプだよね」
「浮気など端からするつもりもない」
「うん。分かってるし、知ってる」
「……そうか。……ンマー、先ほどの話についてはゆっくり考えてみてくれ」
「いつから?」

 ん? と首を傾げるアイスバーグさん。私にも再就職先を案内してくれるアイスバーグさんに、「いつから働いて良いの? “アイスバーグさんの恋人”っていう職業は」と尋ねるとアイスバーグさんは一瞬息を呑んだのち、「そうだな。今すぐだと嬉しい」と笑ってみせる。

「こっちはオーディションしなくて良かったの?」
「あァ。これはおれが直々にオファーしたかった」
「へへっ。そっかあ。じゃあ精一杯頑張ります」

 意気込む私に、アイスバーグさんは「幸せだと思ってくれたら、それで充分だ」と優しく告げる。その顔は市長でも社長でもない、ただ1人の男として1人の女性を想う表情だった。

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