ご面倒をおかけしますが

 じわりじわりと滲む汗。それが顔に落ちないように指の腹で拭い、ふっと短めの息と共に画面をタップする。コール音はそれなりの長さで鳴り、「何」という端的な相手の声を届けた。

「なぁ、久々の相手に言う言葉その2文字なん?」
「わー、ひさしぶりー。げんきだったー、なにしてたのさいきん〜えーめっちゃ久しぶりじゃーん」
「やめろキモい」
「久々に話す相手に言う言葉なの、それ」
「まぁいうてそこまで久々ちゃうやん?」
「まあね」

 角名はケロっとした声色で言葉を返し、「で、どうしたの」と先ほどよりかはマシな言い方に直してくれた。用事があるから電話をする――そんな当たり前の原理に、私はこんなにも緊張している。その緊張を和らげようと手に持った缶を傾け喉を潤す。そうしてお酒を飲み込む代わりに「角名、今オフでこっち来てるんよな?」と問う。その言葉にはいつも通りの低いテンションで「そだよ」と返された。

「一緒に飲まへん?」
「え? 飲む?」
「そー。暑いし涼も思うて1人で公園で飲んでるねんけど。ちょっと飲み足りひんなぁ思うて。そしたら角名の顔がぼやぁっと浮かんでな」
「お酒飲んでんの?」
「うん。飲んでるよ」
「何杯目?」
「んー? 今1缶飲み終えた。んで今からもう1缶開けるとこ」

 そう言ってカシュっという音を響かせる。その音がスマホ越しに聞こえたのか、角名が「うわ……」と短めの声を上げてみせた。うわ、今メンドいって思ったなコイツ。その態度にむっとする気持ちも湧くけれど、それに同意する気持ちも私自身持ち合わせている。今の私がやっていることは要は絡み酒だ。こんなの、面倒臭い以外の何者でもない。……でも、こうしないと私は角名に“会おう”と連絡することも出来ない。

「い、忙しかったらええよ? 大人しく飲んで帰るし」
「良いよ、行く。どこ居るの」
「あの、駅前の」
「分かった。とりあえず待ってて」
「あ、うん。分かった」

 プツっと切れた通話。その後に「……ごめん」と言ってみたところで意味はない。オフを狙ってみたけれど、だからといって抱く罪悪感がなくなるわけではない。ならば現役選手をこんな風に呼びださなければ良いのに。そう自制する自分だって心の中には居る。その自制心をお酒の力まで借りて振り切って、そうして罪悪感と共に嬉しさを手にして。嬉しさと同じくらいの緊張を呼び起こし。それを鎮めようとまたお酒に手を伸ばして。……1人で一体、何をやってるんだろう。



「みょうじ」
「あ、角名。ほんまに来てくれたん? ありがとお」
「ハァ」

 少し息切れ気味に見える角名。その手にはビニール袋が提げられている。お願いした通りお酒を買い足して来てくれたのだろうか。数ヶ月ぶりに会う人物を見上げにこりと微笑んだら、角名は反対にうげぇっと言いたそうな表情で顔を歪めせてみせた。

「自分がお酒弱いって、知ってるよね?」
「ん〜? 知っとう。せやから控えめにしてるやん」
「いやいや。顔、真っ赤だけど」
「いやいや。大丈夫やって。全然。1人で帰れるくらいには大丈夫やで」

 顔の前で手を振ってみせると角名はもう1度溜息を吐いて私の隣に腰掛ける。そして袋からペットボトルを取り出し私の頬にそれをぐいっと押し付けてきた。……ちょ、力強ない? 顔面が見られたくない感じの仕上がりになっていそうだ。

「やめへふな」
「大体さぁ、なんで公園で飲んでるわけ」
「いじゃかやひとがおおくれ」
「何?」

 何? って訊くのなら、今すぐ私の頬にあるペットボトルを退かしてくれないだろうか。聞き取りにくいのはコレのせいだ。ギブの意味合いもこめてペットボトルをタップすれば、ようやく頬から離し膝の上に置いてくれた。……あれ、これ水だ?

「なんで?」
「なんでって。みょうじ酒全然飲めないでしょ」
「確かに弱いけど……」

 酒豪というわけではない。……もっとちゃんと言うと、2缶空けたらちょっと危ないくらい。でも今回はアルコール度数低いヤツを選んで買ったし、そこらへんの自制はしたつもりだ。……角名を呼び出すという行為は止められなかったけど。

「てか私がどんくらいの酒力なのかとか、よく知ってたな?」
「酒力って何?」
「知らん」

 そこはほら……ニュアンスで。と付け加えると、それにはなんの反応も見せず「前に同級生で集まった時、全然飲んでなかったじゃん」と遥か昔に開催されたクラス会を持ち出された。……え、あの年単位で前にあったやつ、覚えてたんだ? そういう驚きを表情に滲ませていると「あと普段俺と会う時全然飲まない」と補足され“あぁ”と合点がいく。

「そんなヤツが公園で1人で飲んでるって聞いたら放っておけないよね」
「……ごめん。忙しいのに」
「良いよ。オフだったし」
「水も、ありがとう」
「うん」
「……元気やった?」
「普通」
「普通かぁ」
「みょうじは?」
「最近夏バテ気味」
「へえ」
「いやもっと興味持って?」

 ポツポツと交わされる会話。このやり取りが高校生の頃は心地良かった。この特別感もない適当な会話が、どうにも楽しかった。その日常を懐かしく思うようになり、角名自身を想うようになったのは互いがそれぞれの道を辿るようになってからだった。
 角名はバレー選手として忙しくも充実した日々を送っている。それでも角名は私という存在と距離を置くことなく、こうして友人関係を続けてくれている。私は、そんな距離感をもどかしく思うようになってしまった。もっと会いたい――。角名に私を見て欲しい――。そんなワガママで角名を呼び出したいうのに。まともな会話も出来ない。

「……あれやな。この会話、電話で良かったな」
「まあね」
「……ほんまごめん。こんな会話する為に呼び出して、私めっちゃメンドいな」
「うん。面倒臭い」

 ズバっと切られ思わず息が詰まってしまった。瞳が熱くなるのをどうにか抑えながらもう1度謝罪の言葉を口にしようとした私より先、「でも。面倒臭くても放っておけない」という角名の言葉が響いた。

「え?」
「こんな状態で1人で外に居たらさ、誰かに声かけられるかもでしょ」
「それは……。物好きが居たらそうかもしれへん」
「最悪連れ去られて好き勝手されるかも」
「も、物好きが居たら……そうかもしれへん」

 角名の言葉を想像して身震いすると、その様子を見た角名が呆れたように溜息を吐く。やっと実感したのか、という顔だ。このうんざりとした表情はそういう感情を抱いている時のやつ。勉強を教えてもらっていた時、よくこの表情をされたから分かる。

「俺は物好きだから。今のみょうじ見てたらそうしようかなって思っちゃうよ」
「……は、ハァ?」
「でも、そうしたくないから。こうやってわざわざ迎えに来て、送り届けてあげるんだよ」
「す、角名……?」

 再び状況を飲み込めなくなってハテナを浮かべてみせると、「さっさとみょうじに手を出して友達じゃなくなりたいって気持ちと、ちゃんと大事にしたいって気持ち。両方あってさ。俺も結構面倒臭いヤツなんだよね」と角名は力なく笑う。……まじか。まじか、角名。

「じゃ、じゃあ。今更こっから始めんの、めっちゃメンドいかもしれへんけど。……今度2人でご飯でも行かへん?」
「……そうだね。まずはそこから始めよう」
「うん!」

 連絡を送ってみたり、返ってくるまでドキドキしたり。返って来た連絡に一喜一憂してみたり、送る前に何度も読み返してみたり。勇気出してデートに誘ってみたり、好きだって言ってみたり。今更だけど、そうやって1つ1つの作業をこれから角名と2人でやってみようと思う。

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