荒熱

 トントン、とドアをノックする音がこもって聞こえる。それに続くように発せられたキラーの「おい。なまえ。そろそろハンドメイド島に着くぞ。どうするんだ?」と窺うような声色もぼんやりとした音として鼓膜を震わせる。

「行、行くっ」
「うるせェ。行かねェつっただろうが」
「やだっ、行くってば!」
「黙れ」
「んんぅっ、」

 向こう側でもう1度鳴らされるノック。「寝てるのか?」とぼやくキラーの声に、私はその部屋に居ないのだと叫びたい。けれど“キッドの部屋に居る”と自分の所在を告げるのは避けたい。私がキッドの部屋に居る――それはすなわち、抱かれている最中ということだから。
 私の体をベッドに縫い付け、抵抗を奪うキッド。手も口も塞がれ、言葉にならない声しか発することが出来ない。ハンドメイド島はずっと前から楽しみにしてた島なのに。キッドは上陸する方向で進んでいた島の名前が“バンド”メイド島ではなく、“ハンド”メイド島であると分かった途端「上陸はしねェ。次のカナデル島に行く」と突然の進路変更を宣言してみせた。それに最後まで反抗をし続けた結果、キッドは私の体に直接船長命令を押し付けてきた。

「やっ、待ってっ! ほんとに出航しちゃう」
「それでいンだよ。お前は大人しく抱かれてろ」
「いやなんでっ……やっ、あっ!」

 キラーの足音が遠のく気配に慌てて体を起こすも、すぐにキッドに押し倒され唇を塞がれる。このままだと本当に上陸しないまま次の島を目指されてしまうと焦り、キッドの背中をガシガシと叩けば、その振動がベッドを軋ませ音を立たせる。

「キッド? 居るのか?」

 物音に気付いたキラーの足音がキッドの部屋へと近付き、ドアの前に立つ気配がする。その声の近さに思わず体を固まらせている私をちらりと見つめ、「なまえもここに居る」なんて言ってのけるキッド。顔がとんでもなく悪い顔をしている。

「……そうか。ハンドメイド島にもう着くが。どうする」

 なまえが好きな作り手が出店するマルシェがあると聞いたが。と続くキラーの言葉に、何度もキッドの腕の中で頷く。そう。そうなのだ。よく覚えてくれてたねキラー。さすがキラー。どっかのギザ男とは大違いだ。

「っ!」

 キラーの言葉に思わず「行く!」と言いかけた瞬間、キッドの手が私の体を這う。……今は絶対に声を出せない。本当は“行く”という意思表示をしたいのに。今口を開こうものなら、唇から出ていく言葉はまるで意味を持たない嬌声になるだろう。唇を噛み締め溢れそうになる声に蓋をしながら思い切りキッドの顔を睨みつけても、キッドはニヤリと笑うだけ。

「なまえは手作りよりも楽しいことがあンだとよ」
「ちっ、……んっ」

 好き勝手に這いずるキッドの腕を必死に押さえても、一向に引かれはしない。それどころかそういう私の反応さえ弄んで楽しんでいる。このペースだと本当に上陸出来ない。……というかもう、上陸出来たとしても私の体力は0に近くなっているだろう。

「……では予定通りカナデル島に行くぞ」
「あァ。あっちにゃ今世間を騒がすロックバンドが来るらしいからな」
「ではまた近くになったら声をかける」
「頼んだ」
「やっぁ、行くッ」
「あァ。好きなだけイけよ」
「ちがッ! あ、あぁっ、」

 キラーの足音が遠のくなり私の抵抗など感じてないかのように容易く腕を押さえこまれ、もはや抵抗不可の状態にされてしまう。そうして監禁に近い状態で航海は進んでいき、ついぞハンドメイド島に上陸することなく、次のキッドが目指すカナデル島に船は到着してしまった。

「おい、行くぞ」
「……行がない」
「あァ? 良いからさっさと来い」
「む゛り゛。声出ないじっ、腰も痛い゛」

 散々私の体を弄んだというのに、キッドは疲れを見せるどころかやけにスッキリした顔つきでカナデル島への上陸準備を進めている。この人ついさっきまで激しめの運動してたんですよね? なんて驚きはキッド相手には通用しない。やると決めたらこっちが気絶するまで余裕でやる男だ。実際何度か意識を失ったことだってある。

「今日はなまえがよく聞いてる音楽家もフェスに来るらしいぜ」
「……キッド代わりに聞いてきて」
「ったくしょうがねェな。連れてってやるよ」
「無理っ! 着てく服ない!」
「あァ? 服なんざ行く島行く島で散々買ってるじゃねェか」
「このキスマークを! 隠せるような服が! ないって言ってんのっ!」

 掠れた喉で大声を出したせいで思わず咽せてしまった。その咳を鎮めるようにベッドに体を横たわらせ、キッドに背を向ける。私も音楽を聞くのは好きだ。こうなった以上、音楽が盛んなカナデル島に行くこと自体に反対はしない。なんならカナデル島の音楽を楽しむことだってしたい。……だけど今は、何よりもひとまず休憩がしたい。

「本当に行かねェのか?」
「うん。私は船番してる。良い音楽があったら音貝で持ち帰って来て」
「……あァ」

 ベッドサイドに腰掛けるキッドの様子がどこかしおらしい。やるだけやってやり過ぎたかと反省しているのだろう。そういう加減が効かないせいでドルヤナイカにボコボコにされたあの頃から、キッドは変わらない。だけど、今こうして気遣うように頭を撫でてくれるキッドの優しくて大きな手は大好きだ。
 その手を掴み自身の頬に持っていく。そうして頬を擦り寄せ目を瞑ると夢の世界がすぐそこに見え始める。キッドは凶暴な男だと恐れられているけれど、その中にはちゃんと慈しむような温かさもあるのだ。

「ゆっくり寝てろ」
「ん、」

 最後に髪を漉いてから立ち上がるキッド。そうして部屋から出ていく頃には、寝息を立てて夢の世界へと旅立っていた。



「おい」
「ん、」
「起きろ」
「あれ……キッド。もう帰って来たんだ? おかえり」
「オイよだれ。汚ねェぞ」
「ごめんごめん。……お風呂入ってくる」

 どれだけの時間眠っていたか分からないけれど、そう長くは眠っていなかったように思う。まだ少し気怠さの残る体を起こしベッドの上で伸びをしていると、キッドの体が私を抱きしめるような格好で近付いてきた。

「何?」
「……どっかのクソ野郎が作るやつよかカッケェだろ」
「えっ、これ……」

 離れる間際、キッドが私の首にかけたチェーンを一瞬だけくいっと引っ張った。その主張でネックレスの存在に気付き視線を落とすと、金属で作られた小ぶりなネックレスが首から下げられていた。

「おれのジキジキの実があればこんなもん朝飯前だ」
「キッドの能力で作ったの?」
「バカ。んなことしねェよ。能力を使ったのは材料集めの時だけだ」
「じゃあネックレスはキッドの手作り?」
「好きなんだろ、“ハンドメイド”が」

 やけに強調するワードに思わず苦笑いを浮かべる。次の島に無理やり行ったくせに。行ったら行ったで気にしてるんだ。乱暴だったり気にしいだったり、気遣い屋だったり。なんだかちぐはぐな人だなぁ。

「ありがとう、キッド。大事に使うね」
「良いか、手作りなんざ誰でも作れンだ。しかもあんな弱っちい男なんかより、おれが作ったやつのが何倍もカッケェ」
「でも私はアン・ドルヤンケくんの編み物も好きだよ」
「テメェ……この期に及んでアイツの名前出すたァ良い度胸してんじゃねェか」
「良いじゃん別に。私の初恋の人なんだし、応援したいに決まってるでしょ」

 “初恋の人”という言葉に、ぴしりと固まるキッド。初恋の人というのは、誰しも特別な相手として想いがあるものだ。だからこそキッドは私のその相手に異常なほど反応を示す。けれど決して乱暴な行為に出ようとはしないので、キッドもそこは私の思い出を尊重してくれているらしい。
 私の初恋は、ドルヤンケくんだ。だけど、今私が好きなのは不器用な思いやりを持つキッドの方だ。そのことをそれとなく伝えているつもりなのに、キッドはいつも手荒な方法でその愛を確かめようとする。

「ねェ、音貝は?」
「……あ」
「まさかネックレス作るのに夢中で録ってないとか?」
「い、いや。ちゃんと聞きはした」
「でも音録るの忘れてるじゃん」
「それは……っ、だァ〜!! うるせェ!」
「わっ、ちょっ、さすがにお風呂行きたいんですけど!」
「おれが入れてやる」
「いや良いっ! もうさすがに無理!」
「なんもしねェよ!」
「そう言って一緒にお風呂入って何もしなかったことある!?」
「ねェ」
「ほらァ!!」

 だけど、その手荒さを今の私は心地良いと思うようになってしまっている。その手荒い想いの中には、誰にも負けない熱が秘められていることを知っているから。

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