狩猟本能
「宮せんぱ〜いっ!」
そう呼ばれた男性はゆっくりと振り返る。その顔は彼を呼んだ女子生徒の黄色い、跳ねる様な声に対しては似つかわしくない顔付きだった。
「っ、」
そしてその顔を向けられた彼女もそんな反応を見せられるとは思ってもいなかったのであろう。頬を赤らめ、愛おしい人を呼んでみせるその姿とは打って変わって、まさに顔面蒼白と呼ぶに等しい顔つきになり、目を背けるように逸らしてしまった。
「……ッチ。用が無いんなら呼ぶなや」
聞こえるか聞こえないかくらいの本当に小さな声ではあったが、偶然その場に居合わせた私には運悪く聞こえてしまう。
そしてそのまま彼は不機嫌な顔つきを戻す事も、彼のファンである女子生徒に振り向く事もなく、むすくれた表情のまま歩き出していく。
「ちょっと」
「ハァ……今度は何やねん。……はい?」
「宮侑。アンタ、ちょっと調子乗り過ぎなんじゃないの」
「……は?」
私の問い掛けに対し、これまた小さな溜め息と共に愚痴を吐き出した後、先程以上に不機嫌な顔つきをして、今度は私の方へと振り返る。
「あの、俺のファンかなんなんか知らへんけど。イキナリ何? 俺、機嫌悪いねんけど」
「知ってる。てか見たら分かる。さっきの試合観てたし」
「は? んなら察せや、アホか」
「ほら、そういうトコ。調子に乗ってる」
「……お前、ほんまに誰やねん」
さっきまでそこに居た女子生徒だったら泣き出してしまっていたかもしれない。それくらい、今目の前に居る宮侑の顔は凄まじいものだった。男子が女子にここまで凄む事も中々無いのではないか。そういう思いも巡ってはみるものの、それ以上に伝えたい思いが勝る。
「私は、稲荷崎の生徒で、稲荷崎のバレー部を応援している生徒です」
「ほぉ。んなら俺が誰か知った上での発言いう事やんな?」
「宮侑。セッター。実力は確か」
「なんや、よぉ知ってるやん」
「でも、態度は幼稚園児以下」
「……。何が言いたいねん」
「アンタのバレーは私が見てきた中で1番綺麗。それでいて、誰よりも真っ直ぐにバレーに打ち込んでるのも分かる。いつまでも眺めていたい。もはや芸術作品をみているような感覚だった」
「何、急に持ち上げてきて。俺の事好きなん?」
「ただ、それはアンタのバレーに関する所がそうってだけで、喋る姿を見て幻滅した」
「……アンタ、飴と鞭使い分けんのお上手やな」
話していくうちに自分のセットアップミスのせいで1セット落とした事に対するイライラも落ち着いてきたのか、全身から噴出すように纏わり付いていた怒りのオーラが静まってきているのが分かる。
「喋る姿というか、態度にも。素の宮侑という人物に幻滅したの。観客の声援に対してガン飛ばすわ、今もファンの子に自分のイライラぶつけるわで、そんな態度だったらどんだけバレーが上手くても応援なんてして貰えなくなる。そんだけ凄い実力持ってるのに、勿体無い」
「アンタ、名前は?」
「みょうじなまえ」
「なまえか。お前、喧しいなぁ」
「……自覚した上で言ってる。宮侑の為を思って。これでも直らないんだったら、私はアンタの応援するのやめる」
「ほんま、よぉそんだけ色々出るなぁ。ブヒブヒ。ハッ、喧しブタやな」
「……もういい。足止めさせてゴメン。じゃあ」
「ちょい待ちぃや。なまえ」
今度は私が立ち止まって振り返る番。でも私には用は無い。宮侑にされたように不機嫌なオーラを隠す事なく、そのままぶつけてみせる。
「なに? 私、もう帰りたいんだけど」
「いや逃がさへんで?」
逃がすもなにも、話しかけたのは私の方で、私の方が宮侑を掴まえていたといえるであろうこの状況に“逃がさへんで”はおかしいんじゃないか。そんな事を宮侑に鋭い視線を送りながら思っていると、にんまりと笑った顔付きをした宮侑がゆっくりと近付いてくる。
「な、なに……」
その顔が不機嫌な顔の時よりも不気味で、怖くて、思わず後ずさってしまう。そんな私をおもしろそうに、まるで新しい玩具を買ってもらった子供の様なキラキラとした眼差しを向けて1歩、また1歩とその距離を縮めてくる。
「ちょっ……待っ」
いよいよ壁が近付いて来て、背中が壁にくっ付いてしまう。もう、これ以上後には行けない。でも前からは宮侑が迫ってくる。それも、怒りではなく、どちらかというと楽しさを抱えた表情で。そして、宮侑はあろう事か顔を近づけてきている。何で、どうして。そんな思考が頭を駆け巡っていくが、この状況を打破する方法は浮かんできてくれない。ついにどうする事も出来ず、本能的に顎を引いて目を閉じてみせるが、宮侑はそんな私の態度を「ふっ、」と軽く笑ってみせる。
「色々言うてくれはったけど、とどのつまり、なまえは俺の事好きなんよな?」
「……はっ? だから、私が好きなのはアンタ自身じゃなくて、プレーであって……!」
「じゃあなんで今、俺とキスでも出来そうな距離になってんのに逃げへんの? もしかして待ってた?」
「〜っ!」
「おっと、顔に平手打ちなんかやめてぇな? 俺、一応顔でファン付いてるとこあるから」
「さいっていっ!!」
バレーの才能を授けられて、顔つきも確かに整っているのに、どうして、性格だけこんなに滅茶苦茶なんだろう。それが彼に授けられた唯一の弱点なのだろうか。そんな事を振り上げた右手を宮侑の左手から掴まれた状態で思ってみる。
「……離して」
「いや、離さへん。俺、なまえの事気に入ってん」
「はぁ?? アンタ、もしかして変態?」
「いやそれを言うならなまえのがよっぽど変態やで?」
「どこがっ!」
「ワザワザそんな文句言いに来るか? 普通。はじめは何言うてるんや、コイツ思うたけど、途中から笑えてきてん。そしたら、段々なまえに対して興味湧いてきてなぁ」
「……アンタやっぱおかしいわ」
「そぉか? まぁ何とでも言ってくれて構わん。なんにしても、俺のスイッチが入ってしもうたわ」
「何のスイッチよ……」
「俺、なまえの事落としてみせるわ」
「はぁ!?」
ふざけてるんじゃないか。この状況は決して恋愛の類が生まれるものではないハズだ。それなのになんで宮侑の口からそんな言葉が出てくるのか。意味が分からなくて宮侑の顔をまじまじと見つめてみるけれど、やはり真意は掴めそうにない。
「狩猟本能ってヤツやな。とりあえず、バレーでも、俺自身の事でも骨の髄まで惚れさせてみせるわ。これからが楽しみやな、なまえ」
そういって微笑んでくる宮侑の顔は今まで見たきた中で1番恐ろしい物で、背中が粟立つのが分かった。