真っ赤な祝福

 分かって向き合うことを選んだ。共に歩むことを決意した。それが険しい道のりだと分かっていながら。だから、これは私に非がある。

「誕生日なのに」
「……ごめん」

 吐き出した小さな声を、大地は聞き漏らすことなく受け止めた。けれどぐしゃりと歪んだ表情は1分と続かず、すぐにその足を職場へと向かわせる。玄関でくるりと振り返った大地は、もう1度だけ私の方を向いて「本当にごめん」と頭を下げてから出て行った。……大地は遊びに行くわけじゃないのに。私を蔑ろにしているわけでもないのに。職務を全うしようとする彼に、私は罪悪感を与えてしまった。そう自己嫌悪するのは大地のことが大好きだから。だけど、自分を責めてばかりでは私の心が折れてしまう。

「大地のバカ」

 呼び出しばかりの大地にムカムカしてしまう気持ちはどうしようもない。私の誕生日だというのに呼び出しに対して「すぐ向かいます」と一瞬の迷いもなく反射的に返す大地にムッとしてしまう気持ちも、少しくらい許して欲しい。
 テレビからは今日も物騒なニュースが流れてくる。むしゃくしゃした気持ちを押し付けるようにリモコンを押して画面をブラックアウトさせ、めいいっぱいのオシャレをして私も外へと飛び出す。誕生日を祝うのは別に大地にしてもらわなくたって良い。私自身で私をお祝いしてあげよう。今日くらいはワガママになっても良いはずだ。



「買い過ぎたかな……」

 両手に提げられたショッピングバッグ。いつもだったら躊躇してしまう物も勢いで買ってしまった。両腕に凭れる重みは冷静さを引っ張り出してくる。そうしたらこれで良かったとも思えてくるから、部屋で1人モヤモヤするより外の世界に出て正解だった。今日帰ってくるか分からないけど、ちゃんと大地に謝ろう。付き合う前から大地にはこういうことはたくさんあるってあらかじめ言われてたし、そのことに苛々しないって決めたのに。その誓いを破ってごめんって、ちゃんと言おう。

「この服、大地似合いそう」

 大型ショッピングモールのお店の1つ。その店先にディスプレイされたコーデを見て足を止める。大地は放っておくとその場にあった服を適当に着る感じだし、別にそれが壊滅的なファッションってわけでもないから良いんだけど。でもたまにはこういうオシャレな感じも良いと思う。ハンガーラックにかけられている服を手に取って確認した値段は中々だったけど、謝罪の気持ちってことにしておこう。……これ買ったらあとは食材を買って買い物は打ち止めだな。

「キャーッ!」

 甲高い声と同時、周囲の人々が慌ただしく駆け出してゆく。普段のショッピングモールではありえない出来事に思わず肩を跳ね上げて何事だと店先に視線を這わせたら、刃物を突き出しゆらりと歩く男性が目に映った。
 刃物を持った男性が逃走している――テレビを消す直前、速報で流れていたニュース。それを脳内で再生させハッとした瞬間、手に持っていた服を落としてしまった。
 人が逃げて静かになった空間に、ハンガーの金属音はけたたましく鳴り響く。そこでようやく私だけ逃げ遅れていたことに気付いたけど、男の持つ刃物の刃先が私に向けられている今、もはや出遅れだ。

「ま、待っ……」

 やめて、とか止まって、とか。しどろもどろに言葉を詰まらせながら言う私にゆっくりと近付いてくる男性。荒い息遣いと共に血走る目を見た瞬間、私は死を実感した。明確な殺意に当てられている今、私の脳内に浮かんだのはニカっと笑う大地の顔だった。……あぁ。私、大地のこと大好きなんだ。死ぬ直前まで大地のことを思い浮かべるくらいだもんな――諦めともいえる笑みを吐き出して目を閉じる。最後に出来る抵抗はこれくらいだ。どうせなら見知らぬ男より大地のことを見つめながら死にたい。

「なまえ!」

 脳内に居たハズの大地の声が肉声で聞こえる。その余りにもリアルな声に驚いて目を開くと同時、血の匂いが私の鼻腔を襲う。私を抱き締める温もりは、よく馴染みのあるもの。その体に腕を回そうとした時、私の手のひらを赤いものが濡らした。そこでようやく大地が私を庇って刺されたのだと理解する。

「大地……?」
「無事か?」
「だ、いち……えっ? うそ、えっ?」

 犯人は既に別の警官に取り押さえられている。その様子を見ていた大地が安心したように「もう大丈夫だ」と笑う。その笑みにはいつものような力がなく、火が消える寸前のような危うさを思わせた。

「嘘でしょ? 大地、死なないよね? ねぇ、」
「ハハッ。なまえ守って死ねるなら、それも悪くねぇかもだな」
「やだ……そんなの、私がやだ……」

 ポロポロと溢れる涙を大地の優しい手が拭う。その手に自身の手を添わせれば、大地は安心したように笑って意識を手放した。「ねぇ……! やだ……やだ! 大地っ!」何度も呼ぶ声に反応せず、ただただ呻き声をあげる大地。私のせいで死ぬなんて、絶対に嫌だ。ストレッチャーで運ばれる間も、救急車に乗ってからも大地の手を離さずに「大地……! 死んじゃダメ」と口にしていると、大地の唇が薄く開いた。

「ダメ、か」
「っ! そうだよ、ダメだよ。許さないから」
「なら、死ねないなぁ」
「……うん。私のせいで死ぬとか、絶対許さない」

 戻ってきた意識を手放すまいと力を込めて手を握る。そうすれば大地も弱々しくもしっかりと握り返してくれるから、思わず言葉に詰まってしまう。もう誕生日に一緒に居れなくても良い。ただこの人生に大地が居てくれたらそれで良い。この先一生誕生日や記念日を祝えなくても良いから。だから、大地には生きていて欲しい。私の傍で笑って居て欲しい。

「なまえ」
「ん?」
「俺と、けっこん、してくれないか」
「……へっ」

 人生で1番緊迫した時間。その時間にまさかこんな形で呆けさせられるとは思ってもみなかった。止まることなんてないと思っていた涙が、いとも簡単に止まった。コレが最後だというような雫が頬を流れた後「今言っとかねぇと、この先しばらく言えないかもだし」と荒い息で大地が言葉を紡ぐ。

「え、待って……えっ今?」
「すまん。予定とは全然違うモンになっちまった」
「予定、してたの……やっえ、それよりも手当て……えっ? 死の間際でプロポーズ?」

 緊迫から解放されたかと思ったら今度はパニックが襲ってきた。こんな時に嬉しいとか思って良いのだろうか。でも込み上がる感情はどうにも制御出来ない。ボロボロと零れ落ちる涙は、今度は別の意味を司っている。死ぬかもしれない状況で、大地は何よりも私へのプロポーズを優先させた。……私たちって結構似た者同士のお似合いな2人なんじゃないか。

「ハイって言ったら、大地、絶対死ねないね?」
「……奥さん遺して早々にはダメだな」
「私の為に生きなきゃって思われたいから、奥さんになってあげる」

 大地の表情が穏やかなものになる。そうして吐き出された「良かった……、」という言葉と共に再び意識を手放す大地に一瞬焦ったけれど「大丈夫です。俺らが絶対助けます」という救急救命士の力強さに勇気をもらう。……大地ならきっと、大丈夫だ。
 辿り着いた病院で処置を受け、そこから驚異的な回復力で無事に復活した大地は退院の際、それはもう盛大に祝われながら、迎えに来た私のもとへと近付いて来た。その様子を見た私は、まるでお嫁に来る花嫁のようだなと思わず笑い声をあげてしまうのだった。

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