ラスボスとの共存生活

 いずれは海外に行く人だってことは分かっていた。だから、ポーランドに行くと聞いた時も特段驚きはしなかった。

「若利はポーランド行くんだよね」
「あぁ。結婚してくれないか」
「……はっ?」

 海外行きには驚かなかった。ただ、今目の前で顔色1つ変えずに言われた言葉にはさすがに驚かずにはいられなかった。……何をいけしゃあしゃあと。若利の思考回路、長年一緒に居るのにまったく理解出来ない。

「待って待って。え、ポーランドって海外だよね? 海の向こうに行こうとしてるんだよね?」
「あぁ。数ヶ月もしたらあちらに行く」
「……ちょっと、一旦、この会話なし」
「分かった」

 一世一代の大勝負に出たはずの男は、再び私の横でテレビに意識を向ける。……え? てか、なんで? なんで今? 私が偶然流れてた海外旅行のCM観て話題振ったから? それで“そうだ、プロポーズしよう”ってなったの? しかも私が保留にしたのに慌てもしないって……えー……?

「テレフォン!」
「……?」
「若利はテレビに集中してて」
「分かった」

 分からない時は人に訊く。というわけで、私は別の部屋に移動してその男の名前をタップしコールする。時差なんて知らないと踏ん反り返っている私に反してそのコールは意外にもすぐ途切れた。

「ど〜したのなまえちゃん。若利くんと別れでもした?」
「……逆」
「逆? あ、じゃあ結婚したんだ。オメデトウ」
「話が早い!!」
「わっ。ナニナニ〜怖いよ」
「若利、海外行くんだって」
「うん、知ってる」
「私と結婚、したいんだって」
「へ〜」

 あまり興味のなさそうな返事をされる。そしてその気持ちは「何も話早くないじゃん」という言葉でも表される。早いんだってば。はぁ、と溜息を吐けば「早いのはなまえちゃんのマリッジブルーだヨ」と笑われてしまった。ちょっと恥ずかしい。

「若利くんと結婚したくないわけじゃないんでしょ?」
「それは、まぁ……ウン」
「何が嫌なの」
「CM観て、私が“海外行くんでしょ”って言ったら“結婚しよう”って言われて」
「あはは。素敵なプロポーズじゃん」

 今の言葉は絶対わざとだ。電話口の男は私が何に引っ掛かっているか、ちゃんと察している。その上でからかっているのだ。天童は昔からそういう男だ。

「なまえちゃん知ってる? 若利くんって、人気なんだよ」
「知ってる」
「男女問わずね」
「うん」
「若利くんのこと狙ってる人、いっぱい居ると思うんだよね」
「……ウン」
「そういう人がもし若利くんに“ポーランドに一緒に来て”って言われたら、中には即答する人だって居るかもしれない」
「それは……」
「それに若利くんってああいう性格だから、なまえちゃんが嫌って言ったらなまえちゃんのことスッパリ諦めるかもだよネ」
「それは、嫌だ」

 引っ張り出された本音。それを口にすると、電話の向こうの空気がふっと柔らかくなった気がした。向こうが何時か分からないけど。こうして困った時にすぐ電話をかけられる友達が居る。捻くれながらも心配して、分かりにくく背中を押してくれる友達が居る。

「私はほんと、運が良い」
「ん〜?」
「若利たちと同じ時期に白鳥沢に入れて、こうして若利と出会えて、天童たちと友達になれて」
「ははっ。でもそれって、なまえちゃんの“幸運”だけでそうなったワケじゃないでしょ?」
「……そうだと嬉しい」
「大丈夫だよ。なまえちゃんなら」
「ありがとう、天童。もっかい若利と話してみる」
「はァい。今度若利くんと遊びに来てよ」
「うん。是非」

 天童との電話を終え、若利の居る部屋へと戻る。若利は先程の姿勢から1ミリの変化もなくそこに居て、言われた通りテレビに集中していた。

「若利」
「なんだ」

 若利の意識が私に向いたのを見てテレビを消す。そうすれば若利は体ごと私に向いてくれるので、私も若利に向き合う。

「あのさ、若利は一緒に海外に行ってくれる人が他に居たら、その人と行きたいって思う?」
「なまえ以外の人という意味か」
「そう。例えば私が若利と一緒に海外に行くのを嫌がったとしたら、若利は私のこと諦める?」
「話がよく見えん」

 眉間に少し皺を寄せる若利は、本当に理解に苦しんでいるように見える。察しの良い天童とイマイチ私の言いたいことを察せない若利。デコボコなマブダチだ。

「だから、海外について行かない私なんか捨てて別の女の人と結婚するのかって意味」
「……何故そうなる?」
「はぁ? だから、結婚しない私なんかと付き合う意味ないって思わないのってこと」
「結婚しないとなまえとは添い遂げられないのか」
「えっ、や、別にそういうわけじゃないけど……若利が結婚したいって言うから……」

 質問に質問で返され続けるうち、何故か私の方が疑問を抱えるはめになってしまった。えっ、じゃあなんで若利は結婚したいなんて言ったんだ。

「俺について来て欲しい、というのは、なまえの人生を巻き込むということだ。ならばそのことにケジメを着けるべきだと思った」

 若利の言葉をじっと待つ。続けて、と視線で告げると若利も同じように目を合わせながら言葉を継ぐ。

「だが、なまえが海外に行くのを嫌うのなら俺はそれを受け入れよう。なまえに無理強いはしたくない」
「それは、“別れる”ってこと?」
「もしなまえがそうしたいのなら」
「じゃあ、もし。私が海外には行きたくないけど別れたくないって言ったら?」

 瞳に涙が浮かぶ。若利から“私がそうしたいのなら別れても良い”と言われたことに、予想以上のダメージを受けてしまった。それだけで私自身がどう思っているかなんて明白なのに。……私はずいぶん面倒くさい女だ。

「それならそれで俺は嬉しい。俺はどのような形であれなまえと別れたくはない」
「若利……」
「何故泣く」
「訊いても良い?」
「なんだ」
「私以外の人にプロポーズするつもりある?」
「ない」

 即答かよ。なんだよもう。……あーもう。とんでもない男に好意を寄せられてしまったものだ。私はつくづく幸運な女だ。

「私のこと、たまたま好きになったわけじゃない?」
「なまえとの出会いは偶然かもしれないが。好きになることに対しての理由ならたくさんある」
「……私じゃなきゃ好きになってない?」
「そうだな」
「そっか」

 同じようなことを何度も問う私に、何度も丁寧に言葉を返してくれる若利。……私も、若利じゃなきゃダメだ。

「若利。私と結婚してくれる?」
「……良いのか」
「ふふっ。だって若利のお嫁さんには私しかなれないんでしょ?」
「そうだ」
「じゃあなる。なってあげる」
「……ありがとう」

 そう言って笑う若利は心の底から安堵し、その気持ちが微笑みとなって表れている。この人にそんな感情を与えられるのも、こんな表情をさせるのも、この世に私たった1人らしい。それってつまり、若利にとって私は敵わない相手ってことか。……うん、悪くないな。

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