恋の砂糖煮

 今日はおしるこかな――人差し指を平行状態のまま前へと伸ばした時。後ろから襲ってきた衝撃によってペースを乱された。何事だと思った時には既に自販機は選ばれた商品をガコンと落としていて、私の知らない間に売買が成立していた。

「悪い! ケガしてないか!?」
「あ、うん。大丈夫」

 すぐさま聞こえた声は慌てていて、私はその声の持ち主へと体を向ける。流れ作業で取り出した飲み物はきちんと希望通りのおしるこで、「おおっ」と思わず感動してしまう。だけど澤村はその反応を見て“違う商品を買ってしまった”と判断したらしい。

「悪い。みょうじが買おうとしてたヤツ、どれだ?」
「えっ、良いよ。それより澤村昼ご飯、早く行かないと取られちゃうよ」
「おい吉田! 今日は譲ってやる! 明日は負けねぇからな」

 澤村と一緒に競うように中庭を歩いていたサッカー部の主将にそう声をかけ、先に行くよう促す澤村。その背中を見送った後、澤村は再び自販機の前に立ってポケットに手を突っ込む。

「もっかい選んでくれ」
「ほんとに大丈夫だよ。私おしるこ飲みたいって思ってたし」
「でも……」
「本当に平気。なんか逆にお昼ご飯争奪戦負けさせちゃって申し訳ない」
「いやそれはっ。そもそもバランス崩した俺が悪いんだし」

 澤村の言葉によって事の顛末を予測する。確か前にも非常ベルのボタン押してなかっただろうか。だとしたらまぁ飽きもせず。そんなにお昼ご飯は大事なのだろうか。……大事なのだろう、何せ澤村は食べ盛りの男子生徒だ。

「ふふっ」
「みょうじ……?」
「あごめん。飲み物の件は本当に大丈夫だから。澤村も早く食堂行って」
「良い、のか」

 返却レバーを押して返却されたお釣りを取り出し澤村に返す。尚も戸惑った様子の澤村に笑いかけてその場を立ち去るも、澤村はまだ少しその場に立っている様子だった。
 同じクラスの澤村。席は私の前だけど、今までちゃんと話したことはなかった。もしかしたらコレが初めてのちゃんとした接点かもしれない。



「コレ、喉が渇いたタイミングで飲んでくれ」
「へっ」

 昼休みが終わる5分前に教室に戻って来た澤村。いつもは特に会話もなくスッと自身の席に腰掛けるのに、今日はパックジュースを差し出して来た。その手に握られたジュースは私がよく飲んでいる紅茶で、思わず澤村の顔を見上げる。

「みょうじ、あんま甘いの好きじゃねぇんだろ?」
「あー……」

 図星だった。今日“おしるこかな”なんて思ったのは本当に気まぐれで、こんな気分になるのは1年に1回あるかないかの割り合いなのだ。だからこそ、意図せず選ばれた飲み物がそのおしるこであったことに感動の割り合いが増やされたともいえる。……にしても。澤村と私はそこまでちゃんと話したこともなかったのに、どうして澤村はちゃんと私がよく飲んでいる紅茶、しかも無糖タイプの物を手にしているんだろう。

「みょうじがよく飲んでるの、コレじゃなかったか?」
「合ってる。コレ好きなヤツ」
「良かった」

 澤村は安心したように笑うけれど、それでもまだ心の片隅に罪悪感が見える。私としてはケガもなかったし、本当におしるこが飲みたかったんだけれども……。きっと澤村にそれをどれだけ切々と伝えても素直に受け入れてはもらえないかもしれない。さて、どうしたものか。

「私、本当は甘い物が好きなんだよね」
「……え?」
「だけど飲み過ぎは良くないでしょ? だからたまーに買うだけにしてるんだ。で、今日は国語の小テストの結果が良かったから。そのご褒美でおしるこ買うか〜って」
「そうだったのか」

 嘘を吐いた。国語の小テストはいつもと同じくらいの出来だったし、ご褒美におしるこを選ぶこともしない。だけど今吐いた小さな嘘のおかげで、澤村の表情は安堵でいっぱいになったから。そこまでの罪悪感は抱かない。

「あ、でも。コレも好きなヤツだから、良かったら貰っても良いかな」
「おう! 貰ってくれ」
「ありがとう」

 よく浮かべている笑みを浮かべ、澤村はようやく席に腰を下ろす。その背中をじっと見つめ、私も5限目の準備に取り掛かる。今日1日が終わったら、澤村に貰った紅茶をご褒美として飲むことにしよう。



 おしる紅茶事件から数日。澤村とは特にコレといった関係性の変化もなく、代わり映えのない日々を送っている。目の前の澤村は今日も真面目に授業を受けているし、部活動にも気合を入れて取り組んでいる様子だ。進学クラスで成績も良い位置キープして、更には部活の主将も務めてる澤村って、実は結構凄いヤツなのでは――? 今日も大きな背中をじっと見つめ、ぼんやりと今更な認識をしていた時。鞄から荷物を取り出していた澤村の動作の中で、白い紙がカサリと飛び出して来た。

「悪い」
「ん。……ん?」

 私の隣に来た紙を拾って手渡す瞬間、その紙の中身に視線を奪われた。コレはうさぎ……とクマだろうか。描かれた絵はどうも高校生が描くような絵ではない。

「あー、コレは妹だな」

 そう笑いながら写真を撮る澤村。一体いつの間に……そう呟きながらもまじまじと紙を見て微笑む澤村。まるで娘の成長の早さに驚きつつも感動している父親みたいだ。バレないように口角を上げながら澤村に問う。

「兄弟居るんだ」
「うん。俺、弟2人、妹2人」
「えっじゃあ5人兄弟!?」
「そうそう。おかげで毎日騒がしいよ」
「はー……道理で」
「ん?」
「ううん、なんでもない」

 だから周りをよく見ているんだ。この前の紅茶の1件を思い出し、納得する。高校生の澤村の下ということは、弟さんと妹さんたちはまだ中学生や小学生だろう。そんな育ち盛りが集う澤村家。……確かに、毎日が祭りレベルの騒がしさかもしれない。
 「上手くなったなぁ」と微笑む澤村の表情がとても優し気で、今日家に帰ったらきっとすぐに妹のことを褒めてあげるのだろうと予想する。その時も今みたいな顔で、妹の頭をクシャクシャと撫でてあげるのだろう。その姿は容易く想像が出来る。

 澤村大地。私のクラスメイト。
 今まではそれくらいの認識でしかなかったし、澤村の背中を見て何を思うでもなかったのに。今ではその背中を見るとじんわりとした居心地の良さを抱いてしまう。澤村の後ろ姿は逞しく、そして頼もしく思える。そんな背中を、いつまでもじっと眺めていたい気がした。



 妹さんの絵を見せてもらったあの日から、澤村と会話する機会が増えた。次の日にもっとたくさんの絵が描かれた紙が入っていたと笑いながら紙を見せてくれた澤村に笑い、そこから澤村家での出来事を教えてもらったり、バレー部のことを話してもらったり。反対に、私のことを話したり。そういう日々が続いていて、私たちは確実にクラスメイトから友達になっている。
 明日はどんな部活話、澤村家話が聞けるだろうか。そんな期待に胸を膨らませながら歩くバイトからの帰り道。

「わん!」
「お? みょうじ」
「澤村」

 明日を思って1人怪しく口角を上げている女子生徒を警戒したのか、犬の鳴き声が頭の中に響き、思考を現実に戻すとそこに澤村が居た。その足元には柴犬のような中型犬も居て、どうやらこの子が私に向かって鳴き声をあげたらしい。

「もしかして、この子がキンタロウくん?」
「おう。我が家の番犬、キンタロウだ」
「わぁ〜初めまして! 写真よりおっきいかも」

 写真でしか見たことのなかったキンタロウ。しゃがんでそうっと手を差し出すと、手のひらの下に頭を押し当てて撫でろとアピールをされた。その要望に笑いながら応えたら、キンタロウの尻尾が分かり易く左右へと振られた。

「今日部活は?」
「もう終わった」
「そっか。じゃあ部活終わってすぐ犬の散歩? 偉いね」
「んー、」

 言い淀む様子を不思議に思って撫でていた手を止める。そうすればキンタウロも満足したのかすくっと立ち上がって前へと進み出す。キンタロウに先導されるように私も立ち上がって歩みを進めると、澤村もその動作に倣って足を踏み出す。

「練習のしすぎは良くないって後輩に言った手前、練習すんのはルール違反だって思うけど……なんか落ち着かなくて」

 ぽりぽりと頬を掻く澤村を笑い、「とにかく体を動かしたい気分ってことね」と同意する。そういう気持ちは私にもある。ちょっと歩きたくてわざと遠回りする時とか。そういうのと一緒にするのはわけが違うかもしれないけど、なんとなく。私なりに澤村の気持ちには共感する部分がある。その思いを込めて言った言葉はちゃんと真っ直ぐ澤村に届いたらしい。

「あぁ。そんな感じ。キンタロウともこうして散歩出来るし、てのは後付けかな」

 少し申し訳なさそうにする澤村の声に「わんっ!」と元気な声が返される。キンタロウは“それでも構わない”と言いたげだ。
 相思相愛な様子を微笑ましく思いながら歩みを進めること数分。家の近くに立つ自販機が見えてきた。あの角を曲がったらもう私の家だ。いつもより帰り道が早かったな。

「あ、じゃあ私ここで」
「おう。またな」

 最後にキンタロウをひと撫でさせてもらって別れの挨拶を交わす。澤村は私に手を挙げた後、キンタロウのリードを引いて踵を返した。……あれ? もしかして澤村、私のこと送り届けてくれた……? 澤村のことだからきっとそうだ。夜道で1人にさせないよう、自然な流れで送り届けてくれたんだ。

 自販機で飲み物を2つ購入し、「澤村!」と呼び止めれば、澤村は歩みを止めて振り返る。駆け足で近寄って「お礼に。どっちが良い」と差し出すジュース。片方は澤村がよく飲んでるスポーツドリンク。きっと澤村はこっちを選ぶだろう。

「ありがとう。もし良かったら、こっち貰っても良いか?」
「あれっ? おしるこだ?」
「ん? 選んで買ったんじゃねーのか?」
「ま、間違えちゃった……」

 今度はリアルに押し間違えた。本当はブラックコーヒーを買ったつもりだったのに。どんだけ慌ててたんだ。自分の慌てっぷりがあらわれたおしるこを恥ずかしく思っている私に構わず、澤村は余計にコッチが良いと言う。

「みょうじが好きっていうおしるこ、俺も飲んでみたくなった」

 澤村にそう言われて、今更な罪悪感が胸を衝く。澤村に知って欲しい私は、そうじゃない。……ちゃんと知って欲しい、私のこと。

「ごめん澤村。私、嘘吐いた」
「ん?」
「本当はストレートティーが好き。無糖タイプのヤツ」
「やっぱりそうだったのか。……すまん」
「けど! 今は、おしるこも本当に好きになった」
「そっか」
「だからコレ、澤村にあげる」
「良いのか?」

 会話の脈絡をうまく理解出来ていない様子の澤村に、押し付けるようにおしるこを渡す。反射のように放つ「ありがとう」を聞きながら「じゃっ!」と駆け出す足。私がおしるこを好きだと思うようになったキッカケは澤村だから。……だから、澤村におしるこを渡したくなった。だってアレは、私の今の気持ちそのものだから。

BACK
- ナノ -