((120×2)+(180×2))×∞

 ――着いたぞ
 携帯が届けるメッセージを見て、返事を打つより先に玄関を飛び出す。そこには今しがたメールを寄越した人物が愛犬と共に居て、「おう」と片手をあげてみせる。

「何点だった!」

 大地の反応をまるっきりシカトして問うた点数。答えられた点数は私の点数を上回るものだった。登場するなりくぅっ、と歯噛みする私を、キンタロウが不思議そうに見つめている。そのキンタロウと目線を合わせ、ついでにひと撫でしてから歩き始めると大地とキンタロウも同じように歩みを進める。

「問2、どうやって解いた?」
「あそこは区分求積法だな」
「あぁ〜〜」

 言われてハッとして。帰ったらもう1回問2と向き合おうと決意して、その決意をすぐに揺らがせる。今日はもうお腹いっぱいならぬ、頭いっぱいだ。そう思ってまたすぐにハッとする。こういうところで大地と差がついてしまうのだ。大地はキンタロウの散歩から帰ったら、今日も問題集と向き合うのだろう。

「次はどの問題集するの?」
「英文法かなぁ」
「カァ〜! アメリカーン」
「ははっ、なんだそれ」
「アーハァン」

 肩を竦めて両手を挙げる。やっぱり大地は今日も夜の勉強をサボるつもりはないらしい。……私も、今日は無理だけど明日学校から帰って英文法の問題集を解くことにしよう。そして大地は次もまたキンタロウの散歩前に私を呼びに来るだろうから、その時に点数を訊こう。

「はい。選んで」
「おぅ、さんきゅ」
「はぁ〜悔しい」
「別に奢らなくて良いのに」
「良いの。コレは勝負なんだから」
「一体いつの間に」

 いつからだろう。大地が解く問題集を私も買って、同じ部分を解いて、どっちが高得点だったかを競うようになったのは。はっきりと覚えてないけど、私が勝手に始めたことは覚えている。そしてほとんど私が負けていることも。加えて、負けた方がジュースを奢るというルールを課したのも。全部私が一方的に始めて、一方的に負け続けている。
 私は大地と散歩に出る度、ほぼ毎回120円×2の出費をしている。でもそれが勝負というもの。大地は幾度となく「要らない」と言うけれど、コレは私がしたくてしていることなのだ。それを大地も分かっているから、キンタロウの散歩に私を誘わなかったことは今まで1度もない。

「ていうか。キンタロウの散歩に私を誘うようになったのって、なんでだっけ?」
「あー……なんだったっけ」

 2人して薄暗くなった空を見上げ過去を思う。けれどこの問題ばかりは解決の兆しもなく、散歩の折り返し地点である坂ノ下商店に辿り着いてしまった。そこで大地が「あ」と声をあげ、キンタロウのリードを私に渡してくる。

「悪い、俺お遣い頼まれてたんだった。ちょっとキンタロウお願いしても良いか?」
「オッケー」
「すまん」

 大地からキンタロウのリードを受け取り、坂ノ下商店に入っていく大地の背中を見送る。少しの間佇み、すぐに手持無沙汰になってキンタロウと同じ目線になる位置までしゃがみキンタロウを撫でる。……いつからだろう。大地とこうして関わるようになったのは。今更そんな疑問を抱いてみても、その時期はもはや物心がつく前に過ぎてしまっていて、迷宮入り必至だ。

「なんかそれって、意外と凄いことなのでは」

 家族以外の、血の繋がりもない赤の他人。なのに、他人じゃない。けれど家族ではない。だけど傍に居ないと落ち着かない。そんな人物が居る人生って、結構凄いことなんじゃないだろうか。……大袈裟か。

「すまん、待たせた」
「お帰り〜。何買ったの?」
「牛乳」
「わ、出た牛乳」

 澤村家の牛乳消費率の凄まじさたるや。これでもか! とストックしているにも関わらず、大地にお遣いを頼むほどなのだ。さすが育ち盛りが5人も居る家庭は違う。大地のお遣いによく登場するワードを笑いながらリードを手渡すと、キンタロウの鼻がヒクヒクと忙しなく動く。その様子を見た大地が「コレはダメ」と苦笑を浮かべている。その手に持たれた紙袋が重みのある音を鳴らし、ふわっと湯気を零す。その中身は間違いなく私が想像する物だろう。私がマイルールを崩さないのと同じで、大地も自身のルールを崩さない。

「なまえはあんまんだよな」
「毎回ありがとうございます」
「こちらこそ」

 坂ノ下の近くにある公園に辿り着き、リードを外すとキンタロウが勢い良く広場を駆けだしてゆく。この時間になっても元気いっぱいな様子を少し羨みつつ腰掛けたベンチで、大地が「ほい」と袋の中から1つ差し出してくる。私が120円×2の出費を重ねる傍ら、大地はそれ以上の出費を重ねているのだ。幾度となく辞退しても止められることはなかったので、私も自販機で飲み物を奢るという行為を止めない。それを“点数勝負”という体にしていることさえ、大地はきっと気が付いている。もしかしたら、だから大地も私に奢り続けるのかもしれない。……多分、きっとそうだ。

「まぁ私が勝った時は遠慮なく奢ってもらいますけどね」
「なんの話だ?」
「別に〜。……にしても。あんまんにココア……罪な組み合わせだ」
「別にコレくらい平気だろ。ご飯ももう食べたんだろ?」
「食べたのに加えてペロりと平らげようとしてる所がマズいのよ」
「大丈夫だべや。こうして散歩してるんだし」

 サラっと言って、ペロっと肉まんを平らげる大地。大地は何も分かっていない。大地と私の間にある差を。そのことに対し不満げに溜息を漏らすと、大地ははて? と不思議そうに首を傾げてみせる。

「いい? まず、大地の手にある飲み物。私とは違って、ブラックコーヒー」
「あー。甘いのはちょっとな」
「そして次に。大地はバレー部。私は帰宅部」
「だな」
「そんで大地は帰ったら勉強という名の脳トレをする。私はお風呂に入って寝る」
「そう、なるだろうな」
「ね?」

 ドヤッとした表情と共に同意を求めれば、大地はふはっと力なく笑う。大地の言いたいことは分かる。そういうならお前も同じようにすれば良いだろう――だ。ほら、大地は全く分かってない。まったく。そういう所はいつまでも変わらず鈍い男なんだから。

「ハァ〜。まったく」
「まだなんも言ってないぞ」
「言わなくても分かるの」
「なんで」
「私が私で、大地が大地だから」

 それが根拠になるくらい、大地と一緒に過ごしてきた。そしてそれは大地にとっての私もそうらしい。大地の納得したような表情がそれを証明している。

「大地。私が大地と同じことを出来ると思う?」
「なまえの場合、やったとして1週間……いや3日だな」
「悔しいけどそういうこと」
「ははっ。だな」
「笑うな」

 ぺちっと腕を叩き溜息を吐く。隙間に訪れた沈黙の間で互いの手にある缶を傾ける。そうやって一息吐く視線の先では、キンタロウが地面に鼻を当て何かを探っている。……そういえば。

「私がこの散歩について行くようになったのって、確かダイエットが目的だったような」
「あぁ、そう言われると確かに。そうだったかもしれないな」
「どうしよ、全然痩せてないかも」
「そうなのか?」
「うん。てか普通に無理だよね。週3ペースでココアとあんまん食べてるんだもん」
「……確かに。しばらくやめるか?」
「やー……めない!」

 今更やめるのもなんか変な感じだし、私にとってこの時間はもうなくてはならないものだから。だから、日課ともいえるあんまんも、ココアも。罪悪感はあるけど、欠かせないのだ。ほんの一瞬だけ悩んで、すぐに返事をした私に、大地は「だよな」と満足そうに頷く。

「何その“そう返すって分かってました”って感じは」
「だってなまえだから」

 うわ、ちょっと悔しい。私のことはなんでも分かってますってか。なんだソレ。割と嬉しいじゃないか。

「私、英語は結構得意だから。次はジュースも大地の奢りかもね」
「どうだろうなぁ」

 勝ち誇ったように笑う大地。その笑みはまるで次回の勝利を見通しているようだ。そして、私も同じように、ほんのりとした敗北を予感している。だけど、それで良い。そうやってまた次も120円×2の出費をして、大地はそれよりちょっと多い金額を出費して。そういう日々が、これからずっとずっと、ずーっと続けば良い。
 そう思っているのは私だけじゃないって、私は知っている。そして、大地もきっと、知っているはずだ。

BACK
- ナノ -