友達最終日

 男女の友情が成立するか――と訊かれると、少なからず私は成立すると思っている。

「おはよう」
「はよー。昨日さぁ、私銀と喧嘩したんだよね」
「え。犬と喧嘩ってどうやんだ?」

 席に着いて挨拶もそこそこに差し込む会話。急だな、なんて驚きもせずに言葉を返してくる前の席の澤村は、私にとって男友達だ。多分それは澤村にとっての私もそう。みょうじに話しかけられた! どうしよう、今日の俺、変じゃねぇよな!? という具合に内心バックバク……には見えないし。私もそこまで構えて声をかけてはいない。つまりはそういうこと。

「え、逆にしないの?」
「普通しないだろ」
「えー。私なんかしょっちゅうやってるよ。昨日だって私はボールで遊びたかったんだけど、銀はロープで遊びたかったみたいでさ。それでずっとやりあってた」
「犬主体で遊んでやれよ」
「遊ぶからには互いに楽しくでしょうが」
「まぁそれも大事だけどな。……にしても犬と喧嘩って。銀次郎も大変な飼い主に飼われたもんだ」

 じゃあ澤村は飼い犬と喧嘩したことないのかって訊いたら、少し考え込んだあと「あるな」だって。あるんじゃん。ほら。
 けらけら笑っていつもの雑談を交わす。私はこの時間が嫌いじゃないし、なんなら“あ、明日コレ澤村に話そう”ってふと瞬間にいつも思う。でもそれは普通に友達としてだし、澤村にどう思われるかなんていちいち考えもしない。澤村相手の会話は、気楽で心地良い。

「今日の日直はー……澤村とみょうじか」

 朝礼に来た先生が黒板に書かれた名前を読み上げる。そこで私たちが日直であると気付き「うげ」と漏れ出た声。その苦い声を澤村は出すことなく「はい」と先生に返事する。日直か〜嫌だな〜なんて感情は澤村の中にない。根が真面目だから。

「配布しようと思ってたプリントがあったんだけどな。先生は持って来るのを忘れた。ので、お前ら。帰りも俺が忘れてたら言ってくれ」
「えー。自分でメモしてたら良いじゃん」
「そう言うなよ。メモしてても忘れんだよ俺は」
「社会人失格じゃん」
「いんだよ別に。そこまで重要なやつじゃないし」
「じゃあ尚のこと私たちに頼まなくても良いのでは」

 素直に返事をする澤村とは違い、私はいつまでもぶぅぶぅと不満を漏らす。対する担任も、こんなことでイラっとするような人間ではない。結局「すまん。頼む」のゴリ押しで面倒事を押しつけられてしまった。大人の方が何倍も上手なのである。にしても、放課後まで覚えとけるかな。いや無理だな。忘れるな、私も。

「頼んだ澤村」
「意識はしておくけど。正直俺も自信ねぇ」
「ないんかい。いやでも2人とも忘れてるオチが見えるわ」
「へへっ。たべ?」

 どやんなっての。澤村は基本しっかりしてるけど、時々ポカするんだよな。携帯忘れた〜って言葉を、席が前後になってから何回か聞いたし。まぁ、そういう全部が全部カッチリしてないところも、とっつき易さに繋がってるんだろう。
 前後で交わす会話は今日も平和だ。私の前の席の澤村大地。……うん。最高に良い奴だ。



「お? 1人メシか。珍しい」
「今日こんな暑いのに、中庭で食べよ〜だって。JK、強し怖し」
「はは、それでリタイアしたってわけか」
「無理でしょだって。溶けるわ」

 そういう澤村こそ、という返しには「もう食べ終わったんだけどさ。ちょっと物足りなくて」とまぁまぁな数のおにぎりが抱えられていた。……もう食べたんですよね? あぁ、そっか。澤村ってめちゃくちゃ食べるんだよね。何回前の席から腹の虫の鳴き声が聞こえてきたことか。いっぱい食べて、大きくなるんだぞ。少年。

「あ、てか。昨日のドラマ観た?」
「あー、なんかめっちゃ流行ってるヤツだろ?」
「そうそう。ブリュンヒルデちゃん主演のヤツ」
「俺ドラマどれも観てねぇんだよなぁ」

 知ってる。澤村はどのクールだってまともにちゃんと観たことないんだよね。澤村のところは兄弟が多いから、よくチャンネル争いしてることも、澤村はいつもその争いを見守ってるってことも。前聞いたから知ってる。でもそんなのは関係ない。私は昨日のドラマを誰かに話したくてしょうがないのだ。

「いやー、相手の俳優。マジで格好良かったよね」
「へぇ、そうなんだ」
「ブリュンヒルデちゃんの腕掴んだところ! 私思わず叫んじゃった」
「あー、あそこな」

 観てないと言っているにも関わらず話を続ける私に、澤村が適当に相槌を打つ。そのことにムッとしながら腕を叩くと「いやいや。俺もそこは観たんだって」とまさかの主張が返ってきた。

「あ、そうなの? ごめん冤罪」
「まぁチャンネル争いの隙間に映っただけだけどな」
「もはやそれは観ていない」

 澤村家は昨日も相変わらずチャンネル争いが勃発していたらしい。日常的なシーンとして話す澤村に「時々は自分の観たい番組とか観ないの?」と尋ねても、澤村はうーんと首を捻るだけ。

「俺テレビ自体あんま観ないしなぁ。スポーツ系はみんな観たがるし、基本弟たちが観たいヤツ一緒に観てるかな」
「そっかぁ」

 そういうの、私からしてみたら“思いやり”に見えるんだけど。多分澤村にとってはそうじゃない。無意識に人を想ってあげられる人なんだよなぁ、澤村って。そういう部分は他の男子よりも何倍も大人びてるなぁと思う。
 じっと見つめた先で、澤村が椅子に横向きに腰掛けておにぎりを頬張っている。体格もガッシリしてるし、おにぎりを頬張る横顔は豪快さと可愛さを兼ね備えている。……良いな、澤村。

「あ、大地戻って来てたんだ。俺と旭もメシ食い終わったし、そろそろ部活のミーティング行くべ」

 隣のクラスからスガが東峰を引き連れて戻って来た。3人はバレー部繋がりでよく一緒に行動している。今日もミーティングがあるらしく、スガが澤村に声をかけると澤村の目が思い切り見開かれた。

「やっべ! そうだった!」

 どうやらミーティングを忘れていたらしい。驚いた拍子に米粒が喉に詰まったようで、胸を叩きながら苦しんでいる。慌てて私の机に置かれた澤村のパックジュースを手渡すと、澤村は私の手ごと掴んでストローに口付けた。

「すまんみょうじ助かった! 今行くから待っててくれ!」

 廊下に居る2人に叫び、残りのおにぎりをひと口で丸のみする澤村。そのまま私に背を向け準備をし、すぐに廊下へと駆け出して行く様子をぼうっと眺めてから数秒。そこでようやく私は自身の手に帯びる熱を自覚する。……え? 私もしかして……。いやいやいや。まさかそんな。



 恋をするきっかけってなんだろう。一目惚れもあるだろう。だけど、じわじわ好きになっていた場合、どこが“恋心”への分岐点だったのかなんて、今となってはもう分からない。“好きかも”と気付いた時は、もう既に“好き”なんだと――気付いてしまった。

 午後の授業中、澤村の背中を見て“逞しいな”と思ってしまったし、それを“格好良いな”に繋げてしまった。つまりそれは、私の抱く感情が“友情”ではなくなってしまったということ。どうやら私は澤村のことを“友達”として見られなくなってしまったらしい。
 気付いてしまった違和感は態度に出てしまい、放課後日誌の仕上げを一緒にしようとしてくれた澤村に「澤村は部活でしょ? 私がやっとくから良いよ」と早口に捲し立てて日誌を奪い取ってしまった。……まずい。あからさま過ぎる。これって、これから私は澤村と前みたいに話せなくなるってことなんじゃ……。

「どうしよう……」
「みょうじ」
「え、澤村!?」
「部活の用事で職員室に行ったらまだ4組の鍵返されてなかったから」

 日誌終わってないのかと……と続ける声は少し息が上がっていて、澤村の焦りが見える。日誌のこと、澤村はきっと私に押し付けたと思っているんだろう。そして今も私の姿を見て罪悪感で満たされているに違いない。そういう善性の塊なところも……あぁ、ダメだ。今何をされてもトキメキの要素になってしまう。

「日誌はもう終わってるから、大丈夫だよ」
「そっか。それなら良いんだけど……。任せちまって悪かった」
「良いよ良いよ。私がやるって言ったんだし」

 申し訳なさの隅に安堵を浮かべる澤村。けれどすぐに私の歩く方向に違和感を覚えたらしい。「みょうじは教室に忘れ物でもしたのか?」と問う声が私の背中を追いかけるように近付いて来る。進行方向的に職員室戻りであろうと気付ける辺り、澤村が人のことをよく見ている証拠だなぁなんて思いつつ、そっと自身の腕の中にあるプリントたちを隠すように抱え込む。まぁそんなのは無駄な足掻きで、すぐ後ろに来た澤村の視線はそこに止まった。

「あれ、コレ……」
「日誌提出しに行ったらさ“2度同じ轍は踏まん”とか言って、押し付けられちゃった」
「まじか。……すまん、俺が言うの忘れてたから」
「んーん。私も言うの忘れてたし。てか1番悪いのは私に配るよう押し付ける先生だし」
「さすがにコレはあんまりたべや」
「ね。まぁ日誌早く終わったし、先生今から職員会議だって言うから。いっかなって」
「俺も持つ」
「あぁ良いよ。そんな重い物でもないし」

 「同じ日直だろ」とプリントを取ろうとする澤村。いや、ほんと、そこまでしてくれなくて良いんだよ。澤村今日の日直仕事ほとんどやってくれたじゃん。日誌書き上げれないかもしれないからって、申し訳なさそうにしながらさ。だから良いんだよ、そこまで優しくしないで。

「澤村は部活行って? 私帰宅部だし」
「いやでも、」
「良いんだって! 優しくしないでよ!」
「……みょうじ?」
「澤村のこと……好きに、なりたくないんだって……」
「えっ?」
「っ! ご、ごめっ……」
「ちょっ、おい!」

 うーわ最悪。何言ってんの私。しかも言い逃げって。どんだけタチ悪いんだ。……っていうか今の発言、下手したら友達ですら居られなくなるんじゃないか? うわぁ、やらかした……。

「どんだけバカなんだ私」



 あれからの私はというと。家に帰るなり自室に籠り、クッションに顔を押し付け唸り声をあげている。いつもはわんぱくな銀も、今日ばかりは私を気遣うようにクンクンと鼻を押し付けてくる。その気遣いに泣きそうな気持も込み上がってきて、よりクッションに顔を押し付けることに繋がっているのは銀には内緒だ。
 だけどいつまでもこうするわけにもいかないよな――と思っていると、机の上に置いていた携帯が振動し、弾みでクッションの上に落ちてきた。クッションから顔を離す動作の中で見た画面に“澤村”の文字が表示されているのを確認した瞬間、私の体は命令が下りたかのように素早く立ち上がる。

「え……い、今!?」

 近くに居るんだけど会えないか――って。嘘。今来てるの!? こっちに!? わざわざ……会いに……来てくれた。きゅぅ、と心臓が疼く。あんなひどいこと言って逃げちゃったのに。澤村はちゃんと話し合おうと連絡をくれた。……私も、このままは嫌だ。すぐに返事を打ち了承を告げると、澤村から近くの公園を指定された。すぐに部屋を飛び出して数歩。パタパタと自室に戻って姿見で髪の毛を整える。……あぁダメじゃん私。好きじゃん、澤村のこと。





 辿り着いた公園で、ジャージ姿の澤村が私を待っていた。制服の時より大人びて見えるのは、バレー部の主将だからだろうか。ドキドキしながら近付くと「遅くにごめん」とまず詫びを入れられる。それに「や、こっちこそ……」と謝罪を慌てて返すと「とりあえず、あっちで話そう」と諭すようにベンチへと誘導された。今度はもう逃げられない。

「放課後のアレ、どういう意味?」

 澤村の声は静かだ。そして、真剣さを孕んでいる。ここまで来てしまっては言い逃れも出来ないだろう。悪いのは私だ。これから澤村と気まずい関係になってしまうかもしれないけど、あんな風に咄嗟に飛び出てしまうくらい、澤村への気持ちが大きかったことに気付けなかった私が悪い。

「私、澤村のこと友達だって思ってた、んだけど……」
「うん」
「だけど……自分でも分からないうちに友達として見れなくなってた、みたい、で……」

 澤村はじっと黙ったまま。一先ずは私の言い分を聞こうとしてくれているのだろう。その意図を汲んで喋ろうとするけれど、心臓の音が邪魔してうまく喋ることが出来ない。

「えっと……その、ごめん……」

 言葉にもならない言葉をたどたどしく重ね、誤魔化しのように謝罪する。多分今の言葉じゃ澤村は納得出来ないだろう。せっかく会いに来てくれたのに、情けないし申し訳ない。

「さすがに……アレは傷付いた」

 ぽつりと澤村が呟く。その言葉に胸を突き刺されながらもう1度ごめんと謝罪を口にする。この言葉だけはちゃんとしっかり澤村の耳に届けなければ。私は、澤村を決して傷付けたかったわけではないのだから。

「どうして、好きになりたくないんだ?」

 あぁやっぱり。今の言葉じゃ澤村を納得させることは出来なかった。澤村の声にも不安な気持ちが滲んでいる。そうだよね。今まで仲良くやって来た相手から急にあんなこと言われたら“何かしてしまっただろうか”って不安になるよね。……ほんと申し訳ない。どれだけ下手くそでも、澤村の為にちゃんと言葉にしないと。

「……今まで澤村のこと、気の置けない友達だって思ってた。それに、私にとってそう思える男友達は澤村だけだったから、大事にしたいって思ってて。……でも、私がその……恋愛的な意味で好きだって思っちゃったら、もう友達では居られないってことだなって思ったら……つい。あんなこと言うつもりじゃなかったんだけど……本当にごめん」

 まだちょっと下手くそだけど。さっきよりはちゃんと言葉に出来た。一思いに話終わると、澤村が腕を組む。私の言い分は澤村の中でどう処理されるのだろうか。

「いっそのこと好きになろう、とはならねーの?」
「……へっ?」

 腕に移していた視線を上げる。そこに在る澤村の目は真剣だった。まっすぐ私を見つめる目を見て、顔じゅうに熱が集まり耳まで広がる。澤村が恋愛事に鈍感だって知ってる。その澤村が、こんなことを言ってる。――それがどういう意味か。生憎私は、澤村ほど鈍感ではない。

「い、良いの? 好きになっても」
「俺もみょうじのこと仲良い友達だって思ってた。でも、あぁ言われてすげーショックだった」
「本当にごめんなさい」
「でさ、今実際こんなことになってるわけだろ? もう今まで通りの友達は無理だと思う」
「うっ……」

 澤村が恋愛関係の話でまともなことを言っている。そんな風に頭の端でぼんやりと失礼なことを思う。でも、今それを口に出してる場合じゃないし余裕もない。今は友達関係の終わりを迎えようとしている大事な時だ。

「俺は、これからもみょうじと色んなことを喋りたい」
「……私も。澤村とはもっとたくさんくだらない話したい」
「それってさ、彼氏彼女じゃ出来ねーの?」
「で、きると思う」
「じゃあ、やってみない? みょうじが良かったらだけど」

 澤村は“好きかどうか分からない”なんて曖昧な状態で誰かと付き合うなんてしない人だ。きっと澤村がこう言うまでの間、一生懸命私のことを考えてくれたはず。そうして考え至った結論が、私と同じ気持ちだったってこと。そしてその気持ちから逃げたり、誤魔化したりせず私に告げてくれた。やっぱり私――。

「よろしくお願いします」
「こ、こちらこそ……よろしくお願いしァス!」
「ふふっ。試合でも始めんの?」
「あ、いや……すまん、つい」

 友達関係は終わってしまったけど、これからは澤村のことを心置きなく可愛いって思ったり、格好良いって思ったりして良いらしい。……ねぇ、澤村。私、澤村のこと「好きになりたくない」って言ったけど、あれ嘘だ。

「私澤村のこと、好きになりたい。てか好きだわ」
「俺も。みょうじのこと好きだ」

 すごい。私たち、早速両想いだ。

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